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地獄と悪魔の3人の少女たち

「んんっ・・・痛たたたた・・・」

全身が痛い。それこそ少し動いただけで意識がどっか行ってしまいそうなぐらいに。そして、自分のからだが包帯で巻かれありとあらゆるところにコルセットや添え木が付けられ固定されていた。

「えっと・・・あいつらをぶっ倒して妹を助け出したのは覚えているんだがそのあとは・・・?」

がらっ。

「おぉ、やっと起きたか。戦君だっけ?痛みはどんな感じか?」

「えっと・・・かなり痛いです。体を動かせないです。」

「ふむ、そりゃぁね。君は2日前に大規模な手術を行ったばかりだから。それこそこうやって目を覚ましたのが奇跡に近いぐらいのレベルだぞ?」

「えっ・・・それって・・・」

「君はお友達?に運ばれてきたんだよ。ボロボロの状態でね。」

―そうだ・・・俺は・・

「妹はっ!妹はどうなったんですか先生!」

「そうだね・・・・・全身の打撲、複数個所の骨折、脳震盪なんかがある上に様々な身体的な暴行を受けた後があったかな。ただ一命はとりとめたっぽいね。何とか手術に身体が耐えてくれた。まぁ、もっとも何か月かの入院は必要だがな。」

「ありがとうございます・・・・一応ですか・・・・どんな感じになっているんですか。」

「う~ん、なかなか一言では難しいのだが。脈はしっかりしている。って感じかな。覚醒しては寝て、起きて覚醒しての繰り返しって感じ。ただ、痛み止めの影響で寝ている際の意識が遠いんだ。」

意識も回復しているのか・・・・・よかった・・・・

「あ~、ただね、あの・・・・・精神的なほうがかなり問題でね・・・」

「あ・・・・」

そうか、フラッシュバックとかが・・・

「というのもいい方は悪いが、少しおかしくなっている。ベッドに潜ったかと思えば、発狂したかの如く暴れて、周囲のものを壊したり、うちの職員を攻撃しようとしてくる。」

「・・・・うちの妹がご迷惑をおかけしています。申し訳ありません。」

戦は血がにじむほど強く唇を噛みながら絞り出すように言った。

「いあや、大丈夫だ。キミ達のせいではないことは全員理解した上だからな。」

白衣を身にまとった、長い黒をなびかせた美魔女ともとれる外見をした女性が諭すように言った。

「あの・・・・覚醒したときとか、暴れるときとかの様子ってどんな感じですか・・・・」

「あぁ・・・覚醒したときは我々が目を覚ますときと同じ感じだな、暴れるときはねぇ・・・病室のカーテンやシーツを破る、『あ``あ``あ``あ``』って我々に突進してきたり、物を投げてきたりかな」

「はぁ・・・本当に申し訳ないです。」

戦は痛々しく包帯で包まれた肩を小さくすぼめながら頭を下げた。


「うぐっ・・・」

戦は車いすから立ち上がろうとして表情を歪めた。

「大丈夫ですか?どこが痛みますか?」

「足が・・・支えがあればなんとかなりそうですがかなり痛いですね。力もやはり入りづらい気がします。」

「そうですよねぇ。あれだけボロボロでしたからね・・・・痛かったら無理せず、はやる気持ちは分かりますが少しずつ直していきましょう。」

看護師の格好をした美女は口元にかすかな笑みを浮かべた。

「は、はい!」

―この看護師の笑顔可愛いなぁ…

「ふふ、戦君も堕ちたかい?その看護師に。笑顔がいいだろう?」

「先生!?いつの間に・・・!」

「ははは。私は、キミがどんな感じか様子を見に来ただけだぞ。が、申し訳ないが少しだけ来てほしい。キミに見せておきたいもの・・・・いや、見せておかなくてはならない事があってね。」

「はぁ、わかりました。付いていけばいいですか。」

「あぁ、そうだね、わたしについてきてもらおうか。」

「あら、頑張ってくださいね~」

微かに笑みを浮かべた看護師を背に俺と先生はリハビリ棟から本館へと移った。


「あ、あの先生が見せたいものって何なのでしょうか?」

戦は電動の車いすに乗りながら聞いた。

「そうだねぇ・・・君の妹さんの様子だ。今日から君はモニター越しでは自由に、許可さえ下りれば実際に合うこともできるようになった。」

「綾乃の容態はどうなんですか?」

「まぁ、山は越えた。かなり安定しているし、痛み止めも昏睡するような強いものではなくなったんだ。だから、キミが合うときには意識は戻っているようにしてある。」

「・・・」

妹の様子が見られるのはうれしい反面今の妹の姿を見るのは怖かった。

「君が今の妹さんの姿を見たくないのは分かるが、彼女には君しかいないのだよ。意思疎通が取れる可能性のある人間が。そして、今、現実を見てもらいたい。責任を放り投げてしまう感じになって申し訳ないが、キミにこの後、どのように行動したらいいか考えてほしい。私たちももちろんサポートはさせてもらう。」

「・・・わかりました。前を向くためにも、今後のためにも、妹を助けるためにも必要なことですもんね」

「話が早くて助かるよ。」


「・・・ここ、すごいたくさんの人がいますね。」

「あぁ、ここがウチの受付兼入口だよ。まぁ、君は到底ここを通れる状態じゃなかったから仕方なく緊急搬送口からだったけどね。」

「ははは・・・すいません。」

「謝ることじゃないさ。そういう人を受け入れ、治療するのが病院の役目だからな。なんといっても君はすごいことをしたんだ。それは単純に称賛されるべきことじゃないか。」

「・・・そうなんですかね?まぁ、ありがとうございます。」


「羽佐間戦様ですね、D-4病棟へご案内しますね。」

「はい。」

人が多く少々騒がしいロビーを抜けると静まり返った「A-1」と書かれた場所に出た。そこから、軽く緊張した面持ちで階段を降りる看護師の後に付いていくと薄暗い廊下に普通の病院には不相応な明らかに頑丈そうな鋼鉄製と思われる扉が現れた。

「結神病院の西宮です。D-46の面会、病状説明を行います。」

そうナースが言うと扉の横についているディスプレイが点灯した。

「了解。」

ガガガ・・・・・

「うわ!まぶしっ!」

まるで目の前に立ちふさがるかのごとく鎮座していた扉が上に上がって先にあるいかにも埃っぽい空間が・・・・・は?ちょっと待った。なんでこんなに明るくてきれいな空間がこんなところにあるんだ?

「ここがD病棟、通称『合同精神病院』と呼ばれているところです。」

合同精神病院・・聞いたことはあった。結神、竜東第一、丸石鉄道記念病院の3つの病院が共同で建てたやつだったような・・・

全てが謎に包まれていて、いろんな噂が立っていて・・・

「ここの場所の事では守秘義務が一部で発生しますが守っていただけるでしょうか」

「どんなところで発生するんですか?」

「具体的な建物の構造、場所、設備です。見た時の印象や、患者様の容態、ご様子はご自身で判断してくだされば結構です。」

「了解です。で何してるのですか?」

「ここからは、目隠しをしていただきます。私が案内するのでご心配なく。患者様の部屋に入り次第解きますが、ご退出されるときもつけさせていただきます。」


暗いし、方向感覚ないしこのまま黙ってたら発狂しそうだな・・・

「綾乃っていまどんな感じなんでしょうか?」

「そうですね・・・・ここ最近は少し落ち着きつつありますが、私たちが入るとかなりおびえた様子で『やめてください・・・』っておっしゃっていて、二回目には『やめろって・・・・やめろぉ!!!!!!!』って言いながら物を投げつけていました。カメラの監視下にいますが、一人の時は、うつ病みたいな感じになっているイメージでいいと思いますよ。やはり、あの事件の影響が大きいのではないかと思いますよ。」

「そうですか・・・」

あの事件とは俺より一つ下の義妹、羽佐間綾乃が1週間前に彼女の通う竜東第三高校のクラスメートに長らくいじめられていた上に、呼び出されて集団で暴力を振るわれ、さらなる暴力を加えに繁華街のビルに連れ出されそうになって、俺が突入した、あのことだろう。


俺が講義が終わって家に帰る途中で義妹の恩人、もとい俺の友人である雄大から電話がかかってきた。

「おい!!!綾乃ちゃんがとんでもないことになっているぞ!!!!今すぐ来い!!」

「あぁ?なんでだよ、あんなやつのためにわざわざ・・・」

「いいから!!!!来い!!それまでは俺が何とかしとくから!!わかったか!」

「あぁ・・・・」

なんだ?あいつ・・・かなり焦ってたし・・・しゃーねぇ、行くか。

5分ぐらいだったかな、走って言われた場所に行くと・・・・そこには、

“うるせぇ、てめぇら何したかわかってんのか!”

“あぁ?調子乗ってるとブチ殺すぞてめぇ!!”

何やら雄大が戦っていた。そのそばには・・・・・綾乃・・・?しかもなんか・・・ボロボロ・・・?

「おい、何があったんだ?」

「お、戦!こいつらが綾乃ちゃんをフルボッコにしてたからな・・・・・ゆるさねぇ・・・・」

「おめぇもこのクソ餓鬼の知り合いか?生意気な小娘を成敗してやったんだけどな!ははははは!!!」

目の前でリーダーとみられる男と、取り巻きが笑い、女が立っている。

俺は確信した。その時に。こいつらが綾乃をやったんだ。ここまで。集団で。ぼろ雑巾のような姿になるまで。殴って、蹴って。

サーっと血の気が引いて、体温が下がって、意識がくっきりして、雑音が消えて、怒り、憎悪、軽蔑、すべてのマイナスな思考が集まって、俺の体を突き動かした。

「てめぇ・・・・妹に何した・・・・?」

「成敗しただけだわ、やるか?」

「おぅ、やってやろうじゃねぇか。てめぇらにも地獄を見せてやるよ。」

言い切った直後に、自分の体を自分の意志ではない何かが動かすかの如く、いつもの俺ではありえない速度で殴りかかっていた。

そのあとは・・・・正直言って覚えてない。そこでぱったりと意識が途絶えている。次に記憶があるのは、全身に走る激痛と俺の身体を支えている警官、全身傷だらけになったリーダーの男と、青ざめた女、倒れている取り巻きがいた。まるで地獄絵図のような光景。ただ、そのあと、またすぐに意識が飛んで・・・・・次は病院のベッドだった。


「大丈夫ですか?急に発汗して、うめいていましたが・・・・・」

「あぁ、すいません。少し思い出してしまいまして・・・・・」

「とりあえず・・・ついたので目隠しは外しますね。もし、辛かったり、これ以上はだめだなって感じたらすぐに連絡を下さい。対応します。」

「ありがとうございます。やばそうだったら連絡します。」

固く結ばれていた目隠しが外されると、そこに小さいながらもあたたかな日差しの入るきれいな部屋にいた。そこはベッド以外何もなく、そのベッドは僅かに膨らんでいた。

「そこのベッドに綾乃様はいらっしゃいます。面会時間は16時まで。何かあったら後方のドアを2回ノックしていただければ対応します。では、どうぞごゆっくり。」

今は14時だから・・・2時間ってところか。

「なんか話したほうがいいことなんかはありますか?治療計画とか。今後のことについて決まっていることとか。」

「現時点では何も決まっていないので、とりあえず様子見と面会ですね。今後の様子を見て随時計画は立てていく予定です。何が起こるか、どのようになるかわかりませんので。」

「わ、わかりました・・」

ぱたん・・・後ろの扉が閉まり、現実逃避も逃げることもできないという強迫観念と焦り、事件後初めて見る義妹の姿がどのようになっているか想像できないという恐怖感からただでさえさっきの悪夢で汗だくなのにも関わらず、また嫌な、心の底から冷えるような汗が噴き出していた。

ごくり・・・

「行くしかないのか。・・・よし!」

戦はベッドに横たわる少女の方へ足を向けた。


「綾乃?兄ちゃんだ。やっとお前の病室に入れたんだわ、大丈夫なら返事してくれ」

「・・・」

「痛いところはないか?気になることはないか?なんでもいいから・・・」

「・・・・・・」

やっぱ反応なしか・・・・ 

ごろん。

「!!」

綾乃が寝返りを打つ要領でこちらの方に体の向きを変えた。

顔の腫れは聞いていたよりもひどくはなかった。せいぜいたんこぶが複数顔にできた・・そんな感じだ。しかし、その眼は曇り切っていて、到底表情をうかがうことはできなかった。それどころかどこか焦点が合ってなく、呼吸音が唯一生きていることを証明できるほどに生気が感じられなかった。

 「とりま、俺もお前を助けに行った時のやつらも無事だ。あいつらにはあとでお礼しなくちゃだな。」

「・・・」

とにかく反応がない。この状況で次の言葉を紡ぐことはできなかった。

「・・・」

「・・・」

かなり長い時間その兄妹は黙り、身動きせず固まっていた。

耳が痛くなるほどに静まる病室。あまりにも居づらすぎる。

「うん。とりあえず綾乃の顔が見れただけでよかったよ。また、来週ぐらいには来るからさ。その時に少しお話させてくれ。じゃあな。」

「・・・っ」

「ん?なんか言ったか?」

綾乃が生気のない眼をこちらに向けて口を動かして・・い・・る?

