After36 夏だ! プールだ! 奇跡の水着回だ!
はてさて、相変わらず暑い日が続いている。
ウチに帰ってクーラーの風が当たれば元気になっていた唯花だが、さすがに連日の暑さが堪えているらしい。
今日はウチに着いてもグロッキー状態だった。
なのでとりあえずリビングで休ませ、俺はキッチンから麦茶を取ってきた。
「唯花、平気かー?」
コップを載せたお盆を持ち、リビングのドアを開ける。
最近、帰り道の唯花は『溶ける~。唯花ちゃん、溶けちゃう~。美少女アイスが発売しちゃう~』が口癖なので、麦茶には氷もめいっぱい入れてある。
これで多少は回復すればいいんだが……と思いつつ、リビングに入った途端、俺は硬直した。
「なん、だと……?」
ソファーにいたはずの唯花が――いない。
しかも制服だけが落ちている。
汗で濡れたワイシャツ。
ほどかれて所在無げなリボン。
ひじ掛けにだらんと置かれたスカート。
床に落ちた紺のハイソックス。
それら制服だけがソファーの周囲に落ちている。
おいおい、嘘だろ……?
こ、これは……。
これはまさか……っ。
「唯花が溶けたーっ!?」
「なわけないでしょーが」
ずびしっと後頭部にツッコミチョップ。
もちろん唯花である。
ちなみにちゃんと自分で『ずびしっ』と効果音まで言っていた。
こんなツッコミを入れるのはウチの彼女しかいない。
「良かった。アイスみたいに溶けた唯花はいなかったんだ……」
「当然なのです。唯花ちゃんアイスが発売したら日本のアイス業界に革命が起きちゃうもん」
背後で胸を張ってる気配。
とりあえずお盆を落としたら大変なので、俺はテーブルの方に向かう。
「しかし、なんで制服脱ぎ散らかしてるんだ?」
普段、こういうことにしっかりしているのはむしろ唯花の方である。
休みの日に俺がパジャマ代わりのTシャツを置きっぱなしにしていると、『もー、ちゃんと洗濯かごに入れときなさい』とお小言を言うくらいだしな。
まあ、そうやって注意してくる時の唯花が妙に嬉しそうなので、俺もわざとやってる感がちょっとあったりするのだが、それにしても唯花が脱ぎ散らかしているのは珍しい。
「んー? 奏太をびっくりさせようと思って」
「そりゃびっくりはしたけども」
しかし、俺とてまさか本当に唯花が溶けたとは思わない。
たぶん汗をかいたから制服を脱いで俺のジャージを着ているとかだろうし、そこまでのびっくり要素はないぞ?
そんなことを思いつつ、お盆を置いた俺は唯花の方を振り返って――。
「――なあっ!?」
超絶びっくりした。
心臓がひっくり返って四回転半の宙返りをするかと思った。
「えへへ」
水着姿だった。
唯花が水着を着ている。
目に眩しい真っ白なビキニ。
しかもフリル付きなのが可愛らしい。
下はパレオになっていて、そこはかとなく品があるのも高ポイントである。
正直、目を奪われた。
びっくり要素ありまくりだ。
俺が硬直したのを見て、唯花は若干照れた感じでポーズを取る。
「じゃーん! どう? どう?」
伸びをするように両手を上げ、軽く腰をしならせて、カメラ目線。っていうか、俺に目線が一直線。
いやどうって……!
Fカップ越えの胸がフリルの向こうで揺れている。
谷間がばっちり見えるし、豊かな曲線にこぼれた黒髪が大変良い。
腰は折れそうなほど細く、パレオの向こうから健康的な太ももがチラ見えしていて、これまた大変すばらしい。
控えめに言って最高以外にないんじゃが……!?
素直に惜しみない賛辞を送ろうとした。
しかし込み上げるものを感じて、俺は反射的に顔を押さえる。
ヤバい、鼻血が出そうだ。
昭和の漫画のキャラクターか、俺は。
「ねえねえ、どうなの~?」
俺が答えられずにいると、唯花が「むう」と不満そうに唇を尖らせて顔を覗き込んできた。
「ちょ、待て! 近い……っ!」
フリルの胸が可愛らしく揺れながら近寄ってくる。
可愛い彼女に可愛い顔と可愛い胸で近づかれたら本気で鼻血不可避だぞ……!?
