After44 ☆奏太、如月家に挨拶へ~両親編~☆
俺は伊織が二階への階段を上っていくのを見送った。
その後、匂わせが家族にバレバレで悶絶している唯花をどうにか落ち着かせ、ついに本丸――唯花の両親が待つリビングへと突入。
父親の誠司さん。
母親の撫子さん。
二人はテーブルに座っていた。
たぶん直前までそこで伊織と何か話をしていたのだろう。
唯花と並んで座り、撫子さんが紅茶を出してくれて、俺は開口一番に頭を下げた。
「娘さんを俺に下さい――ッ!!」
言った。
ついに言ったぞ。
唯花は四月から俺の隣の部屋で生活する。
隣同士の部屋なので、事実上、ほぼ半同棲になるだろう。
だからこそ、唯花の両親である2人にはちゃんと筋を通しておかなきゃいけない。
本来は結婚の挨拶で言う言葉だろう。
まだ早いと言われれば、そうかもしれない。
でも俺の心は決まっている。
だから唯花にも玄関で指輪をつけてもらった。
薬指に指輪を付けた唯花の隣で、俺は直角に頭を下げている。
そんな俺に対して、誠司さんと撫子さんは――。
「うん、よろしく頼むよ」
「奏ちゃんなら安心だわー」
誠司さんは笑顔で鷹揚にうなづき、撫子さんも頬に手を当ててニコニコしている。
で、俺は顔が引きつった。
「軽っ!?」
思わずツッコミを入れてしまう。
「そうだろうと思ってたけど、本当に二つ返事かよ!? 誠司さんも撫子さんも良いのか、それで!?」
「だってー、ねえ、あなた?」
「ああ、そうだね」
撫子さんがニヤニヤし、誠司さんも苦笑する。
「お姉ちゃん、家中の色んなところで指輪をかざしてニコニコしてたし」
「あんな幸せそうな顔を見せられたら、男親としても笑って送り出すしかないね」
「にゃああああっ、あたし、匂わせ女子じゃないもーんっ!」
満を持して両親からいじられ、唯花は真っ赤になって悶絶した。
伊織も言ってたが、俺が指輪を贈ってからというもの、唯花は自分の部屋やらリビングやら庭やらで指輪を付けてポーズを取っていたらしい。
本人は家族から隠れてやってたつもりらしいが、実際は家族全員にバッチリ見られていたとのこと。
そりゃあまあ、恥ずかしいわな……。
「どうどうどう、傷は浅いぞ」
「にゃあああ……致命傷ナリよ、キテレツ」
俺は背中をさすって落ち着かせる。
唯花のHPはもうゼロだ……。
すると、誠司さんが紅茶を一口飲んで、口を開いた。
「娘が家を出てしまうのは、僕も淋しいよ。でも実を言うと、タイミング的にはありがたい話だったんだ」
「タイミング的にありがたい? どういう意味なんだ、誠司さん?」
俺が首をかしげると、今度は撫子さんが口を開いた。
「将来的に子供部屋がもうひとつ必要になったから。奏ちゃんについていって、お姉ちゃんが部屋を空けてくれると助かるの」
……ん?
とっさに意味がわからず、俺は眉を寄せた。
唯花も机に突っ伏していたところから顔を上げ、「ほえ?」と首をかしげる。
「はは」
「うふふ」
若者たちがハテナマークを浮かべるなか、大人たちは和やかに笑っている。
そして俺はふと思い出した。
如月家を訪ねるに当たって、誠司さんから事前に『たぶん立て込んでるだろうから、勝手に入ってきていいよ』と言われていたこと。
俺がやってきた時、伊織が不自然なくらいテンションが下がり、瞳がブラックホールになっていたこと。
誠司さんの言葉から察するに、おそらく直前までこのテーブルで両親と伊織が話をしていたのだろう。
では、なんの話をしていたのか?
答えはおそらく『タイミング的に唯花が出ていくのがありがたいこと』で、同時に『将来的に子供部屋がもうひとつ必要になったこと』に直結している。
……ん、子供部屋?
