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将棋AIの呪縛

作者: 藤井 了

     将棋AIの呪縛

 

佐藤亮介は将棋五段のプロ棋士で、プロデビュー五年目で今年で26才となる若い棋士の一人である。毎年そこそこの成績は収めているものの、まだ最下位のクラスであるC級2組を抜け出せていない。彼の同期の中には、つい先日もタイトル戦の挑戦者決定戦まで駒を進めた者が出たが、佐藤にはこれまで目立った大きな活躍と言うものはない。

風貌も中肉中背で、きちんとした短髪の風体は、真面目な会社員のような雰囲気がある。物腰も柔らかくどちらかと言えば控えめな性格は、とても勝負の世界に生きる勝負師というタイプではない。

率直に言って若手の中でもあまり目立つ存在ではなかったが、そんな佐藤が、最近ある面で注目を集めてきた。

それは、将棋AIへの造詣の深さである。

近年の将棋AIの能力の向上はすさまじいものがあり、現代ではどの棋士も将棋AIを研究に活用している。自宅のパソコンに将棋AIを入れて、様々な局面を研究したり、AIと練習将棋を指す事は当たり前である。

しかし、佐藤の場合はその徹底ぶりが半端ではなかった。自宅には四~五台のパソコンを置き、それぞれに別々の将棋AIをインストールし、一つの局面を複数のAIで研究したり、AI同士を戦わせ、その差し手を勉強したりしていた。

プロ棋士の勉強法も、時代とともに変わってきた。

昭和の時代の棋士は皆「勝負師」を自認しており、勉強も一人で行うのが当たり前であった。

自分一人で自分の頭だけで必死に考える事が、棋力を向上させる唯一の道と信じられており、また、自分の研究内容はいわば企業秘密であって、他の棋士に漏らすことも決してなかった。

同僚の棋士たちはすべて勝負を争う敵であって、敵と一緒に勉強するなど全く考えられない時代であった。

ところが、平成の時代に入ると、若手の間では、「研究会」と称して何人かのグループで集まって勉強する事が一般的になっていった。研究会で練習将棋を指し、自分の研究内容をぶつけ合う事で、棋力の向上を目指すのであった。

事実、研究会が一般的になってから、将棋の進歩のスビートが増していった。次々と新しい戦法が編み出され、また、その新しい戦法もあっという間に解明されてしまうという現象が、当たり前のようになった。

ネットなどの通信手段の進歩も伴って棋士間の情報の共有も進み、この情報共有の枠から外れた者は、それだけでハンデを背負っているような状況となった。若手棋士を中心とした最新の研究内容を知らないベテラン棋士が、現実の対局において作戦負けをして、簡単に負けてしまうという事が頻繁に起こった。

そんな研究会全盛の時代であったが、佐藤はある時から、研究会への参加を止めて、もっぱら自宅で将棋AI相手に研究する事に没頭しだした。

元々、佐藤はある意味凝り性な性格であったが、それ以上に「将棋の歴史に残る独創的な指手や戦法を編み出したい」言う思いを強く持ち始めていた。プロ棋士である以上、日々の対局に勝ちたいと思うのは当然であるが、一方で、まだデビュー5年ではあるものの、将来自分がタイトルをとるようなトップ棋士には成れそうもない事も感じて出していた。そんな中で、せめて将棋の歴史に残る独創的な指手や戦法を編み出して、将棋の歴史に名前を残したいという思いが心の奥で段々と大きくなっていたのだった。

研究会で皆と意見交換して新たな手、新たな戦法を見出しても、それでは自分で編み出したとう実感がないし、自分がその戦法の創始者として評価されることもない。その実感を味わい、創始者として名前を残すためには、自分一人で研究をする必要があり、そんな佐藤にとって、今までの人間が思いもつかなかったような指し手を見てせくれる将棋AIは、格好の研究相手であったのだ。

佐藤は周囲に公言した。

「これからの時代は、もう人間同士の研究などしなくても、十分将棋が強くなれます。」 

しかしこの頃は、周囲の棋士も佐藤の発言を半信半疑で聞いているだけだった。


将棋AIは、近年爆発的にその実力を上げてきた。

十数年前、チェスの世界チャンピョンがAIに敗れるという事件が起きたが、その時は将棋AIが人間を破るのは難しいと考えられていた。チェスと異なり、将棋には取った駒を再利用できるという特質があり、想定される局面の数も膨大となるので、簡単にはAIでも解析できないだろうと言われていた。事実、その当時の将棋AIの実力はまだ初段程度で、プロ棋士から見れば子供相手のようなものであった。

