After47☆唯花、はじめてのお酒(で大惨事!)☆
はてさて。
大学初日を間近に控えた、今日この頃、みんなどうお過ごしだろうか。
俺と唯花は今、アパート近くのコンビニに来ている。
夕飯の後、唯花が『アイス食べたいかもー』と言い出したからだ。
夜でもふらっと行けるところにコンビニがあるのは便利だな。
というわけでカゴにアイスを入れ、レジの方に行こうとしたんだが、
「……あっ! ねえねえ、奏太、奏太」
何やら唯花にジャンパーの袖を引っ張られた。
「これ見て、これっ」
「ん?」
立ち止まったのは酒のコーナーだ。
で、ウチの彼女は何やら目をキラキラさせている。
「一個買ってこ、一個!」
「まじか」
「まじまじ。だってあたしたち、もう大学生だよ! これから飲み会とかあるでしょ? だから試してみなきゃっ」
「あー……。まあ、一理ある……か?」
「あるある! 一理どころか三千世界にいっぱいある!」
「それはあり過ぎじゃろ。うーむ……」
俺は眉を寄せて考える。
確かにこれから大学生活を送るに当たって、酒を飲む機会はやってくるだろう。キャンパスライフに当たっては不可避とも言えるかもしれない。
先々のことを考えて、唯花の酒の許容量を知っておく必要はありそうだ。
「しかしじゃな、唯花さんや」
「なんじゃらほい、奏太さんや」
「お酒は二十歳になってから、という法がこの世にあるとかないとか」
「むむ」
そう、俺たちは高校を卒業したばかりだ。
現在の年齢は推して知るべし。
しかしここで唯花が予想外のことを言った。
「にゃるほど、それでは唯花ちゃんが特別に魔法の呪文を教えて進ぜましょー」
「魔法の言葉?」
「そ。これを聞いたら古今東西、如何なる者も反論できなくなるのです」
「待て待て。そんなゴリゴリの独裁政治みたいな呪文があってたまるか」
「ところがどっこい、あるのです。いい? 言うよ?」
「お、おう」
唯花が上目遣いでじっと見つめてくる。
ちなみに格好は部屋着のTシャツに俺のパーカーを羽織った状態。
パーカーが微妙にオーバーサイズで大変かわゆい。
それはともかく、唯花は真っ直ぐな眼差しで魔法の呪文を唱えた。
まるで大人なゲームのテロップを読み上げるような棒読みで。
「『この作品の登場人物は全員20歳以上です』」
「……っ!?」
二の句が継げなかった。
息を飲んだ俺に対して、さらに唯花は真っ直ぐな眼差しで告げる。
「『この作品の登場人物は全員20歳以上です』」
「く……っ!?」
もしも反論したら、様々のところの様々なものに迷惑が掛かる気がした。大人の対応という言葉が頭に浮かぶ。まさしく魔法の呪文だった。
「……分かった。俺はもう何も言わない」
「分かればよろしー」
したり顔でうなづく、唯花。
まったく、恐ろしい呪文を修得しおって。
「じゃあまあ、適当に買ってくか。俺はこれとこれで……唯花は軽めの方がいいよな? 初心者向けは……んー、この辺りか」
ひょいひょいとコーナーの棚から適当に見繕ってカゴに入れる。
すると、唯花が「んん?」と怪訝そうな顔をした。
「奏太、なんでそんなにお酒に詳しいの?」
「ぎくっ!?」
しまった、と思った時には唯花のジト目が発動していた。
「もしかして奏太ってば、高校生の時から……」
「違う違う! ほら俺、バイト先が多国籍バーだし、知識だけだって知識だけ! 決して店長とか客に奢られてたまに飲んだりとかは――」
「ずるーい! ひとりだけ先に大人の階段上っちゃって、なんで教えてくれないのーっ」
「いやだって引きこもりに酒教えるとかバッドエンドに超特急じゃろ!?」
なんてわちゃわちゃした後、酒を買ってコンビニを出た。ちなみにレジでは当然年齢確認があったが、そこは魔法の呪文を使わせて頂きたい。この作品の登場人物は全員20歳以上です。
………………。
…………。
……。
で、部屋に帰ってきた。
ちなみに隣は唯花名義で借りてる部屋だが、もう普通に2人で俺の部屋に帰ってきている。ホンキ同棲極まれりである。うん、まあ、俺も一応どうかとは思ってるんだ。本当だぞ?
