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人喰らい、人喰らえ  作者: 平井星人
学園編
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第6話 人を喰わせる 後編


 江賀崎はウンザリした顔で拳を上げる。


「じゃ、やるかあ? ジャーンケーン……」


 目だけは古見の手に集中する。

 古見は青ざめて硬直したまま、どうにか手の平を見せた。

 江賀崎は古見の手を注意深く見ていた上で、拳を握ったままにしておく。

 全員が口をつぐんだ。


 先週の教室で、野坂は江賀崎が席を立った時にボソリとつぶやく。


『アイツ最近、女友だちからつき合い悪いとか言われてるし、藤沢にはわりと本気なんじゃねえの?』


 裕子は返答に困り、代わりに柳が笑う。


『そんなの知ってるよ』


 柳は帰り道で、それとなく裕子へつぶやく。


『興味なければ早めにゆずってね? でかいほうのバカ』


『もう少し……今のままとか、だめなのかな?』


 友人同士の仲が壊れてしまいそうで怖かった。


『ぜーたく言うなって。誰かがくっつけば誰かが泣くの。しかたないじゃん。キャンセル待ちの身にもなってよ』


 その時には裕子のほうが柳の笑顔にすがっていた。



 怪物の絶叫が合図になる。


「グォオオオオ!」


 藤沢は柳の腕を強く引き、古見へ向かって走った。


「ねえ、裕子お!?」


 柳は動こうとしない江賀崎へ悲壮な顔を向ける。


「グォオオ……グォオオオオ!」


 荒れ狂う巨大怪物は裕子たちへ向きを変えた。

 太い腕をのばし、ズシリ、ズシリと迫る。

 古見も江賀崎も立ちすくんでいた。

 柳は迫ってくる死の恐怖で息も固まり、膝から崩れそうになる。

 裕子は柳を抱えこんでいた。

 頭上へ迫る五本指は、一本ずつが自分の腕よりも太い。


「あっちに……」


 裕子は牙だらけの顔を目の前に、指を大きく横へつきだす。

 その先にいた江賀崎は驚愕した。


「……行って!」


 裕子は叫びながら目をつぶり、柳にしがみつく。

 怪物の牙は、ふたたび向きを変える。


「藤沢……」


 困惑する江賀崎へ巨大怪物が迫った。


「グォガガガ! グガガガガガガ!」


 グラグラとゆする上半身、踏みしめる太い足、ふり回す太すぎる腕。

 どれもが獲物に飢えてあせっていた。

 逃げ場のない江賀崎を見下ろし、石壁をドズドズとかきむしる。


「よお……もう少しくらい、がまんできねえのかよ? おまえだって、あのバケヘビから逃げたいんだろ? 仲間を減らしてどうすん……」


「ガガガガガガガガガガガ!」


 顔いっぱいの口が大きく開いた。


「うっう……クソがっ!? なんでわざわざ人間を喰うんだよ!? このバケモ……」


 蹴りつけようと足を出した。

 巨大なハンマーが石壁へ打ちこまれた音。

 江賀崎の長身が浮きあがって揺れる。

 怪物の腕が引き抜かれ、ビシャビシャと音があふれて、裕子はいっそう強く柳へしがみつく。

 しかし耳をふさげなかった。

 ゴギッ、ゴリッ、グシャッ。

 骨ごと肉をかみ砕き、ひきちぎる音が耳へ残ってしまう。

 ボタ、ピシャッ、ポタッ。

 したたる小さな音も流れこみ続けた。



 どれほど経ったか、裕子はぼうぜんと床を見つめ、静けさがもどっていることに気がつく。

 江賀崎がいたはずの隅を確認して、柳の震える肩に手をそえた。


「終わった……もう、なにもない」


 柳はゆっくりと顔を上げるが、裕子にしがみついたままだった。


「なんか、実感ない。江賀崎と野坂、本当に死んだの?」


 裕子は目を合わせることができない。


「そんなの、わたしだって……今は正直、警察なんかが来るより、ぜんぶ夢として終わってほしい」


 古見もグッタリとうなだれていた。

 江賀崎のいた奥の隅で、巨体の怪物はうずくまったまま動かない。


「グ……グォ……」


 ふたたび小さくなった吠え声が、とぎれとぎれにもれている。



 それからも、ただ時間だけが経った。

 太いうなり声よりも、皮膚が落ちるカラカラと小さな音のほうが重圧をかけてくる。


「わたしたち、このままひとりずつ……」


 古見がぽつりとつぶやき、裕子は即座に首をふる。


「自分だけでも生き残ることを考えて。そうしないと、誰も助からなくなる」


 江賀崎と野坂の死が無駄になる。それだけは許されない。

 だから考え続けていた。


(ここならバケヘビが来る様子はない。でも救助はいつ来るかわからない。待ち続ければいずれ、人喰い巨人の犠牲が増えてしまう……)


