After26 唯花さん、嫁入りの挨拶をして甘々する
前回のあらすじ。
俺は三上家の玄関で親父と立ち話をしている。
そもそもは唯花に足止めを頼まれてただけなんだが、妙に真面目な話をしてしまったな。
ってか、結局、なんのための足止めだったんだ?
唯花はなんか心の準備がいるとか言ってた気がするが……。
と思っていたら、キッチンの方からトトトッ……と足音が聞こえてきた。
唯花の足音だ。
振り返ると、やはりこっちに駆けてきていた。
「太一おじさーんっ」
「ん? どうした、唯花ちゃん?」
ブーツを履き終えた親父が玄関から訊ねる。
すると唯花は俺の横で急停止。
何やら緊張した面持ちで背筋を伸ばした。
「えっと、あの、あのね……っ」
なんだ?
今さらウチの親父に緊張することなんてないだろうに。
不思議に思っていると、唯花は突然、大声で言った。
「は、初めまして! 如月唯花ですっ」
「は?」
「んー?」
俺と親父は同時に首をかしげた。
初めまして、とはこれいかに。
初めましても何も子供の頃から……ってか、生まれた時からの顔見知りだぞ?
同じことを思ったのか、親父が摩訶不思議顔でこっちを見る。
「えーと、新しい遊びか? 若者の間で流行ってるのか?」
「知らん知らん。俺もさっぱりだ」
すると唯花がなぜかいっぱいいっぱいの顔で口を挟んだ。
「い、今のあたしは初めましてだからっ」
「今の?」
俺はさらに首をかしげる。
そろそろ角度が九十度になりそうだ。
「唯花、まさか……俺が知らん間に異世界転生でもしてたのか?」
「誰が引きこもり魔術の最強チート美少女よ!」
「言ってない、言ってない。そこまでは言ってない」
「異世界転生とかじゃなくて!」
ぶんぶん首を振り、唯花は小さな拳をぎゅっと握り締める。
「奏太のカノジョな今のあたしは……太一おじさんに会うの初めてだから」
「……っ」
やべえ。
一瞬、ニヤつきそうになってしまった。
なんて可愛いことを言うんだ、この娘さんは。
いや待て。
聞きようにようってはこれ相当なノロケだぞ。
また親父に『息子よ、お父さんドン引きだぞ?』とか言われかねん。
俺は恐る恐る親父の顔色を窺う。
すると親父は圧倒された表情で、
「なんて可愛いことを言うんだ、この娘さんは……っ」
俺が思ったのと同じことをつぶやいていた。
いや……親子で感性が一緒なのかよ。
似た者親子とか言われそうで嫌だな、おい。
そして唯花の行動はそこで終わらなかった。
「とう!」
何やら掛け声を上げたかと思うと、唯花は突然その場に膝まづく。
そのままあろうことか、正座で三つ指をついた。
な、なんだ?
どうした……?
俺が戸惑っていると、唯花は緊張した面持ちで深く頭を下げる。
そして再び自己紹介を始めた。
「は、初めまして、奏太のカノジョの如月唯花ですっ。えとえと、ふつつか者ですが……よろしくお願いします!」
直後、がばっと顔を上げ、予想の斜め45度な言葉が飛び出した。
「太一おじさん……ううん、太一お義父さん!」
「唯花ぁ!?」
目ん玉が飛び出るかと思った。
待て待て待て!
三つ指ついてお義父さん……って、それもう嫁入りの挨拶じゃねえか!
まだ早い!
やるなら俺が先だろうが!?
順番守れ、順番を!
いや違う、そうじゃない!
そういう問題じゃないってばよ!
いかん、俺はいま混乱している。
一から十までどういうことなんだ……っ!?
