After42 ☆おさほう大学生編プレリュード☆
さて、3月だ。
クリスマスから3か月、さすがに俺と唯花も指輪のある日々に慣れてきた。
が、しかし。
慣れてきたらきたで、今度はちょっと欲張りになってしまうのが人情である。
「ふふふ~ん♪ 肉じゃが、じゃが、じゃが♪ 奏太の口癖は『そうなんじゃが』~♪」
現在、唯花はキッチンで夕飯を作っている。
俺の方はテーブルで頬杖をつき、その後ろ姿を眺めている形だ。
毎日、学校から帰って宿題をし、ひとしきり遊ぶと、唯花はこうして俺の夕飯と次の日の朝ごはんを作ってくれる。
その後、俺が如月家まで送っていく、というのが毎日の日課だ。
ちなみに唯花がウチで夕飯を食べていくこともあれば、宿題が長引いて時間が無くなり、俺が如月家で夕飯をご馳走になることもある。この辺りはケースバイケースだな。
「肉じゃが、じゃが、じゃが♪ 邪眼が目覚めて右手がうずく~♪」
……中二病の危険性ありだな、大丈夫かおい。
なんてことを思いつつ、俺はエプロン姿の唯花が料理しているところをぼんやり見ている。
こうして唯花の料理シーンを見ているのが俺はたまらなく好きだ。
なんかこう、将来的な色々を想像できるからな。
ただ、ここ最近はちょっと欲が出てきている。
というのも……。
「なあ、唯花さんや」
「なんじゃらほい、奏太さんや?」
唯花は鍋の肉じゃがを菜箸でかき混ぜつつ、振り返らずに返事をする。
その背中に俺は言う。
「ちょっと……指輪つけてみないか?」
「ほえ?」
肩越しに振り向く、唯花。
思いっきり不思議そうな顔である。
「なんで? 今、料理中だよ?」
「うむ。料理中ゆえ、ちょっとつけてもらいたい」
指輪は現在、ケースに入れられて俺の目の前のテーブルに置いてある。
いや分かる。
料理中は外すものだと、俺だって分かっている。
でもなんつかーか……指輪あった方が幼妻っぽいだろ!?
ただでさえ料理してて幼妻っぽいところに、さらに指輪で倍率ドンなところが見たくないか!? 俺は見たいぞ!
しかしそんな願いは無慈悲にも届かなかった。
「だめだめー。お料理中は危ないから指輪は外すものなの。水で滑って排水溝とかに落ちちゃったらどうするの?」
「それは分かってる! 分かってるんじゃが!?」
「じゃがじゃが言ってる~」
唯花はけたけた笑うと菜箸を置き、こっちを向いた。
そしてケースを開けて指輪をつける。
お、やってくれるのかっ、と思いきや……。
「だめなものはダーメ。良い子だから我慢しなさい♪」
わざわざ指輪をつけた薬指で俺の額をつんっと突いてきた。
「な……っ!?」
「もうちょっとで肉じゃが出来るからねー」
指輪を外してケースに戻し、唯花は料理を再開。
で、俺は突かれた額を押さえてうずくまる。
こ、こやつめ……っ。
俺が指輪に慣れた一方、唯花は唯花で最近何やら余裕が出てきている。
指輪姿に馴染んでいるというか、それこそ幼妻感が醸し出されてきた……気がする。
おかげで今みたいに俺のワガママを軽く一蹴する有様だ。
まあ、しかしこれはこれで……けっこう悪くない。
なんて思いながら引き続き料理中の唯花を見ていると、ふいにスマホが鳴った。
「ん?」
テーブルに置いておいたスマホを手に取り、俺は思いきり眉を寄せた。
ディスプレイに表示されたのがウチの親父の名前だったからだ。
唯花が振り返って首をかしげる。
「電話ー?」
「……ああ、親父から」
「太一おじさん? 珍しいね?」
ウチの親父はお袋ともども、海外で仕事をしている。
基本的に放任主義なんで連絡なんて滅多にない。
「もしもし? なんだよ、突然」
「『おう、馬鹿息子。愛しのお父様だぞ?』」
「用がないなら切るぞ。ついでに着拒しとく」
「『着拒してもいいが、それならそれで唯ちゃんに掛けるだけだぞ?』」
「よし、唯花。ウチの親父を着拒しろ。今すぐだ」
「もうすぐ肉じゃが出来るから、その後でねー」
