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起きもせず  作者: 高田 朔実
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 そんなことがあったからか、平安時代の貴族たちが手紙で短歌を送り会っていたという話が好きだった。私たちが今、なんの前知識もなく読んでもあまり意味がわからないものが多いのは確かだけど、五七五七七の型に、自分の気持ちをぎゅっと押し込めて、筋の通るものにして、裏にはほかの意味を忍ばせたりなどしてみたり……、そういう世界に憧れた。とは言っても、現実的に、今は短歌のやりとりなんてしてくれる人はまず周りにいないし、私も日々の勉強に追われて、夢みたいなことばかり言っている暇はなかった。

 しかし今回「手紙」と聞いて、ちょっと短歌を作ってみようか、という気になったのは確かだった。明日はひとまず、図書室で情報収集してみよう。そう思うと、普段よりも明日が来るのが少し楽しみに思えた。

 資料検索のために図書室を利用するのは新鮮だった。本を読むのは私にとっておやつを食べるようなことと大差ないので、いつも気楽に訪れていたが、調べ物のためにとなると気合が入る。

 ひとまず一年生のときに古典で習った伊勢物語、土佐日記を探してみる。土佐日記はあるけど、伊勢物語はみつからない。

「先生、伊勢物語がないんですけど」

「ああ、貸し出し中なのかしら、珍しいわね」

 確かに、授業で習うにせよ「どうしても続きが知りたい!」と図書館に乗り込んでくる人はそうはいないだろう。

「漫画のほうは人気なんだけど、原文のってあまり読む人いないもんね。珍しい、誰かしら」

 カウンターで司書の先生となら、こそこそ話していてもにらまれることはないので、そんな話を続けていた。

「僕が借りてます。明後日が返却日なんだけど、そのときでもいいかな?」

 え、と思って横を見ると、あの人がいた。声をきいたことはなかったし、見ているだけの対象だった人が私に向かって話しているという現実に戸惑ってしまい、口を数回ぱくぱくさせるものの、声が出てこない。無視しているように思われるのも嫌なので、どうにか首を縦に二回振って意思表示をする。意思は伝わったようで、彼はあっさりといつもの席に戻った。

 土佐日記を借りると、珍しく図書室のちょっとふわっとした椅子に座り、読んでみた。

 授業でやったのはほんのさわりだけだった。この物語は、書き手の一団が、現在高知県がある地域から、任務を終えて京都へ帰る道のりを書いたものとのことだった。教科書的なポイントとしては、平仮名で書かれていること、男性である作者が女性のふりをして書いていること、夭折した子供のことを書いたものであること、などがあっただろうか。テストが終わってしまえばそういうことは、すっかり忘れてしまいがちだが、私が特に印象に残っていたのは、「忘れ貝」という章だった。

 京都へ帰る途中、夫婦は、とある砂浜にやってくる。そこで貝を拾うと、忘れたいことを忘れられるという言い伝えがあるのだ。二人はで亡くなった子供のことを思い出しながら、「忘れ買いを拾ったら、あの子のことも忘れられるのだろうか」などと話すのだ。

 授業中についうつらうつらしながら聞いていたときのことだった。妻が詠んだ歌を、先生に宛てられた同級生が訳し始めた。落ち着いた先生の声が、急に若い女の子の声になったせいか、ちょっと目が覚めて、彼女の声が変な角度で耳に入ってきた。

「私は忘れ貝なんて決して拾わない」

 それを聞いて、はっとした。原文は「忘れ貝拾いしもせじ」というもので、普段使っていない言葉だといまいちぴんとこなかったのが、身近な言葉になった途端にどういうわけだか突然涙ぐんでしまった。真面目に予習をしていなかったので、あてられたのが私だったらしどろもどろになってしまったことだろう。日本語なのに訳してるなんて不思議だけど、そうして直訳になったからこそ、文字通り妻の想いに直撃されたようだった。子を失ったことも、ましてや持ったことすらないのに、その千年も前の、今なお錆びつきもせずに残された悲しみの言葉。そのときのことを思い出して、再び涙ぐんでしまった。

 この気持ちをどう伝えればいいのか。「子供が死んじゃって、可哀想だから泣いちゃいました」なんて書いても、「だから?」としか思えない。

 いや、私が書こうとしているのは土佐日記の感想文ではなくて、「手紙」を題材にしたエッセーだか短編だか、そういったものなのだ。土佐日記の感想は、ひとまず脇においておこう。視線を感じて少し離れた席を見ると、あの人と目が合った。土佐日記を読みながら涙しているところを見られてしまったのだった。まるで私がこの本を現文のまますらすら読めるみたいじゃないか。誤解されていたらちょっと嫌だなと思いながら、目を反らした。

 そんなことをしているうちに、ずいぶんと時間が経ってしまった。見たいテレビがある日だったことを思い出して、慌てて図書室を後にした。

 翌日図書室へ行くと、伊勢物語は既に返却されていた。彼の姿はない。

「あ、草野君、返してくれてたわよ」

 先生は私を見ると、そう言った。あの人は草野君というらしかった。

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