After5 彼氏ジャージの唯花さん
はてさて。
時刻は放課後。
今日も今日とて俺の部屋である。
唯花が引きこもりを卒業してからというもの、如月家にいるとなぜか伊織と葵のプレッシャーが凄まじいので、放課後はだいたい俺の家で過ごしている。
「にゅふふー、唯花さんってば、今日も後輩の面倒を見てあげてしまったのです」
で、唯花は現在、俺に背中を預けながらご満悦である。
場所はベッドの上。
俺は壁に寄りかかって座っていて、足の間に唯花がちょこんと座っている状態だ。
「確かにだんだん先輩としての貫禄がついてきたかもな」
「でしょでしょー!」
見上げるようにこっちを向き、キラッキラの笑顔。
その手には通話を終えたばかりのスマホが握られている。
さっきまで俺たちは学校の後輩の相談に乗っていた。
生徒会の仕事の一環だ。
三年生になり、俺は生徒会長になった。
面倒だからやりたくなかったんだが、先代会長の恐ろしい計略によって承諾させられてしまったのだ。以下はその時のやりとり。
『三上、風の噂に聞いたんだが、何やらお前の部屋が如月君の荷物に占領されてるらしいな?』
『あー、そうなんだよ。DVDボックスとかフィギュアとか抱き枕とか日に日に増えて、正直もう第二の唯花の部屋と化してる……』
『ならば第三の部屋を作ればいいのではないか?』
『は?』
『生徒会室を如月君の荷物置き場にし、第三の部屋にしてしまえばいい』
『なん、だと……!? ありなのか、それ!?』
『お前を次期生徒会長に据えられるのならば安いものだ。さあ、どうする?』
『ぐ、ぐぬぬ……っ。いやしかし……っ』
『奏太ー! 聞いて聞いてっ、ムシ柱さんの等身大フィギュア発売だって! 早速、アマズンぽちってお届け先は奏太の家にしといたからよろしくね!』
『……謹んで生徒会長の任をお受け致します』
『うむ、善きかな。これで私も安心して卒業できるというものだ』
まさか神聖な生徒会室を生贄に出してくるとは思わなかったぜ、会長……。
おかげで俺の部屋の被害は半分に抑えられたのだが、代わりに生徒会室のあちこちに唯花のグッズが隠されている。
そのうち後輩たちにバレないか、ヒヤヒヤものだ。
まあ、唯花はやたらと人望があるので、バレても問題はないだろうけどな。……たぶん、理不尽に俺の方へクレームがくるような気がする。
驚くなかれ、長いこと人見知りの世界代表のようだった唯花だが、三年生になった今は『唯花さん』とか『如月先輩』と呼ばれて、後輩たちに慕われているのだ。
というのも、唯花は困っている人を見つけるのがやたら上手い。
根が優しいからか、もしくは自分もずっと悩んでいた経験からか、困りごとを抱えている生徒をよく見つけてきてくれる。
最近では『唯花が見つけ、俺が解決する』というやり方が生徒会で定着してきた。
ちなみにさっきスマホで相談事をしていたのも唯花が見つけてきた生徒だ。
引きこもっていた一年半の時間は無駄じゃなかった。
ちゃんと今の唯花の力になっている。
「んー? どったの、奏太。なんか感慨深いお顔になってるよー?」
寄りかかったまま唯花が手を伸ばしてきて、耳たぶをふにふにしてきた。ぐわ、こそばゆい。
「やめい、感慨深さが消失してしまう」
「くくく、奏太はお耳が弱いからね」
いや誰が言ってるんだ、誰が。
お前こそ、耳フーされると大変なことになるだろうに。
「あ、わかった」
「うん?」
「後輩を導く唯花ちゃんの有能さに感動しまくりだったのね?」
「ま、そんなところだ」
「と、見せかけて」
「は? 見せかけて?」
きらんっと唯花の瞳が輝く。
鼻先に突きつけられる指は犯人を追い詰める探偵のごとし。
「実は今日の唯花ちゃんの格好にキュン死しそうで、必死に真面目なことを考えて気を逸らしてた、とみた!」
「ぬう……!?」
大正解だった。
ギギギ、と首を軋ませて、俺は明後日の方を向く。
「ソンナコト、ナイゾ?」
「いやそれ図星の顔」
「ぐぬう……っ」
誤魔化せなかった。
すまん、諸兄にはお詫びしたい。
感慨深く『一年半の時間は無駄じゃなかった』とか『今の唯花の力になっている』とか言った俺なのだが、実は頭のなかは今日の唯花でいっぱいになっていた。
原因は服装である。
唯花は今、俺のジャージを着ているのだ。
つまりはそう――彼氏ジャージである!