「一旦! 一旦、ストップ! 時間をくれ……っ」
「そういうのいいからー! 恥ずかしいの我慢してせっかく水着になったんだから、スタンディングオベーションな感想はー?」
「絶賛されるの前提じゃねえか!」
「そりゃあ唯花ちゃんは空前絶後の美少女ですから。奏太が泣いて喜んで錐揉み回転しちゃうのは大前提なのです」
えっへんと胸を張る、空前絶後の美少女さん。
わりといつもやっている仕草ではあるのだが、今日は水着なのでFカップ越えの胸が元気に揺れて破壊力が倍率ドンである。
当然、鼻血ゲージも倍率ドンで上がっていく。
しかしちゃんと感想を言わない限り、唯花は止まらないだろう。
俺は水着姿から視線を逸らしつつ、どうにか口を開く。
「……すげえ似合ってる」
「ほんとー?」
「本当。夏で良かった、って今年初めて思った」
「…………」
じぃーっと唯花の視線を感じる。
一方、俺は思いっきり明後日の方を向いている。
ワイシャツの襟辺りが唯花の指でちょこんと摘ままれ、催促するように引っ張られた。
「目を見て言って」
「め、目を……?」
「そ。しっかり目を見て褒めてくれなきゃ、やだ」
小さい子供のような甘え声。
おのれ、可愛いな、ちくしょう。
水着バージョン唯花を至近距離で見つめるなんて、今の俺にはハードル高過ぎだなんだが、こうなっては仕方ない。意を決して首を唯花の方に向ける。
期待に満ちたキラキラの瞳。
アンド無防備な水着姿。
色々堪えながら見つめ、唯花の白い頬を撫でる。
「本当に似合ってる。真剣に可愛い。こんな魅力溢れる彼女がいて俺は幸せ者だ」
「…………」
またじぃーっと見つめてくる視線。
唯花は可愛らしく小首をかしげる。
「唯花ちゃん素敵?」
「素敵だ」
「素敵に無敵?」
「向かうところ敵なしだな」
「ハート撃ち抜かれちゃった?」
「撃ち抜かれて今、絶賛、夜空の彼方で錐揉み回転してる」
えへ、とご満悦な笑み。
「ならば良き良ーき!」
頬に触れていた俺の手を取り、唯花は嬉しそうに飛び跳ねる。
どうやらご満足いただけたようだ。
俺の方もそろそろなんとか通常運転に戻れそうだ。
「しかしなんでまた突然、水着なんだ?」
「あのね、先週通販で買っておいたの。中学校の時のはもう小さかったから」
そう言って、唯花はビキニの肩紐に触れる。
俺の視線はどうしてもその下にいってしまう。
まあ、そうだろうなぁ。
明らかに成長したからなぁ。
「む」
あ、やべ。
視線に気づかれた。
サッと自分の胸元を隠し、唯花がジト目を向けてくる。
「奏太のえっち」
「や、水着だから良いのでは!?」
「水着でもいっぱいえっちな目で見るのはギルティなの!」
「くっ、なんと世知辛き世の中か……!」
ん?
いや、待て待て。
いっぱいエロい目で見るのがギルティってことは、ちょっとだけならエロい目で見ても許されるのか……?
「唯花さんや」
「なんじゃらほい、奏太さんや」
「ちなみになんじゃが……」
「あ、なんかえっちな質問してきそうだからキャンセル」
「キャンセルされた!?」
「はい、というわけで奏太はこれに着替えてね」
「んん?」
渡されたのは海パンだった。
もちろん俺のである。
引きこもっていた唯花と違い、俺は1年次の授業で水泳があったので、高校になってから買ったやつだ。
おそらく唯花が家のどこかで見つけてきたのだろう。
きちんと洗濯も終わってるようだ。
「もっかい聞くが、なんで水着? ウチはプール付きの大豪邸じゃないぞ?」
「ふふふ、よくぞ聞いてくれました。その答えは着替えてくればわかるのです!」
そこはかとなく嫌な予感がするが、そう言われては仕方ない。
俺は風呂場の脱衣所にいって水着にフォームチェンジする。
そしてリビングに戻ってみると――。
「じゃーん!」
本日、2度目の『じゃーん』である。
しかし今回は俺も「おー」と納得した。
唯花は庭にいた。
リビングの窓が開けられ、その先にホースを持った唯花がいる。
庭先にはビニールプールが置かれていた。
丸型のプールに水が入り、陽の光を反射している。
横には海外製の高速ブロアーもあった。昔、ウチの親父が『空気入れるのめんどくせえ』とか言って、通販で取り寄せた電動の空気入れ機である。
「こないだ、台風の後の涼しかった日に物置で見つけたの。すごいでしょー!」
「懐かしい……まだ残ってたんだな、こんなの」
このプールはかき氷機やスイカのビニールシートに引き続き、子供の頃に唯花たちと使ってたものだ。
「あ、これを見つけたから水着を買ったのか」
「そ! せっかくだから暑いうちに遊ぼうと思って。ほら、えいえい!」
プールの水をすくい、唯花がこっちに掛けてくる。
「おわっ。ちょ、家ん中に水が入るっての!」
「えへへ、出てくるのが遅い奏太が悪いのー!」
「こやつめ、調子に乗りおって……! 見てろ!」
俺は一足飛びで庭に出て、そのままビニールプールに着地する。
バシャアッと大量の水が飛び跳ねた。
「きゃあ! もう、ずーるーい!」
「くくく、これが兵法というものよ」
そんなこんなで楽しく遊び始めようと思ったのだが、ふと気になった。
この炎天下である。
庭先には当然、エアコンの涼しい風も届かない。
「唯花、だいぶ暑いけど、大丈夫なのか?」
「平気平気! 今日も帰り道はヘトヘトだったけど、プールがあったって思い出したら元気になったし。プールはノーカンなのです!」
「そっか。ならば良し」
「ん! ぜんぜん元気だから良し良……し~……?」
元気にピースしていた唯花の体が急に傾き始めた。
ホースを持ったまま、プールの方へと徐々に崩れていく。
いや崩れるというか、なんかイメージ的にはとろっとしてるような……?
