第146話 史上最大の決戦―kiss of war―③
さあ、王手だ。
俺の右手はメイド服の肩を抱き、左手はあごクイをしている。
唯花は真っ赤になってぷるぷる状態。
珍しい『君』呼びが思いのほか効いたらしい。
「うぅ、不覚。せっかくお母さんの部屋からメイド服取ってきたのに、こんなところで逆転されちゃうなんて……っ」
えっ。
そのメイド服、撫子さんの物なのか!?
てっきりまた伊織の部屋から持ってきたのかと思ったら、まさかの母親の私物だった。
思わずツッコみそうになったが、ぐっと堪える。
ここで空気が崩れたら、逆転の隙を与えてしまう。
俺は唯花の肩を誘導し、背中をぴったりと壁に密着させる。
そうして逃げ場を奪い、瞳を覗き込んだ。
「これでチェックメイトだ」
「うぅ……」
ウルウルした瞳が見つめ返してきた。
悔しさでいっぱいの表情。
かと思いきや、健気な微笑みを浮かべみせる。
「優しくしてね、ご主人様……」
「――っ!?」
マズい、ちょっとグッときた……っ!
こやつ、まだ勝負を諦めていないぞ……っ。
恐るべきは表情の変化による的確な芝居。
悔しさから一転、微笑みを浮かべることによって、『ご主人様に強引にキスされそうになったけど、健気に受け入れるメイドさん』的な空気を醸し出している。
それが大変グッときた。
……くっ、マズい!
そんなこと考えていたら、なおのことグッとくる。
これ以上は危険だ。
俺は一気に唯花の唇を奪おうと――。
「ふっ、遅い」
――した瞬間、顔の前に何かが現れた。
それは新たなぬいぐるみ。
へたれ顔したネコさんのぬいぐるみだった。
「必っ殺! ネコ美さんのキス顔アターック!!」
「にゃーっ!?」
ぬいぐるみが顔面に直撃。
俺は謎の悲鳴を上げて仰け反った。
説明せねばなるまい。
ネコ美さんというのはアーサー王と並ぶ、この部屋のヘタレ顔ぬいぐるみである。
正式名称は『働かにゃい、ネコ美さん』。
コンセプトは人見知りの人妻ネコなのだと、以前に唯花から力説されたことがある。
何を言っているか分からないだろうが、俺も何を言っているか分からない。
それよりも今重要なのは、決まりかけていた王手を覆されたという恐るべき事実。
「ぐは……っ。ば、馬鹿な!? アーサー王の一撃すら避け切った俺が直撃を食らうだと!?」
「唯花ちゃんの抜ぬいぐるみ術は隙を生じぬ二段構えなれば!」
「抜ぬいぐるみ術ってなんだ!? 語呂が悪いにも程があるだろ!? あと初撃のアーサー王から間が空いてる時点で二段構えになってないぞ!」
「うるさーい! 負け惜しみはあの世で言うのです! てりゃー!」
「ぬお!? わっ、ぐっ、おおっ、ぬう……っ!?」
ネコ美さんが凄まじい速度で繰り出され、こちらは防戦一方。
仰け反った時にバランスを崩したせいで、回転の速い連打をさばききれない。
唯花は右手にネコ美さんの頭を、左手にしっぽを掴み、ワンツーのジャブを連続で放ってくる。
しかもネコ美さんの姿はまるっきりネコなので、ちょうど胴体部分が唯花の顔の位置に重なっていた。これではカウンターのキスも狙えない。
「くっ、唯花とぬいぐるみのタッグ、ハマるとここまで強力なのか……!」
「ふふん、幼馴染バトルは相性が鍵! 唯花ちゃんとネコ美さんのタッグは奏太の隙に倍率ドンなのです!」
「ちくしょう、言葉の意味は分からんがとにかくすごい説得力だ……っ」
「まだまだいくよーっ! そーれ、にゃん! にゃん! にゃーん!」
三連撃!?
それはかつて幕末の世に名を馳せた、天然理心流の三段突きを思わせるような妙技だった。
高速で向かってくるのは、ネコ美さんの顔! しっぽ! 唯花!
え、唯花っ!?