AIの最大の強みは、膨大な局面を短時間で読める演算能力の高さであり、この能力を駆使してあらゆる局面をしらみつぶしに読むことができる。

たとえば、ある局面で次に一手進めた局面を考えると、論理的には、その局面で指すことのできるすべての手の数になる。極めて単純に言うと、将棋の駒は各々二十個あり、その各々の駒についても、次に動かせる手は平均で五通りくらいはある。これだけで、次の一手を進めた局面は、百通りあることとなる。もちろん、この中で正解と思われる指手は数手しかないのであるが、理論的には百通りの次の局面が存在することになる。次に一手進めるとさらに百通りとなり、仮に数十手先の局面を考えると、理論的には膨大な局面があり得ることになる。とても人間の能力で読める数ではない。

しかし、近年のコンピューターの演算能力の向上により、将棋AIはすべての局面を短時間でしらみつぶしに読むことができるのできるようになった。

一方、プロ棋士も相当の手数を先まで読むことはできるが、人間である以上その体力、スピードには物理的限界があり、すべての手をしらみつぶしに読むことはできない。

そこで、プロ棋士が取っている思考方法は、理論的には膨大な数のある次の局面から瞬時に正解と思われる二~三局面に絞り込み、この二~三局面についてのみ、その何十手先まで読み進めて次の一手を決めるという方法である。

そして、この「瞬時に正解と思われる二~三局面に絞り込む」という直観力と呼んでもよい能力こそ、プロ棋士の神髄であった。天性の才能に加え、長年にわたる勉強、経験の中で培われていくものであり、これこそ将棋AIには獲得できない、「人間固有の能力」と思われてきた。

佐藤は、近年の将棋AIの進歩のスビートから見れば、人間が将棋AIに勝てなくなるのは時間の問題だと感じていた。

「しらみつぶし」は「直感」に比べて漏れや間違いが少なく、人間には体力の限界があるが、将棋AIに疲れはない。また、人間は精神的に動揺したりするが、将棋AIにはそんな事もないからである。

だが佐藤は、この「体力の差」で負けたとしても、それは決して「将棋AIが人間を超えている」という事とは別であると信じていた。

佐藤がそう信じたのには、一つの根拠があった。

将棋AIは人間に比べれば、膨大な数の局面を短時間で読むことはできたが、とは言うもののそこにはやはり物理的限界はある。「可能性のある局面をしらみつぶしにすべて読む」となると、膨大な量の手数を詠む必要があり、それはコンピューターの性能の限界を超えるのである。

そこで、将棋AIといえども、ある程度「次の局面を絞り込む」必要があった。程度の差こそあれ、その点は人間と同じだったのだ。

しかし、将棋AIには「直観力」というような神秘的な能力はない。そこで、将棋AIの開発者の取った手法は、過去の人間の対局データをインプットし、これを参考にして局面を絞り込むと言う手法であった。

よくよく考えると、実は人間も同じことを行ってきていた。今での棋士の勉強法の柱は、他人の指した将棋の棋譜を並べて勉強することであるが、これなど将棋AIが過去の対局データをインプットするのと同じである。他人の棋譜を勉強し、それが頭の片隅に残っていくことで「直観力」が鍛えられるのである。

ただ、人間と将棋AIが異なるのは、人間が記憶できるデータの量はほんのわずかであるのに対し、将棋AIは過去の膨大な対局データをすべてインプットできる事であり、ここにも「体力の差」は存在した。

しかし、あくまで「人間が指したデータ」が基礎となっていることは事実であった。

「今後もっと強い将棋AIが出てきて、現実には人間が全く勝てなくなったとしても、その基礎には依然として「人間の指したデータ」という人間の叡智が横たわっている。」

佐藤にAI開発に関する専門的な知識はなかったが、「人間の指したデータ」がその基礎となっている以上、本質的な部分では将棋AIは人間を超えることはないと思っていたのだった。


佐藤は将棋AI相手の研究にのめり込んだ。過去何万局というデータベースがインプットされているとすれば、考えようによっては一度に何万人の英知の結集と研究しているようなものである。AI相手なら、場所も時間も選ばないし、相手の都合を気にする必要もない。佐藤にとって、これほど理想的な研究相手はなかった。

