リリナ
「で、私がこの世界に呼ばれた、ってこと?」
呆ける私を置き去りに、
「その通りじゃな」
ヒゲのおじいちゃんことモーリスさんの長い説明が終わった。
どうやら私は異世界とやらに飛ばされてしまったらしい。
私だって最初はドッキリとか夢なのかな、と思っていた。
漫画やゲームに詳しくない私だけれど、クラスの子が「召喚」だとか「魔法」だとかってスマホゲームをしながら話していたのを知っている。
もちろん、それが架空の世界の話だってことも。
だけど、モーリスさんの話を聞きながら視線をさまよわせていると、違和感が波のように押し寄せて来た。
まず、ここにいる人たちの服。
私も撮影やハロウィンで変わった衣装も着たけれど、ここの人たちのそれは教科書から抜け出してきたみたいに古臭くて、色合いも材質も何だかすごく地味だった。うん、可愛くない。
そしてこの部屋は、遺跡みたいに石で造られていて壁にあるはずの時計や、天井の蛍光灯なんかは一切見当たらない。
木で出来た机と椅子で何かを必死に書き留めているマーレさんの手には羽ペン。スマホやパソコンどころか、ボールペンだってないみたい。
そして何よりここの人たち、日本人じゃ、ない……?
言葉はなぜだか日本語が通じるけど、モーリスさんもマーレさんも集まっていた多くの人も、顔立ちは明らかに外国人のようで、髪の色もカラフルだった。
最初は冗談の類だと思っていた私の心の天秤は、この世界の違和感を一つ見つける度に傾き、今では地面に着いてしまいそうなほどだった。
だけど、この話が本当だとすると、どうやら私は要らない子みたい。
どうにも釈然としないけれど、私にだって自分の世界で叶えたい夢があるのだ。
「あの~、私はその勇者ってのじゃないみたいだし、元居た場所に帰りたいな~って思うんですけどぉ……」
「それはできません」
きっぱりと否定するマーレさんは先生のような口調で語り始める。彼女の授業を要約するとこんな感じだ――
基本的に勇者はこの世界で戦って消える存在である。それはモーリスさんも説明していた通り。魔王を倒して一緒に消えるとかなんとか。
召喚早々帰りたがるイマドキな勇者さんはいなかったみたいだし、元の世界に帰すような魔法はそもそも必要がなかったらしい。
そういえば召喚魔法だって使える人はほんの一握りで、その人だって一回しか使えないって言っていたような……。
そして、私みたいに勇者じゃない人間が召喚されたことも過去には何度かあったそうだ。
だけど、その人たちもこの世界で生きていくことを決め、終ぞ元の世界に帰ることはなかったという。
「つまり私は……」
「申し訳ありませんが、この世界で生きていっていただくことになります」
事務的だけれど、どこかすまなさそうに目を伏せたマーレさんは、先ほど書いていた紙とずっしりとした袋を私に手渡しながら、
「あなたは本来、勇者リリナとして召喚されるはずでした」
そういえば勇者って男の人だけじゃないんだなあ。
「残念ながら、勇者としての資質はなく、召喚は失敗に終わってしまったのじゃが……」
暫く黙っていたモーリスさんが後を継いで話し始める。
「召喚された人間はこちらの世界では新たな名前を与えられる。お嬢ちゃんの名前はリリナ。初の女性勇者であられたリリィ様からいただいた名前じゃ」
かけられていた期待の大きさが伝わってくる。
勝手に呼び出されて、期待され、失望される。
いい迷惑だと言ってしまえばそれまでだ。
だけど、期待に応えられない歯がゆさを、膨らませた期待が萎んでいくその音を、私は既に知っている気がして強く言い返すことはできなかった。
「こちらの勝手で召喚してしまったのは事実です。住居や当面の生活費についてはそちらに」
そう言ってマーレさんは私が握っている書類と袋に目を落とす。
そういえばまだ確認していなかった。一体何が書いてあるのだろう。
袋は足元に置き、書類に目を通す。
書類にびっしりと書かれていたのは英語でも中国語でもなく、もちろん日本語ですらなかった。
にもかかわらず、どういったわけか私にはそこに何と書いてあるか読むことができた。
「リリナ・15歳・女・ミリヌ地区4番地――」
そこに書かれていたのは名前や性別、住所といった情報だろう。これがどうやら身分証明書のようなものだとわかった。
そして1歳若返っていた。ラッキー。
「ということはこっちの袋は……」
袋を開けるとジャラジャラと金貨のようなものが音を立てていた。
なるほどこちらの世界に福沢さんはいないらしい。
この量がどのくらいの価値なのかはわからないけれど腕にかかる重みは少しだけ安心感を与えてくれた。
「自宅まで案内しますので、付いてきてください」
そう言うとマーレさんは歩き出した。女の人なのに歩くの速いのね……。
促されるまま歩き出そうとすると、不意にモーリスさんと目が合った。
「すまなかったのぅ……」
そう言って床に目を落とす姿に、大丈夫ですと曖昧に笑って私はその場を後にする。
召喚の時に大勢いた観衆はもう一人もいなくなっていた。
マーレさんについて外に出ると、空は赤みがかっていてちょうど夕方ぐらいのようだ。
街にはやっぱりコンビニもマンションも、煩わしかった信号さえもなくて、本当に異世界に来たんだなと今更ながらに思った。
数分歩いたところで不意にマーレさんが立ち止まる。
「こちらがリリナさんの家になります」
「え、あ、はいっ!」
リリナ、と呼ばれて一瞬反応が遅れる。
どうやらここが私の家になるようだ。
「大きい、ですね」
見上げながらそう言うと、
「えぇ、まぁ……」
マーレさんにしては煮え切らない答えが返ってきた。
そうか。ここは「勇者」が住むはずだった家だもんね。
「困ったことがありましたら相談してください。私は普段、王城に詰めておりますので」
「わかりました。送っていただいてありがとうございます。」
マーレさんは、お城で働いてるのか。
公務員みたいなものなのかな。すっごくそれっぽい。
染みついた営業スマイルで彼女を見送ると一つ深呼吸をして新居に向き直る。
玄関の扉を押すとあっけなく開いた。カギなどはないようだ。
「おじゃましま~す」
つい小声でそんなことを言いながら自宅に入る。
中はしっかりと手入れがされていたようで、この世界にあっては中々上等な住まいなのだろう。
特にベッドは現実世界のそれと比べても遜色ないように思えた。
そして女の子としては一番気になるお風呂の確認をしようと部屋の奥へ進んでいく。
シャワーはきっとないけれど、できるだけ綺麗でありますように――。
そんな祈りを込めながら浴室につながる扉を開くとそこにはなんと一人の少女が立ち尽くしていた。
栗色の髪に、活発そうに輝く瞳、小さく整った鼻と桜色の唇が、透き通るような白い肌をキャンバスに見事に調和している。
疑いようのない美少女だった。
しっかり数秒見つめあいながら私はようやく気が付いた。
「私めちゃくちゃ美少女だああああああああああああああ!!!!!」
それが鏡に映った私であることを―――
突然の異世界・召喚失敗・周囲の失望・一人きりの生活。
本来であれば不安や悲しみ、驚き――そういった感情が私を支配していただろう。
けれど私は、鏡の中で理想の美少女と出会うことができた。
現実世界で果たせずにいた私の夢
【トップアイドルになること】
私はまだ夢を追いかけ続ける。
心の天秤が大きく傾く音がした。