ぬいぐるみのワンツーを放ち、直後に唯花自身が飛び込んできた。
俺はネコ美さんの頭を右手で回し受けし、続いてしっぽを左手で同様に受けた。
しかし三撃目の唯花に度肝を抜かれ、反応が遅れる。
「くっ、緊急……回避っ! ――うおっ!?」
アーサー王を避けた時の要領でエビ反りしたのだが、それでも攻撃が掠った。
唯花の唇が一瞬、額に触れたのだ。思わずドキリとしてしまう。
「えへへ」
唯花は勝ち誇った照れ笑い。
「奏太のおでこにちゅーしちゃった♪」
「おのれ、小癪な……っ」
こっちも照れて、思わず悪代官口調になる。
しかもまだ窮地は続いている。
俺はさらにバランスを崩し、唯花は前進によってさらに突進力を得ている。
繰り出されるのは必殺のタイミングを狙った、ワンツーのコンビネーション。
ネコ美さんのヘタレ顔としっぽが交互に迫ってくる。
「ほらほら! 観念してあたしに唇ペロリされちゃいなさい! 奏太は大人のチュウを狙ってたみたいだけど、そんなのぜーんぜんさせないんだからね!」
「……っ! やはり俺の目論見を知っているんだな……っ」
ワンツーを必死にさばき、たまにネコ美さんの頭を撫でたりしながら、俺は叫ぶ。
「なぜだ!? なぜ唯花が知っている!? 俺はさっきリビングで決意したばかりなんだ。俺がキスでお前を腰砕けにしようとしてることなんて、知るタイミングはなかったはずだ!」
「ふっふっふ、愚かなり。百獣のガオーin可愛いてんとう虫とはこのことね!」
「百獣のガオーin可愛いてんとう虫、だと? 獅子身中の虫と言いたいのか!? はっ、ということは!」
まさか、と目を見開く。
「内通者がいたのか!? しかも唯花が『可愛い』という形容詞をつけるってことは……伊織!? 嘘だろ、俺の弟分が裏切ったっていうのか!?」
「イズザクトリィ、その通りでございます!」
「ぐはーっ!」
Shockだ!
そして隙を逃さず、ネコ美さんの顔が直撃。
ヘタレ顔が頬にぐりぐりされる。
くそっ、モフモフした感触が気持ちいい……!
ネコ美さんをぐりぐりしながら、唯花は策士の笑みを浮かべる。
「伊織を介して、奏太の悪行はすべて筒抜けなのです」
「ほ、ほれのはくぎょうらと……?」
頬をぐりぐりされているので上手く喋れない。
「ひったひ、なんのほとは?」
「なんのことか、ですと……っ?」
ひくっ、と唯花の顔が引きつった。
直後、ぐりぐりが加速!
「お父さんやお母さんの前であんな宣言したことに決まってるでしょー! キスするとか、しかも舌入れちゃうとか、なにを家族の前で堂々と言ってるのよぉ!?」
あ、そのことか!
「百歩譲って伊織に言うのはまだいいけど、お父さんとお母さんはだめー! いくら相手が奏太でも、娘が普段、男の子に部屋でえっちなことされてると思ったら、心配するでしょー!?」
いやしない!
相手が俺だから、あの夫婦はぜったい心配なんてしてないぞ!
と言いたいのだが、ネコ美さんが顔にめり込んでて喋れない。
「あとすっごい恥ずかしー!!」
あー。
それについては弁解の余地がない。
そうか、しまった、恥ずかしかったか……っ。
ネコ美さんの顔に続き、しっぽも連打される。
ふにふにふにーっと総攻撃だ。
「なんなの!? 奏太ってば、本当なんなの!? もーっ! あたしが最近、どんな気持ちで奏太にゃんを爆誕させたと思ってるのー!?」
「ぐわ!? ちょ!? おわ!?」
「あたしは奏太は癒してあげたいの! 頑張る奏太をよしよしして甘やかしてあげたいのー!」
「いや! その前にしっぽ! しっぽのラッシュが口に入ったら息が……っ。だ、だから! そういうのは五年後とか十年後とかでいいって言ってるだろ! 唯花はまず唯花自身のことを大切に――」
「自分と同じくらい、奏太のこと大切にして何が悪いのよーっ!」
「――っ」
ぽふっとしっぽが喉に当たった。
まるで俺の言葉を封じるように。
唯花は俯いている。
肩で息をし、前髪で表情は見えない。
「奏太はあたしのために人生すべて懸けてくれる。当たり前みたいな顔で何もかも投げうってくれる。でもね……」
桜色の唇が震えていた。
「あたしは思うの。あたしにだって分かるの。奏太はね、もっと広い世界で活躍できる人。こんな小さな部屋のなかに閉じ込めていたらいけない人なんだよ……」
「唯花、待て。俺の話を聞け」
「待たない。聞くのは奏太の方。あたしは、奏太があたしのために人生懸けてくれることを……」
言わせない。
左右の手首に触れ、ぬいぐるみを下ろさせる。
同時に唯花が顔を上げた。
俺より一瞬早く、言葉を紡ぐ。
「当然だと思うもん!」
「……ん?」
一瞬、頭のなかで繋がらなかった。
えっと、唯花は今、なんて言ったんだ?
