After14 奏太をダメにするクッション
何やら肩を揺さぶられている感触がある。
「ねー、奏太。ねーってばー」
唯花の声だ。
目を覚ますと、顔を覗き込まれていた。
「あ、やっと起きた」
「おお……寝てたのか、俺」
「そだよ。いきなりカクンってスイッチ切れたみたいに寝ちゃったから何かと思ったのです。ロボなのかね、チミは。ロボ奏太なのかね?」
「改造された覚えはないし、記憶を抜き取られて移植されたこともないはずだから安心してくれ。しかし……すごいなこいつの効き目」
ここは俺の部屋だ。
もちろん今は放課後で、壁際のハンガーには俺と唯花のブレザーが掛けてある。
帰ってきて宿題を済ませ、『あーそういや』とある物を出し……俺は即座に眠ってしまったらしい。
腕のなかにはクッションがある。
やる気の感じられない、たれ目のパンダの顔をしたクッションだ。
こいつを腕に抱いた途端、俺はロボ奏太のごとくスイッチが切れたように眠ってしまったらしい。
「このクッション、そんなにすごいの? っていうか、なんぞ? どっから持ってきたの?」
ああ、そういや説明する暇もなく寝たんだった。
パンダの顔をびよんびよん引っ張りながら俺は説明する。
「通称『だめぱんだ』。人をダメにするクッションだそうだ。手芸部が作って、試作品を俺にくれたんだ。『会長、いつもお疲れっぽいから試してみて下さい』って言われてな」
唯花が好きそうだと思って持ってきたんだが、まさか瞬殺で眠らされるとは思わなかったぞ。
「ほへー、なるへそ、ほへー」
びよんびよんしているパンダの顔を唯花はまじまじと覗き込む。
「試してみるか?」
「ううん、いい。それよりも……」
こっちをチラリと見上げてきた。
「奏太、ダメになったの?」
「ん? あー、そうだなぁ……」
びよんびよん。
うむ、触り心地はかなりいい。
油断してるとまた眠くなりそうだ。
「なかなか危ないかもしれん。今日は宿題が終わってたからいいけど、こいつを触るのが癖になったら、そのうちノートも開かなくなりそうだ」
「にゃるほど」
何やら深く頷く唯花。
かと思うと、やおらパンダをガシッと掴み、天高く放り投げた。
「とりゃあーっ!」
「なにぃぃぃぃっ!?」
パンダの顔が鮮やかに宙を舞う。
俺は愕然と手を伸ばす。
「だ、だめぱんだーっ!?」
クッションは天井近くで弧を描き、真っ逆さまに落ちてきた。
それを唯花がぽすっとキャッチ。
丁寧に床の座布団の上に置く。
「お、おう……自分で投げたのに、ちゃんと自分で受け止めるんだな」
「むー、だって手芸部の人が奏太のためにくれたんでしょ? ちゃんと大切にしなきゃ」
そうだな、手芸部が善意でくれたものだもんな。
大切にしなきゃだよな。
偉いぞ、唯花。
と思っていたら、ビシッと指を突きつけられた。
「それはともかく! クッションの『だめぱんだ』にやられちゃうなんて不届千万っ」
「な……。いやいや、しょうがないだろ、さすがに。人をダメにするクッションなんだから、ダメになっちゃうぞ」
「しょうがなくありません。だって」
お怒りもあらわに唯花が叫ぶ。
胸の前で両手を可愛く握りしめ、
「あたしの方が奏太のこと、ダメにできるもーんっ!!」
俺は「は……?」と愕然。
いやいやワケがわからないぞ。
一体どうしてそういう話になるんだ?
まさか……ヤキモチか?
ウチの彼女、クッションにヤキモチを妬いているのか?
え、クッションに?
