第128話 奏太兄ちゃん、何言ってるの?②
如月家のリビングにて。
弟分はかく語りき。
『お姉ちゃんとお家デートしたって……それ、いつもと何が違うの?』
俺は大仰に頭を抱えた。
そして盛大に首を振った。
「やれやれ、なんてこった! そうか、伊織よ。お前にはまだ分からないのか……!」
「や、うん、分からないし、奏太兄ちゃんのその唐突なテンションも意味が分からないよ?」
「大丈夫だ、任せろ、何も心配いらない。お前に足りない知識の穴は俺がちゃんと埋めてやる。兄貴分の責務としてな」
俺としたことがまったく迂闊だった。
まさか伊織がなんの変哲もない日常とお家デートの違いを理解していなかったなんて。
これは由々しき事態だ。
伊織もいずれ葵とお家デートをする日がくるだろう。
その時、日常との違いを理解していなければ、わたわたしてしまうに違いない。
まさしく先日の俺と唯花がそうであったように。
自分たちの失敗や反省点を伝え、あとに続く者たちの学びの糧とする。それはとても素晴らしいことだ。
俺はカッと目を見開き、なぜかお腹を抱えて笑っている……というか笑い過ぎてぴくぴくしている撫子さんに叫ぶ。
「撫子さん、戦いは終わりだ! 俺は争いよりも平和のために力を尽くす! 今から伊織への特別講義を始めるぞ。異存はないな!?」
「……ない、ないわ……いおりんに……ふふっ……くくっ……奏ちゃんの知識を湯水のように与えてあげて……あはは、お腹痛いっ」
「良かろう! ならば紅茶を淹れてくれ! 砂糖たっぷりのロイヤルなミルクティーで頼む!」
「……はー、楽しい。こういう開き直った時の爆発力は奏ちゃんだけのものよねえ。――はいはい、ミルクティーね。砂糖どばどばで淹れてあげちゃう。今日の撫子さんはご機嫌よ♪」
撫子さんはスリッパをパタパタさせてキッチンの奥へ駆けていく。
一方、伊織は「あー……」と微妙な顔でつぶやいた。。
「……本当だ。僕にはさっぱり理屈が分からないけど、開き直りの大自爆で満足させて、なんだかんだお母さんを退けることに成功している……これはお父さんや僕にはできない芸当かも。奏太兄ちゃん特有の何かなのかな。ぜんぜん羨ましくないけど……」
そんな伊織のつぶやきを右から左に聞き流し、俺はリビングを見回して「ふむ」と頷いた。
「やはりこういう時はソファーだな。よし、こっちだ、伊織」
「わー、なんかもう僕に拒否権がない感じー……」
伊織の後ろ襟を掴み、子猫をぶら下げる要領でソファーに連れていく。
ちなみに俺は学校帰り、伊織も修学旅行帰りなので制服姿だ。
いつもは唯花の部屋でブレザーを脱ぐんだが……。
「上着が邪魔だな、脱ごう。伊織、お前も脱げ」
「あー、なんか『こういうことやりたい』っていう絵がもう奏太兄ちゃんの頭のなかにあるんだね。そして僕はもう従うしかないんだね。知ってる? こういう時の奏太兄ちゃん、お姉ちゃんにそっくりだよ?」
げんなりしつつも素直に従う伊織。
高校と中学のブレザーがソファーの肘置きに置かれ、俺たちは深く腰掛ける。
リラックスしたワイシャツ姿で、俺は大らかに伊織の細い肩を抱いた。
ハリウッド映画で父親が息子と語り合うような体勢だ。
「いいか、伊織。これから俺は非常に大切な話をする。ママには内緒だぞ?」
「ママって誰? ……あ、いいや。なんとなく分かってきた。こういうハリウッド映画っぽいシチュエーションがやりたかったんだね。ソファーの正面に暖炉とかイメージすればいい?」
「グッド。お前はいい息子だ」
マッチョなハリウッドスターのようにニカッと笑う。
人生の後輩に恋愛の伝授をするのならば、やはりムーディなシチュエーションがほしい。
よって今回はハリウッド映画調だ。
暖かい暖炉の火をイメージし、俺は穏やかに語る。
「覚えておくといい。『デート』の三文字がつくだけで日常はガラリと変わるんだ。そこには新たな世界がジャストナウッするんだぞ」
「えーと、無理に英語っぽい単語挟まなくていいよ?」
「具体的には女子がとても可愛くなるんだ。普段から可愛いが、それがさらに倍率ドンになる。しかも可愛いだけじゃない、あの日の唯花はとても――綺麗だった」
「あれ、待って。僕、今から何を聞かされるの?」
