After30 花粉到来! 唯花ちゃんは目薬させない
「にゃあ~っ! 目がぁぁっ、お目々がぁぁぁ~っ!」
さて、今日も今日とて俺の部屋……にはまだ到着していない。
ここはウチの玄関である。
で、天空の城の大佐のごとく『目がぁ目がぁ』言ってるのは、もちろん唯花だったりする。
「ウチに着いた途端にこの変わりよう……学校にいる間はまだ我慢できてたろ?」
「それはネコちゃん被ってたから! 唯花ちゃんの猫かぶりスキルを甘く見るな、なのです!」
「いや猫かぶりを自慢されてもな」
「とにかくお目々がかゆいの~! 奏太!」
天空の城の大佐のごとく目を押さえていたかと思えば、今度は風の谷の殿下のごとくシュバッと手を振り上げる、唯花。
「焼き払え!」
「何をだよ!?」
「この世すべてのスギとヒノキを!」
「く、腐ってやがる……っ」
思わず殿下の参謀のごとくドン引きしてしまったぞ。
あと俺は巨神兵じゃないからな?
地平線の先まで焼き払ったりできないからな?
まあ、そんなこんなで、なぜ唯花がここまでテンパっているかと言うと、花粉症である。いつもは宝石みたいにキラキラしている唯花の目だが、今日は花粉にやられてウサギのように真っ赤っ赤だ。確かにこれは辛いだろう。
「ほら、森林を焼き払う前に部屋にいくぞ。目薬をさせばきっと楽になるだろ?」
「あう~」
下校途中で薬局に寄って、花粉症用の目薬を買ってある。俺はビニールの袋を見せて廊下を歩きだした。しかし唯花はついて来ない。
「かゆかゆでもうお目々開けられにゃい……。奏太ぁ、引っ張ってってー」
「Oh、世話の焼ける殿下め……」
俺は唯花の手を握り、廊下を先導していく。
しかし俺の部屋は二階である。
「ええと、階段なんだが……」
「おんぶして~。もしくは王蟲に乗ってく~」
「どっちも危ないから自分で登れ。ほら右足、左足、いっちに、いっちに」
「いっちにぃ、いっちにぃ、いっちにぃ……」
唯花は目をつむったまま、俺の両手を頼りにおっかなびっくり階段を登り始める。よちよちしていて、なんかちょっと可愛いぞ。
「しかしまさか唯花が花粉症とはなぁ。去年はこんなふうにならなかったろ?」
「だって去年はお部屋にこもってたもん。『花粉なにそれ美味しいの?』状態だったもん」
「あー」
なるほど、引きこもってたから花粉を浴びることが一切なかったのか。ある意味、史上最強の防御策だ。
思い返してみると、小中学生の頃は撫子さんが早めに花粉症の薬を飲ませていた気がする。去年は引きこもりのおかげでノーダメージで、今年はそのせいで油断してたってとこか。あとで撫子さんに言っとこう。
ちなみに俺は目も鼻もまったく平常運転だ。
たぶん体質的に花粉症ではないんだろう。
「ほら、着いたぞ。早く目薬さして楽になれ」
部屋に到着し、ビニール袋を手渡す。
唯花は目薬を箱から取り出し、上を向いて……なぜかそのまま固まった。
「唯花?」
「奏太さんや」
「なんじゃらほい?」
「怖くて目薬させにゃい……」
「Oh……」
マジか。そういう人もいるとは聞いたことはあるが、まさかウチの彼女がそうだとは……。そういや小学校のプール後の目薬も嫌がってたな。あの時はどうしてたんだっけか。
「奏太」
「うん?」
「やってー」
「ああ、そういやそうだった」
小学生の時もなんやかんやで俺がさしてやってたんだった。
「唯花さんや、お主、もう高校生じゃぞ?」
「いいの~! 悪いのはスギとヒノキの七日間だもん!」
「無理やり『火の七日間』みたいに言うんじゃない。人類が滅んで風の谷が爆誕してしまうだろうが。あと花粉は七日間じゃ無くならないからな?」
「ひ、ひどい! 奏太が全人類に絶望を突きつけてくる……!」
「ただの事実だ、事実」
「も~! いいから早く目薬さしてー!」
グイグイと背中を押され、ベッドに座らされてしまった。そして唯花が膝にころんと頭を乗せてくる。普通に膝枕だ。こやつめ、さては花粉症からのだだ甘えモードに突入してるな?
