第124話 デートのないしょを奏太は知らない②
奏太は今、ベッドの淵に背中を預けてお寝んねしている。
あたしはと言うと、大きく開いた奏太の足の間にいて、じっとその顔を見つめている。
脳裏に浮かんでいるのは伊織と葵ちゃんの16回改め17回問題。
「……デート中にこんな無防備な寝顔しちゃう奏太が悪いんだからね?」
あたしはそっと奏太の方へ近づいて、男の子っぽいしっかりした両肩に触れる。
ちなみに指先は袖から出てない。
いわゆる萌え袖というやつ。
実はこれを維持してるのは結構たいへん。
中学校の頃の制服だから萌え袖をキープするには不自然に手を縮めてなきゃいけないのだ。
でもこのまま萌え袖にしててあげる。
起きてる時、奏太がグッとくる的な顔してたから。
ちょっとぐらい手が痛くなっても奏太のためなら構わないよ。
「奏太……」
抱き着くように身を乗り出して、一気に顔を近づける。
キスしちゃおうって思った。
デート中に居眠りしている罰として、寝てる間に唇を奪っちゃうのだ。
意外に長いまつげ。
重く閉じた瞼。
すっと通った鼻筋。
それらがあたしの視界いっぱいに広がり、唇と唇が重な――りそうなところまできたんだけど。
「あう……」
寸前で俯いた。
恥ずかしい。
なんかとっても恥ずかしいのです!
「む、むりーっ! あたしからなんて出来なーい!」
がばーっと仰け反る。
奏太の両肩に萌え袖の手を置いたまま、ぶんぶん首を振る。
「むりむりむりむりむり! スタンドが発現してむりむりラッシュしちゃうくらいムリ! イケナイことしてる感がすごい! 『あたし、すごいことしようとしてる』っていうプレッシャーに耐えられない! 本気チュウのハードル高すぎるよーっ!」
大声で嘆き、あうぅぅぅぅ……と泣きべそをかいてしまう。
情けなひ、寸前で尻込みしちゃう自分が情けなひ。
今まで唇と唇の本気チュウをした経験は、2回。
どっちも奏太からしてくれたもの。
「こんなプレッシャーを跳ね除けてしてくれてたんだ……。奏太、すごい。男の子ってすごいのです……」
なんか尊敬の念が湧いてきてしまった。
さっきは可愛いと思ってた寝顔もなにやら格好良く見えてくる。
「ゆいかぁ……」
「……はうっ」
寝言で名前を呼ばれてドキッとしてしまった。
なんでこうジャストなタイミングで寝言を言うかな。
そういうとこっ、本当そういうとこだぞ、奏太!
「もう怒った。唇だと緊張しちゃうけど、頬っぺたとかならラクショーなんだからねっ」
ずいっと顔を寄せる。
でもいざ目の前にくると、やっぱり鼓動が跳ね上がった。
「う、うにゅう……っ。ドキドキするぅ……っ」
で、でも負けるな、あたし……!
今の我が身は冷酷なえくすきゅーしょなー。
デート中に熟睡した悪い子に刑を執行する処刑人なのです!
「えいっ」
チュッ。
奏太の頬っぺたに唇が触れた。
執行、完了!
同時にばっと顔を離す。
誰が見ているわけではないけれど、密命を帯びたスパイのように素早く元の体勢に戻った。
浮かべるのは勝ち誇ったニヒルな笑み。
「フッ、見たかね? これが唯花ちゃんの実力であるぞ……!」
奏太はまだスヤスヤ寝ている。
自分が何をされたのかも気づかず、のんきなものである。
これならあと2,3回ぐらいチュウされても気づくまい。
そう、あと2,3回ぐらいなら……。
「……し、しちゃおうかな。いいよね。だって伊織と葵ちゃんは本気チュウを17回もしてるんだし……」
それに比べたら頬っぺたなんて可愛いものだもん。
恐る恐るまた顔を近づけていく。
さっきは左の頬っぺたにしてあげたから、今度は右側に……。
「奏太……」
チュッ。
すぐには離れず、続けて同じ場所にチュッ、チュッ。
「連続でしちゃった……っ」
自分の顔がかぁーっと熱くなるのを感じた。
本当にすごくイケナイことをしてる気分。
でもそれが甘いスリルに変わってきている。
最初に感じていたプレッシャーはだんだん無くなり始めていた。
見つめるのは奏太の唇。
い、今だったら出来ちゃうかも……。
ただやっぱり恥ずかしい。
出来れば、奏太も共犯にしちゃいたい。
あたしは抱き着くように身を寄せて、奏太の耳元へ囁く。
「ねえねえ、奏太」
「……んんー……ゆいかぁ……?」
まだ眠ってる。
返ってきたのは寝言の返事。
あたしは囁く。
コソコソ声で。
「キ、キスしてもいい? 奏太にいっぱいチュウしたいの」
「…………んあー……」
「良いって言いなさい。奏太君は唯花お姉さんにいっぱいチュウしてほしいでしょ?」
お姉さん口調でご命令。
なんかしっくりくる。
新しい扉が開きそう。
「唯花お姉さんは知ってるんだよ? 奏太君がお姉さんにチュウしたくて堪らないこと。今日は特別にお姉さんからしてあげるね? だから『して』って言いなさい」
