第88話 閃いてしまった! 弟分のカノジョということは――③
引き続き、俺はファミレスにいる。
だが心はすでに新天地に到達していた。
盛大なラッパが鳴り響き、天使たちが祝福の舞いを踊っている。
そう、俺は閃いてしまった!
弟分のカノジョということは、この子は俺の――義妹だああああああッ!
天を振り仰いでガッツポーズ。
すると向かいの義妹が引き気味に声を掛けてくる。
「あの、えーと……大丈夫ですか? なんか漫画みたいな勢いで涙が流れてますけど……」
「ああ、すまない。人類が新たな地平に到達したことにちょっと感動してしまってな。俺は平常運転だから心配しなくていいぞ、葵」
「はぁ、まあ、それが平常運転だとしたら逆に心配になりますけど、面倒そうなんでスルーしときますね……って!?」
「ん? どうした、葵?」
「名前っ!」
葵はスルー顔で紅茶を飲もうとしていたが、途中ではたと気づいた顔になり、カップを置いて身を乗り出す。
「なにいきなりわたしのこと呼び捨てにしてるんですかっ。距離の詰め方が極端!」
「いいじゃないか。お前だって俺のことお兄ちゃんって言ってるし」
「返す刀で『お前』呼び! こないだまで『君』って言ってたのに!」
「身内に気を遣うのはお互い窮屈だろ」
「一気に身内扱いーっ!?」
葵は思いっきり顔をひくひくさせる。
「ちょっと気を許して試しにお兄ちゃんって言ったら、ものの数秒でこの有様……しくじってしまった感がすごいです。なんなんですか、本当」
「まあまあ、落ち着け、義妹よ。紅茶のおかわり持ってきてやろうか? 砂糖とミルクは一つずつだよな?」
「流れるような甘やかしお兄ちゃんムーブ……いりません。まだ入ってますから」
警戒心マシマシの葵へ、俺は爽やかに微笑みかける。
唯花以外の女子にはあんまり笑いかけない俺だが、義妹は特別だ。
「葵、俺は気づいてしまったんだ」
「正直、あんまり聞きたくないですけど……何に気づいたっていうんですか?」
「葵は伊織のカノジョだろ? 俺にとっては弟分のカノジョ、ってことはお前は俺の妹分じゃないか!」
「そんなジャイアニズムには巻き込まれたくありません」
「え、心の友の方がいいのか?」
「巻き込まれたくないって言ってるんです! 聞いてました!? ちゃんと聞いてました!?」
「落ち着け、義妹よ。ちゃんと聞いている」
「もう義妹って言いたいだけでしょ……」
「うむ、妹分という言い方があんまり可愛くないのは俺も気づいてた。だからあえて義妹なんだ。これからも俺のことは奏太お兄ちゃんって呼ぶがいいぞ!」
歯をキラッと光らせてサムズアップ。
しかし葵はなぜか逆にげんなり。
「今のやり取りでむしろ呼ぶ気がなくなりました……」
「なぜにっ!?」
「奏太兄ちゃんさんの変態っぽさを改めて垣間見てしまったからに決まってるじゃないですか」
「義妹をこれでもかと可愛がることの何がいけないんだ!?」
「そのセリフからすでに何か滲み出てるんです! だいたいですね……」
葵は視線を逸らし、小声になる。
「弟分のか……カノジョだから妹分って理屈はまあ分からなくもないですけど……義妹は違うじゃないですか」
「ん? 義理の妹と書いて、義妹。何も間違ってないぞ? あ、俺の方は義兄じゃなくて、普通にお兄ちゃんと呼ばれたい。純然たる好みの問題として」
「変態っぽい要望を真顔で言えることに、なんかもうちょっと尊敬の念が出てきてしまった自分が怖いです……。じゃなくて」
葵は紅茶をちびりと一口。
カップで顔を隠すようにしたまま、さらに小声になった。
「妹分はともかく、義妹っていうのは……本当にそうなるか分からないじゃないですか」
「というと?」
「だってそれは……将来、奏太兄ちゃんさんとお姉さんがそういうことになって、伊織くんとわたしもそうなって……色んな段階があって初めてなるものだから」
自分で言ってて落ち込んできてしまったのか、葵は俯いてしまう。
力なくカップが置かれ、前髪で表情が隠れる。
「そんな幸せな未来が待ってるなんて保証、どこにもないです」
「あるぞ」
「へ?」
「ここにある」
俺は自分の胸を叩いてみせる。
葵はどうやら伊織に関してだいぶ落ち込みやすいようだ。本人も言っていた通り、まだ自信がないのだろう。
だったらその分、自信を持って言ってやらなきゃな。
大丈夫だぞって。
「俺は唯花を幸せにする。人生すべて懸けて幸せにする。そう決めてる」
「そんな簡単に……」
「簡単さ。決意して、実行する。ハッピーエンドに必要なもんなんてそれぐらいだ」
言い切って、わざと自信満々にニッと笑う。
「で、伊織はこういう俺の弟分だ。ばっちり俺の背中を見て育ってるからな。あいつは全身全霊で好きな女を幸せにするぞ。だから心配すんな」
身を乗り出し、ふわふわの髪に手を置く。
「あ……」
小さな吐息がこぼれる。
それをかき消すくらいのはっきりした声で俺は断言。
「保証が欲しいなら、俺と唯花がお前たちの未来の保証だ。ばっちりハッピーエンドを見せてやるから、俺たちの背中を追ってこい」
「……ず、ずるいですよ」
一瞬、唇を噛みしめ、葵はつぶやく。
「奏太兄ちゃんさんとお姉さんは伊織くんの憧れの2人で……。しかも奏太兄ちゃんさんが目指そうとしてる幸せは、きっとわたしなんかよりずっと大変な場所にあって……」
「ま、相手が引きこもってるからなぁ」
「なのにそんな自信満々に言われたら……」
「言われたら?」
「頑張りたいって思っちゃう……」
よし、元気が出てきたな。
「じゃあ、とにもかくにも葵がやることは伊織をもっとがっつり惚れさせることだな。安心しろ、お兄ちゃんがとっておきの情報を教えてやる」
「とっておきの情報?」
「俺は伊織の性癖をすべて知っている」
「なん、ですって……?」
葵の目の色が変わった。
カノジョにとっては値千金の情報だろう。
そう、兄貴分と弟分というものは古来より密に情報共有すると相場が決まっている。
かつて伊織が唯花に手紙で俺の性癖をバラそうとしたことがあった。
同様に、俺も葵に伊織の性癖を情報開示することができるのだ!