唯花はというと玄関に入るなり、俺が持っていたコンビニ袋からチューハイの缶を取り出し、パーカーのフードを揺らしてぱたぱたと駆けていく。
「おっ酒~♪ おっ酒~♪ はじめてのおっ酒~♪ ほろ酔い、るんたった~♪」
「こらこら、だめ人間の見本みたいな歌を口ずさんではしゃぐんじゃありません」
そう言いつつ、俺はいつもの小テーブルに酒の缶を置き、一緒に買ってきたツマミを並べる。
「よし、では唯花さんや。音頭をどうぞ?」
「うみゅ。あたしのはじめてのお酒にかんぱーい!」
「カンパイ」
一応、俺も初めてという体にしたかったが、さすがに無理っぽいので大人しくチューハイの缶を掲げた。
で、飲み始めたわけなんだが……。
「……まじか」
「はーわーわー……」
わずか二、三回、口ををつけたところで唯花がゆらゆらし始めた。
いや予想はしていた。
唯花が酒に強いだなんて一ミリだって思ってなかった。
でもいくらなんでも弱すぎじゃろ……。
「なんかねー、ふわふわってしてー、すごいきもちー」
「そ、そっか。とりあえず水飲もうな。今持ってきてやるから」
「あいっ」
年端もいかない幼女みたいにこくんっとうなづく。
おお、可愛いな……。
しかし酔っ払い幼女モードな唯花を愛でてる場合じゃない。
俺は一緒に買っておいたミネラルウォーターを冷蔵庫から出して持ってくる。
「ほら、ゆっくり飲め。ゆっくりな?」
「あいっ」
これまた可愛くこくんっとうなづき、唯花はしっかりと握り締めた。酒の缶を。
「違う、そっちじゃない!」
「ごくごくごくーっ」
「ちょおまっ!?」
まさかの一気飲みだった。
慌てて缶を奪い取ったものの、すでに中身はカラ。
「う、嘘だろ……?」
「あ~れ~れ~……?」
見れば、唯花の顔がどんどん赤くなっていく。
ゆらゆらの振れ幅も大きくなり、もはや振り子のようだ。
「だ、大丈夫か、唯花……?」
「らいじょーぶ~……」
「いやその感じは絶対大丈夫じゃないんじゃが……」
「なんかねー、うー、なんかねー……」
「なんか……なんだ? とりあえず水飲め、水」
「うー、なんか……あーつーいっ!」
いきなりバサッとパーカーを脱ぎ捨てる。
かと思えば、今度はTシャツの首元をグイグイと引っ張り始めた。
「ちょ、伸びる伸びる! 着られなっちゃうぞ!?」
「だってー、あついんだもーんっ!」
慌てて唯花の手首を掴んでやめさせる。
伸びた首元から一瞬、下着が見えそうになったのは秘密だ。
「奏太ぁ? なんか目つきがえっちぃ……」
「い、いやそんなことはないぞ? ぜんぜんないぞ?」
「えー、そう……?」
「そうだ。とてもとてもそうだ」
「でもねー……」
とろん、とした瞳が見つめてきた。
「あたしもぉ、なんかえっちぃ気分かもぉ……」
――っ!?
こやつ、今なんとおっしゃいましたか?
「あのね~、ふわふわして~、体が熱くて~、ドキドキするのぉ……」
こっちも思わずドキドキしてきてしまった。
唯花はもともと色白だ。
その肌が色づくようにじんわりと朱色に染まっている。
頬、首筋、耳……真っ白な雪原に春の花が咲き乱れているようだった。
瞳は熱っぽく潤み、表情は酔いのせいで弛緩し、今までにない雰囲気だ。
端的に言えば、なんというか……色っぽい。
生まれた時から一緒にいるが、こんな唯花を見るのは初めてだった。
「ゆ、唯花……」
「奏太ぁ、熱いよぉ。もう我慢できにゃい……」
火照った肌にしな垂れた黒髪をまとわせ、唯花がびっくりするぐらいの色香で囁く。
「あたしのことぉ、メチャクチャにしてぇ……」
「……っ!?」
いいのか!?
いいのか、これ!?