「……んん……しー……」
「し、て」
「……ゆいかぁ……」
「ゆいかー、じゃなくて。『し』、『て』」
「……しぃ……」
「て」
「…………てー……」
「よくできました」
チュッ、とまた頬っぺたにキスしてあげた。
心なしか奏太君の頬が緩む。
ふふ、かわゆい奴め。
あたしは正面から見つめる体勢に戻る。
これで言質は取った。
寝言じゃん、というツッコミは聞きません。
唯花お姉さんが取ったと言ったら、言質は取ったことになるのです。それがこの部屋のジャスティス。
「じゃあ……」
ドキドキしながら居住まいを正し、萌え袖で奏太の頬を左右から挟む。
「し、しちゃうよ? 本当にしちゃうんだからね……?」
念を押しても返ってくるのはのんきな寝息だけ。
あたしがこんなにドキドキしてるのに、本当にのんきだなこのやろー。
むう、ちょっとムカつくのです。
ばかっ。
奏太のばーかばーかっ。
あ、悪口言ってたらなんか気分が乗ってきた。
そうだそうだ、ぜんぶ奏太が悪いのです。だって――。
「奏太、分かってないでしょ。なんであたしがいきなりデートしたいなんて言いだしたのか」
こつん、とおでことおでこをくっつける。
「……あのね、あたしね、言葉じゃ言い表せないくらい、本当に『ありがとう』って思ってるんだよ」
感謝してる、って言葉は他人行儀で相応しくない。
だから『ありがとう』。
でもその言葉でさえも、きっとあなたは『礼を言われるようなことじゃない』って言っちゃうのだろう。だけど。
「この一年半、奏太がいてくれたからあたしは自分を諦めずにいられた。昨夜なんてついに自分の足で部屋を出ることができた。それから伊織に会って、自分の口で、自分の言葉を、ちゃんと伝えることができたんだ」
奏太の頬を撫でる。
ちょっとだけ指を出して、慈しむように。
「ちゃんと『ありがとう』の気持ちを伝えたいの。奏太にべったりと甘えてるだけじゃなくて、あたしがひとりの人間として、しっかり前に進んでいくために」
だから。
今日はお家デートをしたいと思ったの。
それでちゃんと段取りを踏んで、最後には――。
「……えっち、させてあげるつもりだったんだゾ?」
これが今日のデートの真相。
奏太には言ってない、ないしょの話。
なのにこの男はこうしてぐーすか寝ているのです。
うん、やっぱりどんな理由があろうとも、100対0で奏太がギルティだよね、これは。
見事にあたしの覚悟も空振りさせてくれちゃったことだし、こんなチャンスはもう当分来ないと思って頂きたいです、はい。
でも。
だけど。
だけどね?
ちゃんと『ありがとう』したいのは本当だから。
「…………おっぱい、触りたいって言ってたよね」
床に投げ出されてる奏太の右手を手に取った。
制服のリボンの下、ワイシャツの第二ボタンと第三ボタンを外して、奏太の右手を滑り込ませる。
手のひらは恥ずかしいから手の甲を。
ピンクのブラジャーへ押し当てるように抱き締めた。
そして。
「奏太の……ばーか♪」
悪口で勇気を振り絞り、ありがとうの気持ちを込めてキスをした。
ただし唇が当たったのは奏太の頬っぺた、唇ギリギリのところ。
さっき写真を撮った時と同じ位置。
やっぱり寝てるところにしてもつまんないもんね。
「いつか起きてる奏太に……あたしから本気チュウしてやるんだから」
苦笑して、奏太の頬っぺたをふにっとつねった。
ふふん、今日のところはこのくらいにしといてやるぜ。
◇ ◆ ◆ ◇
「…………はっ!?」
目が覚めた。
と、同時に俺はすげえ勢いで血の気が引いた。
「ま、まさか俺……寝てたのか!?」
跳ねるように起き上がる。
体には唯花のブレザーが掛けられていた。
毛布代わりか何かなのだろう。
つまりはそれくらい熟睡していたということだ。
「あ、起きた? おはよー」
「唯……花っ!?」
声のしたベッドの方を振り向き、絶句。
唯花が制服を着ていない。
いつものパジャマ姿に戻っていた。
それが意味するところは一つ。
デート終了のお知らせである。
や、やらかした――っ!
俺は腹を切らんばかりの勢いでジャンピング土下座。
「こ、この度は拙者の至らぬこと、天を突く山の如し……! 面目ない! 言い訳の仕様も御座りませぬ……っ!」
「うん? あー……まあ、いいんじゃない? ほら、奏太もお疲れだっただろうし」
「……ほえ?」
思わずいつもの唯花のような声が出てしまった。
怒って……ない? デート中に居眠り爆裂させたっていうのに?
「お家デート楽しかったし、まー良きかな、なのじゃ」
「なん、だと……?」
ご立腹どころかちょっとご機嫌?
あ、ありえん……っ。
一体、何がどうなってるんだってばよ!?
次回更新:1/9(木)予定




