司書で花嫁
フードを目深に被った少年に「司書になってみませんか」と突然問われた。
ここは図書館で私は既に司書だと思いはしたものの、笑顔で対応した。お姉さん、ここの司書なんだよと。そうしたら笑顔で知ってるよと返ってきた。からかわれているのかと思い、ごめんね、仕事だからと無難に断りを入れた。
そうしたらいきなり襟首を引っ張られ、バランスを崩した私は床に膝をつく結果となった。
「だから、僕の国の司書にならないかなって誘ってみたんだ」
先程までの可愛らしい少年の声とは違う、響くような低音ボイスで囁かれる。
少年は立ち上がり、不敵な笑みを浮かべて私を見下ろしていた。散らばる本にまみれて座り込む私と少年の姿は周りからは不思議に見えているだろうと思ったけれど、誰からも声はかからない。まるで時間が止まったように私達以外誰も動くことはなかった。
「元の姿なら簡単だったのに、こっちにきたらこの姿だもんなあ。手間とらせやがって」
声だけでなく態度まで変わった少年に周りの様子に、私の頭はついていかなかった。これはどういう状況なのだろうか。
「おまえには俺の国で司書になってもらう。有無は言わせない」
「えっと……?」
「後でゆっくり説明してやるよ」
いや、今説明してくれと口にしようとしたけれど突然自分を包む光に困惑した。
「な、何これ」
手も足も服も、少年も私達を囲むものはすべては光っていた。理解の及ばないものからは逃げ出したくなるのが人間の性だ。光の向こうへ、安全な場所へ行かなければと体が動く。
けれど立ち上がる前に少年に背中から抱き締められて動けなくなった。とてもその体から出ているのかとは思えないすごい力でその場所に縫い付けられた。
「逃げるな」
「そんなこと言ったってこの光、」
「害はない、扉を開ける為のものだ。おまえはこれから俺の国で司書となり、そして俺の花嫁となる」
「司書となり、花嫁……!?」
どういう繋がりで司書が花嫁になるんだ。他にも色々突っ込みどころはあったが、一番衝撃的だった。
このまま彼についていくと花嫁にされるのか。
それもいいかもしれないと一瞬思ってしまった。報われない相手を想いながら一生を過ごしていくよりは。
急に冷静になった。落ち込んだと言ってもいい。現実から逃げ出したいと思ったことはある、これはそのチャンスが来たのだと思えば。
「って無理!」
無理矢理納得させるように言い聞かせてみたけれど、こんな異次元のことに対応できる程私の心はできてない。
「もう遅い」
逃れようともがく私に対して彼ははっきりとそう言った。
抱き締める腕を離してくれたが、それは次の行動に対する布石だった。肩を捕まれ後ろに傾けられた。背後に彼がいる以上、私は彼に捕まるしかなかった。まともに見たフードの中の彼はまさに美少年だった。大きな翡翠の目に白銀の髪、物語の中に出てくる王子様のようだった。
にこりと笑う彼は可愛いと女の子達が騒ぎそうなぐらいだったが、私にはもう効かない。短い時間の中でこれは厄介事だと判断した。
そのまま下がってくる彼に嫌な予感はした。けれども私には逃げ場がない。
唇が触れたと思ったら、子供とは思えないように深く触れてきた。
(ちょ、舌、舌っ……!?)
予想外に慣れたそれに、一回り以上歳が離れているだろう私の方が翻弄されてしまう。こんな子供に誰がこんなことを教えたのかと怒鳴ってやりたい。
逃げようと精一杯の抵抗とばかりにずるずると背が床に近付いていく。床についたその時が私の終わりの時だとすら思った。
離れたかと思えば、不敵な笑みが真っ先に目に入る。息切れ切れに最悪と口をついて出た言葉に対して彼は良かっただろ、との返事が返ってきた。本当は何歳だ、この子供。
「おまえのおかげで扉が開く」
いつの間にか光は一層強くなり、床が歪んで行くのが分かった。そしてその歪みの向こうに景色が見えた。お伽噺ような洋式の城にそれを囲むように街が広がっている。その周りは作物や緑が生い茂っているように見られた。
「あれが俺の国メルギリースの首都アルファンドだ」
彼に支えられながら、私は景色を見つめた。
思考が回らなかったのもあるが、私は呆けた状態でいて、体が沈んでいくことに気付かなかった。気付いた時には下半身半分は既に歪みの中だった。水のように波紋を放ち揺れるそれは何の感触もなく、私と少年を飲み込んでいく。
「ちょ、と、え……?」
下半身の妙な浮遊感に、歪みの先に見える自分の足だろうものに不安を覚える。一層少年にしがみつく結果となってしまった。それを好機とばかりに再び抱き締められた。けれど今の私にはそれを気にする余裕もなく、むしろしがみつく面積が増えて良かったかもしれない。
やがて全身を飲み込み、浮遊感から落下に変わる。二人して地面に向かって落ちている。けれどここにはパラシュートなんて便利なものはない。
「い、や……」
叫びたかったのだけれど、まともに声も出せない。血の気の引く感覚と同時に体を包む温もりだけが私を満たしていた。
──レンドヴァール、俺の愛しい姫君。
そう囁く声と共に。
END.
「おかえりなさいませ、皇子」
「ああ」
魔法を使い城の地下まで飛んだ。魔力に満ちたそこは魔術を行うにはもってこいの場所だった。馴染みのある占術師が出迎える。
「姫もご無事のようで」
気を失った彼女を抱き上げ、側に控えていた給仕に服と部屋を用意するよう言い渡す。
「しかし、やはりなんと言いますか……」
「言わなくていい」
この占術師がレンドヴァールを俺の運命の相手としたのに、不満らしい。ぱっと見目を引く容姿ではないのは確かだが、彼女自身着飾る気がないのだから、少し手を施せば多少見映えするだろう。しかし何よりも彼女は内に膨大な魔力を秘めている。この世界への扉を容易く開ける程に。
運命の相手と言うのも強ち間違いではないと思った。見つけた瞬間、彼女がそうだと直感したのだから。