第77話 拝啓、(俺が好きな女の)お袋さまへ
さて、ホームルームが終わり、今日も今日とて放課後になった。
そんじゃ唯花んとこいくか、と席から立ち上がろうとすると、ちょうどそのタイミングでスマホにメッセージがきた。
「んん?」
珍しいな。
如月家のお袋さんからだ。
『奏ちゃーん、悪いんだけど、今日早めに来てくれるかしら?』
お袋さんが早くこいなんて言うのは珍しいな。
今まさに向かおうとしてたところなので、取り急ぎ『OK』的なスタンプを送った。
人ん家の母親に対してフランク過ぎる返信かもしれないが、なんせ生まれた頃からの付き合いだ。お互いにその辺の遠慮はない。
しかし何かあったんだろうか。文面には切迫した様子はないが、バイクでも使ってちょっと急ぐか。この時間なら校舎裏に番長グループの誰かしらがいるはずだ。頼めば二つ返事で愛車を貸してくれるだろう。
そう思いながら、教室を出たところで、またメッセージが入った。
やはりお袋さんからだ。何かと思って画面に目を向け、俺は気が抜けた。
『スタンプだけなんて手抜き過ぎー。撫子さん、淋しくなっちゃうぞ?』
「何言ってんだ、あの人は……」
頭痛がしてきて廊下の真ん中でこめかみを押さえる。
撫子というのはお袋さんの名前だ。
如月撫子さん。
異様に若く、常識を逸した美人で、言わずと知れた唯花と伊織の母親である。
その存在を一言で表すならば――唯花に人妻の色気が備わってしまった感じ。つまりは恐るべき究極体だ。
当然、胸は唯花以上。何カップかは定かではないが、薄着されると本気で目のやり場に困る。その上で体のラインがなんかエロい。仕草が艶めかしいというか、とにかく思わせぶりなのだ。
また、子供たちの前では自分を『お母さん』というのに、なぜか俺と話す時はちょいちょい一人称が『わたし』とか『撫子さん』になる。理由は不明である。思い当たる節はあるが、黒歴史なので正直思い出したくない。
「……とりあえずこのメッセージは無視だな。とっとと如月家にいけばいいだろう」
そう判断して先を急ごうとすると、まるで見越していたかのようにさらにメッセージがきた。
『撫子さんを淋しくさせると、奏ちゃんのカワイイ秘密がなぜかご近所中に知れ渡っちゃうかもよー? 具体的には7歳の頃、わたしが奏ちゃんとお姉ちゃんをお風呂に入れてあげた時、奏ちゃんのおち』
音速で通話モードにした。
メッセージを最後まで読むことはしなかった。んなことしたら俺の精神が崩壊する。
ここが学校の廊下であることも忘れて、スマホに絶叫。
「すんません、すんません、すんません! 日曜朝のヒーロータイムが全米オープンの中継に取って替えられるレベルの理不尽を感じるけど、とりあえず俺が悪かったっス! だからその若気の至りを表沙汰にするのだけは勘弁して下さい……!」
「『あらあらー、返信どころか電話してきてくれたの? 撫子さん、嬉しいな♪』」
「お喜び頂けて光栄の極み! 俺、お袋さんには逆らいませんから。本当、直立不動っスから。だから何卒、何卒お慈悲を……っ」
「『んー、どうしよっかなぁ』」
「ま、まだ何かお気に召さないことでも……っ?」
「『喋り方』」
「は?」
「『あと呼び方』」
「ぐ……っ」
そっちに言及してきたか……っ。
相手の意図に気づき、俺は歯ぎしりする。
「『奏ちゃん、中学校卒業したぐらいから絶妙にわたしに距離取ろうとしてるわよねえ? わざわざ敬語っぽく喋ったり、お袋さんなんて呼んだりして』」
「そ、それはしょうがないじゃないっスか。俺だっていつまでも子供じゃないんだから、大人のお袋さんに対してずっと馴れ馴れしい態度取ってるわけには……」
「『あらあらあらー? もう大人の仲間入りしちゃうつもりなの? それはちょっと難しいんじゃないかしら』」
「は? な、なんで?」
「『だって……』」
クス、と妖艶な笑い声。
そしてからかうように告げられる。
唯花にはない、体の芯からとろけさせるような色っぽい声で。
「『奏ちゃんってば、まだエッチの一つもしたことないでしょう?』」
頭痛がさらに加速した。
加速し過ぎて、大気圏を突き抜けた。
廊下中の窓が割れるんじゃないかというくらい絶叫。
「なんで知ってんだよ、そんなことオオオオオオ――ッ!?」
そこら中の生徒たちがぎょっとして俺の方を振り返る。
が、気にする余裕なんてない。
「撤回と謝罪を要求する! 俺だってもう子供じゃねえんだぞ!? 撫子さんの知らないとこでヤリまくってるからもしんねえだろ!? ギシギシアンアンしまくってるかもしんねえだろオオオオオ!?」
「『ないないない。知ってるわよー? 奏ちゃんはギシギシアンアンの経験なんてまったく絶無だって』」