「お、おう。どうした?」

綾乃は何も言わず表情の消えた眼でこっちのほうを視ていた。しかし、何をしようとしているのか、何が言いたいのか、目的も理由も戦には知る由もなかった。

「・・・・・・」

トントン、

「もうすぐ面会終了です。退出の準備をしてください。」

「だそうだ。じゃ、また来週な、綾乃。あと、お前が好きだったルシヴェのラスク置いとくぞ。」

「・・・」

妹は身じろぎ一つせず死体のごとく転がっていた。


「・・・・っう。・・・・・はっ・・」

「うん。比較的順調に動けるようになっているね。これなら2、3日すればギプスと松葉杖ありで退院できるかもだね。」

「ほ、本当ですか!?もう少しですね!」

「けど、焦りと無理は禁物だよ。ここで悪化は流石にね・・・」

「・・・わかってます・・・善処します・・」


青年は消灯後の病室の中で一人難しい顔をしていた。

俺のせいだ。俺がアイツを守ってやれなかったからだ。あの時母さんを説得して引き留めていれば。もっと早く気づいて救い出すことができたなら、義妹はあんなにならずに済んだかもしれないのに。あまりにも情けない自分が憎い。そして義妹をあそこまで追い詰め、そのうえ面会せず、手紙の一つも寄こさない母親が憎い。そして、何よりも義妹を極限まで追い詰め、完全に身も心も破壊したあいつらが憎い。綾乃のためにも、あいつらに壊されたままでは終われない。絶対に。

「待ってろよ、綾乃。俺がお前を戻してやるっ・・・」


コンコン。

「は~い。」

「今さっき、戦様のお母さまを名乗る女性からお手紙をいただきまして。」

「・・・」

「当該女性ですが、『羽佐間時子』と名乗っています。」

「あ、私の母親で間違いないです。手紙を見せてください。」


『学費と生活資金を振り込みました。この際、私から一つ言いたいことがあります。私たちのもとへ帰ってきなさい。今の状態では一人暮らしも難しいでしょう。もし、あなたが私の情けを無下にし、綾乃を助け生活しようとしているのであれば私はあなたとの縁を切りましょう。綾乃とは顔も合わせたくもありませんので。あなたには最後のチャンスをあげましょう。  母より』

「・・・」

予想はできていた。元からあまり綾乃と母さんの相性は良くなかった。


「うるさい。ゴミ。」

バシンッ!!

「うっ・・・痛いなぁ。どうしたんだ?何かあったのか?」

「綾乃あんたねぇ・・・・いい加減にしなさいよ!!戦はアンタの奴隷ではないんだよ!あんたみたいなクソガキなんて産まなければよかったわ。」

「うっせぇんだよ、クソババア。アンタみたいな老害に何が分かるっつうんだよ。」

「まぁ・・・二人とも落ち着いて、、、ね?」

「・・・」

「・・・」

こんなことが日常茶飯事だった。


青年は遠い目をして考えに耽る・・・いや、悪夢を見ているのかもしれない。

コンコン。

「はっ、はい」

「その女性が面会を要求しているのですが・・・」

「あぁ。よろしくお願いします。」

「わかりました。」


がらっ。

「戦、久しぶりね。けがは大丈夫なの?」

「・・・ええ。かなり良くなってきました。」

「あらあら。心配ねぇ。・・・」

「どのようなご用件でしょうか。」

「・・・・随分と他人行儀ね。・・・いいわ。」

「・・・」

「戦。手紙は読んだのよね?」

青年は真正面でおどけるようなしぐさをする美女、いや美魔女とも呼ぶべき人物に応えた。

「・・・あぁ、それがどうした。」

「どうしたって・・・読んだのでしょう?手紙を。どうするのかしら?私たちの所で幸せに暮らすか、自分から修羅の道を歩むか。答えは出たのでしょう?」

美魔女は不敵に笑いながら煽るかのごとく言葉を吐き出す。

「あぁ、もちろん。俺は・・・・・・」

美魔女の表情が一瞬固まり、眉間にしわを寄せ、見るからに怒っている表情に変わった。

「・・・・ふん。わかったわ。あなたが根っからのバカだってことがね。バカを相手にしただけ無駄だったわ。」

「バカで悪かったな。俺も息子、娘よりも不倫相手を選んだ勘違い四十路の顔なんて二度と拝みたくねぇわ。」

「・・・」

「お?どうしたのかな?時子さんよ?不倫にかまけて、子供の様子もロクに見ないで・・・・挙句の果てには見捨てる鬼畜親に誰がついていくんだよ。気持ち悪いったらありゃしない。」

「・・・っ。黙れ。」

「お?夢見る乙女(40代)が何かおっしゃりましたか?」

「黙れ!!!」 

「・・・・」

バンッ!!

「・・・で、ではこれで面会終了です。ゆっくり休んでください。」

看護師は脱兎のごとく立ち去った。

「はぁ・・はぁ・・・」

青年は疲れた表情を浮かべ額の汗を拭った。

「こりゃぁ・・・この後、どうすっかな・・・」

青年は諦めたように深い息を吐き眠りについた。


「ほっ・・・ほっ・・・」

「おぉぉぉ、いい調子ですね。この調子なら入院を通院に切り替えても大丈夫そうですね。」

「よっしゃ。」

「けど、無理は禁物ですよ~?また、入院しなくてはいけなくなりますからね?」

「ははは・・・まだまだなれないので気を付けます」

戦はまだ違和感の残る足を引きずりながら苦笑いして病室へ戻っていった。


「とりあえず、明日大学が終わった後にこちらのほうに来て、診せてください」

「はい、わかりました。ありがとうございます。」

「お大事にしてください。」

パタンッ・・・

やっと入院が終わったか・・・単位どうなるのだろう・・・

「お!!戦ぁ~!」

「戦、久しぶりだな」

「雄大、誠、お前ら迎えに来てくれたのか!?」

「おうよ、さっき面会希望出したら『今日退院予定だわ』って言われてな。待ってたって訳だ。」

「お、おう。で、なんの用なんだ?」

「あ、そうそう。教務課のやつから紙もらったんだよ。渡してくれってな。」

「ありがとう。・・・・っ痛ってぇ!引っ張んなよ!そっち行くから!」

「ははは!そうかそうか!じゃぁ行くぞ!」

「元気だな・・・雄大・・・戦はけが人なんだからほどほどにな。」

「いわれんでもわかってるって」

「・・・・・」

「なんだよ!その目!俺だって少しは分かっているつもりだぞ!」

「はいはい、行きますかね・・・」

戦は騒がしい友人たちのノリに妙ななつかしさと嬉しさを覚えながら学校に向かった。


戦は正面玄関の真正面に立つ校舎を見ていた。

あれ?こんなに1号棟ってデカかったっけ?

「なぁ、この辺って工事した?」

「いや?お前が入院している間に建物は変わっていないよ?」

「久しぶりで覚えてないんじゃないか?」

二人とも、きょとんとしてそう応えた。

「そうか・・・」

「おいおい、久しぶりに来てんのになんだよ~その反応。まぁ、しかし、夏休みだけあって人いないな。」

「まぁね。こんな辺鄙なところに用事さえなければ来ないだろうし・・・」

「じゃ、さっそく教務課寄ってくか~、めんどくせぇなぁ~」

雄大が本当にめんどくさそうに、顔をしかめながら言った。

「最初に教務課寄ってから、教授の所に行こうか。・・・戦、足大丈夫か?」

「もしやばかったら、おんぶしていくぞ~」

「いや、いいリハビリにもなるし頑張ってみるよ」

「おーけー、いつでも言えよ~」

コンコン。

「はい、なんの用でしょうか。」

「戦連れてきたぜ。」

「ありがとうございます。戦さんはどうぞ中に。お二人もご協力ありがとうございました。」

「・・・っておい!少しぐらい休ませてくれよ~~!」

扉は無情にも戦だけを部屋に残して閉まってしまった。


「何か俺やらかしましたっけ?」

「いえ、あなたは前期の最後の2週間、一度も来れませんでしたね。そのためテストを受けられていない教科が多数あります。」

「・・・はい。」

「その教科についてなのですが。あなたの勇敢な行為、事情などを鑑みた結果、特別措置での単位取得を許可する判断が下りました。」

「・・・はい!?そうなんですか・・・?」

「はい、その報告と犯人があなたの同級生だということの二つを伝えるために呼び出させていただきました。」

「・・・!?犯人が同級生・・・?」

「はい、これについてはこれまで心情などを考えて伝えなかったのですがこの際伝えて、今後に控える裁判に臨んでほしいと考え伝えることにしました。」

「裁判ですか・・・・?はいっ!?」

「そのほかの情報についてはこの後に面談をしていただく弁護士の方から聞いてください。」

「え!?弁護士ですか・・・?」

「はい、私たちの学生が起こした犯罪ですので私たちが責任を取って最後まで支援させていただきます。」

「はぁ、わかりました。」

とんとん。

「失礼します。戦様の担当弁護士との準備が整いましたのでこちらに来てください。」

「わかりました。失礼します。」

ごくり。戦は冷や汗をぬぐいながら隣の部屋へ歩いて行った。


「犯人については『先島凪』で、ここの学生です。」

「先島・・・?聞いたことが無いですね。」

「まぁ、そうでしょうね。留年していますし、大学に通っていませんから。」

「・・・」

「彼は竜東市の繁華街のホストクラブに勤めていたようです。犯行の動機は性的目的で話しかけたものの、断られたため逆上したそうです。留置場ではあなたに恨みを持っているかのごとくの言動を行っています。」

「・・・そうですか。」

綾乃のやつ、あんな感じだったけどは断るときは断れるようになってたんだな・・・・

「その後にコンビニに被害者が買い物に行くときに拉致、監禁していました。そのほかの犯人はそのホストクラブの従業員3名とキャバクラで働いている女性ですね」

「ホストクラブの従業員も反省の兆しは見えませんが、女性に関してはかなり反省している模様です。」

「・・・」

「判決は8月2日に出る予定です。求刑は主犯格の男が30年、そのほかの男は15年を、女性は判断能力の有無が争点になる予定です」

「!!!判断能力の有無というのはどういうことですか?」

「それなのですが・・・当該女性もある種の被害者でして・・・男たちから脅迫を受けていたということが分かっています。そのうえで逆らうことができなかったとのことでした。」

「・・・」

そうか・・・あの女だけ笑っていなかったのは・・そういうことか。

「わかりました。そちらのほうはあなたに一任しますので。」

「ご理解いただきありがとうございます。あと、加害者に対しての意見を言ってもらうために判決公判の日に裁判所に同席していただきたいのですが・・・」

「わかりました。ではこの辺で失礼します。」

ばたん。

「終わりましたか?」

「はい。大体は。この後病院でリハビリをするのでこの辺で。」

「あ、はい。お気を付けください。」

戦はゆっくりと校舎を後にした。

害者と被害者だけじゃなくてそこに加害者の『加害者』と加害者の『被害者』があるのか。あの女は綾乃を傷つけたことは間違いない。ただ、その一方で綾乃と同じように傷ついいていたかもしれない・・・

「・・・難しいな。あの女に対する情報が少なすぎて。」

戦は憤怒と同情を同時に覚えながら病院に向かった。


「はい!今日はこの辺で終了ですね!」

「ありがとうございます。この後面談は可能ですか?」

「大丈夫ですよ。ただ、会う前に西宮さんから説明を受けてくださいね?」

「西宮?・・・あ、俺を妹のところまで連れて行ってくれた看護師ですか?」

「はい。そうですね。今呼んできますので廊下の右手奥の部屋で待っていてください。」

「わかりました。」


とんとん。 ガラッ。

「羽佐間戦君ですか?」

「はい。そうです。」

「以前からではありますが、あなたたちを担当しています、結神病院の西宮です。綾乃さんとの面会希望ですね?」

「はい。説明を受けてから・・と言われて・・・」

「はい、説明というのも、綾乃さんの近況についてです。」

「は・・・はぁ・・・・近況ですか・・・・」

「心配しないでください。さて、綾乃さんの近況なのですが。あなたが前回会った時から大きな変化がありました。まず、奇声を発する回数が大きく減った代わりに手製の武器を持って攻撃してくる頻度が大きく増えています。あと、あなたが持ってきたラスクを食べてから食事に応じる頻度が上がり、主治医曰く『改善している』そうです。」

「・・・攻撃って具体的にどんな感じですか?」

「はい。具体的には近づこうとすると振り回す。武器を投げる。かべに武器をたたきつける。これが一日数回ありますね。」

「武器というのは・・・・・?」

「えっと、昨日はお盆にコードを巻き付けたもの、おとといは布団を丸めたものですね。」

「・・・俺が行っても大丈夫なんでしょうか?」

「多分ですが。前回の時点で我々が近づこうとしても近づけなかったのにあなたの時だけはおとなしかったので。」

「わかりました。」

「では、行きましょう。私たちは監視カメラで見ていますので時間になるかあなたが危ない状況になったら呼ばせていただきます。」

「・・・あ、目隠しはするんですね。」

「ええ、秘匿エリア内ですので。」

「・・・」


シュルシュル・・・

「どうぞ、この先が彼女の部屋です。現在13時30分ですので3時間30分、17時に面会終了です。ではごゆっくりどうぞ。」

「はい・・・・・」

戦は緊張した面持ちで扉と対峙した。

こんこん・・

「入るぞ、綾乃・・」

「・・・・・」

返事はない。戦は意を決したかのように扉を開けた。

「っ!!!」

戦は咄嗟に病室の扉を閉めいったん外にでた。

バァン!!!!

