第114話 引きこもり美少女とお家デート①
さて、お家デートである。
というわけで、俺は一旦唯花の部屋を出て、下のリビングに戻った。
撫子さんに紅茶とお菓子をもらうためだ。
いやえーと、ほら? なんつーか……お家デートってそういうのが必要な気がするだろ?
や、分かってる。分かってるから安易とか言わないでほしい。
俺だってどうしたらいいか分からないんだってばよ!
「く……っ。まさか俺、緊張してるのか……?」
お盆を持って階段を上りながら自問自答する。
心臓の音が妙にうるさいし、ついつい視線をあちこちにさ迷わせてしまう。
明らかにいつもの俺じゃなかった。
お盆にはこぎれいなティーカップとポット、それにクッキーやチョコレートの入ったお皿が載っている。
ちなみに用意してくれた撫子さんは大変ウザかった。
あの人はこういうことに異常に鋭いからな。
俺が紅茶とお菓子を頼むと、読んでいた女性誌を放り投げ、『あらあらあら? 奏ちゃんもお姉ちゃんもどういう風の吹き回しかしらー? いつもは撫子さんのお菓子なんて見向きもしないのに! なになになに? どうしたのぉ?』と即尋問である。
興味津々で訊いてきてるくせに実はぜんぶ感づいてそうなところが、なんとも撫子さんだった。
まあ、どうにか躱してきたものの……帰る時にまた絡まれそうだな。
今日は伊織も修学旅行でいないし、夕飯ご一緒コースかもしれない。
それはともかく……。
「……あ、やべ。どうしよう」
部屋の前まできて、俺ははたと気づいた。
両手でお盆を持っているからドアを開けられない。
ポットには紅茶がなみなみと入っている。
下手にバランスを崩したらこぼしてしまうだろう。
「……一回、お盆を床におくか」
仕方ない、と腰を屈めようとした、その時だった。
「あ、奏太、お茶持ってきてくれた? 待ってて。今、開けたげる」
「は?」
唖然とする俺の目の前で、ガチャンとドアが開いた。
当然のように。
まるで当たり前のように。
わずかな風が俺の前髪を揺らし、制服姿の唯花が目の前に現れた。
「おー、高そうなお菓子付き! 良い働きじゃぞ」
いや、じゃぞじゃねえよ、じゃぞじゃ……。
開いた口が塞がらない。
「唯花、お前いま……自分でドアを開けたのか?」
夜中でもないのに。
青ざめもせずにすんなりと。
この部屋に入る時、俺はいつも自分でドアを開けていた。
必ずだ。絶対だ。ただの一度だって例外はない。
それが今、覆された。
目の前のことが信じられない俺に唯花は「えへへ」と微笑む。
「うん。なんかやってみたら出来ちゃった」
「出来ちゃったって、いやお前、いきなり色々成長し過ぎだろ……っ」
勘弁してほしい。
展開が早すぎて俺がついていけない。
お盆を持ったまま、俺いま涙腺緩んじゃってるからな、おい。
「え、奏太、泣いてるの?」
「泣いでなひ……っ」
「泣いてるじゃん」
唯花は苦笑してブレザーのポケットに手を入れる。
フリルのついたハンカチが俺の目元をぽんぽんとぬぐってくれた。
ゆ、唯花がハンカチを持ってる……!?
なんで持ってるんだ!? まるで登校の準備をしてるみたいじゃないか……っ!
