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第57話 ツッコみ不在のとんでもない世界①


 俺と唯花(ゆいか)は向かい合い、壁にべたっとくっついている。

 隙間ができないように耳を極限まで壁に密着させ、隣の音を聞いている。


 なぜならば、伊織(いおり)が部屋に女子を連れ込んでいるからだ――っ!


 今さっき唯花から伊織の初恋うんぬんという爆弾発言があったが、とりあえずそれは有耶無耶にしておく。俺もむちゃくちゃ気になるが、大事なのは過去よりも今の伊織の恋だからだ。


 ……と、そんなことを考えた瞬間、心がギュゥウゥウゥンという気持ちになった。擬音の意味が分からいだろうが、俺にもさっぱり分からない。だって――。


「(伊織の恋……! もっかい言うが、伊織の恋、だぞ!? くぅ……っ、自分で言ってて胸がモヤモヤするような、テンション爆上がりするような謎の気分になる……っ。なあなあ、唯花はどう思う? なあなあ、唯花――むぐぅ!?)」

「(奏太(そうた)、シャラップ! 今いいとこだから声を潜めて! 潜めてる声をさらに潜めて! シャラップ・プリーズ・スーパーなう!)」


 もはや口を塞ぐとかではなく、直接口に手を突っ込まれた。

 唯花の人差し指、中指、薬指が俺の舌を押さえつける。


「(ほら、向こうの2人がまたなんか話しだしたよ! ほらほら、聞いて聞いて! リッスンリッスン!)」

「(むぐむぐ、むっぐぅ!)」


 細い指をはむはむしながら頷く。

 確かに、とにもかくにも壁の向こうが最優先だ。


「(あ、歯は立てないでね?)」

「(むぐう)」


 地方のゆるキャラにでもなったような気分で頷き、改めて壁に集中。

 伊織と謎の女の子の声が聞こえてくる。


「『立ち話もなんだから星川(ほしかわ)さん、座って座って』」

「『あ、如月(きさらぎ)くん、名前……』」

「『名前? あ、そうか。そうだった……』」


 伊織は何か照れた様子で言い直す。


「『どうぞ、座って。……(あおい)、ちゃん』」

「『ありがと。えっと……伊織、くん』」


 その瞬間、俺と唯花は最小かつ最大の声量で雄叫びを上げた。

 最小かつ最大という物理的矛盾すら超越するほどの驚きだった。


「「(な、名前で呼び合い始めた――っ!?)」」


 唯花は俺の口から指を引き抜き、垂直の壁をゴロゴローっと転がる。


「(きゃー! きゃー! 名前で呼び合ってる! あたしの弟が女の子と名前で呼び合ってるーっ! 年頃の男女が名前で呼び合うって、それもう世間一般的には婚約と同義だからねっ!? あたしはあなたが大好きですっ、恋人になりたいし、将来を共にしたいし、その気持ちを世界中に知らしめたいですっ、って意味だからねっ、世間一般的には! ねえ、奏太!?)」


 俺は自分の胸を押さえ、額を壁にぐりぐりぐりーっとこすり付ける。


「(ギュゥウゥウゥン! 俺の弟分が女子と名前で呼び合ってる! 名前で! 呼び合っているーっ! 伊織、いいのか!? その若さで将来を決めちゃっていいのか!? 男が女を名前呼びするって、世間一般的にはプロポーズと同義だぞ!? 君を一生守りたい、君とこの先の人生を歩んでいきたいって決意表明だぞ!? 伊織にはまだちょっと早いと思うんだが、そう思わないか、なあ、唯花!?)」


 俺たちの暴れっぷりをよそに伊織たちの会話は続く。


「『ごめんね、葵ちゃん。いきなり名前で呼び合いたいなんて言って』」

「『う、ううん。ここに来る途中で突然言われた時は確かにびっくりしたけど……』」

「『僕の憧れてる人たちが普段、お互いを名前で呼んでるんだ。だから僕も近づけたらなって思って』」


 まあっ、と唯花は口に手を当てる。

 くぅっ、と俺は歯ぎしりした。


「(誰っ!? 誰っ!? 誰っ!? 伊織の憧れてる人たちって誰っ!? なんてハレンチっ! 伊織のそばにいるってことはあたしたちとも同年代ぐらいでしょ? そんな若さで将来決めちゃってるレベルの仲の良さって、とってもハレンチですわ! 伊織が変な影響受けないか、お姉ちゃん、色々心配になっちゃう!)」


「(お義兄ちゃんだって心配になっちゃうつーの! 誰なんだよ、一体!? どっかのラノベのキャラか何かか!? あああ、俺の伊織が影響受けて人生曲げられてしまうぅぅ! 今すぐ隣の部屋に駆け込みたい! そして『伊織、とりあえずそいつは一発殴っとけ。絶対バチは当たらん』とアドバイスしたいーっ!)」


 そんな俺たちの煩悶をよそに、伊織たちの会話はもちろん続く。


「『でもなんか照れちゃうね、名前で呼び合うって』」

「『わ、わたしの方が照れちゃうよ。伊織くんよりずっと照れちゃってると思う』」

「『え、どうして?』」

「『だって伊織くん、女子よりも可愛いし。わたしなんかが名前で呼ぶのって恐れ多くて』」


 はた、とそこで俺たちは動きを止めた。

 どうやら壁の向こうにいる星川葵という少女はあまり自分に自信がないタイプらしい。


 まあ、伊織が飛びぬけて美少年だからというのもあるだろうが……これはどう答えるか、男としては難しいところだぞと、俺と唯花は顔を見合わせる。


 だが、しかし。

 我らの伊織はさらっと言い切った。

 まるで当たり前のような口調で。


「『え、葵ちゃんは可愛いよ? 僕なんかよりずっとずっと可愛いよ』」

「『ええ……っ!?』」


 驚く星川葵ちゃん。

 それ以上に驚天動地する、俺&唯花。



「「(か、可愛いとかさらっと言った――ッ!?)」」



 唯花は壁から床までゴロゴロゴロゴローッとローリングする。


「(きゃーっ! きゃーっ! 可愛いって言った! あたしの弟が女の子に可愛いって言ったーっ! すっごい、ちゃんと女心を捉えてる! さらっと言っちゃう可愛いってそれ一番キュンッとくるやつ! 世間一般的には『あー、もう今日抱かれちゃってもいいかな』って思うやつだよーっ!?)」


 俺は軋む胸を押さえて、ゴリゴリゴリーっと額で壁を掘削する。


「(ギュゥウゥウゥン! 俺の義弟が可愛いって言った! 女子にさらっと可愛いって言ったーっ! 俺は哀しいぞ、伊織ぃ! お前はいつからそんな女タラシになったんだ!? 一体、どこの誰を見てそんなふうに育ったんだぁぁぁぁぁぁっ!)」


 唯花はテンション爆上げて頭がお花畑と化し、俺は滂沱の涙と額のドリルで壁に穴を開けてしまいそうだ。


 なんてこった。このまま壁越しに伊織たちのイチャイチャ会話を聞かされ続けたら、俺たちは一時間と保たずにどうにかなってしまうだろう。


 なんて恐ろしい世界に迷い込んでしまったんだ……っ。


 俺は震え上がって戦慄する。見上げた先の棚にはアルティメット的美少女フィギュアがあり、なんかもう見事なアルカイック・スマイルで迷える子羊たちを見つめていた。


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