第154話 プチ幕間「三上封じのスター・リヴァー」
その日、人々の間に激震が走った。
発端となったのは、三上奏太が仲間たちに送ったメッセージ。
そう、いつだって始まりはこの男なのだ。
彼はシンプルにこう告げた。
『唯花が学校に戻る。みんな、力を貸してくれ』
ついに。
ついにこの時がやってきた……!
メッセージを読み、思わず立ち上がったのは一人や二人ではない。十人や二十でもない。これまで三上奏太に関わった者たちは皆、位置に着いた陸上競技者のように、すぐさま準備体勢に入った。
三上奏太に助けられた者たち。
三上奏太に叱ってもらった者たち。
三上奏太にほれ込んだ者たち。
皆、彼に恩を返したいと思っていた。
ずっとずっと思っていた。
しかし憎たらしいことに、彼はそういう気持ちをまったく受け取ろうとしない。
誰かを助けようとして、三上奏太が助力を求めてくることはある。
だがそれはあくまで困っている誰かのため。
三上奏太は自分自身の利益になるようなことを決して頼んではこない。
こっちはお前のためになんだってしてやりたいのに。
皆、そんな気持ちを抱えているというのに、二言目には『俺は唯花の味方を増やしたいだけなんだ』とか『だからお返しなんてしてもらう資格はない』とか見当違いなことを言って遠慮されてしまう。
せめて称えてやりたくて褒めたりすると、今度は『俺はヒーローじゃない』とか言う始末。
三上奏太の仲間たちはずっとずっとヤキモキしていた。
ヤキモキし過ぎて、牙を研ぎまくっていた。
あいつが罪作りな男なのはもうしょうがない。
かくなる上は三上奏太の幼馴染が帰還する日を待つしかない。
引きこもっているという彼女が外に出る時こそ、三上奏太は本当の意味で助けを求めてくることだろう。
――その時こそ、ぶちかましてやる。
これが仲間たちの総意であった。
そしてついにもたらされた、三上奏太からのメッセージ。
皆、文面を読んだ瞬間に当然のように理解した。
これは三上奏太が『誰かを助ける』ための頼み事ではない。
幼馴染の幸せは、彼自身の幸せだ。
つまり。
三上奏太がついに言ったのだ。
我々、仲間たちに対して。
――みんな、俺のために力を貸してくれ、と。
◇ ◆ ◆ ◇
「うおおおおおおおおお!」
その日、最初に吼えたのは、生徒会長だった。
常に沈着冷静な彼らしからぬ咆哮だった。
勢いで自慢のオールバックはほつれ、眼鏡もやや下がってしまっている。
だが一切構わず、彼は手のなかのスマホを握り締めた。
「ふふふ、三上め……! 私はこの日を一日千秋の思いで待っていたぞ……!」
生徒会室には胸元ゆるゆるのギャル副会長もいる。
同じくスマホを手ににんまりしている彼女に対し、会長は高らかに告げた。
「関係各所に通達! これより我が学園は三上の幼馴染を歓迎するため――特別学園祭の準備に取り掛かる!」
同時刻。
校舎裏ではちびっ子番長が地面に木刀を突き立てて宣言していた。
「傘下のチームに集結命令! OBも含めて、全員自慢の愛車に乗ってアタシのもとに集まれぃ!」
舎弟たちが「マジっすか、番長!」と一気に盛り上がる。
歓声のなか、番長は下駄を鳴らして八重歯を見せる。
「三上の幼馴染は堅気らしいからな。久々のシャバに不安もあるだろうよ。だから!」
木刀を振り上げて番長は吼える。
「全国から集まった1万人の舎弟たちでパレードをやるぞ! 幼馴染の家から学校まで、がっちり並走して登校を見守ってやるんじゃ!」
同時刻。
科学部の部室では白衣姿のアー子さんが静かに鎮座していた。
スマホは実験テーブルに置かれ、口元で手を組んでいる。
「ついにこの日が来ちゃったか……」
肩を落としてため息。
「まあいずれ来るとは分かっていたけどね……じゃあ、こっちも始めようか」
すっと細められた瞳は、いつの間にか悪の組織のボス染みた雰囲気になっていた。
スマホをスワイプし、三上とは別のグループが画面に表示される。
音声入力モードでメッセージを作成。
「『三上ちゃんにフラれちゃった同盟』の同志たちへ。時はきたよ。これより『オペレーション・ミカミバスターズ』を開始する」