「お、親父! ちょっと時間をくれ! タイムだ、タイム。今、俺が唯花と話し合いを――はっ!?」
慌てて親父の方を向き、俺は絶句。
透明な涙がつぅ……とこぼれていた。
親父が泣いている。
天を振り仰ぎ、三上家の父が涙を流していた。
「今日はなんて素晴らしい日なんだ……」
「いや、え……なんぞ!?」
「いつもの冗談じゃなく、本当に……唯花ちゃんからお義父さんと呼ばれる日が来るなんてな。……ふっ、娘を嫁に出した気分だぜ」
「いや逆っ、逆っ! あんた、出したんじゃなくて嫁入りの挨拶みたいなことされたんだよ! 長年、娘扱いしてたせいで感覚がワケ分からんねえことになってんじゃねえか!」
「へへ、ちくしょうめ。奏太……お前ももう一人前だなぁ」
「まだ早いだろ!? こんな流れで息子のこと認めんな! 普通に嫌だよ、もっとなんか成し遂げた時に認めてくれよ!?」
やばい。
ワケの分からん事態になっている。
唯花が突然、謎時空を展開するのはいつものことだが、それが親父に対してまさかのクリティカルを叩きだしていた。
親父も触発されて謎感動をし、一般家庭の玄関がカオスと化している。
俺が愕然としていると、今度は親父が動きだした。
その場で流れるようにジーンズの膝をつく。
そしてあろうことか、親父は唯花に返礼するように深々と頭を下げた。
「ちょ、親父!?」
「奏太、お前は黙ってろ」
すげえ真面目な声で言うと、親父は無駄に真摯な口調で言う。
「不肖の息子ですが、こちらこそよろしくお願い致します」
「お義父さん……っ」
唯花が感動したように目を潤ませる。
一方、俺は混乱の極みに達した。
なんだこれ!?
もうどこからツッコんでいいか分からんぞ……っ。
「とりあえず親父、どこで頭下げてんだ!? そこ玄関! 靴脱ぐとこ!」
唯花は廊下で三つ指をついているが、親父はさっきまでブーツを履いていたので、玄関のたたきにいる。
おかげでお辞儀というより土下座みたいな格好になっていた。
しかし一切の躊躇がない。
親父はたたきでしっかりと土下座をしている。
「よく聞け、息子よ。男が頭を下げると決めたら、場所なんて関係ねえんだ」
「いや場所ぐらい選んでくれよ!? ってか昔、簡単に頭下げるなとか俺に説教してたろ、あんた!?」
「下げるべき時は下げる。それが男だ。そして今がその時だ」
「言いたいことは分かるけれども!」
親がローファーの横で土下座してるとこなんて見たくなかったぞ、おい。
しかし親父は本当に躊躇がない。
顔を上げると、真っ直ぐな目で唯花を見る。
「唯花ちゃん」
「はい、お義父さん」
「……」
唯花はこれまた真っ直ぐな目で返事をした。
なんかもう俺が口を挟めない空気だった。
三上家の玄関で二人は視線を交わしている。
親父はほのかに笑みを浮かべた。
「誰に似たんだか……奏太は放っとくと、どこまでも遠くにいっちまうタイプの人間だ。誰かが見ててやらねえと、こいつは振り返らずにどんどん広い場所へと進んじまう」
「うん、わかる」
間髪を入れず、唯花がうなづいた。
え、そうなのか?
俺、そんな奴なのか……?
「そういう馬鹿には帰る場所になってくれる人が必要だ。オレは……唯花ちゃんがそうなってくれたらいいとずっと思ってた」
親父は俺たちを見て、目を細める。
「だから今、本当に嬉しいんだ。運命の相手なんてものがいるとしたら、奏太にとってのそれは唯花ちゃんなんだろう。こいつは物心ついた時からずっと唯花ちゃんだけを見てきたからなぁ。そんな人がそばにいてくれたら、男にとってこれ以上の幸せはないさ」
「任せといて」
唯花は自信に満ちた笑顔を見せる。
「いつか奏太が大人になって世界に飛び出すことになってもね、あたし一緒についてくって決めてるの。最初はね、奏太がいつでも帰ってこられるように待っててあげようと思ってたんだけど……」
ああ、そうだな。
そんな話をいつかした気がする。
「でも今は一緒にいきたい。奏太が色んなとこへいくなら、あたしも一緒にいって、色んなものを見てまわりたい」
元ひきこもりとは思えない、アクティブな発言だった。
そうだ、確かにそういう話もしたな。
胸のなかにほのかな感慨が湧くのを感じる。
すると、唯花がゆっくりと立ち上がった。
自然にこちらへ身を寄せてくる。
肩が触れ合い、俺たちは親父の前で並んで立った。
「奏太が疲れた時はあたしが甘やかしてあげる。あたしが疲れた時は奏太に思いっきり甘えてあげる。そうやってずっと一緒にいるの。だから安心して」
花が咲くような笑みだった。
「奏太はあたしが一生幸せにしてあげるっ!」
これでもかというくらい、自信いっぱい愛情いっぱいの宣言だった。
俺は嬉しいやら照れくさいやらで頬をかく。
頬を緩め、親父も「くくっ」と楽しそうに笑って立ち上がる。
「こりゃ尻に敷かれそうだな、息子よ?」
「うっせ」
親父の視線は唯花へ。
「ありがとな。唯花ちゃんになら安心してこいつを任せられる。色々苦労かけるだろうが、そん時は思う存分叱ってやってくれ」
「うん! それもあたしのお仕事だから任せといてっ」
ぽふっと胸を叩いて唯花は請け負う。
……いや、むしろ俺が日々頑張ってる方だと思うんだが?