鉄の扉の向こう側から、思いっきりたたいた音が静かな廊下に響き渡った。

「ハァハァ・・・・・」

戦は鉄の扉を背にし、その場に立ちすくんだ。

・・・綾乃が振りかぶった瞬間、あのババアと綾乃と3人で暮らしていたころの綾乃からの暴力が頭をよぎる。

どっ、と冷や汗が吹き出る。

なぜ暴力を振るわれていたか。なぜそれでも「綾乃を守らなくては。」と思っていたのか。

「大丈夫ですか?戦君。」

「あ、・・ええ。多分・・・・」

とりあえず今はそんなことを考えても仕方ない。

「よしっ。」

戦はもう一度病室の中へと歩みを進めた。


とんとん。

「失礼するぞ・・・」

戦はまた襲い掛かってこないか警戒しながら病室に入った。

「綾乃、久しぶりだな。どうだった?」

「・・・」

相変わらず動きはない。ただ今回は仰向けに横になっているからか表情は容易にうかがい知れる。

そ~~~っ。

やっぱり、焦点あってないし、眼も死んでるな・・・

「ルシヴェのラスク全部食ったんだってな。気にったみたいで良かったよ。」

ごろん。

「・・・!ど、どうし・・・・た・・・?」

錯覚なのだろうか、綾乃の目の焦点が自分に合っているように見えた。

これまでそんなことなかったのに。虚空を見つめていたはずなのに。

「・・・」

「・・・」

二人の間に微妙な雰囲気が流れる。

二人は話すこともせず、一言も交わさないまま時間だけが過ぎていく。

「なんか・・・あったか?」

戦は意を決して、そうつぶやいた。

「・・・」

返事はない。戦は唇をかんで、さらに言葉をつづけた。

「・・・そういえば、大体治ったんだよあの時の傷。これで俺はある程度動けるようになったからさ。なんかしてほしいことがあったら言ってくれ。できる限りはするぞ?」

「・・・あたまなでて」

「・・・・っ!!今なんて言った?」

「・・・・」

なんとなく綾乃が何か言葉を発したように聞こえた。まるで懇願するかのように。まるで何かを求めるかのように。

「ま、まぁ言いたいことがあったらいつでも行ってくれ。兄ちゃんが何とかしてやるから。」

「・・・」

さっきから明らかにこっちを凝視している。妹に見つめられているだけなのに得体のしれない恐怖とこんな状態にしてしまった罪悪感とがごちゃ混ぜになって変な冷や汗が吹き出てくる。

「あ、あとな。前回気に入ってくれたみたいだからルシヴェのラスク置いてくぞ。」

「・・・」

戦は無言の視線に脂汗を浮かべながらルシヴェのラスクをバックから取り出し・・・た・・?

パシッ!

「ひぇっ・・・」

戦は素っ頓狂な声を上げながら、電光石火のごとく綾乃の手元に収められたラスクを凝視していた。

じーっ

「ん?もっと欲しいのか?」

じーっ

「・・・」

戦はもう一枚ラスクを取り出して綾乃の枕元に置きに行った。

「なんで来たの・・・」

「ん?なんかしゃべったか?」

おかしい。全く体勢が変わっていないし、身じろぎすらしていないはずなのに声が綾乃の方から聞こえる気がする・・・俺、疲れているのかな・・・幻聴でも聞こえてるのかな。

「なんでここにいるの?」

「っ・・・・・・あ、あのな・・」

「・・・」じーっ

綾乃は身じろぎ一つせずに戦のほうをただひたすら、無言で見つめていた。

「・・・俺はな、例えお前と血が通っていないとしてもお前の兄ちゃんなんだよ。それは誰が何と言おうが変わんない。兄ちゃんは妹を守るし、心配もする。兄として当たり前のことをしているだけだ。」

「・・・!なんで・・・!」

「そりゃぁ・・・当たり前のことを当たり前にする。俺は変わったんだよ。妹に守られる、そんな兄ちゃんに戻りたくなんてないんだ。・・・今度は俺が綾乃を守る番だからな。」

「・・・」

「・・・言葉に出すと恥ずかしいな。とりあえず、俺が言いたいことは・・・綾乃。お前を守る。お前に二度とつらい思いはさせないからな。・・・それだけだ。」

そう言って戦ははにかんだ。

「・・・」

綾乃は顔の下半分を布団の中に入れ、もぞもぞと布団の中に潜っていった。

「どうした?寒いか?」

「・・・」

「・・・?まぁ、何か困ったことがあったら言ってくれ。」

コンコン。

「失礼します。面会終了のお時間です。」

「は、はい。すぐ出ます。綾乃、またな。また、来てやっから。」

「・・・」

「では、目隠しをさせていただきます。」

戦は大きく息を吐いて額に浮かんだ汗をぬぐいながら病院へと歩いて言った。


どこかふわふわする世界を漂っている。明るくて、けど孤独で先の見えない世界。

あれ?なんでだろう目の前が急にまぶしく・・・?

気づいたら病室で横になっていた。白い壁と光が差し込む窓、外界とは隔離された白の世界でただ一人横になっていた。

「・・・・っ」

顔、腕、体、足・・・自分のすべての部位から鋭い痛みが走る。

少女は顔をゆがめながら元の体勢に戻った。

そうだ・・・私は・・・いつも殴ってくる人にお兄ちゃんの事について言われて、行って、拒否したら殴られて・・・

「うっ・・・・」

頭が割れるように痛い。思い出そうとするとまるで「やめておこう?これ以上は思い出さないほうがいいんじゃない?」と耳元でささやくかのごとく激しい頭痛がする。

少女はそんな警告を無視するかのように目を閉じた。

たしか、それから男たちに取り囲まれて、連れていかれて、殴られて、蹴られて・・・・

「うぐっ・・・」

そうだった。監禁されて、殴られて、蹴られて・・・・・何度も何度も踏まれて・・・・・先の見えない無間地獄だったんだ・・・・

怖かった。つらかった。痛かった。負の感情に自分の心が押しつぶされて、何をされていたかはある程度思い出せてもそれ以上は思い出せない。感情が空っぽになって、記憶がすっぽりと抜け落ちている感じだった。もしかしたら、何も感じていなかったのかもしれない。ただ、人形のように成すがままだった気がする。

それで気づいたら全身ボロボロになったお兄ちゃんに抱き上げられていて・・・

『大丈夫か、綾乃!大丈夫か!?』

と叫びながら、お兄ちゃんは顔をクシャクシャにして泣いていた・・・・

なんか冷たく閉ざされた監獄から救われたように感じて・・・

「・・・・っ!!!」

ガバッ!!

少女は悪夢から目覚め、勢いよくベットから飛び起きた。

「ッ・・・・!」

少女は体に走る激痛に顔をしかめゆっくりとベットに横になった。

そうだった。私はあんなことをされて・・・・お兄ちゃんはどうなったんだろう。けがは大丈夫なのかな・・・?そもそもなぜ監禁されている場所を知って・・・?あんな酷いことをしたにもかかわらず助けに・・・?

「・・・」

頭に次々と疑問が浮かぶ。しかし、この部屋のどこを見てもわかりそうにない。少女は諦めた表情で大きく息を吐きながら枕元になぜか置いてあったラスクを食べた。


お兄ちゃんはどうなんだろう・・・?

綾乃はあまり思考のまとまらない頭でぼーっと考えていた。

とんとん。

誰だろう。あいつらかな。私をまた、あの暗くて冷たい監獄に閉ざしに来たのかな?

「綾乃久しぶりだな。どうだった?」

えっ・・・お兄ちゃん!?なんで?殴ったり蹴ったりしたのにもかかわらず何でここにいるの?私をあいつらのもとに連れて行くの?それともお兄ちゃんが監獄に閉ざすの?

「なんかしてほしいことがあったら言ってくれ。」

え・・・・・・何かしてほしいこと・・・今してほしいこと、お兄ちゃんにしてほしいこと・・・

「---」

自分では声に出して言ったつもりだった。しっかりと声を発したはずだった。ただ、何故か声がほとんど出ない。いくら出そうと思っても何か詰まっている感じだった。

やっぱり伝わらないか・・・・

「ルシヴェのラスク、置いていくぞ。」

自分でも何故だかわからない。どうして体が動いたのかわからない。ただ、「ルシヴェのラスク」と聞いて、それが出てきたとき自動的に体が動いた。反射的にお兄ちゃんの手元にあったものを取ってしまった。

何で?どうして?なんでこんなに優しくするの?私にそんなに優しくして何がしたいの?なぜ?まず、なんでここに来たの?こんな私なんて放っておけばいいのに。

「なんで来たの?」

前より少し声が出た。けどお兄ちゃんが聞き返している。

「なんでここにいるの?」

今度は聞こえたかな・・・

「俺はな・・・」

え・・・・・なんでそんなこと・・・?一挙手一投足全て眺めてもそこまでお兄ちゃんに気にかけてもらえるようなことなんてしていない。お兄ちゃんに恨まれ、憎まれていることはあってもそんなに優しくしてもらうことなんてありえない・・・・

なのに・・・どうして・・・

「・・・・なんで・・・」

「当たり前のことを・・・」

「・・・っ!」

意味が分からない。もともとお兄ちゃんは兄として当たり前のことをしているのに・・・・私が悪いに・・・ついて行った私が悪かったのに・・・まるでお兄ちゃんに責任があるように・・・

「妹に守られる・・・」

「・・・!?!?」

本当に意味不明だ・・・私がお兄ちゃんを守った!?そんなことした覚えは一切ないのに。それどころか常日頃からお兄ちゃんに暴力をふるってばかりいたのに。

「もう二度とつらい思いなんてさせないからな」

「・・・っ!!!!!」

意味わかんない。こんなセリフ言ってもらう権利なんて私には存在していないはずなのに、つらい思いをしていたのはお兄ちゃんのはずなのに、私を絶望の淵から救い出してくれたのはお兄ちゃんなのに・・・

「っ~~!!///」

顔が熱い、顔の表面がまるで焼石になってしまったのではないかと思えるほどに。しかもお兄ちゃんの顔を見てられない、何故か輝いて見えるというか・・・見てると心臓が破裂しそうなぐらいにドキドキするというか・・・

綾乃は咄嗟に顔を布団の中に入れてしまった。

「また来てやっから」

あ・・・もう行っちゃうんだ。なんだろう・・・この寂しさというか、喪失感というか・・・

今でもムネがドキドキしている。お兄ちゃんの顔が脳裏に浮かんでくる。こんなにお兄ちゃんと会いたかったのだろうか。これじゃまるでお兄ちゃんに恋・・・・

「・・・っ!」

ありえない。流石にそれは・・・お兄ちゃんなんて・・・けど血がつながってないとはいえ・・・けど今日のお兄ちゃんかっこよかった・・・

「はぁ・・・」

綾乃はこれまでの考えを断ち切るかのようにそのまま目を閉じた。


戦は日が暮れるまで片づけと溜まっていた郵便物の処理に追われていた。

「はぁ、数週間家を空けただけでこんなにか・・・ん?」

戦はおもむろに何の変哲もない茶封筒を手に取った。日付は7月27日。昨日か・・・

「・・・ってこれ裁判所のやつじゃ・・・弁護士からか・・・」

そこには8月2日に公判があること、非常に優位に進んでいること、女性は逆らえない立場で刑事責任の有無が争点になっていること、主犯格4人は反省の態度もなく予想を大幅に超える判決が下される可能性があることの4つが書いてあった。

「へぇ・・・主犯格に・・・ねぇ・・・おっと、公判でどんな事言おうかなぁ。」

戦は軽く頭を掻くと紙にペンを走らせた。


―8月2日―

「・・・」

戦は早朝のせいかサラリーマンで込み合っている喫茶店で一人緊張した面持ちでコーヒーをすすっていた。

なんで今日公判なのにこんなところで・・・

戦は頭の中にはてなマークを何個も浮かべていた。

(色々あるので8時半に竜東市の丸石鉄道竜東駅東口の沼木屋珈琲に来てください。)

来いって言われてもサラリーマンばっかで居づらい・・・まだスーツ着てるから浮いてはいないけれど・・・

「はぁ・・・ん?」

戦は喫茶店の入り口で自分に向かって軽く手を振っている人物を確認した。

「ごめんなさい。少し遅れてしまいました。」

「いえいえ。大丈夫ですよ。それより、これまで裁判の事をほとんど任せっきりにしてしまって申し訳ないなって・・・」

「なんたって大学直々の依頼ですので。かなり頑張りましたよ。」

「ははは・・・」

「で、何故ここにしたかですがまず、公判時の流れを確認していただきたいということとあなたの今日の台本を見させていただきたいということです。」

「あぁ・・・これです。」

戦はメモを渡すと弁護士からパソコンが渡された。

「ここに書いてありますので。あと、申し遅れましたが私、内藤淳史と申します。よろしくお願いします。」

「よ、よろしくお願いします。」

「あと、今回犯人がかなりの人物で、報道陣が正面に集まっていますので裏口から入ります。」

「・・・」

(こくり)

戦は渡されたパソコンに目を落とした。


「どうぞ、こっちです。」

(こくり)

「被疑者との間に衝立をお付けしましょうか?」

「いいえ、大丈夫です」

「わかりました。ではどうぞ。」

戦は緊張した面持ちで竜東地裁の中へ入っていった。


『被告人を懲役20年の刑に処する』

『犯行の動機は性的行為を断られたという身勝手極まりないもので、その後の取り調べの様子や被害者への態度から反省、誠意のかけらも見出すことができない。また、将来のある少女に大きい影響を与えた罪は極めて重い、また詐欺的行為も反省の欠片も見られず、情状酌量の余地は一切ない。』

『また、他の被疑者と共謀し綾上容疑者を心理的、肉体的に追い詰め犯行に強制的に加担させており、非常に悪質である。』

『親からの更生への支援の見込みがないことから短期間での更生は不可能だと考えることが妥当であると判断した。』

戦は微動だにせず判決文を聞いていた。その後、ふぅ・・・と息を吐いた。

やっと報われた。やっと安心できる。やっと・・・先島が罰される。

「よかったですね、戦君。」

「・・・はいっ・・・」


「・・・あの、事前に用意していた台本って読まなくてよかったのですか?」

「ええ、今は余計な発言を慎んでとにかくこの判決を大事にしたほうが良いと判断しました。想定外に良かったですからね。」

「は・・・はい・・・」

「あ、あとですね・・・そのほかの被疑者の判決なんですが、男たちにはそれぞれ懲役10年、12年、9年の有罪判決、女性については刑事責任を認めてもらえず、暴行を行っていないことが判明したため無罪判決が言い渡されました。」

「無罪・・・無罪!?なんでなんですか!おかしくないですか!?」

「そ、それがですね、女性に関してなんですが、どうも止血作業を陰でこっそり行っていたそうなんです。それが無かったら妹さんは失血死の危険性が非常に高かったと。彼女自身も記憶は曖昧でしたが、ヘアゴムで圧迫止血してあって、あのタイミングでヘアゴムを保有しているとしたら彼女しかいないですから・・・・」

「・・・・・」

「その上で、『したことは覚えてない』と言っているうえ、防犯カメラ解析から妹さんと

同時間帯に殴る蹴るの暴行を受けていた可能性が高いことも判明しました。」

「・・・・どういうことですか。」

戦は自分の体温がどんどん下がっていくような感覚に陥っていた。血の気が引いて、周りの雑音が気にならなくなって、それと同時に体の奥底から凍えるような怒りが湧き上がってくる。

うそだろ!?あの女まで被害者なのか?どこまであの男たちは・・・!