勢いよく立ち上がり、白衣が颯爽と翻された。
「さあ、みんなで三上ちゃんに最後の八つ当たりだーっ!」
同時刻。
太平洋上の豪華客船では学級委員長がセレブなパーティーを開催していた。
周囲にはハリウッド女優たちがひしめき、王の貫禄で楽しんでいた委員長だが、ふいに執事がそばにやってきて耳打ちする。
「ほう、三上からメッセージが?」
燕尾服から取り出されたスマホを受け取り、画面に目をやる。
途端、学級委員長は破顔した。
「ははっ! そうか、いよいよ三上のフィアンセを拝めるのか! こんなにめでたいことはないぞ……っ」
80カラットのダイヤが散りばめられた椅子から立ち上がり、学級委員長は高らかに命じた。
「フィアンセの家から学校まで、直線距離上の土地をすべて買い上げろ! 通学用の安全な私用道路を建設する! さらには――」
ワーオ、とセレブたちが盛り上がるなか、学級委員長は告げた。
「各国首脳に通達! 三上とフィアンセの登校日を祝日とし、全世界的に『幼馴染の日』に認定する!」
三上奏太のメッセージが起点となり、大きなうねりが生まれようとしていた。
その流れは学校という垣根を超え、ついには世界まで飲み込まんとしている。
これは稀によくある現象だった。
三上奏太が動くと、日常と非日常の境い目がグラグラと揺らぐ。
たとえば学級委員長とて、普段から各国首脳を動かしたりはしない。
三上が絡むと、どうしても派手にサービスしたくなってしまうのだ。
この現象について、専門家のアー子さんはかつて『うーん、おそらくラブコメ主人公のラッキースケベのようなものかもしれないね。三上ちゃん自身にも制御できないらしいし、よっぽど特別な立ち位置の人間がストッパーとして機能しない限り、止められないんじゃないかなぁ』と述べている。
今回も三上奏太を起点にした騒動の波は止まらず、しかも世界を巻き込んだ過去最大級の規模になる――かに思われた。
流れを変えたのは、たったひとりの的確な声。
メッセージアプリのなかで皆が『私はこれをやる!』『アタシはこうするぞ!』と次々に表明するなか、その一言は鋭く響いた。
『デリカシーの無さが軒並み奏太兄ちゃんさんレベル!? 皆さん、いい加減にして下さい! お姉さんは久しぶりに外に出てくるんですよ!? 大騒ぎなんてしていいわけがないでしょう! ぜんぶ中止です! 中止!』
この言葉に三上奏太も含め、皆一斉に、はっと我に返った。
言われてみると、どう考えてもやり過ぎだった。
生徒会長は学園祭の開催を中止し、番長はチームの集結命令を撤回、学級委員長も行動を『幼馴染の日』の制定だけに留め、その他の仲間たちもそれぞれに冷静さを取り戻した。
もちろん奏太も我に返り、おっかなびっくりでメッセージを投下する。
『あー……葵、その、なんだ……怒ってる?』
すぐさま返事がきた。
『当たり前じゃないですか! 伊織くんから話を聞いて、わたし、すっごく感動したんですよ!? なのに舌の根も乾かないうちにこんな大暴走始めるなんて、奏太兄ちゃんさんは頭にメロンパンでも詰まってるんですか!?』
『や、うん、メロンパンは詰まってないと思うんだ。俺、甘いものとかあんまり食べないし……』
『そういう話をしてるんじゃありません! ノリとテンションでしょっちゅうおかしなところへ飛んでっちゃう、その甘々思考のことを言ってるんです! そういう感じでお姉さんとイチャイチャして、この一年半、隣の部屋の伊織くんを困らせてたんですよね? だいたい奏太兄ちゃんさんは――』
そこから先はまさかの説教タイム。
『いや、うん、でもな……』とか『そ、それはそうなんだけどさ……』と、どんどん縮こまっていく奏太を見て、仲間たちは大いなる驚きと共に悟った。
あの三上奏太を止められる人材がついに現れたのだ、と。
星川葵。
彼女の名は『三上封じのスター・リヴァー』として各所に轟き、日常の守り手として、今後も的確に奏太へツッコみを入れていくこととなる。
かくして。
優秀な義妹の活躍により、唯花の登校日が世界的なお祭り騒ぎとなることは無事に回避されたのだった。