なんで二人の間では俺が問題児みたいな扱いになってるんだ?
納得いかない俺をそのままに親父はしみじみと言う。
「本当に今日は善い日だな。こりゃいい酒が飲めそうだ」
そうしてしばらく二人はノリノリの会話を続けていた。
やがて一段落したのか、親父は身を翻して後ろ手に手を振る。
「じゃ、またあとでな。祝福するぜ、二人とも」
そう言って、親父は玄関から出ていった。
唯花がぶんぶん手を振って見送り、俺はその横でやれやれと肩を落としている。
親父が去り、玄関の扉が閉まった。
と同時に俺はハッと気づいた。
「結局、親父なんか勘違いしたままじゃねえか!?」
あれは絶対、唯花が嫁入りの挨拶したと思ってる。
ここで誤解を解いておかないと、絶対さらに面倒くさいことになるぞ。
「親父、待て! 親父ーっ!」
「まあまあ、良いではないかね」
あとを追って靴を履こうとしたところで、唯花に服の裾を摘ままれた。
「太一おじさん、ウチにいくんでしょ? お母さんいるし、お父さんも帰ってくるんなら大丈夫だよ」
「いやでも……ま、まあそうか。いや本当にそうか?」
一瞬納得しそうになったが、誠司さんはともかく、撫子さんは面白がって逆にあることないこと吹き込みそうな気がするぞ?
まあ、それもあとで如月家にいった時に誤解を解けばいい話ではあるが……。
「なんか……どっと疲れた」
俺は思いきり吐息をはく。
すると、唯花がまったく悪びれずに目をまたたいた。
「およ? どったの?」
「どったのじゃないぞ……」
一体、何から尋問したらいいのやら。
眩暈がしてきて、俺は玄関の壁に背中を預ける。
「とりあえず、唯花と親父のなかで俺はそんなにかっ飛んだ問題児なのか……?」
「その自覚の無さが大問題」
ジト目を向けられた。
「お外だと何かある度にバイク乗り回すし、すぐにヘリコプターとか謎の科学道具とか持ち出すし、あたしがそばにいないと毎日が劇場版みたいなことになるでしょ、奏太は」
「む、むう……」
それを言われると返す言葉がない。
生徒会長をしている手前、日々、厄介事は色々と起こる。
俺は仲間が多い分、やれることも多いので、最短距離で解決しようとすると、どうしても事が大きくなりがちなのだ。
放っておくとどこまでもいってしまう、というのは確かに唯花や親父の言う通りなのかもしれない。
「な、なるほど……俺は唯花のおかげで普通の日常回を送れているのか」
「そうだよ。感謝するがいいのです」
「あざす」
「よろしおす」
大仰にうなづく、唯花。
まあ、それはいいんだが……。
「あの謎の挨拶、ってかお義父さんってなんなんだ?」
「……うにゅう」
途端に唯花は肩をすぼめた。
どうやら本人的にも気恥ずかしくはあったらしい。
「だ、だって……」
もじもじと指を組み合わせる。
「ああしてちゃんと挨拶しておけば……奏太も安心でしょ?」
「え、俺?」
「そだよ。太一おじさんがお義父さんなら……もうヤキモチ妬かないでしょ?」
「……」
自然に手のひらで顔を覆った。
そうきたか。
そういうことだったのか。
俺のためかぁ……。
いかん、顔が熱い。
俺が黙っていると、唯花がぽかぽかと胸を叩いてきた。
「い、言っとくけども、あたしも恥ずかしかったんだからねっ」
「分かってる分かってる。でもお義父さんは言い過ぎだろ。下手したら訂正するまでずっと浮かれてるぞ、あの親父」
「あ、あれはなんか……勢いで。それに……」
唯花の頬が赤く染まっていく。
もじもじと身じろぎする。
そして蚊の鳴くような声でつぶやいた。
「あたしは別に……訂正しなくても……いい……のですけども……?」
……なん、だと?