……くっ、幼妻の余裕でスルーされてしまった。
幼馴染のツーカーがあるから親父とどうでもいい会話をしてるだけだとバレてるな、こりゃ。
「……んで、用件はなんだよ?」
「『ああ、そっち帰るからよろしくな。ハニーと一緒だ』」
「は? お袋と? いつだよ? どんくらいこっちにいるんだ?」
「『どんくらいつーか、しばらくそっちにいることにした。帰国だな、帰国』」
「はあ? マジかよ」
「『マジだっつーの。4月にはそっち帰るからよ』」
思わず宙を見上げてしまった。
ってことはあれか……この家に親父とお袋がまた住むってことか。
あー、なるほどな。
「わかった。じゃあ俺は家出るわ」
「『おう、いいぞ。じゃあ住む場所決まったら連絡しろ』」
「了解。書類だのなんだのはメールでデータ送ればいいよな?」
「『今のご時世、それで大丈夫だろ。ダメなら誠司に代理するように言っとくわ』」
「頼む。んじゃあ」
「『おう』」
通話を切った。
ちなみに誠司さんというのは唯花の親父さんだ。
ウチの親父とは長い付き合いだから、こういう時も助けになってくれる。
さて、じゃあ引き続き唯花の料理姿を見るか……。
と思って顔を上げたら――。
「ど、どどどどういうことかね、チミ!?」
「おうわっ!?」
メチャクチャ至近距離で唯花が顔を覗き込んできていた。
思わず仰け反り、俺はバクバクいってる心臓を押さえる。
「お、おどかすなよ! 心臓が口からロケット発射されるかと思ったぞ?」
「驚いちゃってるのはこっちの方! 太一おじさんとなんかすごい会話してなかった!?」
「すごい会話……?」
ワケが分からず、俺は眉を寄せる。
「いや別に……とくにこれといった話はしてないぞ?」
「え、本当……? 唯花ちゃんの聞き間違い?」
「そうじゃないか? ただ、親父とお袋が帰国するってだけのことだ」
「太一おじさんと奏絵おばさんが? いつ?」
「4月だってよ」
「わ、じゃああたしたちの入学と同時?」
「だな」
現在、3月。
おかげさまで受験もクリアし、俺と唯花は春から一緒の大学に通うことが決まっている。
ちなみに今の高校からもそう遠くなく、家からも通える距離だ。
ただ唯花はともかく、俺の家には親父とお袋が帰ってくるという。
「つーわけで俺、出てくことにした」
「へ?」
聞こえなかったのか、唯花は目をパチクリする。
「えーと、パードゥン?」
Pardon?
英語で『もう一度言って下さい』って意味だな。
うんうん、受験英語が活きているようだ。
その要望に従い、俺はもう一度、今度は聞き取れるようにゆっくり言う。
「俺は」
「奏太は?」
「この家を」
「この家を?」
「出てくことにした」
「出てくことにしたぁ!?」
うお、すげえ声が裏返ってる。
大丈夫か? 美少女としてギリギリの音域だぞ?
しかし俺の心配をよそに唯花はハチャメチャに混乱している。
「なんでなんで!? どうして出ていくなんてことになっちゃうのーっ!?」
「いやウチの親父とお袋が帰ってくるんだぞ? 息子がいても気にせず四六時中イチャついてる夫婦だぞ? 一緒になんて暮らせないってばよ」
「だからって、さっきの数秒の会話で出てくの決定したりする!? 言っちゃう奏太も、オッケーしちゃう太一おじさんも、どっちもおかしいから!」
「そんなことはないじゃろー」
「あるじゃろ!」
ぱたぱたぱたーっとテーブルを叩いて地団太を踏む、唯花さん。
うーむ、かなり混乱しているようだ。
どう言えば納得してもらえるだろうか、と俺は思案する。
「そんなに慌てなくても、大学進学を機に一人暮らしを始めるなんて、よくあることだろ?」
「それはそうだけどー」
唯花は途端にしょんぼりと肩を落とすと、俺の腕をギュッと掴んでくる。
目にはちょっと涙が浮かび掛かっていた。
「奏太が遠くにいっちゃうの……やだぁ」
「……っ」
可愛いな、おい!