「実際に、被疑者たちはその件についても容疑を認めており、今後裁判が行われる予定です。」

「・・・」

「中々飲み込めないことかもしれないですが、被疑者が認めている以上、防犯カメラの映像も残っている以上、彼女に対しての罪を問える可能性はゼロに近いです。」

戦は怒り・憤り・同情・・・負の感情を精一杯押し込めて言った。

「いや・・・彼女を責めるつもりはもうありません。・・・・逆に被害者だとしたら協力していきたいぐらいです。彼女との連絡などは取れるでしょうか?」

「ええ、取ろうと思えば取れるはずです。連絡を取っておきましょうか?」

「・・・・今後お話がしたいのでお願いします。」

「わかりました。あと、今後のお話なのですがこの判決に満足してらっしゃらないなら控訴ということも視野に入れますが、どうしますか?」

「あなた的に見てどう思いますか?」

「そうですね・・・かなり上出来ですね。女性以外は基本的に求刑通りの判決ですし、女性も新たな証拠が出てきて、それを覆す新証拠をこっちが提示できる保証はできません。」

「・・・」

「・・・やっぱり女性がダメでしたかね。」

「いや・・・もう、これ以上長引かせてもしょうがないのですし、これ以上の判決も期待できないとのことなので私はこの判決を受け入れようと考えています。ただ、もう少し待っていただいてもいいでしょうか。」

戦は感情を精一杯押し殺して、静かに言った。

「わかりました。ただ、8月16日が期限ですので、その辺はお気を付けください。」

「了解しました。1週間から10日を目安に決めるようにします。」

「わかりました、では、私はこの辺で・・・」

「ありがとうございました。」

戦は何やら深く考え込んだ様子で裁判所を後にした・・・


「・・・」

青年は一人、部屋の中で深く考え込んでいた。

なぜか無罪になったあの女性が気になっていたのだ。

「加害者側の『被害者』か・・・」

たしかに、その女性は傷つく綾乃に治療をしてくれた、しかし、助けることも助けを呼ぶこともせず傷つけられている現場に放置した。なぜなのか・・・・

傷ついている仲間が欲しかったのか、自分も傷つく中、精一杯のできることをしてくれたのか、はたまたその場の判断に任せたのか、治療しておいたら減刑が狙えると思ったからなのか・・・・・・考えがまとまらない。どうしても明確な「答え」になるようなものが思い浮かんでこない。

「・・・・・あ。」

そうか・・・・もしかしたら、その女性は綾乃よりもひどい仕打ちを受けていたのではないか。もしそうだとしたら果たして、その女性は「犯罪者側」として治療され、心身共にボロボロの状態で放り出されるのではないか。彼女も被害者のはずなのに。彼女だって立ち治れないくらいの大けがをしているのにもかかわらず・・・・・

「・・・・・・今は綾乃が最優先だ。他人のことを気にしている余裕なんてない」

綾乃を救う。綾乃を守る。綾乃にもう一度笑顔を。これが兄ちゃんの役目だ。

青年は気持ちを切り替えようと頬を張り、一人決意に満ちた目で窓越しの夜空を見上げていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

里香は一人、病室で虚空を見つめていた。

「はぁ・・・」

私ってなんで生きているのだろう。私なんてどうせいらない子なのに・・・

私が生まれたときからお母さんの記憶がない。

私は自分の母親が分からないまま、いつも怒鳴って、叩いてくる父親と住んでいた。

学校に行くため、ご飯を食べるため、勉強をするため、生きるため・・・・・父親に殴られても蹴られても罵られても、それでも何とか住むところがあって、食べ物にありつけた。あの日、あの一言までは。

「アンタみたいなろくでなしを育てた覚えも生んだ覚えもない!出てけ!綾上家の面汚しが!」

わたし・・・何にも悪いことしてないのに・・・言いつけ守ったのに・・・頑張ってついて行こうとしていたのに・・・

「うぅっ・・・」

私の前に転がっていたボロボロのあの子がお兄さんに抱きしめられているのを見たとき何故か心臓の奥のほうにまるで針で傷口を触られたような痛みが走った。

「いいな。私もあんな風にしてもらいたいな・・・」

私もあんな感じで誰かに必要とされていたら・・・こんな私を受け入れてくれる人がいたならば・・・・あんなクズ男以外の人に出会えていれば・・・私だって今頃・・・

つーっ・・・

ゴシゴシ

あんな愛されている子を私じゃ何もかも違うんだ・・・

どうせ誰もこの病室に来やしない。こんな未来のある女の子を見殺しにしたやつにお見舞いに来る奴なんていない。たまに来る看護師さんの優しさが痛い。こんな身寄りもないゴミみたいなやつにも”客”だから、国から依頼されたから声を掛けてもらっていると申し訳なくて、情けなくて・・・・・被害者の女の子には一生の傷を負わせた。それは私が一生背負っていかなくてはならない十字架で、その元凶は私の一時の気の迷いと弱さ・・・

もしこの入院が終わったらまた、あの世界に戻らなきゃなのかな。”無罪”の女として。加害者側の女として。あの男たちのもとに。殴って蹴って、人間として一ミリも扱ってくれない男たちのもとに。でも、食べていくため、生きていくために戻るしかない。あの男たちのもとへ。

「私なんてこの世にいないほうがいいんだ・・・」

里香はぽつりとこぼすとそのまま目を閉じた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「・・・」

戦は近所の公園で買ったばっかりのスポーツ新聞を読んでいた。

やっぱり。主犯格の先島と大滝とかいうあいつらの取り巻き3人が逮捕されたことは書いてあるけど、綾上とかいう女性のことは触れてないんだな。良かった・・・

戦はある種の安堵感を覚え・・・

「おっ!戦じゃ~ん!・・・・・・・よかったな。報われて。」

「雄大・・・あぁ、これでやっと一つ目の大仕事が終わったよ。・・・って誠はどうした?」

「そうそう、アイツなんだけどさ~、この事件の件でかなり気をもんでたみたいでさ。あまりよく寝てないみたいなんだわ。そんで一昨日の判決の速報出た時にぶっ倒れちまったんだわ。だから結神病院に入院中だぜ」

「あははは・・・あいつらしいっちゃアイツらしいな。で、お前はなぜここへ?なんかこっちのほう睨んでる女性が後ろにいるんだが・・・」

「すまんすまん。デート中でさ、懐かしくてついこの辺ふらふらしてたら、お前見つけたから来ちまった!じゃ、待たせてるし、この辺でな~」

「お~、楽しんで来いよ~!」

雄大は慌てて女性のほうへ向かうとそのまま住宅街へと消えた。

「忙しいやつだな・・・雄大らしいけど・・・」

戦は苦笑いしながら新聞を畳むと快晴の空を見上げた。

次に綾乃に会うのは明後日。

もうそろそろまともな会話がしたいな・・・とりあえず会話しないことには突破口が開けないし・・・けど裁判のことも話さなきゃいけない。しかし・・・・・・今、少しずつ回復している中で当時のことを思い出させるのは逆効果なのか・・・?

「どうしようか・・・・・う~ん」

戦はいくばくかの時間、顔に渋面を作っていた。

「・・・・やはり、医者にも聞いてみるか・・・・・とりあえず、明日病院に行ってみるかな・・・・って、どっちの名前もわからねぇじゃん・・・めんど・・・」

戦は渋面を作りながら帰途についた。


戦は病院のリハビリ室でリハビリをしていた。

「はぁはぁ・・・なんでこんなことに・・・」

―10分前―

「すいません。主治医の方に相談したいのですが、どなたかわからなくて。とりあえず、いつ来ても大丈夫だとおっしゃっていたので来たのですが・・・」

「あ、羽佐間さんですか?こちらにどうぞ」

「あ・・・あの・・・相談したいことが・・・・」

「あ、先生なら、今少し席を外しているので。その間来たらリハビリさせとけって言われてますよ~。」

「いや、あの・・・・ちょっと・・・」

「こっちですよ~。」

ガタガタ・・・・

戦は無念にも車いすに乗せられてしまった。

「では、行きましょうね~。」

その看護師は満面の笑みでリハビリ室のほうへ車いすを押そうとしていた。

「いや・・・・!!ちょっと待ってください~!」

戦の叫びは無念にも届かず、連れていかれてしまったのだった。


そして今に至る。

「まぁ、ちょうどよかったな・・・もうそろそろリハビリも終わるだろうし・・・」

「お、戦君。私に相談したいことがあるのかな?」

「先生・・・・・これはなんなんですか!いきなり半強制的にここに連れてこられたんですけど!!」

「あぁ、リハビリをして悪いことはないぞ?」

「そういう意味じゃないんですよ!!!」

「ははは、悪かった、悪かった。で、私に話があると聞いたが、何かあったのか?」

「あ、先生。そうなんですよ。」

「ほぉ、そうだね。リハビリを終えてこっちに来な。あと・・・私の名前は『内藤 華』だ。受付に言えば大体通じるだろう」

「あ、はい。すいません。」

「いやいや。謝ることなんてないさ。教え損ねていたのだから。あと、看護師の名前は」

「西宮さんですか?」

すると、女性は軽く驚いて、そのあと少し顔をしかめた。

「・・・?ま、間違えていましたか・・・?」

「いや・・・・・知ってるのか。・・・・・あぁ、そうか。病棟入るときに名乗っているもんな。」

「ええ、その時のです。」

「わかった、じゃぁ準備が整ったら第二診察室においで。相談を受けよう。」

「わかりました、わざわざありがとうございます。」

「気にする必要はないさ。これも仕事なんでね。」

「はい!」

戦は頭を下げ、華はリハビリ室の奥へ消えた。


「・・・・・ふぅっ・・・」

華は診察室に誰もいないことを念入りに確認して、安堵の息を吐いた。

・・・よかった。戦はあの事実を知らないか、覚えていないようだ。何とかしのげた・・・

「にしても危なかったな・・・」

だめだ。戦の顔を見ているとあの子の顔が思い浮かんで素が出てしまいそうになる。うっかり心の奥底にしまった事実を言い出してしまいそうになってしまう。まだ彼が知らなくていい現実を口にしてしまいそうになる。

知らなくてもいい事実。戦には直接関係のない出来事。しかし、華の胸の内に秘めたままにしておくにはあまりにも重く、暗い事実。

「うっ・・・・」

華は瞬間顔をゆがめた後、天井を見上げ

「戦君。綾乃を頼むよ・・・」

そうつぶやいていた。それは、まるで懇願するように。

とんとん。

がらっ

「失礼します。」

「おお・・・・きたか、そこに座ってくれ。」

華は、いつもの落ち着いた表情に戻って診察室に入ってきた青年の方を向いた。


「ほう。君は妹ちゃんに裁判の結果を次の面談で話すかどうかで悩んでいるんだな?」

「はい。判決が出た当初は話そうと心に決めていたんです。けど、少し経ってから考えたらそれを話せば、綾乃は自動的に事件のことを思い出さざる負えなくなる。せっかく精神的に安定してきたのにそれを乱すようなことをして、果たしていいのかどうかわからなくなっちゃいました。」

「う~ん。難しいね。確かに精神的な乱れを起こすような行為は避けなければならない時期なのは事実なんだが・・・」

「はい・・・」

「精神的な乱れだけであれば君が何とかできるのではないか?」

「えっ?」

「綾乃ちゃんはああ見えてもかなり君のことを信頼し、慕っているはずだ。君が近くにいてあげれば何とかなりそうな感じがする。それよりも事実を言わなかったがゆえに君が綾乃ちゃんの信頼を失ってしまうほうが怖い。」

「はぁ・・・」

「今のところ綾乃ちゃんを手なずけられているのは君しかいないんだ。我々が近づこうとしても警戒心むき出しでこっちを見ているし、ごくまれに攻撃を受けてしまうこともあるレベルだ。そういうことも鑑みて、事実をすべて話してそのうえで君自身が彼女の不安を取り除いてあげればいいんじゃないかって思う。」