また、内容においても、将棋AIには人間相手の研究より分かりやすい点があった。各局面の形勢判断を数値で示してくれるのである。

将棋の研究で難しい所は、その指し手の評価である。もちろん、プロ棋士である以上、一定の読みの下で、その指し手が良い手か、悪い手か判断はできるのであるが、特にまだ局面が流動的な序盤や中盤では、その判断も多分に感覚的なところがある。

ところが、将棋AIは、その判断を数値と言う目に見える指標で示してくれるのである。

たとえば、ある局面の形勢判断が五十対五十だったところで、一手指したら形勢判断が二十対八十になったとしたら、その指し手は形勢を大きく損ねた「相当に悪い手」である事が分かるのである。

人間同士の研究においても、対局後にお互いが指し手を振り返える「感想戦」と言われるものがある。感想戦においては、お互いがその時点での読み筋を披露しあいながら、「この時点ではこちらが少し不利だと思っていた。」等の形勢判断を述べるのだが、勝者は敗者に気を使って少し自分の方を控えめに発言するのが普通だし、次回また同じ相手と対戦する事も考えて、本当の読み筋を明かさない事も多い。

ところが、将棋AIはそんな事は全く考えず、その時点での形成判断を常に明解に示してくれるのである。

また、AIはその局面での最善手だけでなく、次候補、次々候補の手も示し、各々に対して数値で評価を示してくれる。

佐藤から見れば、研究相手としては将棋AIは人間より格段に優れていた。 

ただ、佐藤にも一つの不安はあった。

「将棋AIとの研究で、本当に現実の対局に勝てるのか」という事である。

AIの判断する最善手とは、その後の10手、20手を最善手で指し続けて初めて成立するもので、もし何手か先で最善手でない手を指すと、当初の局面で最善手と判断された手が逆に悪手、敗着ととなってしまう事が多い。

AIの判断基準は、「生身の人間」ではなく「神」を前提としているのである。

そんなAIの判断した最善手をいくら研究しても、現実の対局で指し続けて勝つことは難しい。事実、AIの最善手の多くについて、自分の実力では指しこなせないと佐藤は感じていた。

佐藤は思い悩んだが、そのうちある発想を思いついた。

「相手方も神ではなく人間である以上、AIの最善手を指してくる可能性は少なく、むしろ次候補、次々候補の手を指す可能性の方が高いのできないか。もしそうてあれば、自分が指しこなせそうな次候補、次々候補の手を深く研究することで、実戦に勝つことができるのでないか」

佐藤は、食事と風呂の時間以外は、5台のパソコンを駆使して一日中将棋AIと戦い、新手と思われる次候補、次々候補の手を探し続けた。その中で、自分が指しこなせると直感した手について、その後の展開も含めて詳細に研究していった。

そして、遂に実際の対局で、あらかじめ研究していた局面に誘導し、研究した新手を試してみたのだった。

見た事もない新手を指された相手は、当然のことながら長考に沈んだ。相手の次の手を待っている間、佐藤は少しドキドキした。その手は最善手ではないので、もし相手がその後の展開をAIのように正確に読み切れば、逆に敗着となってしまう恐れもあるのだ。

ところが、長考の末相手が指した手は、佐藤が想定した範囲内の手であり、その後も研究通りに進み、佐藤はその局を首尾よく勝つことができた。

佐藤は手ごたえを感じた。

その後、佐藤の成績はどんどん向上し、今まで5割前後だつた勝率も7割近くまでになった。

さらに、タイトル戦の挑戦者決定リーグにも初めて入った。今まで地味な存在だった佐藤にとって、デビュー以来初めての大活躍であった。

「自分は誰よりも将棋AIをうまく使いこなすことができる」

佐藤は、心の中でそう自負するようになった。

そして、この頃から、棋士仲間からも「将棋AIの神様」と呼ばれるようになった。

 

 将棋AIの棋力が向上してくると、プロ棋士と将棋AIとの対戦が企画されるようになった。

 これに対して、ベテランの棋士たちを中心に疑問の声が挙がった。

「一秒間に何万手も読める将棋AIと人間が対戦してん何の意味があるのか。」

「我々棋士は、人間同士の勝負を見せるのが本分である。」

 一方、若手の棋士の中からは肯定的な意見もあった。

「将棋はゲームなのだから、相手が人間だろうと将棋AIだろうと区別する必要はない。」

「将棋AIとうまく共存していく事により、将棋が発展していくのではないか。」

 双方の意見とも尤もではあったが、将棋ファンからの「人間と将棋AIのどちらが強いのか。」という素朴な疑問には応える必要があった。

 そこで、遂に将棋AIとプロ棋士との対戦が始められることとなった。

 最初は、段位も低い若手棋士が対戦に出場した。プロ棋士側も既に将棋AIが相当の実力をつけている事を認めており、万一竜王、名人といったタイトルホルダーが出場して敗れると、将棋界全体の面子がつぶれるという配慮が働いていた。