ときめかないわけがあるまいて。
正直、あたい見ちゃった新世界だ。
「ほらほら、奏太ー。ジャージのシッパー、ジッパー!」
「おま、なんてことを!? 鎖骨が、鎖骨が見えるような見えないような……!」
目の前で無意味にジッパーを上げ下げされ、これまた無意味にキョドってしまう。
ジッパーが下までくると、白い鎖骨が大変まぶしい。
……ん? いやちょっと待て。
ジッパーの上下運動を見ていて、ふと気づいた。
ジャージを貸したのは覚えてる……だが、その下に着るようなTシャツなんかは貸したっけ?
「なあ、唯花さんや」
「なんじゃらほい、奏太さんや」
「……いや、やっぱなんでもない」
「ふみゅー?」
聞けない。
聞いてしまったらパンドラの箱が開いてしまう。
しかし気になる。
これは……どうなってるんだ!?
まさかジャージの下は……素肌なのか!?
素肌彼氏ジャージなのか!?
「奏太、なんか目つきがやらしー」
「はいすみません」
ジト目を向けられ、即座に謝罪。
そういう空気じゃない時に不埒な考え、だめゼッタイ。
ちなみに最近、唯花は結構遅くまでウチにいる。
俺の家は両親が海外なので気兼ねなく長居ができる。
二人で夕飯を食べて、風呂も入って、夜になって俺が如月家へ送っていく感じだ。
なので唯花の服もあれこれウチに置いてあるのだが、今日はたまたますべて洗濯してしまっていて、引っ張り出されたのがこのマイジャージだった。
「さあ、素直に白状したまへ。自分のジャージ姿の唯花ちゃんにメロメロきゅんきゅんなのでしょー?」
三本ラインのジャージに包まれた細い脚をぱたぱたしながら、指先で頬を突いてくる。
くっ、なんということだろう。
この無邪気にからかってくる感じ、こやつ、まさか気づいていないのか?
俺だってただ珍しい格好にときめいているわけじゃない。
この胸の高鳴りにはちゃんとした理由があるのだ。
「ほれほれー。降参しないといつまでも突っついちゃうよー?」
「……ぬう、こうなっては仕方がない。かくなる上はお前にもこの気持ちを共有させてくれよう」
「ふみゅ?」
さっきの探偵唯花よろしく、ジャージの胸元に指を突きつける。
すると、
「あ、またおっぱい触ろうとしてるっ。も~!」
めっ、と怒られた。
守るように両腕で隠した途端、ジャージの胸元が逆にたゆんっと揺れる。
守ろうとして逆に揺れてしまうとはこれいかに。
うん、やっぱこれ素肌彼氏ジャージだ。
って、違う違う。
そうじゃない。
「聞いてくれ。俺は触ろうとしたわけじゃないのだ」
「違うの?」
「俺はこれを指差そうとしたんだってばよ」
まあ、お許しが出るなら触りたいが……とは言わないでおき、ジャージの胸元を指し示す。
マイジャージなので、当然そこには『三上』という俺の苗字が名札書きされている。
「名札がどうかしたの?」
「つまりこういうことだ。ええと……」
口に出そうとして、さすがに照れた。
しかしここで言い淀むと、胸を触ろうとした不届き者になってしまう。
もう一方の手で頭をかきながら、俺は言う。
照れくささを誤魔化すようにぼそっと。
「――三上唯花」
「はにゃっ!?」
一瞬で唯花の顔が真っ赤になった。
耳まで朱色に染まって、緊張で体がピンっと跳ねる。
「な、ななななな、突然なにを言うのよぉ!?」
