第75話 ウチの幼馴染はダンベル持てない……こともない
「唯花! もういい、もう十分だ! お前は十分頑張った……っ」
「まだよ、こんなところで諦めていられない! あたしはまだやれる……!」
現在、唯花は俺の借りてきたダンベルでトレーニング中。
赤ジャージにポニーテールのハチマキ姿でダンベルを持ち、えいやっえいやっと両手を上げ下げしている。
だがすでに顔色は青白く、呼吸も荒い。
目に見えて限界だった。それでも唯花はやめようとしない。
俺は涙を堪えるように自分の顔を覆う。
「お前はっ、お前はどうしてここまで自分を追い込むんだ……っ」
「決まってるでしょ? カワイイ伊織のためだよ。お姉ちゃん、頑張るって決めたんだから!」
「でもこれ以上はお前の腕が……!」
「大切な弟のためなら……腕なんてなんぼのもんじゃーい!」
「唯花っ、君ってやつはーっ!」
異様なテンションのなか、唯花はついに目標の回数をやりきった。
ダンベルを床に置き、疲れ切った顔でそれでも優雅にポニーテールをふわっとかき上げる。
「奏太、見ていてくれた? このあたしの生き様を」
「ああ、見ていたよ。お前こそ、この部屋史上最強のマッスルクイーンだ……っ」
「ふっ、最強か。到達してしまえば、なんとも虚しい称号……よ……ね……」
遠い目で雰囲気たっぷりにつぶやいた途端、ふらっとよろめいた。
「ゆ、唯花ーっ!」
俺はとっさに手を伸ばし、倒れゆくジャージの体を抱き留めた。
ちゃんと支えるために膝立ちの姿勢になり、愕然とした……っぽい顔をする。
「なんて軽い……っ。お前はこんな体で過酷なトレーニングを続けてたのか……っ」
「……嘆かないで、奏太。マッスルクイーンの称号は限界の一つや二つ越えなければ手に入らなかったの。あたしは……この結末に満足してる」
細い腕が力なく掲げられ、俺はその手を握り締めた。
「クイーン、一つだけ教えてくれ」
「なんなりと申すがよい……」
一応、真面目な顔だけはキープし、俺は尋ねる。
「まさか……1セットこなす度、この茶番やんなきゃならんのか?」
途端、唯花はむーっとむくれた。
「茶番とか言わないでっ。辛いトレーニングを続けるにはこういう演劇性が必要なのっ」
「そりゃ分からんでもないけれども……」
俺は肩を落としてげんなりする。
唯花がダンベルを上げ始めてすぐのことだ。やたら芝居掛かった感じで腕を上げ下げするので、とりあえず調子を合わせてみることにした。
その結果が今の謎の茶番である。まあ、やりたいなら付き合うが、毎回毎回これだとなかなか面倒くさいぞ?
あとお前の今のトレーニング、一般的にはそんなに辛くないはずだからな?
ダンベルは1キロだし、回数は両手合わせて20回だし。たぶん中学生女子でも『ちょっと手がダルいかも』ぐらいの負荷だと思うぞ。
……と、ツッコみたいのは山々だが、とりあえず黙っておく。
実際、唯花は筋金入りの引きこもりなので、本当に体力がない。
今もまだ息は整ってないし、しんどいのは間違いなさそうだった。
ちなみに、しなだれた髪が汗ばんだ肌にくっついていて、ちょっと色っぽい……のだが、言ったらマッスルクイーンのご機嫌を損ないそうなのでこれも黙っておく。
「じゃあ、奏太。もうちょっと休憩したら2セット目ね」
「んん? またやるのか? 明日とかじゃなくて?」
「決まってるじゃない。20回程度じゃ鍛えたことにならないでしょ?」
「マジかよ、唯花がまともなこと言ってる……」
「奏太はマッスルクイーンをなんだと思ってるのかな?」
「マッスルクイーンは謎の存在としか思ってないが、唯花については自堕落お姫様だと確信していたぞ」
「その確信、今日で砕け散ると知るがよい」
「今日は槍でも降るのだろうか。やれ恐ろしいことじゃわい……」
どうやらまだまだトレーニングするらしい。だったら面倒なんて言わずにこっちも付き合おう。
正直なところ、三日坊主どころか1セット坊主辺りで終わるだろうと思っていた。しかしどうやら今回の唯花は本気らしい。成長したなぁ……と思わずほろりときそうになる。
まあ、このままお姫様だっこ状態で休憩するらしいので、甘えん坊なのは相変わらずなのだが。
で、そのお姫様は先ほどから何やら俺の胸板を凝視している。
「むー……」
「どうした? 難しい顔して」
「や、今まで意識してなかったけど、奏太ってやっぱり筋肉あるんだなと思って」
そう言って、ぺたぺたと胸に触れてくる。
ぺたぺた、ぺたぺた、ぺたぺた、ぺたぺた。
いや、うん、なんだ……くすぐったいんだが。
ちなみに俺は学校の制服姿。ブレザーは壁付きの俺用ハンガーに掛けてあって、上はワイシャツ、下はズボン。
唯花はワイシャツの上から俺の体をぺたぺた触り、たまに胸ポケットに手を入れたり、ボタンを指でいじったりして遊んでいる。
「……いや何がしたいんだ、お前は」
「んー、筋肉のイメージトレーニング的な?」
「イメージトレーニングに胸ポケットとかボタンは関係ないだろ」
「それはついで。奏太触ってたらなんか楽しくなってきたから」
「まあ、いいけれども……」
会話している間もぺたぺたは続いており、だんだん手が下の方へやってくる。
そして「およ?」と唯花は声を上げた。
「奏太さんや」
「なんぞや?」
「ひょっとして……腹筋割れてる?」
「あー……」
返答に困って言葉を濁す。バイト先の店長と違って、俺は鍛えてますアピールが得意じゃない。どうにも気恥ずかしくなってしまうのだ。
が、興味津々な幼馴染は逃がしてくれない。
ずいっと顔を寄せてきて、目を見ながら腹筋をさすってくる。
「ねえねえ、割れてる? この触り心地、ぜったい割れてるよね? ねえねえねえっ?」
「やめろやめろっ。ねえねえ言いながら、さすさすするな! こそばゆいっての!」
「正直に言えば楽になるぞよ? むしろ言わないと、さすさすし続けるよっ。ほーら、さすさすさすさすっ!」
「変態か!? だーっ、もうやめろって! 摩擦熱で燃え上がるわ! ……多少だよ、多少。割れてるって言っても、よく見たらなんとなく割れてるかな程度だ」
「わー、本当に割れてるんだ」
何やら感心したような声を上げる。
そして唯花はやおら俺の腕から離脱した。
目の前に立ち、さらに興味津々な目で腹筋辺りを覗き込んでくる。
で、とんでもないことを言い始めた。
「見たい!」
「はあ!?」
「奏太の腹筋見たい! 見せて! というわけで脱げーっ!」
「ちょ!? ば、待っ……きゃー!?」
男子がスカートめくりをするように、唯花は俺のワイシャツを一息でズボンから引っ張り出した。
俺は思わず女子のような悲鳴を上げてしまう。
いや何してんの、この子!? マジで何してんの、この子!?
傍若無人なクイーンの振る舞いに、小市民な俺はただただ動揺するしかなかった。