 その後も何度か将棋AIとの対戦企画が開催されたが、プロ棋士側はほとんど勝てなかった。 

 実際、昨年のプロ棋士と将棋AIとの対抗戦でも、五戦してプロ棋士側は一勝しか挙げられなかった。また、その一勝も、事前に研究して発見していた将棋AIのプログラムミスを突いて勝ったもので、内容的に将棋AIに勝ったと言えるものではなかった。

この頃になると、誰の目にも、もう人間は将棋AIには勝てないと写っていた。

そして、遂に大原名人と将棋AIとの対戦が決定したのだった。

 現役のタイトルホルダーであり、最高位の一つである名人がもし将棋AIに敗れれば、プロ棋士側の面目が丸つぶれになる。周囲には不安を漏らす者が多かったが、大原名人は将棋AIとの対戦に踏み切った。

佐藤は、「人間と将棋AIのどちらが強いか」という問題に大原名人が最終決着をつけようとしていると思った。そして、「大原名人は、もう人間は将棋AIには勝てないと悟っているのではないか。」とも感じていた。

結果は、佐藤の予想通り二戦して大原名人の二連敗だった。

一局目は、序盤は大原名人が作戦勝ちして優勢に立ったが、中盤に失着が出て逆転負けした。人間同士の対戦であれば、局面が二転三転する事はざらにあるが、将棋AIは一旦優位に立つと、その後は絶対に間違わない。人間が勝つには最初から最後まで完璧に指すことが求められるが、大原名人と言えども、やはりミスが出てしまったのだった。

二局目は、序盤から将棋AIに作戦負けして、一方的に押し切られた。大原名人の完敗であった。

佐藤には、対局終了後の大原名人の淡々とした姿が印象的であった。

その後将棋連盟から、「今回の企画をもってプロ棋士と将棋AIとの対戦は終了する」との発表がなされた。「人間と将棋AIのどちらが強いか」という問題に、最終決着がついたのだった。

佐藤はこの結果は予想していたとは言え、大原名人が完敗した事実を前に新たな脅威を感じ始めていた。

「このまま将棋AIが進化すれば、もはや人間同士の対局などにファンは興味を示さなくなるのではないか。」

 もし、量子コンピューターなど現在のコンピューターより遥かに性能の優れたコンピューターが出現したら、将来AIが将棋を全解析してしまう可能性もあるであろう。そうなれば、もはや将棋と言うゲームに人間は興味を失うであろう。すべてを解明できないからこそ、そこに面白さや興味が存在するのである。

 大原名人が完敗した事実は、佐藤にも、そして他の多くの棋士たちも、自分たちの存在意義は何かという問題を突きつけていた。

 そんな折、将棋AIに関する将棋雑誌の対談が企画された。対談には、棋界の第一人者であるT三冠と、将棋AIに詳しいとの理由で佐藤が呼ばれた。

 今回の結果についてT三冠がコメントを求められた。

「今回の大原名人戦を見ると、序盤は人間側が結構有利に差し進められますが、どこかで一旦悪手や緩手が出て形勢を逆転されると、そのまま将棋AI側に押し切られてしまうように思います。人間同士であれば、相手もミスしてくれるので再逆転することも結構あるのですが、将棋AIにはそれがありません。従って、人間側が勝つには、最初から最後まで完璧に指す必要がありますが、生身の人間にはこれは容易な事ではありません。現実の対局では、人間が将棋AIに勝つことは難しくなったと思います。」

 佐藤は、次のようにコメントした。

「今回の勝負の結果は、自分には相当前から分かっていました。私もT三冠と同様に、現実の対局では、もう人間は将棋AIに勝てないと思います。ただ、これは将棋AIの体力の前に人間が敗れたのであり、必ずしも人間が将棋AIに劣っているという事ではないと考えています。」

