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起きもせず  作者: 高田 朔実
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 なんとなく一人になりたい気分で、かと言って一人になれるようなところは学校内にはあまりなさそうなので、妥協して中庭へと移動する。花壇の淵に腰をかけておしゃべりに興じている生徒はよく見かけるけど、あえてここで読書をしている人はいない。そう、屋外はなんだかんだいって日当たりがよすぎるて、活字を目で追い続けるには明るすぎるのだ。また、わざわざ放課後に学校に残るのであれば、部活動があるとか友人と話がしたいなどの理由があるものだろう、ただ一人で本を読みたいのであれば、家に帰ったほうが集中できるのは確かだ。

 今日は曇り空で、明るすぎるという問題はクリアできている。ものは試しだ、ということで中庭へと向かった。

 借りてきたばかりの伊勢物語を開くと、しおりが挟んであって、さっとそのページが開かれた。


 起きもせず寝もせで夜を明かしては春のものとてながめ暮らしつ


 そんな短歌が目に飛び込んできた。

 この栞は、草野君のものなのだろうか。借りたはいいけど、全部読み切れなかったということなのか、でもこれってまだ始まったばかりの場所じゃないか。この短歌が好きだからこのページなのか? これは返したほうがいいのか、どうなのだろう。いろいろ考えながらも、まあいいかと思い、とりあえず本を読み進めることにする。

 五分と経たないうちに、誰もここで本を読もうとしない真の理由がわかった。蚊がいるのだ。我慢できない数ではないので、おしゃべりに夢中になっていれば、ぺちぺちと手足を叩きながらなんとか乗り切るのだろう。しかし一人で本の世界に没頭しようとするにはあまりに集中力をそがれてしまう。時計を見ると十分くらいは耐えられていたようだったけど、それが限界だった。それでも、屋外で読む古典はまた味があっていいものだった。昔は今より簡素な家に住んでいたのだろうから、もっと蚊だって身近だったろうし、こうして風が直に当たるところにいただろうし、電気なんてなかっただろうから、こうして太陽光の下で書物を読んでいたはずだ。それを思えば、屋外で読むのはなかなかいい思いつきではあった。これからも続けるかどうかは別として。

 本を鞄にしまって立ち上がろうとすると、彼がこちらに向かって歩いてくるのが目に入った。何してるんだろう、と思っていると、信じがたいことに、どうやら私に向かって歩いてきているようだ。

 彼は私の前に来ると、

「ここ、蚊が多くない?」

 と言った。

「うん、だから、もう帰ろうかと思って」

 草野君は頷いた。

「あのさ、伊勢物語の本借りたんだろう? ちょっと見せてもらってもいい?」

 鞄から本を取り出し手渡すと、彼は先ほどのページから、例の栞を抜き取り、「ありがとう」と言って私に返した。話の続きはなく、去っていった。

 もう少し、なんか話してくれてもよかったんじゃないのと思ってしまう。古典好きなの? とか、ここ面白かったんだ、とか。貸出カードを見てみたら、伊勢物語も土佐日記も、一年に一回貸し出されればいいほう、という程度の利用頻度だった。そんな本を珍しくこんな短期間に二人同時に借りているだなんて、僕たち、なんだか縁があると思わない? まあ、私だって昨日初めて話をした人にそんなことは言わない。彼は責めるのは筋違いだ。

 土佐日記も伊勢物語も、解説を読みながら原文を読んで、ずっと黙読していても飽きるので音読してみたりもしながら、けっきょく「とりあえず最後まで目で追いました」という状態で終わってしまった。授業で取り上げられて、懇切ていねいに説明してもらったり、ときにはヒントをもらったりしながらでないと、おおよその意味もわからない。もっといろいろ知りたかったら、ずっとずっと勉強を続けないといけない。骨が折れる。簡単な気持ちで関われそうなものではなさそうだ、などと考えていて、結局自分はなにがしたかったのか忘れてしまった。ただ手元に残ったのは、草野君が栞を挟んでいたページにあったあの歌だけだった。それも、草野君はあの歌を読み返すためにあのページを選んだのか、もしくは彼が心惹かれていたのは違う一文だったのか、それも不明なままだった。

 それから間もなく、草野君には特定の相手がいることが判明した。しかもその相手はなんの素材だか知らないけれども、銀色に光る指輪を堂々と薬指につけていた。あやつはそういうことを校内で恋人に許すようなちゃらちゃらした人だったのかと半ば幻滅し、それからしばらく図書室へ足繫く通うこともなくなり、古典への興味も色あせていったのだった。ではなにをしていたのかといえば、なにかに取りつかれたように漫画を読み始めた。なんとなく、「漫画より活字だけの本のほうが私の性に合うの」という気取った思い込みが捨てきれずにいたのが、本から気持ちが遠のいてきた隙をついて、漫画が入りこんできたのだ。夏休みに入ると、近所の図書館で勉強するふりをして、館内にある漫画を読み漁った。あらかた読んでしまうと、次は古本のチェーン店だ。あまり同じところに通い続けると目をつけられるおそれがあるので、いくつかの支店を選んで順番に通った。こんなに面白いものを今まで遠ざけていたいただなんて、気取りすぎだと思いながら、ひたすら読み続けた。立ち読みに飽きるとまた図書館に舞い戻って、一度読んだ漫画を再び読み返した。そうして夏休みもほぼ終わる目途がついた登校日のことだった。

「みんな、原稿進んでる、よね?」

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