第113話 奏太の帰還
はあ、長かった。
やっと如月家に着いた。
たった一晩のことなのに、なんか一か月近くドタバタしてた気がするぞ。
というわけで俺は京都から地元に帰ってきた。
今は如月家の階段を上がっている。
自宅には寄らずに来たので、伊織を送った時のワイシャツとズボンにジャンパーという姿だ。
ちなみに手には八つ橋の入った紙袋を持っている。
二つ買ってきて、一つは一階の撫子さんに渡してきた。
一応、伊織が一度帰ってきていたことは黙っておいた。
変に心配させる必要もないからな。
一方、俺はあっちで朝ちゃん先生や中学校の生徒たちに会ってしまっているので、言わずにおくのなんだし、撫子さんには『ちょっと日帰り京都旅行にいって、伊織たちに会ってきた』と言ってある。
思いつきで遠出するような破天荒なやつと思われるのも微妙だが、まあしょうがない。
しかし撫子さんは『ありがとね、奏ちゃん』と意外に平然とした顔で八つ橋を受け取ってくれた。
普通、『なんでいきなり京都に?』とか訊くと思うんだが、まあ撫子さんらしいと言えば、らしい。
あとなぜかいつにも増して撫子さんは肌がツヤツヤだった。何か美容にいいことでもしたのだろうか。
「……それはともかく。問題はここからだ」
俺は唯花の部屋の前で足を止めた。
小さく深呼吸し、息を整える。
昨夜、俺と唯花は人生二度目のキスをした。正直、面と向かって会うのが照れくさい。
俺も唯花も結構な劇場型というか、テンション上がってる時は平然と色んなことが出来るんだが、代わりに我に返った後に猛然と気恥ずかしくなるタイプだ。
よってキス後のファーストコンタクトはなかなか勇気がいる。
しかしもちろん俺も無策ではない。
朝に電話で話してハードルは多少下げてある。さらには鴨川沿いで唯花から連絡がきて二度目の電話もしたので、照れくささはだいぶ消えていた。
あとはいつも通りの空気で会うだけだ。
……そうして平常運転になった後、改めて16回問題についての対処を行っていきたい所存である。非常に重要な問題だからな。放置はしておけないぞ、絶対に。
「……よし」
心の準備が完了し、俺は満を持してノックをした。
「唯花、帰ってきたぞー」
「あっ。う、うん、了解! どうぞー」
すぐに返事がきたので、ドアノブを握って扉を開く。
やっぱり唯花も声がちょっと緊張してるな。しかしここは冷静に平常運転を心がけて……。
と考えていた俺の思考は一瞬でフリーズした。
「や、やっほ。おかえり」
唯花が照れた顔で手を挙げる。
キスうんぬんの照れだけじゃない。そこには『似合うかな?』という意味の照れも含まれていた。
「ゆ、唯花……」
俺は一瞬、自分がまだ京都にいるのかと錯覚しそうになった。
唯花の格好が葵と同じものだったからだ。
「お前、その服……」
俺たちの出身中学の制服だった。
「うん。久しぶりにちょっと着てみました♪」
照れ笑いを浮かべ、スカートの端を摘まんでみせる。
上着は紺色のブレザーで、ワイシャツに赤いリボンをつけている。
下はプリーツのミニスカート。足は紺のハイソックス。
言葉が出ない。
懐かしさが一気に込み上げてきて、頭が真っ白になりそうだった。
そんな俺の様子には気づかず、唯花は見せつけるようにスカートをひらひらさせる。
「さすがに高校の制服はまだ無理だけどさ……中学のだったら倒れたりしないかもと思って。やってみたら着れました。眩暈がしたり、吐きそうになったりしてないよ? ね、すごい?」
「あ、ああ……」
唯花は高校に入学してから数日で引きこもりになった。
以来、学校関連のことからは距離を置いていた。中学のものであっても自分から制服を着れたなんてすごいことだ。
「でもなんで、突然……」
「葵ちゃんの写真送ってくれたでしょ? あれ見てたら、なんだか懐かしくなっちゃって」
「ああ……」
……そうか。あの写真がきっかけか……。
胸が熱くなった。感慨深くてちょっと泣けてしまいそうだ。
そんな俺の様子にはやっぱり気づかず、唯花は自分の制服を見下ろす。
「でもやっぱりちょっとサイズが小さかったかも。あ、だからってエッチな目で見たりしたらダメなんだからね?」
中学の頃の制服なので、唯花の言う通りかなり小さい。
胸元はFカップが窮屈そうに抑え込まれて、ブラの刺繍がワイシャツにうっすら透けてしまっている。ミニスカートも太ももギリギリで今にも絶対領域が崩れてしまいそうだ。
でもエロい気分になんてなれなかった。
それよりも込み上げてくるものがある。
正直、もう我慢できなかった。