「……え、子供部屋?」
俺の思考とほぼ同時に、唯花が声をこぼした。
「え、まさか」
「えっ、まさか!?」
俺と唯花の視線を受けて、撫子さんはまた「うふふ」と笑う。
そしてゆっくりと自分のお腹に触れて、満面の笑みで告げた。
「デキちゃった♪」
時が止まった。
若者たちはまるでスタンド攻撃を受けたように硬直。
そしてきっかり五秒後――時が動き出した。
もちろん絶叫である。
「「デキちゃったああああああーっ!?」」
思わず立ち上がった俺たち。
そのリアクションを見て、撫子さんは実に満足そうだ。
「女の子ですって。お姉ちゃん、お姉ちゃんになるのよ?」
「あたしはもうお姉ちゃんだよぅ!?」
反射的にツッコみ入れ、唯花は直後にハッとする。
「え、待って。じゃあ、年頃のあたしが寝てる部屋の下で……お父さんとお母さんが夜ごと赤ちゃんがデキちゃうようなコトしてたってことぉ!?」
「はっはっは、照れるね」
「やだわ、お姉ちゃんったら」
「笑いごとじゃないしーっ!」
ほんわか両親に対し、唯花の瞳がどんどんブラックホールになっていく。
「おめでたいことだけども! 嬉しいことだけども! それはそれとして娘の情操教育的にどうなのぉ!? あたし、反抗期になりそーっ!」
「あー、なるほどなぁ……」
唯花がてんやわんやのフェスティバルになってるおかげで、俺はちょっと冷静になれた。
さっきの伊織もこの件を聞いた直後だったんだな。
姉弟でリアクションが同じだから一目瞭然だ。
そりゃあ、俺たちの半同棲の話なんてどうでもよくなるだろう。
だって実の両親が自分が寝てる部屋の下で……ってことだもんなぁ。
いやしかしすげえな、誠司さんに撫子さん。
確かに2人は学生結婚だったし、今でも若いから子供が出来ても不思議じゃないが、それにしたって度肝を抜かれたぞ?
「とりあえず、おめでとう」
「ありがとう、奏太君」
「奏ちゃんとお姉ちゃんの赤ちゃんがデキるのも楽しみね?」
「いや撫子さん、この流れで言われても、さすがにどんな顔して良いか分からねえよ……」
とにもかくにも如月家に三人目の子供が生まれるらしい。
で、女の子だそうだ。
きっと撫子さんや唯花に似て美人だろう。
「でもひとつ困ったことがあってね。生まれてくる子の名前のことなんだ」
「ん? 名前?」
「せっかく女の子だから、お姉ちゃんと同じ『花』の字をあげたいじゃない?」
「まあ気持ちはわかるが……あっ」
なるほど、と思った。
唯花の名前は『唯一の花』だ。
2人目の女の子に『花』の字をつけたとして、長女に『唯一の』って意味の字があったら、ちょっと可哀想ではある。
自分は両親の唯一じゃない、なんて思ったら非行に走ってしまうかもしれない。
「僕と撫子は学生結婚だったからね。当時は『二人を繋いでくれる、この世で唯一の美しい花』って意味でつけたんだ」
「いおりんの時は男の子だったから悩む必要はなかったしねぇ」
「『唯』の字をつけてあげることも考えたけど、やっぱり僕らとしては生まれてくる子に『花』をあげたいんだよ」
「というわけでお姉ちゃん」
悩ましい顔の誠司さんの横から、撫子さんがとんでもねえことを言い放つ。
「ちょっと改名してみない?」
「しないよ!? 何言ってんのーっ!?」
「ほら、ちょっと字を変えるだけでもいいから。『ゆい』を『結う』って字にしてみたりとか」
「しないってば!? え、ちょっと待って。なんか……っ」
何やらワナワナして結花が……じゃなかった、唯花が叫ぶ。
「お父さんとお母さん、妹がデキた途端、あたしの扱いが雑になってない!?」
「はっはっは、まさかまさか。唯花は僕たちの大切な娘だよ?」
「だから字が変わってもお姉ちゃんは、ちゃんと結花お姉ちゃんよー」
「お母さん今、ぜったい違う漢字の感じで言ったでしょ!? お父さんも口だけでぜんぜんお母さんのこと止めないし! え、っていうか、ちょっと待って待って……っ」
突然、動きを止め、唯花の顔が青ざめていく。
「あたしの今の部屋、生まれてくる子の子供部屋になるんだよね? じゃあ、あたし、ここに帰ってきた時、どこで寝ればいいの……?」
長女の問いに対し、撫子さんと誠司さんは顔を見合わせる。
「リビングかしら?」
「上等な布団を買っておくよ」
「いやーっ! やっぱり雑になってるぅーっ!」
長女さん、頭を抱えて絶叫。
「ひどいひどい! あたし、もう反抗期になるぅ! またお部屋に引きこもるからーっ!」