「だからなんで知ってんだよ!? あと絶無とか言うな! 今後の希望もないみたいで目の前が真っ暗になっちゃうだろ!? 泣くぞ!? さすがに俺も泣くぞ!?」
「『そーそー、その感じ♪ いつもの奏ちゃんらしくなってきたわね。大丈夫、希望がないとは言ってないわよ? 撫子さんのアドバイスほしい?』」
「いらねえよ! 俺だって好きな女を押し倒した経験ぐらいあるんだからな!?」
「『あらあらあらー、そうなの? 一週間に一度ぐらいの頻度で?』」
「そうだよ! だいたいそれくらいだよ! ――っ!? え、ちょ、待て! なんで知ってんの!?」
「『一週間に一度ぐらいの頻度で押し倒して、でも事には至れてないと。ふう、まだまだ子供ねえ』」
「だからなんで頻度まで知ってんだよ!? ってか、そこで子供かどうかのジャッジをするのはおかしいだろ!?」
「『キスぐらいはしたのー?』」
「は、はぁっ!?」
「『キスよ、キス。つまりはチュー。あ、したことないか。ごめんごめん、奏ちゃんはまだまだお子様だものねえ』」
「馬鹿にすんな! あるわ! 無茶苦茶したことあるわ!」
「『何回?』」
「数十回!」
「『ほっぺにチューを除くと?』」
「……い、一回」
「『ふむふむ、一応、進展してるみたいね。良かった良かった。撫子さん、聞きたいことが聞けて、ご満足♪』」
「――はっ!?」
我に返り、愕然とした。
「『じゃあ、奏ちゃん。今後ともウチのお姉ちゃんをよろしくねー』」
ご満悦の声と共に通話が切れた。
俺は思いきり頭を抱える。
「ま、またやられたぁ――っ!」
撫子さんによるこの調査は定期的に行われている。
俺の異性関係……というか、唯花との進展具合を折に触れて聞き出そうとしてくるのだ。
もちろんそんなこと報告したくない。
俺は追及を逃れるため、敬語にしたりお袋さん呼びにしたりと長年に渡って試行錯誤をしているのだが、結局、毎回こうして白状させられてしまう。
そして……今回もまんまと手玉に取られてしまった。
しかもかなり盛大にだ。
スマホを持つ手がガクガクと震え、俺は床に崩れ落ちる。
「押し倒したとか、何回キスしたとか、好きな女の母親に何言ってんだ、俺……っ。一体何を言わされてるんだ、俺はーっ!」
体を限界まで捻って苦悶する。
まわりの生徒たちはすでにこっちを見てもいなかった。
教室から出てきたカップルが世間話のように話しながら通り過ぎていく。
「なんか三上くんが騒いでるけど、どうかしたのかな?」
「さあ? またなんかの騒ぎに首突っ込んでるんじゃないか? もしくはどっかの非日常的な人々にからまれてるとか、はたまた美人の幼馴染のことでのろけてるとか」
「あー、いつものことね」
「なー、いつものことだな」
いや級友たちよ、俺がトラブル背負い込むのを当たり前みたいに受け止めないで頂きたい……。
あと俺がいつ唯花のことをのろけたんだ。学校でそんなことした覚えはさすがにないぞ。たぶん。
うな垂れつつ、心から思う。
本当、撫子さんは性質が悪い。
一応、唯花とのことは応援してくれてるっぽいが……あの人、味方を広域魔法でフレンドリーファイアするタイプだからな。しかも大笑いで。まったく油断ならん。
それに最初の『今日は早く来て』というメッセージはなんだったんだ。
撫子さんのことだから定期調査のためのただのフックという線もかなり高いが……。
そんなことを考えていたら、またスマホにメッセージが入ってきた。
嫌な予感がしつつ、目を向ける。当然、差出人は撫子さん。
『そだそだ。奏ちゃん、ちゃんと早くて来てね? 唯花ったら朝から何も食べてないみたいなの。お部屋の前に置いたお盆がそのままだから』
「――っ!? そういう大事なことは真っ先に言えや!」
『たぶん筋肉痛で動けないのね。今、押し倒したら、きっと大人になれちゃうぞ☆』
「うっせぇ! だからなんで筋肉痛ってところまで完璧に分かってんだよーっ!?」
連投されたメッセージに大声でツッコみつつ、俺は廊下を全力ダッシュ。
番長グループからバイクを借りるため、校舎裏へ急ぐ。
……こんなふうに昔から俺は撫子さんに振り回されている。
如月家の面々を四天王とするならば、あの人は敵か味方か分からない謎の存在のような立ち位置だ。
でもこれで撫子さんがラスボスだったりしたらマジで勝てる気がしないぞ……。
たまに冗談っぽく『お婿にきてね』とか言われるんだが、下手したら本当に如月家に婿入りさせられかねん。
そうはいくか、俺は唯花を連れて立派に独り立ちしたいんだ。あいつ、子供の頃に『海の見えるお家に住みたい』って言ってたから、引っ越さないと叶えてやれんし。
とはいえ……今のところ撫子さんへの勝ち筋がまったく見えない俺だった。先が思いやられて頭が痛い……。




