やらざるべきこと、やるべきこと
寒さは日に日に厳しくなり、ベッドを出るのが億劫な朝。
異世界召喚から十数日が過ぎ、私の生活は軌道に乗り始めていた。
食事ではお気に入りの店をいくつか見つけ、お店の人たちにも顔と名前を覚えてもらえるようになった。
そして見た目もアップデート。
両サイドの髪を軽く束ねて結んでみた。いわゆるツーサイドアップというやつだ。
色々な髪型を試した結果、まだ幼さの残るこの顔にはこの髪型が一番似合うと思った。
部屋着を買って快適度も上がったし、街の人とコミュニケーションを取るうちにこの世界のことも少しずつわかってきた。
中でもラッキーだったのは、この世界の様々な文化にはあちらの世界との共通点が多いことだった。
家電や車なんかはないけれど、魔法で底上げされた生活水準に大きな不便を感じることも減り、少しずつ慣れていった。
聞いたところによると、街の明るい雰囲気はここ20年程、魔王が現れる赤い月の夜――フォウルの夜――が訪れていないことに関係しているようだ。
魔王が現れると魔物が活性化して、国の農作物などに大きな被害が出る。そして何より多くの血が流れる。
あちらの世界でも大きな災害があった時は、国中が静まり返るような、どこか落ち着かない雰囲気で暮らしていたのを覚えている。
そんな魔王の襲来が長らくないこともあって、生活の立て直しや発展が進み、国は豊かさを取り戻している。
魔王の話を聞くときに、どうしたって対になるのは勇者の存在。
魔王がいない間に勇者を召喚して魔物を根絶――っていうのは私だって考えつく。
そしてその話になると、誰しも気まずそうに視線を泳がせる。
私のせいじゃないって言ってくれる人もいたけれど、やっぱり居心地の良いものじゃないよね。うん。
そして、フォウルの夜がしばらく訪れていないってことは、次はそこまで遠くないってことでもある。
……。
…………。
………………。
ネガティブやめやめ。
むん、と気合を入れてベッドから抜け出した。
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買い置きの果物で小腹を満たして外に出かける。
連日の買い物などで街を歩き回ったり話を聞いたりして、なんとなくの地理を把握することができた。
私が住むミリヌ地区はソレイユ王国の南東部にある。大陸全体で見ても比較的南側にあるせいか初冬の今でもそこまで厚着する必要がない。
そして、王国の城は国の中心街であるミリヌ地区のすぐ南で、私の家から歩いても20分くらいだろうか。ドネブを食べた噴水のある広場からは大きな王城の頭が見通せる。
今日の私は運動も兼ねて少し遠出してみることにした。
こちらの世界に来てからというもの、どうも食べ過ぎているもの……。
初めて服を買った商店街を抜けて、北に向かってあてもなく進む。
しばらく歩くとお店の数はめっきり減り、畑を中心に家がポツンポツンとあるばかり。
農作業中のおばあちゃんと目が合ったので挨拶を交わすと、
「お嬢ちゃん、綺麗な服だねえ。まるでお姫様が来たかと思ったじゃないか」
なんてお褒めの言葉をいただく。
老若男女に響く可愛さ。私って、尊い……。笑顔で手を振って通り過ぎる。
こんな風にこの世界の人たちは結構、フレンドリーだ。
あちらの世界では突然声でもかけようものなら事案だなんだと騒がしかったけれど、そんなギスギスした空気はどこかの時空に脱ぎ捨てて来たらしい。
人の喧騒から離れ、鳥の鳴く声がやけに大きく聞こえる。
「家から一時間と歩いていないのに、随分静かだなあ」
鼻歌まじりに刻む歩みは自然とゆったりしたもので、土の匂いさえ優しい。
田舎のお祖母ちゃんの顔が不意に浮かんだ。
15歳のくせになに黄昏てるんだ私は。
我に返って周囲を見渡すと、農道の向こうは森が広がるばかりだ。
太陽は頂点を大きく過ぎ、夕方も近い。
そろそろ帰ろうかと視線を転じると、小高い丘になったところに大きな建物が見えた。
そのまま帰ろうか迷った末、近づいてみる。
坂になっていて正直しんどい。最近ダンスの練習サボってるもんなぁ。
反省を胸になんとか登りきる。
息を切らしながら目の前まで来て、ようやく気付いたのはそこが森に囲まれた洋館だってことだ。
蔦が這う外壁や、庭園で揺れる枯れ木にはなんだかただならぬ雰囲気を感じる。
童話の世界なら間違いなく魔女が住んでいるだろう。
『せっかくここまで来たんだよ』『誰かのお家に勝手に入るなんて』
私の脳内では、天使と悪魔が言い争っている。
小悪魔な私も案外イケそうだな、なんて場違いな感想が湧く。
ギィィイィィ――――。
そんな私をよそに、レース模様の大きな門扉は手招きするようにひとりでに開いたのだった――。
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私の背中を押したのは館の魔力か、それとも邪な好奇心だったろうか。
おじゃまします、と形ばかりの挨拶をして足を踏み入れる。
小道に沿ってしばらく歩いてわかったのは、外から見えていたこの庭園は思ったよりずっと広かったということだ。
洋館に近づいたかと思うと遠ざかり、何度か曲がるうちに距離や方向感覚も狂っていった。
そして聞こえるのは私の足音ただ一つ。