まあ、いいか。
風邪の時に病人を労わるようなものだろう。
花粉症の時に唯花を甘やかしちゃいけない法律はない。
「わかった、わかった。ほれ、目薬貸せ」
「うみゅ。お願いしまする」
目薬を受け取り、唯花の目に近づける。
「さすぞ?」
「うみゅ」
「えーと、さすぞ?」
「どうぞ」
「うん……さすからな?」
「ドンと来いなのです」
「あー、その、なんだ……」
俺は宙を見上げて途方に暮れた。
そして再び膝の上の唯花を見て、極めて紳士的な口調で指摘する。
「お嬢さん、目を開けてくれないと目薬はさせないんだが?」
「だ、だって怖いんだもーん!」
唯花はギュッと目をつむったまま、ジタバタする。こらこら、暴れるな。ベッドから落ちるってばよ。
しかし困ったな。こうして目をつむってたら、いつまで経ってもさせないぞ。小学生の頃はどうしてたんだっけか……。
「ああ、そうだ」
「ほえ?」
昔のことを思い出し、俺はサイドボードの方へ手を伸ばす。そこにはヘタレ顔のアーサー王のぬいぐるみがある。唯花の部屋にあるのと同じやつだ。お揃いにしたいと言って、唯花が俺の部屋に持ち込んだグッズの一つである。
俺はそれを持ち、子供をあやすように振ってみせる。
「ほーら、唯花ー。こっち見てみ? ヘタレ顔のアーサー王だぞー?」
「子供扱い!? 奏太がすごい子供扱いしてくるーっ!?」
びっくりして両目を開く、唯花。
「なんなの、突然!? あたしをバブみでオギャらせる気なの!? 逆でしょ、逆っ! そういうのは奏太がお疲れの時にあたしがしてあげることなのー!」
驚きのあまりだだ甘えモードも吹き飛んでいた。っていうか、どんなに疲れてても、オギャったりはしないぞ、俺は。唯花はさせようとしてくるだろうが、それは彼氏の沽券に関わるからな。
「いやほら、思い出したんだよ。小学生の時とかこうやって唯花の気を引いて目薬さしてやってたろ?」
「ぐ、ぐぬぬ……そういえば確かにそんなこともあったような気がするけれども。でも唯花ちゃんももう高校生だし……」
「自分で目薬させないくせいに何言ってんだ。ほれ!」
「ひゃう!?」
左手でアーサー王を振りつつ、右手の早業で両目へ目薬をさした。
「にゃあ~っ! 目がぁぁっ、お目々がぁぁぁ~っ!」
「いやそこはダメージ描写じゃなかろうに」
「お目々が~……治ったぁ!」
パチッと唯花の両目が開く。
赤みが消えて、いつもの宝石のような透明さに戻っていた。
え、早いな。
そんな即効性あるか、普通?
まさかウチの科学部が関わってる商品じゃないよな、これ。
気になって裏面を見ようとしたが、その前にバシッと唯花に目薬を奪われてしまった。
「はい、交代」
「は? 交代?」
「そ。今度は奏太がさされる番!」
「いや俺、必要ないんじゃが!?」
「シャラップ! 問答無用なのでーす!」
唯花は勢いよく俺の膝から起き上がると、今度は自分が座って俺を膝枕させようとしてくる。
「待て待て、落ち着け! 一回、確認だけさせてくれ! その目薬、下手したらメチャクチャ視力が良くなるとか、変な副作用があるかもしれん!」
「目が良くなるならいいじゃない!」
「それはそうだけれども!」
「もうっ、観念しなさーい!」
制服のスカートに包まれた太ももに押しつけられた。
ふにふにっ、とした感触が大変心地いい……が、それはそれとして目の前にアーサー王がやってくる。間近に迫ったヘタレ顔がホラーのようだ。
「高校生になった唯花ちゃんをこーんなぬいぐるみであやそうとするなんて、何を考えているのですか、ソータ」
「いやそれどっちがしゃべってるんだ!? 唯花か!? アーサー王か!?」
「事と次第によってはエクスキャリバーで焼き払いますよ?」
「あ、これアーサー王だ。待て待て、何を焼き払う気だ!?」
「無論、この世すべてのスギとヒノキを」
「巨神兵とどっこいどっこいの危険度だな!?」
後頭部には彼女の柔らかい太もも。
目の前には『火の七日間』なアーサー王。
一体、どういう状況なんだこれは。
しかし何が唯花の逆鱗に触れたのか、まったく分からん。
結果的に目薬をさせたんだから、ぬいぐるみであやすぐらい良いじゃないか。
と思っていたら、幼馴染プラス彼氏彼女の以心伝心で考えていることが分かったらしく、アーサー王が凄んでくる。いや普通に怖いな、これ。
「まったく、まだ分かっていないようですね、ソータ」
「まあ、うん、全体的にどういうことだってばよ……」
「唯花ちゃんはもう高校生なのですよ? 気を引くにしても他にもっとやりようがあるでしょう?」
「や、やりようとは?」
「だから……」
アーサー王が視界の中からどいた。
見えるのは、膝枕の俺を見下ろしつつ、なぜかちょっと視線を逸らしている唯花。
「た、たとえば頑張って目を開けたら……」
白い頬がかぁーっと赤くなっていく。
「……ご褒美にキスしてくれる、とか?」
小首をかしげた疑問形が可愛かった。
なるほど、そうか、そういうことか。
これは……確かに俺がギルティだったかもしれん。
俺たちはもう高校生だ。
しかもちゃんと付き合っていて、ちゃんと恋人同士である。
小学生の時と同じやり方はよくなかったな。
海のように深く反省し、俺は赤く染まった頬へ手を伸ばす。
「唯花」
「というわけで、奏太に目薬をさします」
「なぜにっ!?」
当たり前のように宣言され、両目を見開いてしまった。
「ここは俺が唯花にご褒美をあげるターンじゃないのか!?」
「ノー。圧倒的にノー。言ったでしょ? 交代って」
しまった。
失念していた。
この殿下はもうだだ甘えモードじゃない。
むしろ逆に俺を甘やかす気だ。
いかん、オギャらせられる……!