 司会者は、T三冠に尋ねた。

「今ほど、佐藤さんは「必ずしも人間が将棋AIに劣っている事を意味しない。」と言われましたが、T三冠はどう思われますか。」

「私も、現実の対局での勝敗と将棋の本質的な部分は、別の問題だと考えています。ただ、本質的な部分においては、人間と将棋AIのどちらが強いのかと問うのはあまり意味がないように思います。人間が得意な思考回路と将棋AIが得意な思考回路は異なるので、人間の方が優れている部分もあれば、将棋AIの方が優れている部分もあるというのが、現実ではないかと思います。」

 記者は最後に次のような質問を発した。

「今回の結果を受けて、もう人間同士の対局の意味がなくなるのではないかという懸念も出ていますが、この点についてはどうお考えですか。」

 T三冠は答えた。

「私はその点については、そんなに心配はしていません。我々人間にとっては将棋は分からない事だらけですし、将棋AIといえどもまだ未知の部分は沢山あると思います。もちろん、将棋AIが将棋を全部解析してしまって「百パーセント先手の勝ち」というような結論が出れば別でしょうが、そんな事はすぐには考えられません。むしろ、将棋AIが今まで人間が気づかなかった新手を見てせくれる事で、将棋が進歩していく事に期待しています。チェスだって、AIに全解析された後もいまだに世界中の多くの人が指しています。いくら将棋AIが強くなっても、人間同士で勝負したいという欲求は不滅のものだと思います。」 

 佐藤は次のようにコメントした。

「T三冠が言われた通り、将棋AIをうまく使う事によって人間の将棋の内容も進歩していくという事はその通りだと思います。現実に私も長い間将棋AIを使って研究しており、将棋AIおかげでここまで強くなれたと感じています。ただし、将棋AIがここまで強くなってしまうと、私は将棋AIの存在にそれほど楽観的になれません。「現実の対局に勝つ」という部分だけに重きが置かれてしまうと、将棋AIを模倣するのが一番であるという事になりかねません。そこには人間同士の対局の意義を否定するような危険が潜んでいると思います。そろそろ、将棋AIの使用について、何らかの制限を検討していく時期に来ていると思います。」

 将棋AIを誰よりも積極的に使って研究に取り入れてきた佐藤が、このような発言をしたことは、他のプロ棋士にも衝撃を与えた。


その年の秋、将棋界を揺るがす大事件が発生した。

F九段が、「対局中に将棋AIを閲覧して将棋を指している」という疑惑が持ち上がったのである。

 複数の対戦相手から、「F九段は対局中離席する時間が長い。そして、長時間離席した後に、鋭い手を指してくる。離席中に将棋AIで指手を見ている気がする。」との申立てがなされたのだった。

実は、このような可能性は従来から指摘されていた。将棋の対局は時間が長く、時には午前九時から午後十二時までに及ぶこともある。当然、トイレや頭の休憩のために席を外すことは多い。また、この事件が起こる以前は、昼食、夕食の時間は外出も自由であった。

従って、そのような時間に、スマートフォン等の機器で将棋AIを見ようと思えば、いくらでも可能であった。将棋AIの棋力が弱かった時代は誰も問題にしなかったが、その棋力が名人を破るまでになると、棋士の方も神経質になっていた。

申立てを受けた将棋連盟では、白黒の決着をつけるには詳細な調査が必要で、結論を出すには相当の時間が必要と判断し、調査終了までの期間、F九段を出場停止処分とした。その後、F九段の自宅のパソコンやスマートフォンの通話履歴などが調べられ、最終的にはF九段の身の潔白が証明されて決着したのたが、この一連の経過を見て、佐藤は不思議な感覚を持った。

 F九段の疑惑の中心は、「対局中に将棋AIを参照し、将棋AIが示した手を指した」という事実があったが、佐藤はこの説明を聞いて、自分が行っていることと大差はないのではないかと感じた。

 佐藤は自宅で将棋AIと数多く対戦し、ある局面でAIが指したうまい手を記憶していった。そして、現実の対局で同じ局面が現れると、その記憶をたどって将棋AIの手を指していた。

 今回の疑惑と佐藤のやっていることの差は、単に、「対局の現場で将棋AIを見て指した」のか、「事前に自宅で将棋AIを見て記憶して指した」のかに過ぎないように思われた。もちろん、対局中に将棋AIを見ることが厳禁であることは当たり前だが、それならば、自分のやっていることも本来禁止されるべきではないかとさえ思えた。