お、おお……なんてこった。
1年半、めちゃくちゃ色々あってようやく部屋から出てきたのに、唯花がまた引きこもりに戻ろうとしている。
だが恐るべきは、新しい子がデキた時の親の胆力。
如月家の両親ズはまったく顔色を変えなかった。
まあ、理由の半分は俺がいるからだろうが……両親ズは極めて冷静に言う。
「すまないね、唯花……」
「その部屋は妹ちゃんの部屋だから、お姉ちゃんが引きこもれる部屋はないのよ?」
「ちょっ、ええええええええっ!?」
最後の切り札をあっさり吹っ飛ばされ、唯花は仰け反って愕然とした。
顔を引きつらせ、だんだんと恐怖に震えだす。
「え、え、そんな……でもほら? 親御さんは子供を養うっていう義務が日本国けんぽーに……」
小刻みに震える長女。
父と母はまた顔を見合わせる。
「ん……」
「そうねー……」
が、結果は変わらなかった。
「でも唯花はもう指輪をしてるしね?」
「あとは奏ちゃんにお任せするわ♪」
「ほあああああっ!?」
ガビーンッと唯花が劇画調になって白目を剥いた。
お、おお、すげえ……。
生まれてから18年一緒にいるけど、唯花のこんなリアクション初めてみたぞ……。
さすがにちょっと怖くなってきて、俺は恐る恐る呼びかける。
「ゆ、唯花さんや。気をしっかり持てよ……な? な?」
「……そう……た……」
ギギギッと錆びた人形みたいに首を傾けてくる。
大きな瞳にじわりと大粒の涙が浮かんだ。
直後、唯花が大号泣で抱き着いてきた。
「うわーんっ! あたしを養ってくれるの、この世で奏太だけになっちゃったーっ!」
「お、おお、そうだな」
「あたし、なんでもするっ。お料理もっと頑張るし、お洗濯もお掃除もこれまで以上にカンペキにやるし、今まで『それはさすがにいい加減にしなさい』って言ってたエッチなことだって好き放題させてあげるからーっ」
「ううおいっ!? 実の両親の前で何言ってんだってばよ、お前っ!?」
超絶に目を剥く、俺。
娘さんを下さいと言いに来ただけなのに、とんでもねえ暴露をされたもんである。
しかし唯花は発言のアレっぷりに気づかない。
それどころか熱量はますます上がっていく。
俺のワイシャツを握り締め、必死にしがみついて。
大号泣で、すがるような眼差しを向けて。
ウルウルの瞳で「だからだからっ」と懇願し、叫んだ。
「――あたしのこと、ぜったいお嫁さんにしてね!?」
ずきゅーんっと胸を撃ち抜かれた。
なんだこの逆プロポーズ!?
両親ズがいるのに全力で抱き締めたくなっちゃうぞ!?
その衝動をなんか必死に抑え、俺は「とりあえず、落ち着け落ち着け」と大号泣の唯花の背中をさする。
しかし誠司さんと撫子さん、いくら赤ん坊が生まれるからって、なにもここまで追い詰めんでも……と思って視線を向け、俺は気づいた。
「はは」
「あらあら」
2人とも優しい眼差しで娘の背中を見つめている。
……ああ、そういうことか。
俺はすべてを察し、唯花に気づかれないように、こっそりと肩をすくめた。
ウチの彼女は根っからの甘えん坊だ。
そんな長女はこれから初めての一人暮らしに踏み出す。
いうなれば、巣立ちの時だ。
ひょっとしたらホームシックになることだってあるだろう。
まあ俺がいれば大丈夫だろうが、それでも家族から離れる淋しさってのはきっとある。
だけど、普通の大学生の一人暮らしと少し違うのは、その薬指に指輪があること。
唯花は引きこもっていた部屋から出て、ついにはこの家からも出ることを決め、俺と生きていくことを選んでくれた。
別に実家に帰ることはあるだろうし、誠司さんと撫子さんだってその時は快く迎えてくれるだろう。
だけどこの先、唯花が最後に帰る場所は――俺だ。
その決定的な違いを今、両親は娘に伝えたのだ。
もちろん三人目の子供が生まれてくるのは本当だろう。
それはそれとして、娘の巣立ちに背中を押してくれた。
……ありがたいな、と思った。
すると表情で俺が気づいたことを察したのだろう。
誠司さんと撫子さんは口の動きだけで伝えてくる。
「(奏太君、娘をよろしく頼みます)」
「(大切にしてあげてね、奏ちゃん)」
そんな2人へ、俺も口の動きだけで伝える。
この時ばかりは敬意を込めた敬語で。
「(はい、任せて下さい)」
こうして、如月家への挨拶は無事に終わった。
来月、俺と唯花は新居へと引っ越し、新たな生活が幕を開ける――。