「・・・」

戦は考え込むようなしぐさを見せていた。

「・・・ほかにももう一つ、何か考えでもあるのかな?」

「・・・」

(こくり)

「どんなことかな?私はどんな考えだろうが頭ごなしに否定するつもりはないぞ?」

「あの・・・今回の容疑者の中に一人だけ、無罪判決を受けた女性がいたんですが・・・その人のことについてなんです。」

「・・・ふぅん。綾上里香さんかな?」

「っ!!なんでその名前を・・・!世の中にほとんど漏れていないはずなのに!」

「なんてったってウチで入院中だからね。それで?同情心でも芽生えたかい?」

「まぁ・・・そんな感じです。なんというか・・・弁護士から『加害者側の被害者』って言われてからなんか考え込んでしまって・・・」

「ふむ。やっぱりあの子も被害者だったのか。」

華は少し考えこむようにしながら言った。

「やっぱり・・・って運ばれてきたときには大体予想がついていたんですか?」

「いや、様々調べたら、明らかに暴力を受けた後があってね。本当に加害者なのか疑問に思っていたんだ。」

「・・・・そうなんですね。で、その言葉を聞いてから、自分でも負の感情を整理できなくて。まだ、事件の全部が解決したわけでもないし、一人無罪判決になってしまっているので果たして報告するべきなのか・・・と・・・・・」

戦はうつむき、悔しそうにそうつぶやいた。

「う~ん。そうだなぁ・・・まぁ、私も判決を見たがあの状態じゃひっくり返せそうにないしねぇ。それこそ、無罪の所は言わなくてもいいんじゃないか?今は。」

「・・・?」

「結局、無罪ってことは暴行容疑が立証できなくて、実際に暴行してない可能性が高いってわけだ。だとしたら、あの状態の彼女がそこまで、その人まで覚えていない可能性のほうが高いんじゃないかなって。」

「しかし・・・・・・!!!!嘘をつくのは・・!!」

戦はそれ以上言おうとした口をふさがれた。華の手で。

「少し落ち着くんだ。キミ。」

「・・・・はい。」

戦は不本意そうな顔で席に戻った。

「あの男たちの判決はかなり期待通りのやつが出たわけだろ?そしたら、その戦績だけ報告するのもいいのではないか?もしかしたら、彼女は今後手を結ぶことになるかもしれないんだから。」

「・・・・・・確かに・・・・そうですね・・・・」

戦は少し驚いた顔をしたあと、うつむきながらそうつぶやいた。

「しかも、彼女が少し回復しそうな気配を見せている中で焦って結果を出しに行くのは悪手だと思わないかい?それこそ具体的な説明するのは、もっと彼女の精神状態が安定してからの方がいいんじゃないかなってね。」

「・・・ふむ。」

華は手元の紙にこれまで言ったことをまとめながら、落ち着いた声で言った。

「少しは分かったみたいだね。今は焦らずゆっくりと進めていく場面だ。彼女の精神状態を大幅に悪化させても、君が思いつめすぎるのもどちらも今は良くない。君の心境はよくわかるし、考えだって理解できる。君は決して悪いことをしているわけではないんだ。」

「・・・わかりました。もう少し、綾乃の様子を見てみます。」

「うんうん。その感じだ。頑張ってくれ。」

「はい。今日はありがとうございました。」

がらっ。

戦は少しほっとしたような表情を浮かべて病室を後にした。。


「ふぅ・・・」

まさかだった。まさか里香ちゃんの名前がこんなところで出てくるとは。

華は思いもよらぬ出来事にかなり動揺していた。

「こんな形でかかわった子たちをこうも不幸に貶めてしまったのね・・・」

華だって自分の過去が、もう言い逃れができないほどに、誰からも非難を浴びてしかるべきほどに汚れ切っていることは分かっている。わかっているつもりだった。

しかし、こういう形で再会し、名前を聞き、こういう形で関わるとなると流石に心に来るものがあった。

「にしても綾上さんの娘さんまでかぁ・・・」

華は遠い目をして物思いにふけるようにつぶやいた。

私のお身入れのある子ばかり不幸に落ちていく姿を見ると自分のせいとは言え、中々心へのダメージが大きいものだ。

「・・・」

華は椅子から立ち上がって

「私の贖罪は道半ばだな。」

そうつぶやくと一人精神病棟の方へと歩いて行った。


とんとん。

「・・・」

「入ってもいいかい?結神病院で君の担当医をさせてもらっている内藤華だ。」

「・・・どうぞ。」

「失礼するよ。」

がらっ。

「こんにちは。君が綾上里香さんだよね?」

「・・・はい。」

「とりあえず、診断結果から行こうか。肝臓の術後の経過はとても良いからこのままなら大丈夫そうだね。そのほかも基本的には問題なしかな。」

「・・・ありがとうございます。」

里香は弱弱しくつぶやいた。

「で、精神的な面だ。どうかな?あのあと、自分的に良くなってるとか、なんかあの後に変化があったりしたかな?」

「・・・」(ふるふる)

「そうか・・・まぁ、そう簡単には変わっていかないよね。あれだけの暴力が目の前で繰り広げられたんだから。ましてや、キミも激しい暴力を長時間にわたって受けていたんだし。」

「・・・」

「けどさ、少しだけ自分の今の感情を話してみるだけでも変わってくるかもしれないよ?」

華は問いかけるように。優しく、優しく話しかけた。

「・・・」

(ふるふる)

華は、少し目線を落とすと、懐かしむかのように話し始めた。

「こういうのも何だが、私も前に家族から縁切りされるほどのことをやらかして、完全な孤独になったことのある身だ。その時の経験から言ってるのさ。ほんの少しだけでいいから話してみてくれないか?」

「・・・・・・私にそんなことをする権利はありませんから。」

里香は目線を上げることなく、かすかに震える声でつぶやいた。

「権利か?そんなことはないさ。私が許可するよ。キミの胸の内を明かすことのね。」

「・・・・・・・・・・・・・・私は勉強すらできないバカですから・・・・」

「・・・?・・・そんなことないさ。竜東工業でも十分だと思うんだがね・・・だってあそこは国立なんだろ?・・・本命はどこだったんだい?」

「・・・国立竜東大学・・・です・・・」

「けど、結局、竜東工業に落ち着いてお父さんから『何してんだ!』みたいな感じで徹底的に攻められて、そのまま・・・って感じかな?」

「・・・」(こくり)

里香は震え、かすかに嗚咽を漏らした。

その姿を見た華は、こうつぶやいた。

「君はさ・・・お父さんとかお母さんから『愛されている』って感じたことはあるかい?」

バッ!!!!!

里香は勢いよく華のほうを向いた。その眼には涙がたまり、腫れていた。

「・・・」(ふるふる)

「う~ん、やっぱりか。実はきみのお父さんと少しだけ面識があってね。」

「!!!・・・っ!」

里香は瞬間身をこわばらせ、ひどくおびえるように、警戒するように華をにらみつけた。まるで、心からの憎しみを表すかのように。まるで、強大な敵を見るかのごとく。

「ああ・・・・・安心したまえ。流石の私でも君を追い詰めた君のお父さんを擁護する気はないし、ましてや彼を呼び出すようなことは絶対にしない。約束する。」

「・・・」

(あぁ、久々にやっちゃったな。完全に警戒心むき出しだ・・・)

「ええっと・・・・・・今日は話すのはやめにしておこうか。キミもあまり話す気になってないだろう。」

「・・・・」

里香は黙ってかすかにうなずいた。

「うん。ではこの辺で私は失礼するよ。君の気分を害してしまったのは本当に申し訳ないと思っている。」

華は里香に向かって頭を下げると病室を去っていった。


コツコツ・・・・・

「・・・」

物音一つしない廊下に自分の靴が鳴らす、規則的かつ無機質な音だけが響く。

がらっ・・・・・

華は周囲を注意深く見まわしたのち、部屋に入った。

「はぁ・・・」

華は珍しく顔を曇らせ軽くうつむいていた。

「なんだかなぁ・・・」

自分が嫌になる。思い付きで動いて、途中で焦って、パニックになって、最後に痛恨の言動で逃げてくる。大体自分の人生はこれの繰り返しだった。しばらくやってなかったから大丈夫だと油断したらこれだ。

「本当に・・・私ってバカだなぁ・・・」

華は大きくため息を吐くと診察室へ消えていった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

里香はベッドに横になりながら天井を見上げていた。

「・・・」

あの医者がお父さんと知り合い・・・あのおぞましき奴の仲間なのかな・・・・

「お父さんってどんなだったっけ・・・・」

私が小さかった頃はすごくやさしかった。近くの神社の境内に連れてってもらって日が暮れるまで遊んでもらった・・・・公園に行ってずっとおままごともしてくれてた。私が男の子からちょっかいかけられた時なんて、青ざめた顔しながらすぐ来てくれた・・・・

けどいつ頃かな・・・・・5歳・・・小学校に入る直前くらいかな・・・

いつの間にかお母さんがいなくなって・・・・・それからお父さんが家に居なくなって・・・お父さんが帰ってきてからほとんど見てくれなくなって、まともに相手にしてもらえなくて、すぐ怒るようになって・・・・・お前はいらないって・・・・

「・・・っ」

里香の頬に自然と涙が零れた。

「私ってやっぱり誰一人からも必要とされてないのかなぁ・・・」

里香は涙を拭うと、もう一度天井を見上げ、ゆっくりと目を閉じた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

―8月6日―

ピピピピ・・・・・・バン!・・・・・

「ん~~~っ」

戦は体を起こし、大きく体を伸ばした。

「今日は3回目の面会日か・・・」

今日は綾乃に裁判の結果を伝えるのか・・・

「・・・」

今日は勝負の日だ・・・・・前回みたいに綾乃が攻撃してきたらどうしようか・・・・入ってきてすぐに振りかぶって・・・・それとも伝えたときに攻撃してくるかな・・・

もしかしたら、黙って、ふさぎ込んでつらい思いをよみがえらせてしまうかもしれない・・・

考えれば考えるほどマイナス思考に陥って離れられなくなる。

ここは落ち着いて、朝飯のことを考えるんだ・・・・・

「・・・」

しかし、他のことを考えようにも死んだ魚の目をした綾乃の顔が脳裏をちらついて離れない。綾乃のことがどうしても気になってしまう。そして、またマイナス思考に陥ってしまう。こんなループをかれこれ30分近く繰り返していたのであった。

「・・・こんなんじゃだめだ!」

せっかく、綾乃が少しずつ良くなっているんだ。ここで自分がへばってどうする。妹を助けると決めたんだ。俺は変わると決めたんだ。

俺は妹を守る。絶対に。

「よしっ!」

戦は頬を張り、自身に課した決意を胸に病院へと足を向けた。


戦は病院に向かって歩いていた。じりじりと容赦なく照り付ける太陽に苦戦しながら。

「なんでかな・・・・・」

戦は少し困り顔を浮かべながら、目の前にそびえる病院の建物を見ながらつぶやいた。

正直、自分でも何故、このような考えがいつまでも頭の中でループしてしまうのか、わからない。けど、何故か彼女のことがどうしても頭から離れない。「加害者側の被害者」という言葉がどうしてもひっかかる。そして、会いに行って、話すことで何かを変えられる気がした。この現状を。これからの未来を。

「よしっ・・・・・・」

戦は扉を前に、決意を新たにして、彼女に会いに行った。


「すいません。内藤先生はいらっしゃるでしょうか。」

「内藤先生ですか。わかりました。その前に、お名前を教えていただいてもよろしいでしょうか。」

「あ、羽佐間戦です。」

「ありがとうございます。羽佐間様ですね。少しお待ちください。」

「あ、わかりました。」

戦はうしろにあったソファーに座って・・・・・

「はっくしょん!!!!」

汗で冷えたシャツがまとわりついて気持ち悪いうえ、相変わらずこの病院の中はものすごく寒い・・・・・・・

「・・・」

周りからの視線が集中して、戦は冷や汗をかきながらトイレに行った。


「羽佐間さんですね。第6診療室にて内藤さんがお待ちです。どうぞ。」

「ありがとうございます。」

コツコツ・・・・・・・コンコン・・・

「はいよ~、入りな~」

「はい・・・・失礼します。」

「お~、キミから呼ばわれるとはね。で、どうしたんだ?」

「はい・・・・・やっぱり、なかなか裁判の事を綾乃に伝えるかどうか踏ん切りがつかなくて。もう一回相談しに来ました。」

「うんうん・・・・・そういうことね。じゃぁ、まず大前提から確認しておこうか。」

「は・・・・はい・・・・・」

「まず、彼女は現在、意思疎通が取れる状態ではないということだ。そしてその中で、一番敵意を示されていない、一番意思疎通が取れる可能性があるのは君だということだ。」

「・・・」

戦はかすかにうなずいた。

「そんな状態で、キミが悩んでどうする。君が沈んでしまっては、彼女にも伝わって彼女まで精神状態が悪化するかもしれないだろう?」

「・・・!は・・・はい。」

「悩む気持ちも分かるし、慎重になる気持ちもとてもよくわかる。だからこそこうやって相談に乗ってるわけだ。今は思い切って動く時期に差し掛かってると思うぞ。」

「はい・・・!!わかりました・・・・・・あと・・・・」

戦はまた、少し言いづらそうに、もごもごとしていた。

「どうした?なんでもいいぞ、キミなりのアイデアがあるんだろ?」

「あの・・・・綾上里香さんに会いたいのですが・・・・・」

華はその名前を聞いた瞬間に身体を硬直させた。

「お・・・・・おう・・・・・少し、彼女のほうにも聞いてみる。少し待っていたまえ。」

華は動揺を隠せずに部屋から消えた。

「はい!!ありがとうございます。」

がらっ・・・・・

「失礼します。」

「えっと・・・・・西宮さんでしたっけ・・・?」

入ってきた女性は無言でこっちに目線をやると、少し前まで先生が座っていたところに座った。

「はい。西宮です。先生が席を外しているので、この時間に綾乃さんの報告をしておきます。」

「・・・はい・・・・」

「そこまで沈まなくても大丈夫ですよ。最低でも大幅な悪化はしていません。」

「はい・・・・・・」

戦はうつむいて、かなり焦燥したような感じだった。

「では、報告です。綾乃さんのけがについては順調に治癒の方向へ向かっています。なんとか手術は避けられそうです。骨折部分についても経過はかなり良好です。」

「・・・」

ほっ・・・・・・・なんとか・・・・

「精神的な面ですが、我々への襲撃は、貴方の面会以降起きなくなっています。」

「そ、そうなんですか!?」

「ええ、一回も起きていません。しかし、食欲が戻っていないこと、我々との意思疎通はまだ不能であることに変わりはありません。また、以前に比べて窓の外を見る回数がかなり増加しているというところが気がかりなところです。」