畑の中の穏やかな静けさとは違い、ひっそりとした静寂には肌寒さすら感じた。
まるで異世界か何かに迷い込んだようだ。いや、確かにここは異世界なんだけども……。
しかし、当てずっぽうにいくつ目かの角を曲がってアーチをくぐると私の感想は一変した。
そこには――――花、花、花、花、花、花、花。
それも全てが色とりどりのバラだった。
この場所に足を踏み入れてから、私以外の命はみんな息絶えてしまったかのように感じていた。
ところがこの一帯だけは重たいほどのバラの香りと、咲き誇る赤・白・黄色。まさに生命に溢れている。
さっきまでの肌寒さはどこへやら。私はひとしきりバラを眺めたり、匂いを嗅いだりして過ごした。
「スマホ持ってたら絶対写真撮りまくってたなぁ」
指で四角形を作り、向こう側を覗く。
きっとピンスタに載せなきゃってバラそっちのけで自撮りなんかしてたよね。
あれだけ手放せなかったスマホやSNSがなくなって、今だけは身軽に感じられた。
一通り見終わった私は、八角形の西洋風東屋を見つけ腰を落ち着けようと近づく。
東屋には椅子とテーブルが備えつけられていた。
「ん?」
私の目はテーブルの上に活けられた一本のバラに釘付けとなる。
さっきまで何十本と見てきたにも関わらず、私の心はたった一本のバラに大きく揺さぶられていた。
だってその花言葉は無知な私だって知っていたから。
「夢が、かなう――」
私は知らず右手を伸ばしていた。
その青いバラに――――
「「「何をしている!!!!!」」」
不意に響いた怒声は、どこから聞こえたのか、何人分のものかさえわからなかった。
老人のようでもあり、少女のようでもあるその声は、それでも私を震え上がらせるには十分すぎるものだった。
「ーーーーー!!!ご、ごめんさいいいいいいいいい!!!!!」
叫ぶが早いか、私は無意識に駆け出していた。
どこを何回曲がったかわからないけど、走る。走る。走る。
空はいつの間にか暗くなり、静かだった木々は嵐のように揺れていた。
勝手に入ってきて、綺麗なバラに触れようとしたのだから、ちゃんと謝らなくちゃいけない。ちゃんと怒られなくちゃいけない。
それでも私は、ここで止まったら殺されると、確信めいた予感がしていた。
「ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ」
言葉にならない謝罪をお経のように唱えながら、走る。走る。走る。
『一目散』という言葉を写真で表すとしたら今の私は100点満点だろう。
「「「あははははははっ♪あははははははははははははははっ♪♪」」」
少女のような笑い声が森全体にこだまする。
逃げなきゃ。逃げなきゃ。
何度目かの角を曲がると、幸運にもレース模様の大きな門扉が目に入る。
「後ろからはなんにもこない!後ろからはなんにもこない!後ろからはなんにもこない!」
振り返る勇気さえなく、祈るように三度繰り返した。
庭園を抜け、激突するように重たい扉を押し開ける。
好奇心で登った丘を恐怖心で転がり落ちた。
擦りむいた膝の痛みにようやく気付いた時、私は見慣れた商店街までたどり着いていた。
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そのまま歩き続け、噴水広場にたどり着く頃には、呼吸は整い冷静な思考が戻ってきていた。
広場に座り込んで、ボーっと噴水を眺める。
とっぷり日が暮れ、あたりは暗くなり始めていた。
あんなに一生懸命走ったのはいつぶりだろう。
どんなに激しいレッスンでもあんなに息が切れることはなかった。
太ももから膝に向かってゆっくりさすると、膝はプルプルと笑っている。
「ほんと笑えないって……」
ゆっくりと息を吐き出して、逃げている時の記憶をたどる。
そういえば、笑い声が聞こえたっけ。
森のそこら中にスピーカーでもあったかのような音の反響。どこか楽しそうな少女の笑い声。
何かを見たわけでも、腕を掴まれたわけでもないのに、私は殺されるんじゃないかって恐ろしくなった。
ひどい目に遭った。といってもそもそも私が悪かったのだ。
「花泥棒、だと思われたよね」
むこうの世界なら不法侵入の時点でアウト。
この世界の法律や文化がどうなっているのかは知らないけれど、家に勝手に忍び込んだ人間が大事な花に手を伸ばしていたら、それは怒られて当然だ。
他人の家には勝手に入らない。ひとのものをとったらどろぼう!
私は子供みたいな反省をし、家路についた。
家に帰ると少しは食欲が出てきたので果物をひとかじり。ふたかじり。
酸味の強いこちらの果物も慣れれば美味しいものだ。
買い置きの食材も減ってきたし、明日は買い出しに出ようかな。
そう思ってお財布の中身を確認すると、金貨は銀や銅に色を変え、枚数も残りわずか。
それでは、と召喚された日に貰った金貨入り袋をがさごそ。がさごそ。
ガサゴソ……。
ガサゴソ…………。
袋にはチャリチャリと底の方に2枚の金貨が残っているだけだった。
「…………。」
私はここに来てから仕事をしていない。つまりお金はまるで増えてない。
ところが食べ物を買い、服を買い、なんなら冬用の掛け布団も欲しいな~なんて考えていたところだ。
まずい。まずい。まずい。
「働かなくちゃ!!!!」
結構遊んだ回になりました。
金欠だからってパパ活だけは許しません!