序
同調圧力の強い我が国の苛烈な研究環境の中でさえもイナダ・カク君の天才性の芽は奇跡的に摘まれることはなかった。
カク君が最初に言葉を話せるようになったのは5歳のときだ。
母親を
「ばーば」
と呼んだ。
これは明らかに遅い出発である。
ところがカクくんはみるみるうちに次々と言葉を覚え始め、その年のうちに13カ国の言語をマスター。
カク君の知力の伸び方は、ジャックの豆の木さながらとどまることを知らず、その勢いで10歳の時に東大に進学した。
12歳の時に提出された博士論文では、コンピュータ・サイエンスの分野に新たな展開を開いたとされる。
13歳の時に失恋した。
カク君を振った真理ちゃんは、
「だっていつも何言ってるかわかんなかったんだもん!」
とその理由を述べている(彼女はまだ中学一年生なのだ!)。
それとほとんど同時期にカク君は失踪した。
真理ちゃんに振られたのが理由だという説もあるが、その理由は定かではない。
警察が、あらゆる手立てを尽くしても、カクくんを捕まえることはできない。
カク君の恩師である、ジェイムズ・パウンド博士は言った。
「誰も天使を捕まえることはできない」
ところで、カク君の部屋に残された小さなパソコンに残された一つのデータが、意外なことに、最近の将棋界を震撼させているのだという。
失われた伝説の将棋必勝法ーー朧飛車戦法のプログラムが暗号化されてそこにあるというのだから……。