「・・・・」

窓の外・・・・外に出たいのか・・・ただ、外にはまだ奴らの残党もいる可能性があるし、綾乃にとってはあまりよくない情報が回っているから・・・・

「まぁ、報告はこんな感じです。何か思い当たる節がありましたら、呼んでください。私は隣の部屋にいますので。」

「わかりました。ありがとうございます。」

「あと・・・・・・訴訟、よかったですね。」

「あ、ありがとうございます。今回の裁判で、少し肩の荷が下りたというか、今後のことについて少し考えられるようになりました。」

「先生もああ見えて、かなりあなたのことを心配していますので。がんばってください。」

看護師の女性は、微笑みを浮かべながら言った。

「ありがとうございます、頑張ります!・・・・あ、あと・・・・」

「どうしましたか?」

「食欲とか、窓の外を見ていることなんですけど・・・・・前回の面会でルシヴェのラスクを渡しているんです。それが影響しているのかなって・・・」

「ほう・・・・・わかりました、ありがとうございます。」

「いえいえ・・・これからもよろしくお願いします。」

戦は深々と頭を下げた。

「わかりましたよ。こちらこそですね。」

看護師はそうつぶやきながら部屋の奥へ消えていった。


コンコン

「はい・・・・・」

扉の向こう側から、か細く、弱弱しい声が返ってきた。

「主治医の内藤だ。君に少し相談があって来た。少しお邪魔させてもらってもいいかね?」

「どうぞ・・・・・・」

華は部屋に入ると、ベットの近くにいすを置いて座った。

「綾上里香さんかな・・・・体調はどうだい?」

「ええ・・・・普通です。」

「あまり変化なしってことか。まぁ、そんなもんだ。中々治るものではないからな。肝臓の状態は前よりもよくなっているがな。」

「・・・・」

里香は表情を一切変えずに華を見ていた。

「そうだ、それで相談についてなんだが・・・・一つ面会希望が入っててね。」

「っ!?」

里香は目を見開いて少し起き上がった。

「その面会希望者がね・・・・・・羽佐間戦って人なんだ。だれかわかるかい?」

「・・・」

里香は頭を横に振った。

「この戦って人は、キミが助けた女の子のお兄さんに当たる人物だ。」

「!?」

里香はうまく理解できていないのか、しばらく固まっていた。

「それで、君は容疑者であって、被疑者ではない。そして、二人とも先島凪被疑者の被害者だ。そういった意味もあって、一回会って話がしてみたいというわけだ。」

「・・・!・・・!しかし・・・!」

「大丈夫。君の身体的な安全は保障する。あと、キミが思っているほど彼は君を敵対視していない。よっぽど命の恩人と考えている節もあるぐらいだ。」

「・・・」

里香はしばらくうつむいた。そのあとで、

「わかりました。あってみます。」と静かにつぶやいた。

「了解。とりあえず私のほうから面会許可は出しておく。あとは日程調整だが、キミは検査日以外はいつでもいいのかい?」

「・・・・・・はい。」

「わかった。では、彼のほうとも日程調整を行っておくよ。失礼したね。」

華は里香に一礼すると、軽やかな足取りで里香の病室を後にした。


コツコツ・・・・・

スー・・・・・・スー・・・

がらっ「おー・・・・・戦くん?」

スー・・・

「・・・」

戦は背もたれによっかかって、規則的な寝息を立てている。

「おやおや・・・寝ちゃってるのかい・・・」

華はかすかに目を細めた。

ごそごそ・・・・・パサッ・・・・・

華は戦に毛布を掛けると、その場を去った。


華は愛花を隣の部屋に呼んでいた。

「ダメだわ・・・・私、隠しているのも、何事もなかったかのようにふるまうのも限界来てるんだよね・・・・」

華は眼にかすかに涙を浮かべ、首を横に振りながら言った。

「今言ってどうするんですか?ただでさえ彼は、綾乃さんのことで手一杯なんですよ?さらに事実を伝えたら彼の頭は確実にパンクします。」

愛花は深くため息をついた。まるで行っている意味が分からない、そう暗に伝えるように。

「わかってる・・・・わかってるんだよ・・・・・でも、罪悪感というか、申し訳ない感情でいっぱいになって、どうしたらいいかわからなくなるんだ・・・・」

華は目線を下に向けて、ため息交じりに言った。

「・・・」

愛花は無言で華をにらんでいる・・・ようだった。そんな愛花を見上げて、目線を外しながら華が

「事実を話して、全くかかわることのない世界に行っちゃってもいいかなって。」

そう小さな声でつぶやいた。ほんの小さな声で。

「・・・あなたは涙を見せることが本当に得意ですよね。本当に。」

「・・・?そう見えるかい?愛花クンよ。そんな人間どこにも存在なんてしないさ。こんな私でもね。涙を故意に出すことなんて無理だ。今回はこれまでの中でもかなりキツイ精神状態なんだよ。」

華はそう言うと椅子から立ち上がろうとした。その瞬間、愛花が目の前に立ちふさがった。その眼は見たことがないほどに怒りに満ち、今にも爆発しそうな状態・・・のように見えた。

「はぁ・・・・”内藤さん”今回はきついこと言いますが。あなたの過去の言動も、今の感情も、今思っている計画もすべて自分勝手ですよね。そんなに自分はかわいいですか?口先ばかり反省を述べてその場だけ凌いで、そのツケを払うとか言って、いざ払うタイミングになったら、また逃げる。いっつもそうですよね。毎回。貴方はそのことをわかっているのですか!!!!!!!!」

愛花はいきなり怒鳴った。二人しかいない部屋に響き渡るほどに。涙をにじませ、唇をかみ、手は爪の跡で血がにじむほどに握りながら。

「・・・!!ちが・・・う・・・・」

華は、あまりの剣幕にたじろきながら椅子にもう一度腰かけた。というよりも、椅子にしりもちをついたように。

「何が違うんですか!!??あなたが不倫相手から逃げたのも、お子さんを置いて行ったのも、同僚の方と男女関係になったのも、虐待を知っていて放置したのも、すべて逃げではないと!!!!!ではなんなんですか?適切な行為だったと!!悪気はないから許されるとでも思っているのですか!!!???」

愛花は我を忘れ、自分の上司に向かって怒鳴った。異論は認めぬ、ただただ怒りと憎しみと、その感情だけで突っ走っていった。

「っ・・・・・」

華は苦悶に満ちた表情を浮かべながら、力なくうつむいていた。

「あなたのせいでどれだけの人が被害を被って、家庭を壊され、将来を暗くさせてきたのですか!?あなたはその罪の重さを理解しているのですか?また逃げるんですか?こんな中途半端で?また、傷を広げて、自分がかわいいがゆえに、自分しか考えないで!!!」

愛花は続ける。声を枯らしながら。自分のすべての怒りも憤りもすべてを呪詛のように吐き出していた。

「・・・・・・」

華は、肩を震わせ、瞬きもせずに静かに、泣いていた。嗚咽を発することもなく、ただあまりの豹変ぶりに呆気にとられているかのように。

「貴方はまた、泣いて逃げられると思っているのですか!?その涙でこれまで何人の男を騙してきたのですか?何人の子供を、家庭をどん底に突き落としてきたのですか?『罪』なんか口先だけでしか考えてないからそんな言葉しか、そんな言い訳しかうかんでこないんじゃないんですか!!!!ふざけないでください!!!!!!」

愛花は髪を振り乱し、声がかれるまで怒鳴った。そこにはいつもの冷静かつ品格に満ちた愛花の姿は一切見えなかった。

「わ・・・・わたし・・・は・・・・・・」

華は自分の罪に、愛花の様子に、押しつぶされそうになりながらわずかに言葉を発した。

「はぁ・・・・・もういいです。貴方には失望しました。今度こそ。やっとあの子に少しでも罪滅ぼしをするんだって。やっと、その時が来たんだって期待した私がバカでした。では、失礼しました。」

愛花はかすれ声で、そういい残すと、一切華を振り返ることなく立ち去った。

「っ・・・・・・ちょっ・・・・・・」

華は閉まる扉を見つめながら、力なくへたりこんだ。


「あれ?愛花さん、先生はどうされました。」

「・・・」

「どうしましたか?先生と何かあったんですか?」

「いや、ちょっとした口論です。気にしないでください。」

「・・・・・・っはい!」

華が出てくるのを待っていると思われる看護師たちは、愛花を見ると、みな一様にただならぬ気配を感じてそれ以上の言葉を噤んだ。

「では、本日はこれで失礼します。」

愛花はいつもの張りのある声ではなく、掠れ声でその場を去った。


「はぁ・・・・」

愛花は病院を出ると同時に、大きくため息をついた。

訳がわからない。私は信じた。私たちの元凶の一人が決心して、改心して罪滅ぼしをするのではないかと。そしたら、あの子だって少しは救われるのではないかと。そしてその傍らに携わって自分もあの子の成長を確かめ、少しでも手伝うことができたらと・・・・・

けど、結局何も変わってなんかいなかった。加害者に期待するのが間違いだったのだろう。私のかすかな希望と、わずかな良心はいともたやすく砕け散った。簡単に裏切られた。それでも、加害者に仕えたことで得るものはあった。成長は確かめられた。あんな家庭環境でもなんとか生きて伸びて、立派に育っていた。過去を引きずる私なんかよりよっぽど強く。私も強く生きなくてはならない。あんな奴に人生を台無しにされてたまるものか、そう強く感じることができた。

しか、あいつはまた、私たちの人生をさらに引っ掻き回す気なのか・・・・・・?

愛花はあの子が立派に育って、たくましくなっていた分、大人の情けなさが、自分勝手ぶりが目立っている現状にイラついた。やるせない気持ちになった。それでも、自分ではどうしようもないことも分かっている。自分ができる事なんて精々、あいつらを怒鳴って、私たちが受けた仕打ちを、過去を、背負った十字架をあいつらに知らることぐらいしかないことぐらい。

「・・・はぁ・・・・・」

愛花はもう一度、大きくため息をつき病院を後にした。


「・・・」

愛花は、あまりにも暑い屋外から逃げるように、部屋に入った。そして、靴箱の上に置かれた、半分色あせた写真を見て、唇をかんだ。

なぜ、私はあんな人たちにここまで人生を狂わせられなくてはならないのだろう。私は、彼は、幼い頃から理不尽と差別を受けながら、地の底をはいつくばって生きなくてはならなかったのだろう。

そして、理不尽の先に更なる理不尽と、あいつらの影に、行動に怯え、脅かされながら生きなくてはならないのだろう。

一瞬の幸福は、やつらの身勝手によって消されていく。周りの関わった人間は大体沼に引きずりこまれ、地獄を見ながら、私たちの敵になっていく。自分に何かあがくことすらさせずに。

「・・・くそっ・・・!」

愛花は唇と、手のひらに血をにじませながら、そう吐き捨てると、靴を脱いだ。

そして、ポストに2通の手紙が入っていることを確認した愛花は、その一つの中身を確認して、力なくへたり込んだ。

そこには義父の文字があった。

「・・・」

その封を切って、中を見た。愛花は立ち尽くした。

「・・・そうだったのか。そうだったんだ・・・・・」

私には何か死神でも、貧乏神でもとりついているのだろうか。いや、あいつが私の貧乏神だ。私の幸せだったはずの生活を壊し続けて暮らしているこの世のガンだ。許せない。許さない。

「・・・」

愛花は考えを一通り巡らせると、もう一方の手紙を見た。そこには自分の母親の名前があった。


『愛花へ。お母さんです。あなたは元気ですか。私は元気ではありませんが、何とか生きられるぐらいの元気はあります。このような形で報告することは本当に申し訳ないと思っています。

ごめんね。愛花。お母さんダメみたい。どうしても、どうしてもだめだった。こんな母親でごめんなさい。あなたに迷惑ばかりかけて、最低な親であることは十分承知しています。ごめんなさい。わたしは、最低です。』


「・・・・」

予想はしていた。結果論で言えば案の定だった。わかっていた。もとから結論なんて見えていた。でも、この絶望しかなくて、自尊心も、精神的安定も何もかも失われていく中で、わずかな希望に、藁にすがっていた。もしかしたら目覚めるかもしれないと。もう一度だけやり直せるチャンスがあるのではないかと。その希望が立たれた瞬間だった。藁が水に沈んで、自分に絡みついて水底に引き込んでいくようなそんな瞬間だった。

「・・・・クッ・・・・」

愛花は必死に堪えていた。それでも、これまで地獄を味わい続けた愛花ですら耐えきれない絶望だった。

「・・・・・そうだよね。そうだったもんね。どうせ大人は身勝手なんだもんね。」

愛花は、そうつぶやくと涙を拭い、化粧を直し始めた。それは、正真正銘、最後の希望を逃さないように。愛花にとって最後の存在であり、生きる理由であり、唯一信用するに足る存在を逃さないため、身勝手な存在ではない、自分の唯一の理解者になりえる人物との接点を持つため。

「・・・・私はやるしかない。絶対に。」

愛花は、そうつぶやくと、靴を履き、灼熱地獄へ足を向けた。


がらっ

華は少しやつれた顔で、部屋から出てきた。

「あ、先生・・・・・・?」

その場にいた看護師は、いったん華のほうを振り向いて、心配そうな顔を浮かべた。

「遅くなってすまないね。少し怒られてしまったんだ。」

華はそう言うと、かすかに自虐的な笑みを浮かべた。

「先生!大丈夫でしたか?」

「あぁ。私のミスだ。愛花君は悪くない。私が悪いことだ。」

華は、少し語気を強くしてそう言った。

「そうなんですか・・・・あ!あと、戦君、もうそろそろ起こしたほうがいいかもしれません!!」

看護師の一人が少し焦りながら言った。

「あぁ、わかった。起こして、彼の望みでも聞いてやらんとな。」

華は少し声を震わせながら、そう答えると戦のいる診察室へと向かった。


「お~い。起きろ~。」

!!!!!!