圧倒的な危機感を覚え、俺は即座に体を起こそうとする。しかしそれを読んでいたかのように、唯花が先に動いた。
桜色の唇に指を当て、目薬でウルウルと潤んだ瞳で見つめてくる。
「あたしのご褒美、いらないの?」
「――っ」
ぐあ、ちくしょう……っ。
動けなかった。
やっぱりあの目薬は科学部の商品だ。
魅了の効果か何かが付与されているに違いない。
なんて馬鹿なことを考えていたら、唯花の口元がイタズラっぽく笑んだ。
「あれー? 奏太が動かなくなった。そんなにご褒美ほしいんだ?」
「や、ちが……っ」
「違うのー?」
顔を覗き込まれ、思わず「……っ」と言葉に詰まる。
ヤバい。ウルウル瞳によって唯花の美少女度が跳ね上がっている。
いま分かった。
魅了の効果が付いているのは目薬じゃない。
唯花がウルウル瞳になると、俺への特効効果になるのだ。
本能がアラートを鳴らす。
このままではマジでオギャらされてしまう。
駄目だ。それは本当に駄目だ。
くっ、かくなる上は……!
俺は思いきり目を閉じた。
奇しくもそれは唯花が目薬をさそうとしていた瞬間だった。
「あ、こらー。ちゃんとお目々を開けてなきゃ……」
俺が自分と同じことをしていると思い、唯花は嬉しそうに怒ったふうなことを言う。だが俺はその言葉が終わらぬうちにガバッと起き上がって――キスをした。
唇と唇が触れ合い、唯花がピクンッと跳ねる。
「にゃあ!?」
完全に不意を突かれ、唯花の余裕が崩れた。
おそらく顔を真っ赤にしているに違いない。
俺は目をつむってるから見えないけどな!
「にゃ、にゃんでキスするのーっ!?」
「くくく、見たか。目を閉じていればウルウル瞳の魅了は効かないぜ!」
これぞ逆転の発想だ。
ラスト5秒の逆転ファイターと呼んでくれて構わないぞ。
「うぅ、なんかワケ分かんないこと言って勝ち誇ってるぅ……っ。ちゃんと目薬したらご褒美に唯花ちゃんからキスしてあげるのにぃ……っ」
唯花の悔しがっている顔が目に浮かぶ。
瞼を閉じてるから実際には見えないが。
「……もう怒った。奏太みたいな悪い子は……」
なんか嫌な予感がした。
その次の瞬間だ。
「……こうだーっ!」
突然、唯花に脇腹をくすぐられた。
「ちょ!? あははははっ!」
目をつむっているから避けられなかった。
今度はこっちが不意を突かれ、ベッドに押し倒されてしまう。しかしそれでも終わらない。細い指が無慈悲かつ縦横無尽に脇腹を駆け巡る。
「あははははっ! やめっ、降参だ、降参!」
「だめだめ! ご褒美をキャンセルした悪い子にはおしおきなのです!」
「あはっ、ちょ、マジで! マジでやめっ、あははははっ!」
「どーだどーだ! こやつめーっ! にゃはははっ!」
家中に響くくらい、笑い声が木霊する。結局、この日は唯花が満足するまで小学生のようにくすぐり倒されてしまった。笑い過ぎて腹筋が痛いぞ……。
で、花粉症の薬が効いたようで、次の日からは唯花のかゆかゆも収まった。つまり俺の腹筋と引き換えに、日本の森林は焼き払われずに済んだのである――。