 そして、次のような途方もない想像が佐藤の頭をよぎった。

 「今後増々将棋AIが強くなれば、実際の対局とは、単に「記憶をたどって将棋AIの指手を再現する場」になってしまうのではないか。自分は将棋AIの指し手を記憶して再現するただのマシンになってしまうのではないか。」

 これは、自分自身の破壊であり、そこには将棋を指す楽しみや充実感などどこにも存在しない思った。

 現実にも、最近の佐藤は、将棋に対して楽しさや充実感を感じられなくなっていた。

 対局中も将棋AIの画面が頭の中を飛び交い、読みに集中できない。AIの指した手順を必死に思い出そうとするのだが、いろいろな記憶が交錯して考えがまとまらない。AIが指した手順ではなく、自分の頭で考えねばと思えば思う程頭はパニックとなり、最後は時間に追われて悪手を指してしまう。

 勝率も5割を大きく割り込み、もはや将棋を指すことが苦痛となっていた。

 佐藤自身も、さすがにこれはまずい、もう将棋AIとの関係を断ち切った方が良いと感じ出していた。

 しかし、将棋AIの画面を見ていないと不安で堪らず、どうしてもパソコンのスイッチを入れてしまう。まるで、止めようと思っても止められない麻薬の中毒患者と同じであった。 


 翌年、今度は囲碁界に大きな衝撃が走った。

 中国の習九段が囲碁AIに敗れたとのニュースだった。習九段は国際棋戦で何度も優勝し、世界最強と言われている棋士だった。

 その囲碁AIは世界最新鋭のスーパーコンピューターに搭載されており、佐藤が自宅で使っているようなパソコンの性能とは比べ物にならない差があったが、それでも習九段を破るとは、驚愕の一言だった。

 かつてチェスの世界チャンピョンがAIに敗れた時、将棋はルールが複雑なのでAIが勝つのは難しいと言われていたが、囲碁はその比ではなかった。

 将棋盤は、九×九の八十一マスだが、囲碁は十九×十九の三百六十一路もある。しらみつぶしに手を読むとすると、天文学的な局面を読まざるを得ず、全世界のコンピューターを繋いでも不可能と言われていた。

 しかし、その囲碁AIは「自己学習」という画期的な手法で、その壁を乗り越えていった。

「自己学習」とは対局の度にそのデータを蓄積し、AI自身の力で棋力を上げていく仕組みである。従来のAIでも、自己学習機能はある程度備わっていたが、この囲碁AIはそれを徹底したものだった。

 この囲碁AIでは、最初は囲碁のルールだけをインプットし、後は囲碁AI同士を戦わせるだけである。最初のうちは、子供が指しているような稚拙な手を指すが、対局を重ねるうちにだんだん自己学習し、棋力を向上させる。そして、一~二か月もすると、習九段を負かしてしまうくらいの棋力になるのである。

 その進化の鍵は、対局スピードにあった。人間同士が対局すれば、最低でも一局に三十分くらいはかかる。極端な話、一日中寝ずに対局しても、一日五十局弱である。一年で二万局強、一生涯八十年間打ち続けたとしても、ようやく百五十万局弱である。

 ところが、この囲碁AIは驚異的なスピードで対局できる。一ヶ月で五百万局くらいは楽にできるので、驚異的なスピードで棋力を向上できるのである。

 そして、佐藤が最も衝撃を受けたのは、「最初は囲碁のルールだけをインプットする」という部分であった。

 佐藤が「将棋AIは、本質的な部分では人間を超えてはいない」と信じられた根拠は、AIが過去の人間の対局データを記憶し、それを参考にして判断している点にあった。現実の対局ではもう勝てないくらい将棋AIが進化しても、その基礎には過去の対局データ、すなわち「人間の英知」があると理解していた。

 ところが、この囲碁AIは、もう過去の人間の対局データなど不要だった。人間の英知などなくても、独力で英知を作れるのだった。

 また、従来のAIは囲碁や将棋の知識がある者が開発していたが、この囲碁AIの開発者は囲碁に関しては全く無知との事であった。すなわち、今まで人間が築き上げた英知など全く必要とせず、純粋なプログラミングの技術のみで驚異的な棋力を創造したのであった。

