第44話 一方その頃、隣の部屋の弟は(伊織視点)
僕――如月伊織は自分の部屋の真ん中で立ち尽くしている。
ほんの数分前、すごくびっくりすることがあったから。
胸に手を当てると、今も心臓がドキドキしている。
一年半ぶりにお姉ちゃんに会えた。
正直、びっくりし過ぎて、何を話したか覚えてない。でもちゃんと言葉を交わしたのは覚えてる。
お姉ちゃんが元気で良かった。僕、すごくほっとしたよ……。
奏太兄ちゃんからいつも様子は教えてもらってたし、声だって壁越しに毎日聞こえてた。
でも直に会って話すと、やっぱり安心する。
お姉ちゃんが目の前にいてくれる。ちゃんと見えるところにいてくれる。それだけで本当に嬉しかったんだ。
ぜんぶ奏太兄ちゃんのおかげだよ。
たぶん奏太兄ちゃんは気づいてないだろうけど、お姉ちゃんが僕にお手紙をくれたことも、今日部屋から出てきてくれたことも、ぜんぶ奏太兄ちゃん絡みのことなんだから。
本当に感謝してる。
奏太兄ちゃんは僕のヒーローだよ。
「って、本気で思ってるんだけどなぁ……」
僕は深い深いため息をつき、現実に引き戻される。
なぜなら壁の向こうからすっごい声が聞こえてくるから。
「『唯花、ここか? ここがいいのか?』」
「『ばかぁ、そんなこと聞かないでっ。恥ずかしくて言えないよぉ……っ』」
「『何されてもイヤって言わないんだろ? ほら恥ずかしがるな。ぜんぶ受け止めてやる。もう我慢しなくていいんだ』」
「『うぅ、奏太優しい……っ。そんなこと言われたらもっともっと甘えたくなっちゃう……!』」
「『甘えていいぞ。ここが気持ちいいんだろ。ほら!』」
「『ひゃうっ!? あうぅぅ……っ。もうっ……そうだよ、そこっ。そこ好きなの! 気持ちいいよぉ、奏太ぁ……っ!』」
……。
………………。
……………………はぁ。
なんだろう、一度は応援しようと思ったけど、いざ本当にこんなの聞かされると、家族としては本当しんどい。もう尋常じゃなくしんどい。
あのね、奏太兄ちゃんはやっぱり無意識ドSだと思うんだ。
そうじゃなかったら、再会に感動してる弟へ、姉のこんな声聞かせないよね?
僕ね、今、ひとりですっごい気まずい思いしてるよ?
この気持ち、誰か分かって下さい、お願いします。
「『良い子だ。やっと素直になってきたな? じゃあ、ご褒美だ! もっと丁寧にしてやる。ほれほれ!』」
「『にゃあっ!?』」
「『おー? どうした? いきなり子猫になっちゃったのか?』」
「『分かんないっ。分かんないよっ。気持ち良すぎてもうワケ分かんないのっ。にゃ、にゃんっ!?』」
……これ、仲直りえっちってやつかなぁ。
どう考えても中学生が聞いていいものじゃないよね?
あと実の弟が聞いていいものでもないよね?
あー、でも待って。ひょっとしたらちょっと違うかも。
奏太兄ちゃんが言ってた状況から考えると……仲直りえっちじゃなくて、仲直り耳そうじって辺りかな。うん、自分でも何言ってるかぜんぜん分かんない。
「『はっはーっ! これが数多の動画で培ってきた、俺の耳かき捌きだ! 感じる、感じるぞ……俺は今、耳そうじの神に愛されている! 最高にハイってやつだーっ!』」
あ、やっぱり耳そうじだった。
奏太兄ちゃん、マッサージとか耳そうじの時、性格変わるよね……正直、たまに怖いです。
まあ、いいけど……無事に仲直りできたのはいいことだし、一年半に渡って二人のイチャイチャを聞かされ続けたおかげで、僕も色々鍛えられてる気がするから。
主にメンタルとかメンタルとかメンタルとか、あとメンタルとか。
最初の頃はね、僕もお姉ちゃんが部屋から出てこなくなってショックだったんだ。
でもいつの間にかしっかり受け止められるようになりました。僕、強くなりました。
この辺が奏太兄ちゃんの無意識ドSの怖いところだと思う。ダメージを与えるだけじゃなくて、いつの間にかちゃんと相手を鍛えてるとか、すごく兄貴分っぽい。
「『はう! もうムリだよぉ、意地とか張れないぃ! やっぱりあたしは奏太に甘えてる方がいいっ。今すっごく幸せっ、にゃう~……』」
……まあ、迷惑極まりないけど。
僕はため息をついて窓際にいく。
姉のハートまみれな声を聞きながら、死んだ目で夕焼けを見つめた。
大好きなお姉ちゃん。
尊敬する奏太兄ちゃん。
大切な二人にこんなこと言うのはなんだけど、ついつい愚痴がこぼれてしまう。
「…………本当、もう結婚しちゃえばいいのに」
中学二年生の夕方、僕はちょっぴりたそがれた。