もちろん相手は酔っ払いだ。良いか悪いかで言えばなんとやらだが、古来より日本には据えカノジョを食わねばなんとやらという格言もある。
ここは先人の教えに従おう。
むしろ従うべきだ。
俺はくわっと両目を見開く。
「ゆい――」
「にゃはーっ!」
「――ぷろぁ!?」
唯花へダイブしかけた瞬間、何かが俺の顔面に炸裂した。
尻餅をついた状態で、目を白黒させながら見上げる。
「この感触は……アーサー王!?」
いつの間にか唯花が右手にヘタレ顔の王様のぬいぐるみを持っていた。
引っ越しの時に俺の部屋に持ち込まれたグッズのひとつだ。
ベッドの枕元にあったはずなのに、いつの間に……!?
愕然とする俺の目の前で、唯花がゆらりと揺れる。
その左手には……ヘタレた猫のぬいぐみが握られていた。
「あれは……ネコ美さん!?」
同じく唯花のグッズのひとつだ。
両手にぬいぐるみを装備し、唯花が突撃してくる。
「にゃーはーはーっ!」
「ちょお!?」
「なんで逃げるの~!」
「逃げるわ! 意味が分からな過ぎて逃げの一手しか打てねえよ!?」
「えくすかりばー!」
「うお!?」
「からの~ネコ美かりばー!」
「ぬわっ!?」
次々に顔面へ繰り出されるアーサー王とネコ美さんをギリギリで回避。
「さらに~ゆいかにゃりばー!」
「ぎゃあ!?」
終いには唯花自身が繰り出された。
腰辺りに抱き着かれ、ついに俺は陥落。
うつ伏せに倒れたところへ、同じく倒れた唯花がよじよじと登ってきて、腰辺りに座り込む。
「お馬さーん! お馬さーん! ぱっかぱっかと三千世界へ三千里~♪」
「ど、どういうことだってばよ……っ」
メチャクチャにしてと頼まれたのに、気づけばこっちがメチャクチャにされていた。何を言ってるか分からねえと思うが、俺にもさっぱり分からねえ。
酒癖が悪いにも程がある。
バイト先にだってこのレベルの支離滅裂な酔っ払いはなかなかいないぞ。
駄目だ。もう俺一人じゃ対処法が思いつかん……っ。
小テーブルの方へ手を伸ばし、どうにかスマホを掴んだ。
唯花の馬にされながら、ボロボロの状態で目当ての連絡先を呼び出す。
「『もしもし? どうしたんだい、奏太君?』」
「誠司さん……!」
通話を掛けた相手は、唯花の父親の誠司さん。
俺は思わず敬語になって尋ねる。
「ちょっと伺いたいんですが、お宅の奥さんの酒癖につきまして……っ」
唯花は母親の撫子さんと色々似ている。
超絶美人なところとか、あとは体の一部の発育っぷりとか、性格はともかく遺伝的には似た者親子だ。
だからこの酒癖への対処法を旦那の誠司さんに訊けないかと思った。
しかし言葉の途中で俺は、はたと気づいた。
別に撫子さんはそこまで酒癖が悪くない。
たとえば酔っぱらって俺に『ねえ、奏ちゃんの初恋ってだあれ? もしかしてー、わーたーしー?』とかウザ絡みしてきたり、同じく伊織に『いおりん、葵ちゃんとはどこまでいったのー? ねえねえ?』とかウザ絡みしてくることはある。
しかし今の唯花ほどワケ分からん行動に出ることはない。
人選を間違えた。
しかしそう思った矢先、誠司さんの痛ましい声が耳に届いた。
「『そうか、ついにこの日が来てしまったんだね……』」
「え?」
「『奏太君、よく聞くんだ。いいかい? 撫子は、お酒に弱い』」
「なんだって……? 待ってくれ、誠司さん」
俺はスマホを握り直す。
「撫子さんは弱くないだろ? 確かに調子に乗ってウザ絡みが加速はするけど、でも――」
「『撫子は猫被りが上手いんだ』」
その一言にハッとした。
猫被りは、唯花もよくやるからだ。
「『子供たちや朝ちゃん、三上家の太一や奏絵さん、他にも誰かが場にいれば、撫子は天性の猫被り力で平静を装うことができる』」
おそらくは、と誠司さんは続ける。
「『その体質は娘の唯花にも遺伝しているはずだ。だから大学の飲み会については心配することはない。奏太君が驚くくらいに唯花は上手くやるはずだよ』」
誠司さんは俺が電話を掛けた理由を完璧に理解していた。
最初に言っていた通り、こんな日が来ることを想定していたんだろう。