 佐藤にとって、これは衝撃だった。「将棋AIは人間を超えていない。」と信じていたその根拠が一気に崩れた気がした。

 もともと、AIが進化していつの日が人間が制御できなくなり、人間がAIに逆に支配されるという話は、近未来の社会の話としてよく語られる。今までの佐藤にとっては、それはSFの世界の話のようで全く実感はなかったが、人間のデータを全く必要としないこの囲碁AIの話を聞いて、初めてそれを実感したのだった。

佐藤にとって、将棋AIはもはや理解不能な怪物だった。かつて、「自分は誰よりも将棋AIをうまく使いこなすことができる」と自負していた頃の自分はもうどこにもなかった。

 この怪物は人間の制御できないところで独り歩きを始め、自分たち人間同士の対局の価値を完全に破壊するだろう。

 そして、この怪物に最初に破壊される最初の棋士が自分のような気がした。

 佐藤は、長年研究で使いこんできた5台のパソコンを、遂に部屋の押し入れに仕舞い込んだ。


 その数週間後、この囲碁AIに関する記事が再び新聞に載った。

 習九段に勝った囲碁AI同士を戦わせた対局の棋譜が公開されたとの記事だった。このAIが自分自身同士を戦わせて自己学習し、驚異的な棋力をつけた事は既に説明されていたが、具体的な棋譜が公開されたのは初めてだった。

 そして、あるプロ棋士がその棋譜について、次のようにコメントしていた。

「棋譜を見て驚きました。我々人間が考える定跡からは全く理解できない手の応酬です。完全に理解不能です。囲碁の神様同士が対局するとこうなるんですかね。」

 具体的には、こういう事だった。

 例えば、ある局面でAIがAという手を打つ。人間が過去から積み上げてきた定跡から見ると、悪手である。次に相手にBという手を打たれると不利になるからである。ところが、相手のAIはBという手を打たず、Cという手を打つ。人間には、なぜBという手を打たなかったのか、全く理解できない。そして、Cという手も人間から見ると悪手に見える。次にDという手を打たれると困るからだ。ところが、AIはDという手を打たず、Eという手を打つ。

このような応酬が延々と繰り返される。まさに、人間にとっては理解不能な人智を超えた世界である。

 だが、実際に人間と対局すれば、このAIは習九段にも勝つのだった。

 この記事を読んで、佐藤は再び不思議な感覚にとらわれた。

 自分も、二台の将棋AIを並べてAI同士を戦わせて研究をしていたが、その時も、しばしば「見たこともない手」が出てきたが、その後の局面の進行を見れば、その手の大体の意味は理解できた。

 ところが、今回の囲碁AIのように人智を大きく超えていたらどうであろう。AIの指す手の意味さえ理解できないレベルとなると、もはや研究相手ともならないだろう。また、その手を人間同士の現実の対局で活用する事もできないであろう。

 ここまで考えて、佐藤はあることに気付いた。

「ひょっとして、自分が将棋AIに恐怖を感じていたのは、将棋AIがまだ人間の理解できるレベルにあるからではないのか。もし、全く理解できないレベルに達したら、逆に恐怖すらも感じなくなるのではないか。」

 確かに、将棋AIについて言えば、近年急速に進化してきたとはいえ、まだ何とか人間の理解できる範囲内にいた。であるからこそ、人間が研究相手として活用し、人間同士の対局でも応用できたのだ。

 しかし、あと数年も経てば、この囲碁AIのように人智を遥かに超えたレベルに到達しているであろう。もしそうなれば、将棋AIは人間の研究相手にもならなくなるであろう。そして、将棋AIと人間の将棋を比較する事すら無意味になっているであろう。

 今佐藤が感じている将棋AIに対する恐怖のような感覚も、AIの棋力が人間の棋力をちょうど超える時期だからこそ起こった一過性の出来事なのだ。

 今後将棋AIの棋力が人智を遥かに超えたレベルに達すれば、逆に再び静けさを取り戻して、人間同士の対局は淡々と続けてられていくであろう。

「人間は、人間の理解できるレベルの範囲で、今後とも将棋を楽しんていくのだ。」

 佐藤は、ようやく将棋AIの呪縛から解放された気がした。


 数日後、佐藤は久しぶりに旧知の棋士に電話して、練習将棋を申し込んだ。

 その棋士は、少し驚きながら言った。

「将棋AIの神様が、人間相手の将棋を申し込んでくるなんて、どんな風の吹き回しなのかねえ。」

 佐藤は答えた。

「将棋AIの神様なんていやしないよ。いや、仮にいたとしても、人間には関係ないんだよ。」































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