戦は眠そうに、目を開けると・・・・女性の顔が眼前に迫っていた。

「・・・・?・・・!あ!すいません!!寝てしまって・・・・・・」

「あぁ、構わんさ。気分は上々かね?」

華は、軽く微笑み、おどけるような仕草をしながら戦の顔を覗き込むように言った。

「え・・・・まぁ・・・・・」

戦は、年齢不詳の美魔女の仕草に少しドキドキしてしまっていた。

「それは、よかったよ。まぁ、悩みごとも多数抱えているようだし、寝つきが悪くなるのは仕方がないことさ。さて、寝起きすぐに言うのは酷かもしれないが、あの子との面会の可否について聞いてきたんだ。」

「あ、ありがとうございます。どう・・・でしたか・・?」

戦は、おずおずと、自信なさげに華の言葉を待った。

「うん、最初はかなり驚いていたようだけど最終的にはオッケーだった。あとは君との日程調整だけだ。」

「・・・!!ありがとうございます!日程は一週間以内だと8/8のリハビリと8/9の学校の呼び出しの日以外基本的には大丈夫です!!!」

戦は、わかりやすく顔をほころばせた。

「了解。では、私や看護師の日程も調整しつつ決めておこう。何か変更したくなったら私に電話をかけておくがいい。私の電話番号は教えておくさ。」

華は、見守るように少し微笑みながら、そう言葉を発した。

「・・・!ありがとうございます!」

「では、今日の主目的である、面会の時間が近づいてきたな。あと、今日は前回担当していた看護師ではない子に案内してもらう。今から呼びに行ってくるから少し待ってておくれ。」

そう華は言うと、席を立って、後ろの空間に消えた。

「はい。わかりました・・・」

戦は、少しうつむきながら、自信なさげに肩をすぼめながら言った。


「戦君、待たせたね。彼女について行ってほしい。」

華は、若い看護師を紹介するようにして言った。

「は、はい。わかりました。」

「では、羽佐間さんかな?本日はよろしくお願いします。では、こちらについてきてください。」

若い看護師は、礼儀正しく、頭を下げると戦を案内しようとしていた。

「あ、はい。わかりました・・・・・・内藤先生、ありがとうございました。」

戦はそういうと、華に向かって頭を下げた。

「ふふっ・・・」

華は少し口元を緩め、軽く会釈すると部屋の奥に消えていった。

「羽佐間さん、こっちですよ~。」

「あ、はい!分かりました。」

戦は華の姿が消えたことを確認すると、そっと扉を閉めて看護師の後を追った。


「・・・ふぅ・・」

華は、ほっと一息ついた。危ない。いつ何時ボロが出てもおかしくないような状態だったが、今回は平静を保てたと思った矢先・・・・

「・・・大丈夫ですか?・・・先生?」

診察室から帰ってきた華を、冷たく鋭くとがった声が出迎えた。

「・・・!!」

華は、その姿を見ると、かすかに後ずさりをし、おびえ切った表情を浮かべた。

そんな華の姿を見た愛花は、はぁ、と息を吐くと

「もう、あんな状態にはなりませんからご安心ください。」

華は、おびえた様子はそのままに、足元にある椅子に腰かけた。

「・・・あぁ、なんとか大丈夫だった。君こそ、帰ってきたのかい?」

そう、華は愛花の表情をうかがいながら、聞いた。

「・・・ええ。まだ、私はここの職員ですし、彼の様子を見るにはここにいるしかないですからね。」

愛花は、そう吐き捨てた。すると華は、軽く息を吐くと目を瞑って言った。

「そういえばになるのだが、ありがとう。君にああやって言われたおかげで目が覚めたというか、覚悟を決めることができた。私は彼らを最後まで世話を行う。この病院に来なくなるまで、この病院が彼らにとって必要ではなくなるまで。そして彼女が、彼が回復した際には私の正体も関係も、どのようなことがあり、私がどおのような行動をとったかまで赤裸々話す。その上で、私は彼らの前から姿を消す。二度と会うことが無いように。」

「・・・あなたは最終的には逃げるのですね?」

愛花は、怒気を極力抑えながら、静かに華に聞いた。

「・・・これはあくまで私の考えになってしまうのだが、あの子たちにとって、事実を知った後の私は悪魔であり、死神であり、復讐の対象になるのだろう。私は彼らに私へ、私たちへの復讐にとらわれてほしくない。私たちが報いを受けるのは当然だが、それ以上に彼らにはやることが、将来があると思う。まぁ、私には過去の行いのおかげで何も残っていない。だからこそ、私には医療以外残っていない。そんな、私の医療を彼らが受けたい思うだろうか。答えは否だ。」

華は、極力平静を装い、目の前で背を向ける看護師にそうつぶやいた。

「・・・」

「だからこそ、私は彼らの見えない所に行く。そして、私にできることがあれば、私が関与していることを感づかせないように、私も関与していく予定だ。まぁ、もっともそれをできるほど人望はないから、彼らに財産を渡すぐらいのことしかできないだろうけどね。」

華は声を震わせながら、自虐的な笑みを浮かべた。

「・・・泣いたら赦されると。そうお思いなのですか?」

看護師は僅かに椅子を回すと、華をにらみつけるように言った。

「・・・全く。そんなことは一ミリも思ってないね。あくまで君には計画を話しただけだ。協力してくれとも一切思っていないさ。これは私の身勝手極まりない計画なのだから。」

華は、震え声で、ただはっきりと強く言った。

「そうですか。その飛び場所ももう用意してあると。」

愛花はそう言うと華をにらみつけた。

「・・・うん、まぁね。いろんな伝手を使ってなんとか用意したよ。」

「・・・伝手ではないでしょう?新しい男の居城でしょう?」

看護師は、一切感情のこもっていないような、ただ単純に怒りに満ちたような声で言った。

「・・・・・君は知っているのかな?どこで知ったかわからないけど。」

華は驚いたような表情をしたのち、かすか声を震わせながらそう言った。

「ええ・・・・・知ってますとも・・・・!!!!あぁ、知ってますとも!!!」

愛花は、怒鳴りながら、じりじりと華との距離を詰めていた。

「・・・!君が起こるような案件なのかね?」

華はあまりの怒気に怖気づきながら言った。

「貴方の新しい不倫相手は『陽太』さんでしょう?」

「・・・・・」

華の目が泳いだ。

「あくまでしらを切り通すつもりですか?そうですもんね・・・・!私はその場にはいなかった。ええ、いなかったですよ。」

愛花は眉間にしわを寄せ、一目見ただけで分かるほどの怒気を発しながらそう吐き捨てた。

「・・・そうだね。私の・・・・男は鷺宮陽太君で間違いない。」

「やっぱり、あの過程を捨てて不倫女に走った野郎ですよね。あぁ、そうですよ。屈辱の日が近づいていると思うと虫唾が走りますよ。」

愛花は、華を見ることなく言った。

「・・・?・・・???私は・・・・」

「それ以上はいいです。もうそのことについて話さないでください。ただ、来る日が来ればわかります。私と彼がどのような関係だったか。あなたが、わたしの恨みをどんな場面、行動で買っているかわかりますから。まぁ、私も彼がいなくなったら持たざるものですから。その時にはあなたは生きていられないと思ってください。この世から追放しますから、私の人生を犠牲にしてでも。」

「・・・・・・・あぁ、私も関係者からいつ殺されるかも、いつ、どんな報復を受けるかもわからない状態からね。それがたとえ法を犯すものだとしても、私自身は甘んじて受け入れるつもりだ。では、この件が終わって私がここを去ったあとに、君とばったり再開した暁には覚悟を決めておくよ。最低でもこれまでの報復を受けることのね。」

華は、半ばあきらめたかのように目線を落とすと、そうつぶやいた。

「ええ、その認識で結構です。ここから立ち去る前に私の名前も覚えておいてくださいね。『西宮』愛花ですので。」

「・・・・わかった。その名前は頭の片隅に残しておこう。」

華はそうつぶやくと、診察室の扉を開け精神病棟のほうへ足を向けた。

「あれ?前回の面談の時と違う場所なんですか?」

戦は前に面会したときとは違った場所にいた。明るい廊下に、比較的開放的な病棟。かすかに人の話し声も聞こえて、広い庭園が窓越しに見えるきれいで幻想的な空間に。

「えぇ、前回から病状が良くなってること、暴力的行為が無くなったことから、精神病棟の中でも比較的緩いところに移ることになりましたよ。」

ほっ・・・・綾乃も確実に良くなってきてるんだな・・・・・

「そのおかげで今回は目隠ししなくても平気になりましたよ。機密情報はないですからね~。」

なんだそれ・・・目隠しをしなくていいって・・・

戦は看護師と到底一回では覚えられなそうなほど複雑な廊下を歩いて、D-12と書かれた部屋の前で止められた。

「どうぞ。本日の面会終了予定時刻は21時です。途中で終了する、何か問題が起きた際には前回と同様に入り口付近のドアをノックしていただければ担当の者が駆け付けます。」

「わかりました。ありがとうございます。」

コンコン・・・・

返事はない。行くしかないのか。

がらっ・・・

病室の扉を開けると、窓から煌々と差し込んでくる日光に照らされ、白い患者衣を身につけた、まるで天使のような姿の少女が一人、窓から見える景色をぼんやりと見つめていた。


10分、いや30分ぐらい経っているかもしれない。時間を忘れ少女に見とれていた。

「・・・!あ、綾乃?兄ちゃんだ。ルシヴェのラスク持ってきたぞ」

「・・・!ありがとう」

綾乃が何かをつぶやいたように見えた。ただ、そのか細い声は戦に聞き取ることはできなかった。ただ、かすかに口が動いていた。それだけだった。

「・・・・・?まぁいいや。それで今日お前に伝えたいことが何個かあるんだがちっと聞いてくれるか?」

いつの間にかベッドの上で深々と上掛けをかぶっていた義妹がうなずく。

「まず、昨日の裁判の結果だ。俺が行ったときに髪掴んでた先島・・?とかってやつが20年、他の3人の男が9~12年だった。あと、その場にいた女は、綾乃を助けたとかで無罪になっちまった。裁判の結果はこんな感じかな。」

「・・・」

義妹は上掛け越しからでも分かるほど震え、明らかにおびえていた。完全にトラウマになっているのが一目で分かる、そんな状態だった。

「綾乃・・・・やっぱ怖いよな。あんだけ痛い事されてたらな。だからこそ俺に何かできることはないかなって。綾乃が少しでも楽になるなら、少しでも安心できるなら何でもするからさ。何でも言ってくれ。あと、もう絶対怖い思いはさせないからな。」

戦は上掛けから鼻から上の部分しか出していない綾乃の目を見て言った。

「・・・話すときに頭撫でながら話してくれる?」

綾乃はガタガタと震えながら、しかし僅かに見える耳まで真っ赤に染めながらそうつぶやいた。その眼は戦をじっと見つめ、逃さなかった。

そして、綾乃はいきなりベットを背もたれにして、起き上がると戦のほうに向かってお辞儀のような体勢になった。

「えっ・・・・・・えっと・・・・・・」

戦があまりの急展開に狼狽えていると

「・・・・何でもしてくれるんでしょ?・・・・・・・早く・・・・」

と、綾乃は顔を真っ赤にし、決して目線を合わせようとせずに言った。

「・・・・・わかった・・・・・で、では・・・失礼します・・・」

戦は、綾乃のこっちに向けられている頭に手を伸ばした。

なでなで・・・さわさわ・・・

綾乃の頭をなでているとなぜかあったかいというか、少しほっこりしたような気分になって、目の前の綾乃が義妹ながらかわいく見えてきてしまっていた

「・・・・・っ。」

戦は頭に浮かぶ煩悩をかき消しながらずっと撫でていた。


なんで何もしてこないでこっちを見ているのだろう・・・・・・そんなに私って変なのかな。そんなに見るくらい惨めな見た目になっているのかな・・・

綾乃は『義兄と思われる人物』が扉の前で、ずっと見てくるのが不思議だった。怖かった。不安だった。なぜだろう、思い当たる節はないのに。ほとんど動くこともなくじっとこちらのほうを見ていたのだ。しかも10分以上も。

