After22 伊織の初夢(夢オチ)
僕はふわふわした気分だった。
これは……夢?
夢かな、と思うけど、でも現実のような気もするし、どっちかわからない。
まわりはなんとなく霧がかかっている気がする。
だけどふいにその霧が晴れて、自分がある場所に立っていることに気づいた。
奏太兄ちゃんの家だ。
たぶんリビングだと思う。
そこには奏太兄ちゃんがいて、お姉ちゃんもいた。
二人は仲睦まじく寄り添い合っていて、お姉ちゃんのお腹が……あれ?
なんか……お姉ちゃんのお腹が大きいよ?
「伊織、赤ちゃんだよー?」
「へっ!?」
「俺たちの子だ。よろしくな」
「はあっ!?」
空前絶後、驚天動地に度肝を抜かれた。
僕はブラックホールに飲み込まれるみたいに意識が遠のいていく。
するとまた霧がかかってきて、僕の前に小さな子が現れた。
場所はやっぱり奏太兄ちゃんの家のリビング。
でも家具が少し古くなっていて、さっきより時間が経っているように思える。
その子が僕に向かって笑いかける。
「やっと会えたねー!」
「えっ!? えっ!? え……っ!?」
歳は五歳くらい。
お姉ちゃんに顔立ちが似ていて、奏太兄ちゃんみたいに力強い瞳をしている。
男の子なのか、女の子なのかはわからない。
だけど僕のなかには一つの確信が広がっていく。
まさか、まさかこの子は……っ。
だとすると、僕はついにおじ、おじ……っ!
「ねえねえ、抱っこして」
その子は可愛らしくぴょんぴょん跳ね、僕に向かって両手を伸ばした。
「伊織お兄ちゃん!」
「――っ!?」
その瞬間、僕の心に稲妻が走った。
お兄ちゃん。
お兄ちゃんだって……!?
その子は安心しきった表情で、100%の信頼を込めて、早く早くと僕に甘えてくる。
可愛い。
すごく可愛い。
全身全霊で遊んであげたい。
楽しいことや面白いことをめいっぱい教えてあげたい。
お兄ちゃんとして。
そう、この子の兄貴分として。
奏太兄ちゃんがしてくれたことを、今度は僕がこの子にしてあげるんだ、そんな気持ちになってしまう。
「だ、抱っこだね。うん、いいよ! いっぱい遊ぼう!」
「わーい、伊織お兄ちゃん大好きっ」
「~~っ」
お日様の匂いがするその子を抱き上げ、僕は感動に打ち震えた。
でもまた霧が立ち込めてきた。
同時に僕は理解してしまう。
ああ、これは夢なんだ、と。
なんてことだろう。
どうして、本当にどうして……。
喜びと哀しみを胸に、僕は夢から覚めていく――。
◇ ◆ ◆ ◇
はてさて、明けましておめでとう。
今年もよろしくってことで、俺は正月から如月家にきている。
誠司さんと撫子さんに新年の挨拶をし、何度も遠慮したんだが、結局お年玉をもらってしまった。二人曰く、
「子供が遠慮するものではないよ」
「奏ちゃんはもうほとんどウチの子なんだから」
とのこと。
唯花とは大晦日も一緒だったので、いつも通りな感じでやり取りし、食卓でお雑煮を食べさせてもらうことになった。
しかし、伊織がまだ起きてこない。
新年とはいえ、いつも早寝早起きなのに珍しい。
というわけで俺が起こしにやってきた。
「おーい、伊織ー。朝だぞ、正月だぞ。もう起きろー」
部屋の前でノックをする。
しかし返事がない。
「入るぞー?」
男同士だしいいだろう、と思って勝手に扉を開ける。
そして、俺は目を見開いた。
「な……!? ど、どうしたんだってばよ!?」
伊織は起きていた。
すでにベッドから上半身を起こしている。
だが、泣いていた。
唯花に似た大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれている。
カーテンの隙間から朝日が差し込み、その涙をきらきらと輝かせていた。
「奏太兄ちゃん……」
儚げな表情でこちらを向く。
「僕は……おじさんじゃなかったんだ」
「は……? え、なんだって?」
「おじさんじゃなかったんだよ。僕は……お兄ちゃんだったんだ!」