「だってそう書いてあるし。お前、『三上』って書かれたジャージ着てるから、そうなるだろう?」
「そ、そうだけどぉ!」
「だから今のお前は『三上唯花』。……ってことだ」
「う、うにゅ~……っ」
シュ~と頭から湯気が出そうな勢いだった。
そうなのだ。
唯花は今、俺の名前が入ったジャージを着ている。
ということは今の唯花は『三上唯花』なのだ。
そういうことを連想してしまうのだ。
なんかもう爆誕で降臨で新世界なのだ。
「い、いきなりそんなこと言ってくるの、ずるいぃ……」
「ずるいって言われても、そのなんだ……思っちゃったものはしょうがないんだ」
「わかるけどぉ……」
「わかるだろ」
「うん……」
「うむ……」
うわ、恥ずい。
お互い無言になると、猛烈に恥ずい。
これは攻撃に転じないと間が持たん……!
「ど、どうした? いきなり口数が減ったぞ?」
「う、うるさいのー」
「おいおい、なんか顔赤いぞ?」
「み、見ちゃだめ。見ちゃだめなのー!」
俺が覗き込もうとすると、黒髪をぶんぶん振り回して唯花は逃げようとする。
よし!
俺もだいぶ照れくさいが、気づくのが遅かった唯花の方がさらに照れている。なんとか主導権を握れるぞ。
「なあなあ、三上唯花さん?」
「う~!」
「逃げるな逃げるな、三上唯花さん?」
「にゃ~!」
唯花が右を向けば右に追っていって名前を呼び、左を向けば左に追っていって名前を呼ぶ。
そもそも後ろ抱っこをしてる状態だから逃げ場はない。
ふははは、我が軍の完全なる勝利である。
と思っていたら、
「うぅ~。かくなる上は……唯花ちゃんエスケープ!」
「おおっ!?」
ベッドのスプリングを利用してフライハイ。
唯花は俺の足の間から飛び出し、ごろーんっと寝っ転がった。
さすがは元引きこもり。ベッドの構造を知り尽くした技だった。
「おのれ、我が軍の包囲から逃げおおせるとは……っ」
できれば、もう少しからかいたかった。
ただ実はこっちもかなり照れるので、この攻撃はいわば諸刃の刃。火傷しないうちにこれぐらいにしておくか。
そう俺は結論付けたのだが、
「……つんつん」
唯花の足の先が俺のつま先を突いてきた。
そして恥ずかしそうな小声で囁く。
「……もうしないの?」
「え?」
恥ずかしそうに顔を手のひらで隠したまま、上目遣いの瞳が見つめてくる。
囁きは甘えるように。
「本当はもっと呼んでほしい……です」
はい、可愛い。
ああ、ダメだ、これ。
めっちゃ火傷しそうだ。
ギシッとベッドを揺らし、俺は唯花のそばに寄っていく。
「三上唯花さん」
「……えへへ」
照れたように体をよじり、嬉しそうな声。
「みーかーみーゆいかさーん」
「やー」
ちょっとふざけて鼻先を撫でながら言ってやると、イヤイヤをしながらまた体をよじる。もちろん、ぜんぜん嫌がってない。
くっ、これはいかんぞ。
めちゃめちゃ楽しくなってきた。
「三上……唯花さんっ」
「きゃー♪」
意表をついてくすぐってみた。
唯花はきゃーきゃー言ってゴロゴロする。
なんてこった。
ぶっちゃけ、もう一晩中こうしていたい。
口に出してみようか。
うん、構わん。言ってしまえ、三上奏太。
「あのさ……今日、泊まっていけよ」
ごほん、と咳払いして俺が告げると、唯花は「えー」と大げさに驚いたような顔をしてみせる。
もちろん本当はぜんぜん驚いていない。