「不思議だよなぁ。いつもはなんにも考えずにポンポン言葉が出てくるのに、いざデートとなると会話が止まるんだ。お互いに意識しちゃってるんだろうな。でもしょうがないだろ? 唯花がわざわざリップつけたりしてるんだぜ? こっちだって落ち着かない気持ちになるさ」
「あのね、奏太兄ちゃん、お願いがあるんだけど……僕さ、お姉ちゃんの実の弟だからね? そこ忘れないでね? 家族が聞きたくない話のラインはちゃんと見極めて喋ってね?」
「これは大声じゃ言えないが、最終的には『痛いけど、奏太のために我慢してあげる』なんてことになってな? 『奏太のケダモノー』なんて言われちゃったんだ。いやー、あの時の唯花は本当に可愛かった」
「そういう話だよ!? そういう話をしないでって言ってるんだよ!? いや奏太兄ちゃんのことだから、なんか違うシチュエーションの場面をややこしく抽出してるだけなんだろうけど!」
「ん? 何を慌ててるんだ? これは後ろ抱っこで映画観た時の話だぞ?」
「知ってるよ! 分かってたよ! だとしてもイチャイチャお惚気話なのは変わらないよね!?」
「伊織、萌え袖の唯花はマジ可愛いぞ? しかもその格好で『あたしも本当はずっと奏太に本気チュウしたかったし』なんて言われちゃってさ! いや正直、可愛すぎて死ぬかと思った!」
「僕も今、口から砂糖吐いて死にそうだよ!? なんなのこの話!? 僕は何を聞かされてるの!? ……ああもうっ、お母さーん! 僕、紅茶じゃなくてコーヒーにして! 豆増し増しの水少なめで泥みたいになったブラックコーヒーを下さい! 泥水コーヒーを摂取しないと僕は死んでしまいます!」
伊織がわーっという勢いで叫び、キッチンの方から撫子さんの手が見えて、ひらひらと返事をする。
指先が微妙に震えているので、今も笑っているようだ。うん、撫子さんの笑いのツボはいまいち分からんな。
泥水コーヒーのオーダーが終わると、伊織は切羽詰まった表情でキッとこっちを向いた。
「結局、奏太兄ちゃんは僕を砂糖で殴って何が言いたいのさ!?」
その表情はハリウッド映画における、思春期の息子のようだ。
よって俺は余裕ある態度で鷹揚に答える。
「最初に言ったろう? 俺はお前に日常とお家デートの違いを教えてやりたいんだ」
「だったら言わせてもらうけど……っ」
直後、俺は抱いていた伊織の肩からビクッと手を離した。
なんだ? 伊織からただならぬプレッシャーを感じるぞ……!?
弟分は顔を紅潮させ、ゆっくりと重々しく言葉を紡ぐ。
「……奏太兄ちゃんは気づいていたはずだよ? いつも学校から真っ直ぐ帰っていたはずの僕が葵ちゃんと付き合い始めてからというもの、帰りが遅くなっていたことを……っ」
「そ、それは……っ」
確かに事実だ。
以前は唯花の部屋にいると、ちょくちょく隣に伊織の気配があった。
しかし葵との交際がスタートしてからはほぼ皆無。
きっと2人で寄り道でもしているのだろうとタカをくくっていたんだが……ち、違うのか!?
「僕たちがいつもファミレスや商店街ばかりいってるといつから錯覚していた? それは大きな間違いだよ!」
ゴオッと突風のような圧が放たれた。
まさしく第三部の主人公のようなスターでプラチナな凄みを感じる。
それほどの発言を伊織はしようとしていた。
だが俺ははっとする。
反射的に視線を向けるのはキッチン。
そこでは撫子さんの指先がさっき以上にぴくぴくと震えていた。
……聞いている! しかも大爆笑している!
実の息子が今まさに自爆しようとしていることに気づき、くすくすが止まらないのだ!
「駄目だ、伊織! この通信は傍受されている! やめろ、何も言うなーっ!」
「食らえ、奏太兄ちゃん! 僕は――」
忠告の言葉は届かず、少年は告げてしまった。
精一杯の大きな声で。
可愛いくらい真っ赤な顔で。
「僕はっ、葵ちゃんの部屋でお家デートしたことがあるんだよーっ!」
どんがらがっしゃーん、というのは天井方面からの謎の音。
ぐっはぁぁぁぁ! というのは一瞬予想したがそれでも大ダメージだった俺の声。
ばんばんばんっ! というのは撫子さんが笑いを堪えきれずにキッチンテーブルを叩いてる音。
えー、拝啓、如月家の親父さん。
この家は今日もしっちゃかめっちゃかです。
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