前後のセリフをパズルのように繋げてみる。
――あたしは、奏太があたしのために人生懸けてくれることを……当然だと思うもん!
およそシリアスな空気にそぐわない、とんでもねえセリフだった。
「えーと、唯花さんや……」
「当たり前でしょ?」
小首を傾げて、すまし顔。
「こーんな美少女な幼馴染がいるんだから、人生の一つや二つ懸けて当然じゃない」
ツインテールを揺らし、メイド服の胸を張る。
や、うん、いいんだけどな……?
「でもお前、広い世界がどうとか、部屋に閉じ込めてたらいけないとか……」
「うん、だからね?」
ウチの幼馴染はすげえ当たり前みたいな顔で言う。
「あたしのために人生懸けつつ、広い世界で大活躍してよ」
「……はい?」
なにその無茶ぶり。
「つまり今の奏太はまだまだ頑張りが足りないと思うの」
「……ウソだろ、おい」
俺、わりと頑張ってる方だぞ?
頑張りが足りないとか、言われたことないぞ?
「だいじょーぶっ。奏太なら出来るって! 疲れちゃった時はあたしが癒してあげるし!」
「あー…………」
それで奏太にゃんだったわけか。
謎が解けた。代わりに疲労感が爆上がりした。
つまり唯花は予想の斜め上にかっ飛んでいたのだ。
俺はこう思っていた。
唯花は外の世界に気持ちが向くようになって、俺に対して申し訳なさを感じているのだろうと。誠司さんですら、同じ予想だったはずだ。
しかし答えは違った。
唯花は外の世界に気持ちが向くようになって、俺をもっと頑張らせなきゃと思うようになったようだ。
俺への期待と信頼感が天元突破して、とんでもないことになっている。
確かに出会った当初の生徒会長や番長には『幼馴染のことばかり考えてないで、自分の力を活かせる生き方をしろ』と言われたことはある。
二人の言葉が正論なことは理解している。
それでも俺は迷うことなく唯花のために生きることを選んだ。
だがまさかここにきて……本人から正論を超える大正論を言われることになろうとは。
つまり唯花はこう言っている。
どっちも選べ、と。
世界もあたしも選んで、そのために超頑張れ、と。
三上奏太にはそれが出来る――と。
頭を抱えたくなった。
っていうか、抱えた。
「唯花さんや。お前、自分がどんだけ無茶ぶりしてるか、理解していらっしゃるのか?」
「うむ、奏太が戸惑うのも無理からぬことなのです。――ゆえに決戦」
すちゃっと唯花はネコ美さんを構える。
「あたしがこの戦いに勝ったら、奏太は大海原に漕ぎだすことを誓いなさい! もちろん毎日可愛いあたしに逢いに来つつね!」
「待て待て待て! そんな無茶な話があってたまりますか!?」
俺の夢は、海の見える家でお前と末永く暮らすことなんだよっ。
そりゃバイト先の店長には『貿易関係のお仕事とか興味ないかしらぁ?』って誘われてるし、学級委員長には『将来は俺のビジネスパートナーになれ。世界を獲るぞ』って言われてるけど、そこまでする気はないんだよ!
「もんどーむよう! いざとなったら、あたしも付いていってあげるから安心しなさい。とりゃー!」
「はっ!? 今、お前なんかすごいこと言ったよな!? ちょ、話を聞いてくれー!」
俺の制止はスルーされ、唯花とネコ美さんの目がキラーンと光る。
マズい、負けられない……! 負けたら色んな意味で人生設計が変わってしまう。
戦慄する俺へ、不可避の三連撃が襲い掛かる。
「にゃー! にゃー! にゃーんっ!」
迫りくる、顔! しっぽ! 唯花!
クソッ、どうする!?
どうするんだ、俺……っ!?
次回更新:3/15(日)予定
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