After25 唯花が引きこもった時の三上家のこと
前回のあらすじ。
海外にいってた親父が帰ってきた。
色々腹立つこともあったが……今の俺は唯花に分からせられて浄化済みだ。
現在、ウチのキッチン。
唯花は俺の前で腕組みし、ぷんすかしている。
「というわけで、伊織や葵ちゃんや太一おじさんがいるとこで恥ずかしいこと言わないの。理解したかね、軍曹?」
「サー・イエッサー」
きちんと反省しているので敬礼で応じる、俺。
指揮官殿は大きく頷いた。
「分かればよろし。次やったら市中引き回しの刑だからね?」
「え、軍隊なのに刑罰は江戸なのか?」
「じゃあ、ご近所引き回しの刑。敬礼しながら『私は恥ずかしいことをしました』って言ってご近所を練り歩くのです」
「地味にすげえキツい罰……!」
気をつけよう。
次に親父たちの前で『こいつは俺の女だ』とか言ったら、ご近所から不審な軍人扱いされてしまう。そんなの絶対勘弁だ。
俺が激しく危機感を覚えていると、唯花は「ふふっ」と笑みをこぼした。
「もー、カレシさんがヤキモチ妬きで、唯花ちゃんは困っちゃうのです」
「くぅ……っ」
嘘だ。ぜんぜん困ってねえ!
むしろ心の底から楽しんでるぞ、この顔は!
「しょうがないにゃー。奏太がヤキモチ妬かないように、あたしもちゃんとしてあげないとね」
「ちゃんと……って何をだ?」
「うみゅ、それはもちろんその……」
なぜか口ごもり、唯花は髪を指先でいじりながら身じろぎする。
なんだ?
一体、何をちゃんとするつもりなんだ?
不思議に思っていると、唯花がキッチンの入口の方を見て、「あっ」と声を上げた。
「奏太っ、太一おじさんがいっちゃう!」
「ん? ああ……」
見れば、中学生たちとの会話が一段落したのか、親父が手を振って廊下の方へいこうとしていた。
これから如月家で宴会をすると言っていたから、そのまま出ていくのだろう。
別に構わない。
なんで唯花が慌ててるんだ?
そう思っていると、グイグイと背中を押された。
「奏太、ちょっと太一おじさん引き留めて! それで時間稼いでて!」
「は? なんで親父を引き留めるんだ? それに時間稼ぎって……」
「心の準備がいるのーっ。ほら太一おじさんいっちゃうから早く! ハリィハリィ!」
「お、おう。よく分からんが……了解した」
唯花に急かされ、とりあえず小走りで駆け出した。
中学生たちの間を通り、廊下へ出る。
洗面所の扉の前を通り、少し進むと、親父は玄関に腰を下ろし、ブーツを履いているところだった。
「親父、ちょい待ち」
「うん?」
とりあえず呼び止めた……が、別に俺から用事はない。
お袋の様子とかは一応、たまに電話で聞いてるしな。
どうしたもんかと思っていると、親父の方から話しかけてきた。
ブーツの紐を結び、背中を向けたままで馴染んだ声が響く。
「どうした? もう少しパパとお話したくなったか?」
「あほか。気持ち悪いこと言うなよ」
「可愛くない奴め。子供の頃はいっつもパパーってオレに懐いて……いや、ねえな。子供の頃から懐くよりも唯花ちゃんに懐かれる方だったもんな、お前」
「あー、まー……確かに」
唯花は子供の頃から危なっかしかったからな。
親に甘えるよりも唯花を見守ってる方が多かった気がする。
「ま、何にせよ、元気そうで安心したわ」
「別にたまに電話で話してんだろ?」
「お前の心配なんてしたことねえよ。オレの息子だからな」
「うん?」
じゃあ、誰の……と聞こうとしてすぐに気づいた。
ブーツを履き終えたのか、親父はすっと立ち上がる。
「唯花ちゃんが――」
深い温かみを帯びた声だった。
「――元気そうで安心したわ」
親父は唯花が引きこもっていたことを知っている。
当然だ。
三上家と如月家は昔から家族ぐるみの付き合いなんだから。
あれはちょうど唯花が引きこもった頃のこと。
親父とお袋が仕事で海外にいくことになった。
最初は俺も一緒に連れていこうと考えていたらしい。
まだ学生なので当たり前といえば当たり前の判断だろう。
俺は生まれて初めて、両親に土下座した。
一生に一度のワガママだ。
惚れた女が人生の岐路に立たされている。
今、唯花を放って海外にいくことなんてできない。
俺を日本にいさせてくれ。
唯花のそばにいてやりたいんだ。
俺は額を床に擦りつけて頼み込んだ。
すると親父は静かに言った。『立て』と。
そして――いっそ笑えるぐらいのきれいな正拳突きを食らって俺は宙を舞った。
というか、お袋は本当に爆笑していた。
ワケ分からん、と目を白黒させている俺へ、親父は言った。
鍛え抜いた、でっかい体で仁王立ちして。
『お前はこれから惚れた女のために立ち上がるんだろ!? そんな男が地面に頭つけてどうすんだ、馬鹿野郎ッ!』
そこからは盛大な父子喧嘩だ。
親父が吐いた気炎に対して、こっちは意地を見せなきゃいけない。
相手は三上家の序列一位、三上太一。
如月家の序列一位である誠司さんと同格の男。
それでも一歩も退くわけにはいかない。
散々殴り合いをし、そして――俺は日本に残ることを許可された。
もちろん生活費は自分のバイト代で稼ぐつもりだった。
しかしこれまた親父に説教された。
『子供の面倒見んのは親の仕事だ。お前が稼いだ金は全部、唯花ちゃんのために使ってやれ』とのこと。
おかげでバイトは土日だけにして、毎日唯花に会いにいくことができた。
ちょこちょこソシャゲの課金カードを買ってやることもできた。
自分で生活費を稼いでいたら、こうはいかなかったと思う。
今思えば、最初にガツンと殴られたことも意味があった。
あれで『何があっても前を向いて唯花を支える』という覚悟ができた気がする。
メチャクチャな親父だが……間違いなく俺を真っ直ぐ導いてくれた。
正直、感謝している。
「奏太」
玄関のそばの窓から陽射しが差し込んでいた。
柔らかな光のなか、肩越しに親父が振り向く。
もう唯花は引きこもりを卒業し、この家にも毎日出入りしている。
それがどんなに尊いことか、理解している表情で親父は笑った。
「――よくやったな。さすがオレの息子だ」
一瞬、胸が熱くなった。
俺は背筋を伸ばし、しっかりと顔を上げる。
多くを語らずとも気持ちは通じている。
だから俺は短く応えた。
「まあな」
父子の会話はそれだけで十分だった。
三上家の玄関は温かな陽射しに照らされている。
たぶん俺は今、親父とそっくりな顔で笑っている――。




