第111話 朝ちゃん先生に朝まで説教された件
さて、ちょっと話は遡る。
俺が朝ちゃん先生にホテルの職員部屋へ連行された時のことだ。
十二畳ほどの部屋に布団が何組も置いてあり、浴衣姿の女性教師たちがニヤニヤしながらこっちを見ている。
俺は窓側の広縁で椅子に座らされている。
広縁っていうのはホテルや旅館の和室で、椅子とテーブルが置いてある窓際のあの空間のことだ。
俺も知らなかったんだが、目の前の現国教師がさっき教えてくれた。
うん、別に教えてくれなくてもよかった。俺はとっとと帰りたかった。
で、その現国教師こと朝倉先生、つまりは朝ちゃん先生はテーブルの向こうからずーっと俺に説教をしている。
「だいだいだな、三上。お前はいつも10か0かで考え過ぎなんだ。物事には中間があることを覚えなさい。それがワビサビというものなんだぞ!」
そう、もっともらしく言う先生はすでに酔っている。
手にはビールを持っていて、着ているのもホテルの浴衣だ。
トレードマークのポニーテールではなく、髪を下ろしていて、湯上り姿がなんか新鮮だった。だからなんだって話でもあるが。
ちなみに俺も柱時計の件を先生と謝りにいった後、そのまま温泉に放り込まれたので、今は浴衣を着ている。
温泉にはちょうど校長先生がいて助けを求めたんだが、事情を話したら大笑いで宿泊を許可された。どういうことだってばよ。それでいいのか教育者たちよ。
「コラ! ちゃんと聞いてるのか、三上!」
「聞いてる。聞いてるってば、朝ちゃん先生」
「朝ちゃんじゃない。ちゃんと朝倉先生と呼びなさい、と昔から言ってるだろ!」
「はいはい、聞いてるよ、朝倉先生」
「はいは一回! 聞いてるなら先生にビールを注げ」
「それもう教師のセリフじゃねえからな?」
と言いつつ、酔っ払いに逆らうと面倒なので、テーブルのビール瓶を取って、先生のグラスへ注ぐ。
「ふっ、卒業生の注いだビールは美味いな」
「そりゃ良かったよ」
「で、お説教の続きだ」
「続くのか……」
心の底からげんなり。
朝ちゃん先生はぐいっとビールを飲んでご満悦。
「三上、お前ってやつは10か0かで考え過ぎなんだ」
「それはさっき聞いたよ」
「お前は男だろうと女だろうと『こいつは仲間だ』と思うと、一緒くたに『信頼できる奴』って箱に入れているだろ? 先生は分かってるんだぞ?」
「いや……それの何がいけないんだよ? 信頼できる仲間に男も女もないだろ?」
「「「はい、そういうとこーっ!」」」
「うお!? な、なんだよ先生たちまで!?」
布団側の教師たちが一斉に声を上げた。
授業で間違いを指摘された時みたいな感じだ。
ただし教師が7,8人いる。心臓に悪いっての。
で、目の前の朝ちゃん先生は援護射撃にうんうんと頷き、これ見よがしにため息をつく。
「三上、女子ってのはお前ら男みたいに雑な作りはしてないんだ。だから丁重に扱え」
「いや何言ってんだ、俺は女子をめちゃめちゃ丁重に扱ってるぞ?」
「今、誰のことを思い浮かべてる?」
「唯花」
途端、独身教師の群が一斉に立ち上がった。
「世の中の女が如月姉だけだと思うな、バカタレがああああっ!」
「「「そうだ、そうだ、そういうとこだぞおおおおおおっ!」」」
「うわ!? なに!? なんで怒られてんの、俺ーっ!?」
椅子から転げ落ちそうになるほどの迫力だった。
朝ちゃん先生を筆頭に女教師たちが詰め寄ってくる。
「先生たちはな、お前が在籍してた三年間ずーっと見てきたんだ! お前に惚れてしまい、しかし微塵も気持ちに気づかれることなく、なのにお前から絶大な信頼を寄せられて微妙な顔になっていく女子たちをずーっとな!」
「はあ!? 何それ知らねえぞ!?」
「だから気づいてないんだ、お前は! 扱いが雑だから! 男も女も関係ない『信頼できる奴箱』に入れてるから!」
「信頼できる奴箱ってなに!? や、でもよ……ハイ、先生!」
「ハイ、三上!」
俺は起立して言う。
「えっと、その、俺……あれだぞ? 面と向かって告白されたら、ちゃんと返事はしてるんだぞ? 大切な女がいるから付き合えないって」
「「「そんなレベルの低い話をしてるんじゃなーい!」」」
「だあああっ!? みんなで来ないでくれよ!? 怖えよ!? ひたすらに怖えよ! レベルとか意味分かんねえし! どういうこと!?」
腰が抜けそうなほど恐怖する、俺。
女教師たちは、はぁぁぁぁ、とため息。
完全にダメ生徒扱いだった。
「これは職員会議ね」
「ええ、職員会議をしましょう」
「全力の職員会議だわ。追加のお酒が必要ね」
そう言って、女教師たちは酒を調達しにぞろぞろと部屋を出ていく。
あとには俺と朝ちゃん先生が残される。
「……いや俺ってそんなにダメ?」
自信を失って尋ねると、先生はややトーンダウンして肩をすくめた。
「お前の一途さは見上げたもんだ。でも三上はやれば出来る子だからな。先生たちはもっと上を期待してしまうんだ。……端的に言って、お前の顔が見れてみんな嬉しいんだよ。可愛い生徒にはお説教をしたくなる。それが教師という生き物なんだ」
「あんなにゴリッゴリに詰め寄った後にそんな良い話風のこと言われても……俺も頑張ってるつもりなんだがなぁ」
肩身の狭い思いでジュースを一口。
すると先生は楽しそうに「くくっ」と笑った。
「私から見れば、まだまだひよっ子だぞ? 男としても、如月家に関わる者としても、な」
「それ、エレベーターホールでも言ってたけど、どういう意味なんだ? 如月家に関わる者って……」
「ああ、まだ言ってなかったな。お前も卒業してだいぶ経つ。もう教えてやってもいいだろう」
先生は肘掛に体を預け、グラスを揺らしてニヤッと笑った。
「三上、私はお前のオムツを替えたことがある」
「……は?」
え、何言ってんの?