「唯花」
「んー? なあに?」
「悪い。ちょっともう理性が効かない」
八つ橋の紙袋が手から落ちた。
俺は床を蹴り、驚きで唯花の声が裏返る。
「ちょ、まさかルパンダイブ!? だ、だだだだ駄目だってばっ。そんないきなりは……っ。せめて日が暮れてから――って、え?」
押し倒したりなんかしない。
ただ、抱き締めた。
黒髪がふわりと舞い、腕のなかから聞こえてくるのは、戸惑いの声。
「え? え?」
唯花の頬が見る見る赤くなっていく。
「ど、どどどどうしたの? 奏太っ。押し倒されるのかと思ったら、な、なななんか今までにないくらい熱烈なハグなんですけどぉ!?」
「……熱烈にもなるだろ」
ぐっと腕に力を込める。途端、唯花が「はうっ!?」と身を固くし、俺はその黒髪に顔を埋めてつぶやく。
「不登校のニート娘が自分から制服着たんだぞ。一年半、ぐーたらしてるだけだったくせに昨日今日でどんどん成長しやがって。そんなん抱き締めたくなるだろ」
「あ……」
小さく吐息がこぼれた。
ブレザーの腕がゆっくり上がり、おずおずと抱き締め返してくる。
「……ごめんにゃさい。長らくご心配をおかけしました」
「まるでもう心配ないみたいな言い方だな」
「んっと、まだまだ心配はかけると思うけど、でもいつか……」
決意を込めた瞳が腕のなかから見上げてくる。
「いつかぜったいっ、四人で写真撮ってみせるから!」
「……っ」
胸が揺さぶられた。
熱い気持ちが込み上げてくる。
もうこんなの……っ、我慢なんてできるか!
湧き上がる気持ちに従い、細いあご先に手を添えた。
そして俺は唯花にキスを――。
「まだだめーっ!」
「ふぐあっ!?」
――しようとして、鞄に顔をめり込ませた。
中学の通学鞄だ。制服と一緒に用意していたらしい。
……にしても一体どっから出現させたんだ。いやそんなことはどうでもいい!
「なぜだ!? 今、完全にキスする雰囲気じゃなかったか!?」
「そ、そうかもだけどっ。でもまだ駄目なのっ。あたしにも考えがあるんだから!」
「考えってなんだってばよ!? 日が暮れたらオッケーなのか!? そんなのキスどころじゃ収まらなくなってしまうぞ!?」
「キ、キキキキスどころじゃなくなるって何言ってんのよ!? ハレンチ! 今日の奏太はハレンチです! 京都でなんかあったの!?」
「な、何もありゃしませんどすえ?」
全力で目を逸らす。
16回。頭に浮かんでいる数字は16回だ。
……うん、確かに義弟と義妹に追い抜かれて、お兄ちゃんちょっと焦ってたかもしれん。反省しよう。
ごほん、と咳払い。
「……それで唯花の考えってのはなんなんだ?」
「あ、うん。えっとね……」
正面から訊いてみると、唯花は途端にもじもじし始めた。
通学鞄を肘に引っかけたまま、指を合わせて身じろぎする。
……くそう、可愛いな。
制服姿だから懐かしさと新鮮さがヤバい。ごっちゃになってとにかく可愛い。
ちらっと窺うようにこっちを見上げ、唯花はつぶやいた。
「……デート、したいな。と思って」
「でーと?」
一瞬、意味が分からなかった。
分からなすぎて、つい真顔になってしまう。
「引きこもりが何言ってんだ?」
「直球! 疑問が直球過ぎるからーっ!」
ボフボフッと通学鞄でパンチされた。
うん、鞄の中身は空っぽのようだな。
勉強道具が一切入ってない鞄を抱き締め、唯花は唇を尖らせる。
ちょっと拗ねたような顔が可愛らしい。
「お家デートしたい。せっかく制服着たので、放課後、一緒に帰ってきた体で……奏太とお家デートがしたいです」
「お、おお……」
なるほど、やっと理解できた。
理解できてしまうと、胸の鼓動がムチャクチャ速くなり始める。
唯花とデート。
もし本当にするとしたら、そんなの初めてだ。
「ま、まあアレだな……朝の電話でも『今回スーパー頑張った唯花をスーパー甘やかす』って話だったしな」
「……うみゅ」
唯花はすでに赤くなって俯いている。
分かってるさ。ここまで来たら、あとは男の俺がちゃんとすべきところだ。
「えーと、それじゃあ……お、俺……あー、いや違うな。こうじゃなくて、ええと……」
ごほん、と何度目かの咳払いをして居住まいを正した。
緊張しながら伝える。きちんと改まった口調で。
「如月唯花さん」
「はい」
「僕とデートして下さい」
鞄を抱き締めている腕にぎゅーっと力がこもった。
目を伏せたまま、頬を染めた囁きが響く。
「……はい。よろしくお願いします」
こうして。
京都からの帰還も早々に。
俺と唯花のお家デート開催が決定された。