綾乃はあまりにも不自然な『義兄と思われる人物』に向かって声を掛けようとした。何をしているんですか。と、しかし、声は出ない。なぜか出ない。出そうと思ってもまるで声の出し方を忘れたかのように声を出すことができなかった。

その瞬間・・・・・その人物はこちらへ向かってきた。何も言わずに。向かってきて初めて確信した。お兄ちゃんだと。そして、また声が出なかった。単純にありがとうを伝えたいだけなのに。些細なことでも今は、その気持ちを伝えたいのに。その手段が分からない。どうしたらいいのかも、どうしたら伝えられるようになるのかも。


義兄の話を聞きながら、綾乃はまるでフラッシュバックのごとく襲い掛かってくる恐怖におびえていた。先島・・・私の地獄のような経験をさせたやつの名前が出た瞬間からずっと。

今でもほんのさっきの事のように思い浮かぶ。怖い、痛い、つらい。負の感情以外何も持てない希望のない世界でただひたすらに兄の助けを信じていたあの時を。

もう解放されているのに。もう安全なのにまだ震える。まだ、心の中だけが地獄でとらわれ続けているかのように。

『もう絶対怖い思いなんてさせないからな』

「・・・!」

なんの根拠もない、できるかもわからない身勝手な宣言のはずなのに綾乃にとっては悪夢から目覚める言葉だった。たった言葉一つなのに。ただの戯言かもしれないのに。なんでこんなにもあったかい気持ちになって、まるで羊水の中にいるかのごとくの安心感に包まれ、体が火照って、心臓が高鳴っているのだろう。

それより、何でお兄ちゃんはこんな身勝手で、愛想もなくて、陰気臭い奴に気を使うのだろう。そんな言葉をそんな優しく、決意に満ちた声で言うのだろう。

顔が火照っているのが自分ですらも分かった。

こんな自分でも・・・・・少しだけ、少しだけだから許して・・・・・・

お兄ちゃんの手が頭に触れる。

「・・・んっ!」

照れくさい。でも、安心する、これまでの危険からの解放とは違う、心地の良い安心感に包まれるような感覚だった。それと、何故かむずむずするような、何とも言えない未体験の感覚が綾乃に襲い掛かっていたのであった。


綾乃の様子が変だ。こんな綾乃は見たことがないし色々とまずい気がする。頭に触れた瞬間なぜかこれまで聞いたことのないような、少し色っぽい声を発しているのだ。しかも、口元に手をあて悶えるように体をわずかにくねらせている。

やめろよ、綾乃・・・俺まで変な気になっちまうじゃないか・・・

「綾乃、しんどかったら言ってくれよ?」

綾乃は首を横に振っている。

「お、おぅ。二つ目に伝えたいことなんだが・・・白馬と京極は大丈夫そうだったことと学校に連絡したら特別措置で卒業させてくれるらしいってことだ。」

「ん・・・・・!」

綾乃がなんか疲れた感じで体重をかけてきた。

「お前本当に大丈夫かよ。つらいなら横になっとけ。時間になるまでここにいるからさ。」

綾乃が回復しきれていない中で無茶させすぎたかな・・・・

「大丈夫。お兄ちゃんが支えてくれてるから。あと・・・今は離れちゃ嫌。」

顔を真っ赤にしてうつむいている綾乃がそうつぶやいた。

「お、おう・・・・・なんか、最後の方聞き取れんかったんだが、なんて言ったんだ?」

「なんもない。続けて。」

「ん。これで最後なんだが・・・一昨日、時子さんに会ってきた。」

「・・・・!!!それは・・・・・・・じゃぁ何でお兄ちゃんはここにいるの・・・?まさか・・・!」

「そういうことだ。俺はお前を守ることに決めたんだよ。お前と一緒にいることを選んだんだよ。お前が今回、やられたのは俺が気付けなかったこともあるからな。もっと早くお前の異変に気づけなきゃいけなかった。前回、会いに来た後ずっと考えてた。どうやったら防げたかなって。もっとお前と話し合って、もっと理解しようと試みて、もっと互いに知って信頼できるような関係になればお前が抱えていた不満も苦しみも、感情も理解できたんじゃないかなって。だから、俺も覚悟を決めたんだよ。この現実から逃げて、無責任にお前を捨てた母さんについていくんじゃなくて俺はお前を守るってな。」

「・・・なんで・・・!私みたいな・・・どうして身勝手で手間かかって、暴力をふるうようなやつをそんなに心配するのよ!義兄ちゃんにとって、私はただただ邪魔なだけなのに・・・散々酷いことしてきたし、恨まれるようなことしかしてないんだよ?私なんてほっといて生きていけばいいのに!どうして・・・!どうして・・・!」

叫ぶ綾乃の目から涙がこぼれていた。

「それはな・・・・どんなに酷いことをされようが兄ちゃんは兄ちゃんなんだよ。義兄としてお前を受け入れている以上は、義妹のお前を面倒を見る責任がある。あと、俺はあんな奴と一緒になんぞ居たくない。生きていたくなんてない。自分の子供をいともたやすく捨てられるような奴の所にいるぐらいなら、幾ら苦しくったって、幾らしんどくったって一緒に乗り越えていく家族と暮らしたほうが数段マシだ。あと・・・・・・・・なんかさ、最近っつーか、前回会いに来た時ぐらいからさ・・・・・ちょっと、お前のことがさ・・・・・なんかね・・・まぁ、こんなだっけってなってるんだわ。ははは・・・・・・」

最後のはドン引き間違いなしだろうな・・・まぁ、最後のも含めて、本心だし嘘はつきたくないからな・・・・・しょうがないか。


「んっ・・・・んっ・・・」

・・・・・なんでだろう。やっぱりおかしい。お兄ちゃんに頭を撫でられているだけなのに。たったそれだけなのに。この、むずむずした感覚が抑えられなくなってきて・・・・なんか、勝手に声が出て・・・・・体が熱くなって・・・・・頭がぼーっとしてきちゃう・・・・・

お兄ちゃん・・・・・!

「・・・んっ!」

力が入らない。体が重くなって、うまく力を入れられない・・・声もなんか、我慢ができなくなって・・・・・変な声出しちゃって・・・恥ずかしいけど・・・・なんなんだろうこの感覚は・・・・・気持ちいいような・・・

私、このままでいいのかなぁ・・・なんか恥ずかしくて、だけど、どうしても離れたくなっくて、一緒にいてほしくて、常に触れていたい・・・・

今だけは。この瞬間だけは許してほしいな・・・・・

その直後だった。

『時子さんに会ってきたんだ』

「!!!!」

お兄ちゃんは何言ってるんだろう。何を考えているのだろう・・・?うそでしょ!?

「なんでここにいるの?」

うそだ、絶対。そんなのありえない。まさか・・・・まさか・・・

『お前と一緒にいることを選んだんだよ。』

理解が追い付かない。わけがわからない。お兄ちゃんには損得勘定という言葉が備わっていないのだろうか。絶対にお母さんについて行った方がいいのに。なんで・・・私がお兄ちゃんを間違った方向に誘ってしまったのだろうか。正義感が強かったから、私みたいなクズでも置いていけなかったんだ。私が悪いんだ。私がお兄ちゃんをいばらの道に引き込んでいるんだ・・・!

自然と言葉が出る。自分が思っていたことが、これまでお兄ちゃんに会うたびに思っていたことが、お兄ちゃんが私の所に来た時の感情が、次から次へとあふれ出てくる。感情がとまらない。お兄ちゃんが困惑してるのも分かっているけど止まらない。ごめんなさい。本当にごめんなさい。私が・・・!

『こんなだっけってね』

・・・・?お兄ちゃんは何を言っているのだろうか。何を言おうとしているのだろうか。顔を赤らめて・・・・こんな義妹に対して。こんな酷いことをして、傷つけて、傍若無人にふるまってきた私に対してなのにもかかわらず。そんな・・・!そんな・・・!!

そんな態度とったら期待しちゃうじゃん・・・・・

わかってる。『兄として』言っているのは分かってはいるけどそれでも

「勘違いしちゃうじゃん」


あれ・・・?なんか妹がしおらしい。こんなの言ったらドン引きされてもおかしくないのに。前だったら、速攻で飛び蹴りか、こぶしが飛んできて、ゴミのような、虫けらを見るような目線で見下されて『最低。』『死ね。』とでも言われかねないような、そんな大暴言なのに・・・綾乃はただただ下を向き耳を真っ赤に染めているだけ・・・・

「・・・・・・」

「・・・・・・」

たった二人しかいない、逃げ場のない病室に、二人の義兄妹の間に、へんな空気が流れる。雰囲気も居心地も悪いのに、お互いに照れくさくて、なんとなく顔を見ることができないような、甘すぎる『変な』空気が流れる。

「と、とりあえずそんなもんだ。あと、なんか俺に聞いておきたいことはあるか?」

戦はさすがに、この空気に待機れずにそういった。

「次はいつ来るの?」

綾乃も耐えきれなくなったのか、ベットに顔の上半分以外布団に隠れているスタイルに戻って言った。

「来週かな。色々事後処理しなくちゃだからな。」

「が、頑張ってね・・・」

綾乃は、少ししゅん・・・とした感じで言った。

「お、おぅ。頑張ってくるわ」

なんか・・・・・生気が戻ったこいつ・・・可愛いな・・・

トントン。

「あの~、いい雰囲気の中申し訳ないのですが~・・・お時間になりましたので・・・・」

看護師が明らかにばつが悪そうに、小さな声で言っていた。扉を少し開けて、こっちの部屋をできるだけ、覗かないようにしてくれている配慮が痛い。戦にとってその配慮は結構、きついものがあった。

「綾乃、じゃあな。兄ちゃん頑張ってくるから」

戦は、そう作った明るい声で言うと、病室を出た。


「あ、あの・・・すいません・・兄妹のいい感じの雰囲気を壊してしまって・・・」

若い看護師は下を向いて本当に申し訳なさそうに言った。

「い、いえ・・・・時間なんで・・・雰囲気は俺も結構きつかったんで・・・・」

どうしよ、思い出しただけで、顔が熱いんだけど・・・・・・

「ただ、私としては応援していま・・・うわっ!」

その看護師は、戦のほうに向きなおって言った、と思ったら、備品の入っていると思われる段ボールに躓いてしまったのだ。

「うお!?よっ・・・・・と」

戦はとっさに看護師の腹部に手をまわして、転んでしまうところをナイスキャッチした・・・ように思えたが

「あ・・・・あの・・・・・・えっと・・・・手を・・・・」

「あ・・・あ!!!すいません!!!あのー、これはあのぉ・・・・・わざとではないというか・・・・・・」

戦は、転びそうになっていた看護師の腹部から背に手をまわして、起き上がらせると焦りながら、頭を下げた。

「いや・・・大丈夫ですよ、転んじゃってご迷惑を・・・・」

「あの・・・すいませんでした・・・・怪我さえしてなければ・・・・・」

戦と看護師の間に微妙な『間』が流れる。いてもたってもいられないというか、何とも居心地の悪い雰囲気になってしまった。

「・・・」

「・・・」

二人は少しだけ間を多めに開けて、病院の廊下を歩いて行った。


愛花は、準備をしていた。というよりも、仕事に復帰していた。いつものように荷解きをして、荷物を仕分けて、運ぶ。その単調な毎日だった。ただ、これしかない。あの子のそばにいて、わずかな希望を掴むチャンスを見出すには今は耐えるしかない。周りの大人にさんざん裏切られて、信じられなくなっても、今は仮面をかぶって従順な看護師を演じるほかなかった。

それにしても、あの人は私のことを覚えていないのだろうか。名前だけでも気づくはずなのに。この名前を見て思い出せないのだろうか。そうでなかったら私を、この立場、この仕事に任せるようにしないはずだ。『一番信頼されているから』『一番実情を知っているだろうから』そんな理由しかないのか。もっとほかの、もっと重大な理由があるのではないのだろうか。名前も覚えてもらえずに、ぼろ雑巾のように、使い捨てされたのか。

愛花は、いつものように精神病棟の部屋にたどり着いた。そして、いつものように患者衣を回収して・・・・・

「は・・・・・?」

なぜだ。なぜなんだ。なぜあの子が、私以外の女と歩いているのだろうか。私が指名された唯一の存在のはずなのに。私の希望なのに。私にとって最後の生きる理由なのに。それすらも奪い取ろうとしているのか。

愛花は、自然と追いかけていった。決して見つからないように。決して物音を立てずに尾行をして・・・・

「・・・!」

あの子が女を抱えている。しかも至近距離で。あんなところに手まで回して。何があったかわからない。あの子を、純情なあの子をそんな姑息な手段で誘おうとしているのか。しかも白昼堂々と。許せない。私の最後の希望を奪おうなんて。

やっと、手を離した。しかし・・・・・あの甘い雰囲気は看過できない。私のものになってしいわけではない。私が独占したいという欲求があるわけではない。ただ・・・・・あの雰囲気とあの行動は看過できない。どうしても。どうしても。

「チッ・・・・・」

愛花はらしくない舌打ちをすると、仕事に戻って行った。

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