俺がこんなことを言い出すなんて、唯花はお見通しなのだ。
「お泊りー?」
「うむ、お泊り」
「ダメだよぉ。お泊りは怒られちゃうもん」
「大丈夫だ。このパターンで怒られるのは俺の役だから、唯花はノーダメージだ」
「でもぉ……」
唯花は困ったように黒髪をくるくると指でいじる。
しかしチラッチラッとこっちの顔色を窺っていて、あと一押しの雰囲気だった。
ゆえに満を持してのもう一押し。
「三上唯花さんなら三上家にいるのが普通だろ?」
「なにその理屈ー」
俺の腕の下で、唯花はくすくす笑う。
どうやらお気に召したようだ。
「しょうがないなぁ。それじゃあ……」
ジャージのジッパーがジィィィと上げられる。
そうやって立てた襟で、赤い顔を隠して。
唯花は囁いた。
「お泊り……しちゃおっかな♡」
よっしゃあ、とガッツポーズの俺。
と、次の瞬間。
スマホの着信音が響き渡った。
ビクンッと背筋が伸びる俺&唯花。
鳴っているのは唯花のではなく、もちろん俺のスマホ。
掛けてきているのは唯花の両親ではなく、もちろん序列第四位。
時計を見て、俺は反射的に顔を引きつらせた。
……やっべぇ、怒られる。
「……あー、もしもし伊織か?」
「『奏太兄ちゃん? そろそろお姉ちゃんの寝る時間だけど、まだ帰ってきてないよ。今どこなの?』」
「ぐ、ぐぬう……っ」
「『いや、ぐぬうじゃなくて』」
そう、唯花のお泊りに関して、如月家の両親はまったく厳しくない。
俺が一緒ならむしろ推奨してくるくらいだ。
つまり目を光らせているのは第三の人物。
如月家のなかで唯花の門限に厳しいのは、弟の伊織なのである。
「『あのね、奏太兄ちゃん。僕だってもう大概のことは諦めてるよ? 僕や葵ちゃんの耳に入るところ、たとえば隣の部屋とかじゃなければ、もうおじさんへのカウントダウンが始まってても仕方ないかもって思ってる。でもお泊りは駄目。いけません』」
「な、なぜだ!? なぜなんだ、伊織!」
「そうだよそうだよ、どうしてなの!? お姉ちゃんわかんないよ、伊織!」
二人でスマホに詰め寄ると、スピーカーから「『はぁ……』」と大きなため息。
「『だって二人とも、一度お泊りなんてしちゃったら、きっとそのままズルズル同棲とかまでいっちゃうでしょ?』」
それは――三上ジャージでわちゃわちゃしていた俺たちにとって、あまりにタイムリーな話題だった。
「ど、同棲!?」
「どどど同棲!?」
「『ちょ!? なんで二人共ときめいてるの!?』」
「待て待て伊織! それはいくらなんでも気が早い! 同棲するなら実家じゃなくてちゃんと部屋借りなきゃだろ!? まずは不動産屋にいかなきゃじゃないか! そうだろ、伊織!?」
「そうだよ伊織! そりゃあお姉ちゃんの歯ブラシとかお姉ちゃんのマグカップとか、すでにこっちの家に揃ってはいるけれど! だけど同棲するならちゃんと家族のみんなに許してもらってからじゃなきゃ! どうなの、伊織!?」
「『ちょ!? なんであと一押しみたいな空気出してくるの!? 押さないよ!? 僕は二人の背中を押したりしないよ!? むしろ止めようとしてるんだからね、わかってる!?』」
いいから早く帰ってきなさーいっ、と弟渾身の一喝。
はっと我に返り、何とも言えない気恥ずかしさを抱えながら、俺たちはすごすごと如月家に向かったのでした。