マジか、マジなのか。
思わず真顔になってしまう。
「お前は何を言っているんだ……?」
「奏太がお疲れの時に癒してあげるのは、唯花ちゃんなの。癒され過ぎてダメダメになっちゃうのは、唯花ちゃんの前だけで十分なのです」
「いやいや待て待て。ダメになるっていうのは言葉の綾で、さすがに本当にダメになるわけじゃないぞ。そもそも俺、ダメにならんし」
「ほほう? 言ったわね?」
きらんっと唯花の瞳が輝く。
あ、やべえ。
こういう時の唯花は意外な戦闘力を発揮するのだ。
「待て、タイムだ。争いはよくない。ここは落ち着いて話し合いを――」
「もう遅ーい! 戦いのブタちゃんは落とされたのです! やれ可哀想なことじゃわい!」
「火蓋か? 戦いの火蓋は落とされたって言いたいのか!? あとブタはどこに落とされたんだ!?」
「もちろんクッションの上!」
「じゃあ無事だな! 安心した!」
ケガをしそうなブタなんていなかったんだ。
それは良かったものの、唯花は自信満々で「くっくっくっ……」とほくそ笑んでいる。
「唯花ちゃんの絶技に掛かれば、奏太など一網打尽。ここは一つ、宣言して進ぜよう」
人差し指がすっと掲げられた。
「1分。わずか1分で奏太はダメになっちゃうこと、間違いなし!」
「なん、だと……!?」
馬鹿な、ありえない。
いくら絶好調で調子に乗った唯花であっても、わずか1分でどうにか出来るはずがない。
「い、一体どうやって俺をダメにする気なんだ……っ」
「ふっ、知れたこと! お疲れの奏太にしてあげることと言えば、ただ一つ!」
唯花が颯爽と立ち上がり、つられて俺も腰を上げる。
黒髪がふわりと舞って、制服のワイシャツに包まれた両手が開かれた。
そして言う。
ちょっと照れくさそうな、はにかんだ笑顔で。
「はいっ。あたしのこと、ぎゅ~ってしていいよ♡」
俺は「……っ」と戦慄。
おまっ、なんか臨戦態勢っぽいところから、いきなりそうくるか……っ。
「どったの? ほら、きなさい。ぎゅ~ってしていいんだよ?」
「や、ど、どういうことだってばよ……っ」
「だからー、あたしがクッションになるの」
「クッション?」
「そ。あたしが奏太をダメにするクッションなのだー!」
言うが早いか、こっちに突撃してきて、抱き着いてきた。
「おま……っ!?」
文字通りのぎゅ~っである。
至近距離からシャンプーの良い匂いがする。
Fカップ越えの胸が密着して、めちゃくちゃ柔らかい。
「あ、えっちなこと考えるのはNGだからね?」
「無茶を言いおる……っ!」
「これは癒してあげてるだけだから、健全な心でダメになりなさい」
「マジで無茶を言いおる……っ!」
しかし逆に怪我の光明かもしれん。
こうして密着していると、加速度的に心拍数が上がっていく。
とてもじゃないが、腑抜けになるなどありえない。
ふっ、俺をダメにするクッション、破れたり!
……が、その考えは大いなる油断だった。
「すりすり~……すりすり~……」
「――っ!?」
唯花が背中をさすってくる。
日頃の疲れを労わるような、とても優しいさすり方だ。
そこからさらに追い打ち。
「いつも頑張ってて偉いね」
「な……」
すりすり~。
「格好良いな、って思いながらいつも見てるよ」
「なな……」
すりすり~。
「お疲れさま。たまにはいっぱい休んでね」
「ななな……っ」
すりすり~。
……やばい。これはやばい。
優しく背中をさすられ、そっと耳元で囁かれ、脳がとろけそうになってくる。
何より強力なのは、唯花のこの雰囲気だ。
こちらにぴったり寄り添い、信頼と愛情が伝わってくる。
や、でもこれは……。
なんだか成り行きの思いつきで言っているようには思えない。
「唯花、お前……」
「あー、うん」
照れ笑いの気配。
「今のはね、普段から思ってること。ちょっと恥ずかしいけど、今なら奏太をダメにするって言い訳があるから言えちゃうかなって思って」
「~~っ」
ああまったく、こやつめ……っ。
なんつー、しおらしいことを。
ついつい胸キュンしてしまった。
そこにダメ押しの一撃。
「あのね、奏太」
不意打ち気味に耳元で囁く。
「大好き♡」
「――っ!」
俺、撃沈。
ジャスト1分だ。
「馬鹿な、このロボ奏太が敗北しようとはぁぁぁぁ……」
倒されたラスボスのようなことを言い、俺はずるずると崩れていく。
唯花も一緒になって腰を下ろし、膝枕されるような形になった。
「にゃは、勝ったー!」
「負けたー……」
ご機嫌な唯花によしよしと頭を撫でられる。
だめぱんだがそばの座布団の上にいて、生暖かく見守るような視線が痛い。
結局、今日はそうやって甘やかされる日になってしまった。
恐るべきは愛情全開の癒し力。
俺をダメにするクッションは……満場一致で唯花のようだ。