うん、つまりは――。
「きゅう~……」
「唯花が溶けたーっ!」
結局、暑さでバタンキューしてしまい、慌てて受け止める俺なのでした。
◇ ◆ ◆ ◇
「あう~、プールはノーカンだと思ったのにぃ……」
「まあ、そもそもトンデモ理論だからな、それ。むしろ、なんで大丈夫だと思ったのかって話だぞ……?」
「うぅ、奇跡も魔法もあるんだよ……」
「なかったからこうなってるわけだが」
俺は嘆息し、唯花をうちわで扇ぐ。
あれから急いでエアコンの効いたリビングに戻ってきた。
ソファーにバスタオルを敷いて水着のまま寝かせ、今は俺が膝枕をしてやりながら唯花を扇いでいる。
「とりあえず、涼しくなるまで外遊びは禁止な?」
「え~」
「え~、じゃない」
「奏太の過保護ぉ……」
「過保護で結構。お返事は?」
「はあい」
ちっちゃく手を上げてのお返事。
一応、納得はしてくれたらしい。
ただ、頬っぺたは膨れている。
「でもお外禁止だと、もう唯花ちゃんの水着姿見られないよー?」
「ぐ……っ」
「奏太はそれでいいのー?」
俺の膝の上からイタズラっぽい目で見上げてくる。
や、確かにこの水着バージョン唯花をしばらく見られないのは口惜しい。
ただ……。
……そう、ただ、口惜しさとは別に思うところがある。
そもそも唯花の水着姿なんて、引きこもっていた頃には見られなかった。
まあ、巫女服やらメイド服やらを着ていたこともあったので、ひょっとしたら水着もそのうち着ていたかもしれないが、庭でプール遊びをする姿は絶対に見られなかった。
あの頃から考えれば、今日の一幕は奇跡みたいなものだ。
だから、まあ、なんだ……。
「……唯花が元気にプールで遊んでるとこをちょっとでも見られた。それだけで俺は結構満足なんだ」
「え?」
ちょっと感慨深くなってしまった俺の言葉を聞き、唯花はぱちくりと目を瞬いた。しかしすぐに意図に気づいたらしい。
肩から力が抜け、唯花は柔らかく苦笑する。
「もう、奏太ってば……」
細い腕が伸びてきて、抱き寄せられた。
唯花のおでこにコツンと俺の額が当たる。
そして心のこもった囁き声。
「……ありがとね。大好き」
不意打ちだったので、かぁーっと顔が熱くなってしまった。
照れくさくなり、俺は「お、おう」とだけ言って、すぐに体を起こす。
唯花じゃなくて自分をうちわで扇ぎたいくらいだった。ついでに照れ隠しで余計な言葉も出てしまう。
「ま、まあ、水着バージョンが当分見られないのはやっぱ残念だけどなっ」
「着てあげよっか?」
「え?」
視線を向けると、唯花はこっちを見ず、黒髪を指でくるくると手いじりしていた。
「水着。お外に出なければいいんでしょ? 奏太が見たいなら……今みたいに普通におウチの中で着てあげる」
当たり前のように言われ、ついまじまじと見てしまった。
俺の膝に頭を乗せ、ソファーに寝転んでいる水着の唯花。
フリルのビキニ。
品のあるパレオ。
Fカップ越えの谷間。
反射的にまた意識してしまいそうになって、俺は慌てて目を逸らす。
「……やめとこう。どう転んでもギルティになってしまう」
つまりいっぱいエロい目で見てしまう。
ちょっとだけなら許されるかもしれないが、俺は修行が足りないので、ちょっとだけとか普通に無理だ。間違いなく『ずびしっ』とお仕置きのチョップ連発祭りになってしまう。
しかし唯花の返答は予想外のものだった。
「うん、だから……特別にギルティじゃなくしてあげてもいいよ?」
「へ?」
ころん、と逆の方を向いて、唯花は小さくつぶやく。
陽射しに焼かれたのかと思うくらい、頬を真っ赤に染めて。
「たまにだったら……」
ナイショ話のような囁き声で。
「…………いっぱい、えっちな目で見ていいよ?」
瞬間、「――っ!」と撃ち抜かれてハートが錐揉み回転した。
クラッときて、うちわが床に落下。
そしてとうとう俺は――……はい、鼻血が出ました。
「Oh……!」
「へ? ……え、鼻血!? 奏太も具合悪くなっちゃったの!? 太陽さんにやられちゃった!?」
いや違う違う。
太陽さんじゃなくて、お前さんにやられたんだってばよ……。
びっくりし過ぎて逆に元気になったらしく、唯花が大慌てでティッシュを箱ごと顔面に押しつけてくる。
俺はティッシュの山で呼吸困難になりながら、薄れゆく意識で思った。
やっぱり奇跡の水着姿はまだ当分奇跡のままでいいかもな……。
 