途端に俺は表情が引き締まる。
こっちはとっくに覚悟なんて決まっている。
俺は一生、唯花のことを守っていく、そう決めている。
この気持ちはいつ伝えたっていいんだ。
指輪だっていつでも渡せるように用意してある。
まだ言わずにいるのは、今の当たり前の学生生活が唯花にとって大切だからだ。
けど。
だけど。
唯花がそのつもりなら、俺は――。
「分かった」
「へ?」
真面目な顔で俺は唯花に向き直る。
「如月唯花さん」
「はい。……え? え……あっ」
俺が何を言おうとしているのか、瞬時に気づいたらしい。
「わーっ、わーっ、ストップ! それはまだ早いからーっ!」
「はっ? いやだって今、訂正しなくていいって……っ」
「そういう気持ちだけどっ、実際には訂正しなきゃでしょー! 唯花ちゃんが甘々したからって、さらに大きな甘々を重ねてくるんじゃありませんっ」
「え、じゃあ……ダメなのか?」
「まだダメです!」
……残念だ。
俺は取り出しかけていた指輪をポケットに戻す。
まあ、もっと稼いだらもっと良い指輪を買ってやれるしな。
だから今はこれでいいのか……。
ただ、やっぱちょっと残念だけども。
「もう、そんなあからさまに残念そうな顔しないの」
唯花が困ったように苦笑する。
そして、そっと俺の方へしなだれ掛かってきた。
「しょうがないにゃあ……キスしてあげるから元気だして?」
……おおう。
我ながら大変現金だと思う。
指輪の出番がなくなって残念がっていた気持ちが一瞬で吹き飛んだ。
唯花が少し背伸びし、顔を近づけてくる。
どちらかというと、いつもは俺からすることが多い。
だから唯花からというのはなんというか……とても照れる。
などと思っていたのだが――。
「あ」
「へ?」
思わず声がこぼれ、唯花も背後を振り向く。
中学生たちがキッチンから顔を出し、こちらを見ていた。
「はわわわわっ」
「……あーもー」
葵は両手で顔を隠しつつ、指の間からしっかり見ている。
伊織はというと、テレビ局のADのごとく両手を重ねてバツを作り、『そういうことは二人きりの時にして!』と無言で訴えかけてきていた。
……まあ、そうなるよな。
玄関で長々と話し込んでいれば、どうしたのかと様子を見るのは当然のことだ。
仕方ない。
口惜しいが、本当に口惜しいが教育上、このまま中学生の前でするのはさすがに……。
「うーみゅ……」
離れようと思ったが、唯花は俺に抱き着いたままだった。
さらには何やら考え込んでいる。
「唯花?」
どうしたのかと思って、名前を呼ぶ。
すると言葉ではなく、
「えへ♪」
にこっと笑顔が返ってきた。
ん?
おい、まさか……っ。
「ちゅー♡」
「――っ!?」
「きゃーっ!」
「お姉ちゃん!?」
キスされてしまった。
柔らかい唇の感触に俺は硬直。
葵はテンション高く黄色い声を上げ、伊織はハイライトの消えた目で叫んだ。
思いきり唇を奪われ、俺はあたふたと動揺する。
「おまっ、みんなの前で恥ずかしいことするなって言ってたくせに、どの口で……っ」
「この口ですよー?」
にゃはは、と唯花は自分の唇を指差して照れ笑いをする。
「だって奏太を元気にしてあげるのがあたしのメインのお仕事だし? それに……」
黒髪がふわりと舞い、イタズラっぽく目を細める。
「――したくなっちゃったんだもん♡」
「……っ」
もうこっちは言葉が出ない。
そんな可愛くて魅惑的なことを言われたら、もう何も言えん。
……本当に尻に敷かれそうだなあ、俺。
嬉しさ半分、自分への呆れ半分にそんなことを思った俺なのでした。