「撫子先輩の家に呼ばれると、だいたい三上家も遊びにきているんだよ。だから幼いお前たちの面倒を見ることもちょくちょくあったわけだ」
「え? え? な……え?」
確かに如月家と三上家は家族ぐるみの付き合いだ。
今でこそ海外を飛びまわってるウチの両親も、俺が子供の頃は日本にいた。しかし。
「撫子先輩って……」
「ウチの学校は昔、小中高一貫の女子高だったのさ」
それは聞いたことがある。
昔は規律に厳しい女子高だったが、親の世代の頃に統廃合があって、共学化したのだ。
「私は撫子先輩の後輩だ。当時、小中高の生徒で姉妹の契りを結ぶ制度があってな。学生時代は『ごきげんよう』と挨拶する、女子高特有の姉妹関係だったのさ」
「な……っ!?」
「撫子先輩が中学生の頃には、キャリーバッグに詰め込まれて修学旅行にも連れていかれた」
「はぁ!?」
「あの人が結婚してからも交流は続いていてな。子供の頃のお前や如月姉――奏太や唯花の面倒もちょこちょこ見てたわけだ」
「は、初耳だぞ、そんなことぉ!?」
「言ってなかったからな。お前はちょこまかして落ち着きのない子供だったぞー? 目を離すと、どこにいくか分からないんだ。あれは3歳の頃だったか……私がトイレに入っていたら、いきなりドアを開けて、なんて言ったと思う? 『朝ちゃん、おもらししてるのー?』だと。ゲンコツ食らわせてやろうかと思ったわ」
「――っ!?」
脳内に稲妻が走った。
なんか思い出してきた……っ。
そうだ、子供の頃、如月家にいくと、たまに美人のお姉さんがいて遊んでくれたことがあった。
で、ある日、トイレにいきたくなって、もう3歳だからひとりでいけるぞ、って俺は自信満々でトイレにいって……ドアを開けたら、そのお姉さんがいたんだ。
子供ながらに『とんでもないことをしてしまったっ』と思い、大混乱した挙句、俺は『おもらししてるのー?』とよく分からないことを口走った。
覚えてる、確かに覚えてる……っ。
あの時のトイレの光景やお姉さんの驚いた顔まで鮮明に!
でもちょっと待ってくれ!
これって絶対思い出しちゃいけない記憶じゃないのか!?
滝のように汗をかき始めた俺をよそに、朝ちゃんは語り続ける。
「それでだ、私はどうにか自制心を発揮して、お前に言ったんだ。『奏太もおしっこしたいの?』って。それで私はお前を――」
「ぎゃあああああっ! もういい! もういいからその話はやめてくれ!」
「お? なんだぁ? 恥ずかしいのか?」
「恥ずかしいとかそんなレベルの低い話じゃねえよ!? これは俺のなかで絶対開けちゃいけない扉なんだああああっ!」
「やれやれ、こんな程度で羞恥心に駆られるなんて、やっぱりひよっ子だぞ? 撫子先輩と誠司先輩なんて、もっととんでもない話がゴロゴロあるんだからな?」
「誠司先輩って誰だよ!? あ、如月の親父さんのことか。って、今はそんなことはどうでもいい! いいか、朝ちゃん!? この件は絶対、伊織には言うなよ!? あと葵にもだ! 約束だぞ、絶対約束だぞっ、朝ちゃん!?」
「おー、『朝ちゃん』のイントネーションが昔と一緒だ」
グラスのなかのビールが軽く波打つ。
洗いたての髪を揺らして、ニコッと笑顔。
「――懐かしいな、奏太」
一瞬、喉がつっかえた。
記憶のなかの美人のお姉さんと、目の前の浴衣姿の先生が重なって、俺にも懐かしさが込み上げてくる。
ああ、そうか。
俺は子供の頃からこの人に見守られてたんだな……。
って、そんな感傷的になってる場合じゃねえよ!?
「約束っ! とにかく言わない約束をしてくれってばよ!」
「あー、はいはい、分かってる分かってる。私は撫子先輩じゃないから、面白おかしく事態を収拾不能にしたりはしないって」
「本当だぞ!? 絶対だぞ!?」
と、念を押していたら、突然、職員部屋の扉がスタァンッと開いた。
山盛りの酒を伴って、女教師の群が帰還。
「「「さあ、三上君っ! いっぱい飲むぞっ! お酌しろおおおおおおっ!」」」
「あーもう何言ってんの!? あんたら教師だよなーっ!?」
全力でツッコむ。
が、戦闘力が違い過ぎる。逆らうことなど不可能だった。
こうして俺は『酒と説教と独身の愚痴と思い出したくない過去』の荒波に飲み込まれていった。
控えめに言って、マジで地獄以外の何物でもなかったぞ……。