「うわっ!? もっと涙出てきた!? 滝みたい! 漫画みたい! なにこれ、どうしたの!?」
「なんでもねえよ、ぢぐじょう……っ」
ぷるぷる震えながら部屋に入り、やっとの思いでお盆をテーブルに置いた。
唯花もドアを閉めて、隣にやってきて腰を下ろす。
歯を食いしばって泣くのを堪えている俺へ、窺うような視線。
「何か悩み事でもあるの? だったらお姉さんが聞いてあげるよ?」
「逆だっての。お姉さんとかいうよりむしろ……」
噛み締めるように言う。
「赤ちゃんを子育てしてるような感動を俺はいま味わっている……っ!」
「いやどういうことなのよ!?」
「こないだまでハイハイも出来なかったくせに……っ。もう立てるようになったり、喋れるようになったり、あっという間に大きくなりやがって……っ。へへ、お父さんも歳を取るはずだよな、ちきしょうめ!」
「なに目線!? あっ、ひょっとしてあたしのこと言ってる!? コラコラコラ! デートの時に相手を赤ちゃん扱いしてお父さん目線になるとか! どんなデート指南書にも載ってないようなアクロバティックなNG事項をひた走るのはやめなさい!」
ぺちぺちぺちっ、とテーブルを叩いて叱られた。
……はっ、そうだった! これからデートをするところだったな!
いかんいかん、危うく妄想で心のホームビデオが再生されそうになってたぜ……。
ようやく俺は我に返った。
ごほん、と咳払い。
「すまん。ちょっと気持ちが脱線していた」
「脱線どころか大暴走だったけど。唯花ちゃんの雷が落ちるところだったぞよ。復旧があと10秒遅かったら我はこう言っていた。『出ていきなさい、地球から!』と」
「地球から!? 部屋からじゃなくて!? お家デートどころか地球人という立場を失いかけてたのかよ……!?」
これは本格的にマズい。
すぐさまフォローをしなければ。
なぜなら唯花がすげージト目になっている。
まるで初デートに遅刻してきた男を見るような目だ。
いやうん、本当はそれどころじゃない失態を冒しているのは分かってるんだが、これぐらいの例えにさせてくれ。心が保たない。
しかし……くっ、出だしから躓くなんて、俺ってデートが下手な男だったのか。すげえショックだ。
だがまだ終わってない。
むしろ何も始まってない。
ここから挽回するんだ、頑張れ俺!
「唯花、可愛いな」
「……」
「いつも可愛いけど、今日はいつにも増して可愛いぞ」
「……ちょっと褒めたぐらいで機嫌が直るほど、唯花ちゃんはチョロくないぞよ」
「今日はいつもとどっか違うよな?」
「……む」
捉えた。
ちょっと嬉しそうな顔。
俺はテーブルに肘をつき、まじまじと唯花を見つめる。
「制服以外にも何かオシャレしてるよな? んー、どこだろうなぁ?」
「……ち、地球から追放されるような『デートの出だしで大失敗犯』の奏太に分かるわけないのです」
舐めるな。俺は唯花検定100段の達人だぞ。
地球から追放されようが、幾千の星から唯花を見つけられる。違いに気づくなんて造作もない。
「リップだ。今日は唇にリップを塗ってこっそりオシャレをしている」
「……っ」
ぴくっと肩が動いた。正解だ。すかさず追撃。
「可愛いぞ。いや可愛いっていうより……綺麗、って感じだな。唯花は美少女だけど、今日はさらに美人度に磨きが掛かっている」
デートの鉄則。
まずは相手の格好を褒める!
「綺麗だ、唯花」
「…………100点」
両手で唇を隠すようにして唯花は俯いた。
黒髪から覗く耳は真っ赤になっている。
「……地球への帰還を許可します」
よっしゃあ!
心のなかでガッツポーズ。地球よ、俺は帰ってきたーっ!
「この唯花ちゃんタラシめ……」
照れ半分、恥ずかしさ半分で唯花がつぶやき、一方、俺は聞こえないふりで意気揚々とポットの紅茶を淹れ始める。
……そうして余裕っぽく見せているが、実は内心ドキドキだった。
真顔で『綺麗だ』とかめっちゃ恥ずかしい。顔から火が出そうだ。
それに危うく開始前から躓いてしまうところだった。
奥が深いぜ、お家デート……。
だがどうにか入口には立てた。
「それじゃあ、唯花……」
「……うん」
紅茶の入ったティーカップを受け取り、唯花は緊張した顔で宣言する。
「これから……あたしたちのデートを始めます」
さあ、ここからが本番だ。




