第零話 不幸な男
俺の名前は神谷龍司漫画家を目指している32歳のおっさんだ。一度だけ新人賞を取って以来目立った活躍も出来なかった落ちこぼれだ。
職場は大ヒット漫画を連載中の先生のアシスタントだ。先生の漫画は本当に面白い、才能の塊のような人だ。
先生とも長い付き合いだ、新人賞を審査してくれたのも先生だし、アシスタントに誘ってくれたのも先生だ。
俺は心の中で師匠として敬っている。
「神谷君、背景お願いね」
「はい」
職場での会話は最低限しかしない。週刊連載に追われて暇が無いのだ。
「そうそう神谷君、最近全然休んで無いよね? そろそろ休もうか、うちとしては神谷君が居てくれるとめちゃくちゃ助かるんだけど最近組合の方からチクリと言われちゃってさ」
まっまさかクビ!? 俺何かやったか? いや何もしてないはず・・・
「えっあのクビですか? 俺何かやらかしました?」
恐る恐る現状を確認すべく先生に質問した。
先生は苦笑いをしながら俺の肩を叩いた。先生は無駄に力が強いから地味に痛い。
「違う違う、君に辞められたら僕死んじゃうよ。ちょっと休まないと労働基準的にまずいんだよ。だから2日間休んでリフレッシュして戻って来てね? じゃないと困るからさ」
「はっはあ。そう言う事ならわかりました」
「確か明日、明後日って礼祭でしょ? 友達か恋人でも誘って行ってきなよ。楽しんでおいで」
先生は俺に友達や恋人が居ると思っているが、俺に友達や恋人は居ない。漫画ばかり書いて気付けばこの歳だ・・・。
SNS上に挙げた絵を褒めてくれる人は居る、中には長くやり取りしてる人も居るが祭りに誘う程ではない。
「誘うかどうかは別にしても、お祭りには行ってみます。ネタ集めになるかもだし」
「その意気だよ。僕は神谷君の絵が好きなんだ、見聞を広げていけば良い作品を産み出せるはずだよ! 君の新人賞を審査した僕が言うんだから間違いない、頑張ってくれ!」
「ありがとうございます!」
先生は笑顔で送り出してくれた。これが先生との最後の会話になるなんてこの時は思いもしなかった。
♢
次の日の夕方、俺はスケッチブックと長年愛用している筆ペンを持って礼祭に出かけた。この地域で最大の祭りという事もあってか、人の数は物凄かった。
「今年も沢山人が居るなあ・・・人がゴミのようだな」
思わず名セリフを口走ってしまった。
「とりあえず参拝するか、参拝した後に花火見て帰るか」
しかしカップルが多いな、家族連れやカップルばかりだ。俺より不細工な奴が綺麗な彼女とイチャイチャしてるのを見ると鬱になる。
「先生、急に休んで祭りに行って来いなんてどうしたんだろ? あの時は先生の優しさや言葉に感動したけど、今までこんな事なかったのになあ」
独り言をぶつぶつ言いながら歩く様は、他人から見たら完全に不審者だろうな。
ドンっ!
「あっ! やべっ!」
人に押されて左手に握っていた、筆ペンを落としてしまった。
「ちょ! どいて! 筆ペン踏まないで!」
必死に人混みを掻き分け筆ペンを拾う。
「良かった・・・。筆ペンは無事だ」
ほっとしたのも束の間
『間もなく花火が開始されます、参道に立ち止まらないで下さい』
アナウンスと共に人の波が動き出す、立つことすらできない。
「うわっ! いて!」
押し寄せる人に倒されそこで意識を失ってしまう。
意識どころか命すら失ってしまうなんて俺が知る由もなかった。
『何て不幸な男よのお』