前日譚 - 邂逅
夜。その日は満月の日のはずだった。
はずだ…というのは、俺が満月というものを見たことがなかったから。
理由は至極簡単だ。
俺は人狼だから。
ただそれだけだ。
先祖が妖怪や異形と交わり、そして生まれた半人半妖。またはそれらの血が色濃く出た子孫。それが俺たちだ。
人狼である俺は、満月の光を浴びると本能が刺激され、凶暴になり、場合によっては狼化してしまう可能性すらあったのだ。
満月の日、俺はいつも天窓を塞がれ、全く光の入らない蔵に閉じ込められ、眠れない夜を過ごす…月に1度。俺はひたすら外の景色を、満月に照らされた街並みを夢想して過ごしていた。
静謐で、冷たい世界。そこにただひとりきり…その、はずだった。
その日もいつも通り、俺はその部屋で夜を過ごしていた。そこに突然、ガチャガチャと、鍵の回る音が響き渡った。
俺は弾かれたように顔を上げる。急に動かされた首の筋肉が抗議を上げたが俺は無視して、扉を見つめつづけた。
だんだんと、扉が開いていく。
扉から差し込むわずかな光、月光に俺の野生が雄叫びを上げる。
知らずのうちに耳と尻尾が生え、体毛は銀色に変化する。
犬歯は長く伸び、体勢は四つん這いへ。
キィと音を立てながら動く扉。
その動きさえ、スローモーションのように見える。
何者かが、部屋に入ってくる。
濃密な白檀の香りを、俺は感じた。
(女--?)
俺の嗅覚が捉えるそれは、どう考えても女性のものだった。
いや、それよりも。
体が、動かない。
まるで金縛りにあったかのように。
頭は動いているのに体が全く反応しない。
「やれやれじゃ…あまり手間をかけさせるでない、小童。」
ようやく姿を現したのは、その時まだガキだった俺にも分かる、人間離れした美貌の、女だった。
その日、世界が変わった。