「ふっふっふ。理解したか、義妹よ? お兄ちゃんの偉大さを」
「な、なんて腹の立つドヤ顔……っ。でもこんなトップシークレット、絶対他からは手に入らない!」
「その通り。だとすればどうすればいいか、あとは分かるな? これからは俺のことを――」
「む~っ、奏太お兄ちゃん!」
「おお!?」
「呼びますよっ。伊織くんにちゃんと振り向いてもらうためなら悪魔に魂だって売ります! ほらこれでいいでしょ? 奏太お兄ちゃんっ、奏太お兄ちゃんっ、奏太お兄ちゃーん!」
「はーはっはっはっ! 可愛い奴め! どれ、頭を撫でてやろう」
「もう~っ、ムカつくーっ!」
俺は高笑いで葵の頭をなでなでする。
一方、葵は地団太を踏んでいるが、意外にも本気で嫌がってはいない。ひとりっ子でお兄ちゃんが欲しかったというのは実際本当なのだろう。
俺のなかにシステム音が鳴り響く。
テッテレ~ン!
勇者奏太は義理の妹を手に入れた!
やったぜ!
と、そんな感じでじゃれていたら、突然、場に変化が訪れた。
現れたのは、遅れてやってきた第三の人物。
声はテーブルの通路側から。
「…………なにこの僕にとっての地獄絵図」
井戸の底から響いてきたような、ほの暗い声。
俺と葵はビクッとし、同時に通路側へ目を向けた。
そこにいたのは誰あろう、制服姿の如月伊織14歳、その人である。
……すげえ、見たこともないくらい目からハイライトが消えてるぞ。
で、光のないその目は思いっきり俺の手を凝視している。
まあ、なんだ、控えめにいって……葵の頭を撫でまくっている手だ。
「よ、よぉ、伊織……」
「あ、ち、違うの、伊織くん。これは奏太兄ちゃんさんが悪いんじゃなくって……」
葵はとっさに俺を庇おうとしてくれた。
やっぱ優しい子だ。
あとしっかり奏太兄ちゃんさん呼びに直してるところも冷静。
……でもその冷静さもこの場合はどうなんだろうか。いっそのこと全部俺のせいにしといた方が丸く収まる気もするぞ……。
冷や汗が流れる。
重力が倍になったような空気のなか、伊織が重々しく口を開く。
「……大丈夫だよ、葵ちゃん。何が起きたのかはだいたい察しがつくから」
口元がヒクヒクしてる。必死に冷静さを保とうとしている表情だ。やべえ、こんな伊織見たことない。
「いつかこんな日が来るとは思ってたんだよ。奏太兄ちゃん、女の子に対するガードはしっかり固いけど、身内には甘々だし……いつかその隙間を縫うような女の子が現れたら、そりゃあもう猫っ可愛がりするだろうなって。――でもね!」
くわっと両目が見開かれた。
ハイライトを取り戻し、伊織は動く。
通学鞄を投げ出し、俺の手を弾いたかと思うと、なんと――葵の肩をひしっと抱き寄せて。
「奏太兄ちゃん、あんまり馴れ馴れしくしないで! だって……っ」
伊織は。
いっぱいいっぱいの赤い顔で。
堂々と叫んだ。
「――葵ちゃんは僕のカノジョなんだからーっ!」
ズキューンッ!
俺と葵は同時に心を撃ち抜かれた。
伊織、おま、お前……っ!
普段は心優しい中学生の男の子、その精一杯の男らしい宣言。
こんなんハートブレイクショットされるだろうが!
俺はくらっと倒れ込み、肩を抱かれている葵も真っ赤になってぷるぷるしている。
考えることは一緒だった。
これいい、すごくいい……。
伊織を惚れさせる作戦にもなるし、これからも兄と義妹ムーブをして、ちょいちょい伊織にヤキモチを妬かせていこう。
お兄ちゃんと義妹は目を合わせて、心のなかで深く頷き合った。
「(どうだ、葵。未来は明るいだろう……?)」
「(はい、奏太お兄ちゃん。わたし、今とっても幸せです……っ)」
座席にほぼ倒れ、真っ白になっている俺。
今も伊織に肩を抱かれて、ぽわぽわしちゃってる葵。
半死半生の俺に「奏太兄ちゃんっ、ねえ聞いてるの!? ねえってばーっ」と必死になっている伊織。
三者三様の結末なファミレス談義だった。
ちなみに2杯分のコークスクリュー・ジャンボパフェは目の飛び出るようなお値段でした。当たり前のように課金カードのお金は残らないというオチ。
やべえ、唯花との気まずさ大爆発問題はどうしよう……。