思わずキュンッときてしまったが、違う違う、と俺は内心で首を振る。
「落ち着け。唯花を置いて遠くになんて行くわけないだろ」
「ほんと……?」
「本当だって。だからそんな捨てられた子猫みたいな顔するな」
「あう」
指先で涙をぬぐい、強めに頭を撫でてやる。
「だいたい、大学が近くなんだから、部屋を借りるにしたってこの近所に借りるさ。遠くに住む意味もないしな」
「あ、そっか」
「だからこの家に来てるような感じで、4月からは俺の新しい部屋に来てくれればいい」
「にゃるほど!」
ようやく表情が明るくなってくれた。
合点承知、とばかりに唯花は元気よくその場で跳ねる。
「考えてみたら、太一おじさんと奏絵おばさんが帰ってきたら、あたしたちも困っちゃうもんね」
「ん? 俺はともかく唯花が困ることなんてあるか?」
「あるもん! だって……」
視線を逸らし、唯花は頬を赤らめる。
「今みたいに所構わずイチャイチャできなくなっちゃうしぃ……」
「……お、おう」
こっちも照れくさくなってしまった。
ぶっちゃけ一番の引っ越し理由がそれだったりするのは秘密だ。
「でももう3月だよ? 部屋なんて見つかる?」
「まあ、なんとかなるだろ」
頼りになる仲間が多いことが俺の人生一番の自慢だ。
一斉に声を掛ければ、誰かしら紹介してくれるだろう。
「そっかー。奏太が一人暮らしかぁ……」
何やら感慨深そうにウンウンと唯花はうなづく。
いや……言うて今も一人暮らしではあるんだがな?
まあ、夜以外は基本的に唯花がいるから、一人暮らし感はまったくないと言えばないけれども。
「……じゃあ、あたしもおウチ出よっかなぁ」
ふいに聞こえてきたつぶやき。
耳には届いたが、言葉の意味を咀嚼できなかった。
反射的に俺は聞き返してしまう。
「え、なんて?」
「だからー」
唯花はチラッチラッと俺を見ながら口を開く。
「あたしもおウチ出ようかなぁって」
「いやいやいや!」
俺は全力で手を振る。
「出るって、如月家をか!? 出てどうするんだよ!? そこになんの意味があるっていうんだってばよ!?」
正直、唯花が一人暮らしするなんて想像できない。
マジで出来ない。想像したら心配で爆発して俺は死ぬ。
そんな俺の命が懸かった心配をよそに唯花はなぜかお怒り顔。
「だーかーらぁ! おウチは出ても一人暮らしって意味じゃないの! そういうのじゃなくってぇ……」
「そういうのじゃないって、どういうのなんだってばよ!? 一人暮らしなんて、やめとけやめとけ! むしろ俺の胃の健康のためにやめてくれ!」
「奏太の胃は健康だから! あたしが管理してるんだから健康以外の何物でもナッシング! むしろ、あたしがおウチ出た方がもっと健康になるもん、ぜったい!」
「なるわけないだろ!? 秒で溶けるわ! 胃が痛いってレベルじゃねえぞ!?」
「溶けないし、痛くなんない! もーだからぁ!」
突然、唯花はテーブルの上のケースを手に取った。
ふたを開け、なかに収まっていた指輪を取ると、薬指にはめる。
その瞬間――意味がわかった。わかってしまった。
「おま、まさか……」
俺が愕然とつぶやくと、唯花は長い黒髪を顔のそばに持ってきて、赤くなった頬を隠し、小さく――コクンとうなづいた。
薬指の指輪がキラリと光り、囁くように一言。
「一緒に……暮らしちゃう?」
それは、驚天動地。
まさしく、青天の霹靂。
言うなれば、天元突破。
「なん、だとぅ……」
俺のつぶやきは肉じゃがの良い匂いに満たされたキッチンにぽつりと響いた――。