そう叫ぶや否や、体をかき抱いて慟哭し始める。
「どうして気づかなかったんだ!? タラちゃんだってカツオお兄ちゃんって言ってるじゃないか! お姉ちゃんがサザエさんで、奏太兄ちゃんがマスオさんなら、僕は伊織お兄ちゃんなんだーっ!」
「落ち着け、伊織! 何を言っているかまったくわからんが、とにかくお前はいま錯乱している!」
「あんな可愛い子の誕生を今まで拒んでいたなんて、僕はなんて罪深いんだ! 罪悪感によって魂が紅蓮の業火に焼き尽くされそうだよーっ!」
「なんか中二病が復活しそうになってるぞ!?」
「あの子に会いたい、会いたいよ……っ。でもそれは二人がゴールインするってことなんだ。ああっ、ごめんなさい! 僕は自分の望みのために、お姉ちゃんと奏太兄ちゃんが幸せになることを願ってしまっているーっ!」
「幸せを願ってるんならいいんじゃね!?」
ワケがわからなかった。
こんなに取り乱した伊織を見るのは初めてだ。
……いや初めてではないか。たまにあるような気がする。でも久しぶりだ。
「冷静になれ、素数を数えろ! 伊織、お前さっきからなんの話をしてるんだ!?」
「お姉ちゃんと奏太兄ちゃんの子供の話だよ!」
「は? え? な……え?」
「お姉ちゃんと奏太兄ちゃんの子供の話だよ!」
「いや、いやいやいや、え? え?」
「お姉ちゃんと奏太兄ちゃんの子供の話だよ!」
容赦なく連呼された。
伊織は錯乱している。
だが俺はそれ以上の大混乱に叩き落とされた。
「なん、だと……?」
………………。
…………。
……。
俺はパジャマ姿の伊織を小脇に抱え、全力で階段を駆け下りると、リビングの扉を開け放った。
「唯花ぁ!」
テーブルでお雑煮を食べている唯花に叫ぶ。
「お前――赤ちゃん出来たのかぁッ!?」
「むぐう!?」
お雑煮を噴き出しそうになる唯花。
奇跡の美少女パワーでどうにか堪えたようだが、逆に餅が喉に詰まったらしい。
撫子さんが「あらあら」と娘の背中を叩く。
その向かいでは父親の誠司さんが「ほう?」と落ち着いた様子で湯呑を置いた。
「それはおめでたいね。撫子、ついに僕たちもおじいちゃんとおばあちゃんだよ?」
「ついにこの日がきたのねえ。私、美魔女なおばあちゃんになれるかしら」
大人たちは完全に話半分の様子だった。
一方、当の唯花は高速で胸を叩いて餅を飲み込み、目を剥いて叫ぶ。
「そんなわけないでしょう!? 新年早々、いきなり何言ってるのよぅ!?」
お怒りだった。
みゃーっ、と猫が毛を逆立てるがごとくお怒りだった。
そして大人たちはやはり話半分だった。
微笑ましく、からかうように娘に言う。
「唯花、相手が奏太君なら僕は二人を応援するよ。とりあえず式の費用を援助するとしたら、これぐらいでいいかな?」
「お父さん!? 真顔で指を何本も立てないで!?」
「奏ちゃんはマスオさんになってくれるのよね? あなた、もうリフォームして部屋増やしちゃう?」
「やめてやめて! お母さんも新しい人生設計立てないでぇ!?」
唯花は羞恥で真っ赤になり、じたばたする。
「奏太ーっ! なんなのこれ!? なんなのですかーっ!」
俺は目を白黒させてたじろいだ。
「い、いや伊織がな……」
見れば、伊織は親猫に運ばれる子猫のように抱えられているが、何食わぬ顔で目じりをぬぐっている。
「……あれ? なんで僕、泣いてるんだろう? 何か初夢をみた気がするんだけど……なんだっけ? 夢って起きてちょっとしたら忘れちゃうよね」
「夢ぇ!? おま、それはないだろ!?」
事の次第を理解し、俺、絶句。
しかしすでに後の祭りだった。
正月から親の前で大恥かいた唯花さんがお説教モードになっていらっしゃる。
「二人ともそこに座りなさーい! 正座だよ、正座っ!」
こうして。
俺は新年早々、理不尽に叱られるのでした。
「はあ、なんでこんなことに……」
唯花に懇々と説教されつつ、俺は正座でうな垂れる。
まあ、これも平和な証拠か。
とりあえず……今年もよろしく!