「『ただし、問題なのは――君と2人っきりの時だ』」
誠司さんの声が一気に緊迫感を増した。
「『本当に心を許せる相手……僕と2人っきりで飲む時、撫子はタガが外れる。それはもう外れまくる。色んな意味で乱れて収拾がつかない。そして、その状態になった撫子は……僕でも止められない』」
「……っ!? じょ、冗談だろ!?』」
唯花の如月家には序列がある。
これは場を引っ掻き回したり、逆に場を制するパワーの序列だ。
序列四位は伊織。
序列三位は唯花。
序列二位が撫子さん。
三位と二位の間には天と地ほどの差がある。
もし俺が序列に入るとすれば、ここだろう。
二位の撫子さんには俺もまだ歯が立たない。
だいたいいつも、しっちゃかめっちゃかにやり込められてしまう。
そんな二位が暴走した時、必ず止めてくれるのが序列一位の誠司さんである。
いわば一位は平和の要。
ここが崩れれば、俺たちの平穏は保たれない。
だからまさに天と地がひっくり返ったような衝撃だった。
「なあ、嘘だろ!? 嘘だと言ってくれ、誠司さん……!」
「『残念ながら……これが真実なんだ』」
「じゃあ今の唯花は……っ」
「『君より上だ』」
まさしく上に乗ってる唯花が「にゃっはっはー!」と天下を獲ったかのごとく笑う。
「『すまない。……せめて君の傷が浅いうちに唯花の酔いが覚めることを祈ってるよ』」
「いや待ってくれ、誠司さん! 誠司さーん……っ!」
通話が切れた。
スマホを握った手が力無く床に落ちる。
なんてこった……まさかこんな絶望的な状況に陥る日がやってくるとは。
唯花が飲み会でも大丈夫そうだと知れたのは良かったが、それにしたって俺のリスクがデカ過ぎる。
このまま座して敗北するしかないのか。
否、黙って負けるくらいなら、せめて一太刀。
なんかエロいことしてウサを晴らしてくれる!
唯花は今、俺の上で「ぱっか、ぱっか♪」とお馬さんごっこをしている。そうして『ぱっか』の『ぱ』で腰が浮いた瞬間、俺はぐるんっとうつ伏せから仰向けへ体を回転させた。
「隙あり!」
「奏太ぁ、抱っこして~っ!」
「なにぃ!?」
まるで読んでいたかのように一瞬早く唯花が抱き着いてきた。
そして火照った頬で頬ずりしてきたかと思うと、
「あのね~、あたしね~」
ぎゅうぅぅぅっと隙間なくくっついて、
「奏太と毎日一緒にいられて~」
えへへ、とだらしなく相好を崩した笑みと。
愛情いっぱいに抱き着いてくる腕と。
楽しそうに弾んだ声で囁く。
「今、人生で一番幸せなの~♡」
「ふぁっ!? えっ、ちょ、なっ、な……っ!?」
いきなり超嬉しいことを言われ、めちゃくちゃキョドってしまった。
顔が一気に熱くなり、体温も急上昇。
そのテンションで口走ってしまう。
「そんなん、これからもっともっと幸せにしてやるっての!」
「本当~?」
「おう!」
「やったぁ、嬉しい~♡」
チュ、チュ、チュー♪とキスの雨が降ってきた。
「~~~~っ」
なんつー破壊力だってばよ!
もう気持ちが溢れ返ってしまい、俺は唯花の肩を抱いて顔を見る。
「唯花っ。俺、俺は……っ!」
「スヤスヤ~……」
「はいっ!?」
「スヤスヤ~……」
「ちょ、え……っ」
「…………むにゃむにゃ~」
お姫様は瞼を閉じて安らかなお顔をされている。
一拍置き、俺、絶叫。
「寝てるーっ!?」
さんざんこっちを振り回した挙句、唯花はスヤスヤと眠っていた。
なんかもう脱力してしまい、俺はへなへなと床に戻る。
誠司さんの言った通りだ。これは……勝てん。
行動が読めない上に翻弄されてクリティカル打たれて肩透かし攻撃までされて、勝てる要素がまったく見えない。
「とりあえず、家飲みは当分禁止にしとくか……」
と思ったのだが。
俺の掛け布団状態になっている唯花がここでまたぽつりと寝言を言った。
「……奏太、あった~い……えへへ、幸せ~……♪」
「……っ」
いやマジで。
愛する恋人に『幸せ』と言われて、勝てる男なんてこの世にはいないんだってばよ。
「まあ、たまにならいいか……」
ほろ酔い唯花の本音が聞ける誘惑には抗えず、結局、家飲みオッケーにしてしまう俺なのでした。