 裕子は頭を抱えながら、慎重に話し出す。


「引き返したほうが……いいかも?」


「またあのバケヘビの群れに近づくの?」


 柳が非難めいた声を出す。


「どうせ時間がないなら、少しでも救助隊から見つかりやすい所にいたほうがよくない? どちらにしても、どれだけ『空腹』がもつかが問題だけど」


 バケヘビへ近づけば、咬み傷によって巨大怪物の空腹は早まる。

 救助される早さと比べての賭けになる。

 裕子は古見の顔をうかがった。


「わ、わたしは自信ないから。藤沢さんの考えで……」


 古見があわててうなずき、柳もようやく裕子から手をはなす。


「言われてみたら、ここで待ち続けるほうが精神的にきついかも……? でもあのバケモノ、まだ言うこと聞くの?」


 裕子も不安げにうなずき、柳たちに離れているように手ぶりで示す。

 ためらいながら、山のような背へ近寄った。

 怪物はふりむかない。

 裕子は恐怖のためらいで数秒。

 江賀崎と野坂を喰い殺した相手へ気をつかうしかない悔しさに耐えて数秒。

 慎重に言葉を選んで数秒。

 ようやく声をかける。


「ごめんなさい。通路を引き返してもらえる? そのほうが安全みたいなの」


「グ、グォ……」


 巨体は背を向けたままゆっくりと立ち上がり、顔も向けないまま歩きはじめた。

 裕子は巨大怪物を追う前に、もう一度だけ行き止まりの隅へふりかえる。

 江賀崎は靴すら残らなかった。

 大量の血痕と、怪物の皮が散乱しているだけだった。



 人喰い巨人は黙々と歩き続けて、ふりむきもしない。

 裕子はかすかに安堵しながら、新たな不安も感じていた。


「あなたの『食べもの』は救助の人が来たら、すぐ用意してもらうから……輸血パックとか? だからなるべく、がまんしてくれる?」


 従順すぎる。空腹時の狂暴さと落差が激しい。

 牙しかない顔は表情を読めなかった。


(このバケモノの知性は、本当に低い?)


 来た時と同じように、しばらくはバケヘビも姿を見せなかった。

 柳はつい、口に出す。


「ねえ……ここまで生きのびることができたのは裕子のおかげなんだから、裕子は『最後』でよくない?」


「そ、それなら次はわたし? さっき一度、ジャンケンに負けたし……」


 古見はうろたえ、声が震える。

 柳は気まずそうに少しだけ古見へふりかえったが、答えなかった。

 先頭の裕子は背を向けたままうつむき、つぶやく。


「もしまた犠牲が必要になったら、ジャンケンはぜんぶやりなおし。わたしも参加……こんな順番、理屈で決めていいものではないでしょ?」


 裕子が意識し続けていた冷徹な声に、いらつきが混じる。


「ふたりともしっかりして。もし次にわたしが負けたら、あなたたちであのバケモノに命令するの」


 ふりむかないまま、声がいっそう重くなる。


「わたしだって、いざ負けたらなにをするかわからないんだから……」


 柳と古見の顔がひきつった。


「……ふたりがかりで、わたしをなんとかするの。わかった?」


 重苦しい沈黙がしばらく続く。



 先頭で巨大怪物の背を追っていた裕子は手ぶりで後続を制止した。

 先の床面からバケヘビが持ち上がっている。

 巨大怪物は一匹を軽くはじいて飛び散らせた。

 天井からも来ていた一匹には肩口を咬まれたが、肉を奪われる前にたたきつぶす。

 襲撃はそれだけだった。来た時よりもずっと少ない。


「かまれても、ちぎれにくくなってる?」


 柳は巨大怪物の肩に残る歯型を見ていた。


「うん。会った時は皮膚がブヨブヨしていたけど、今は湿っている程度で、質感も粘土みたいに堅そうな……色も黄土色から茶色に近くなっている。それに空腹も、少し長くもっているかも? このままもってくれたらいけど……」


 裕子が言った矢先に皮膚のかけらがパラッとはがれ、ピチャッと床に落ちる。

 裕子はふと、バケヘビの残骸が転がる粘液だまりへ目を止めた。


「バケヘビも粘液を出し続けているから、常に水分をとらないと干からびるはず……」


 柳はそれに何の意味があるのか、よくわからない。

 しかし古見はすぐにうなずく。


「そういえば湿気のある森とか、下水溝のある建物ぞいばかりを動いていたかも?」


「それなら校庭の真ん中とか、広くて乾いた場所なら少しは……?」


 裕子がようやく少しだけ前向きな声をだす。

 トンネルの先にも明かりが近づいていた。


「じゃあ一番の問題は……ここの出口?」


 柳はまぶしそうに周囲を見回す。

 下水溝は高さ数メートルのコンクリ壁が囲んでいた。

 その向こうには暗く湿った森が広がっている。

 巨大怪物は歩幅に合わない石段を四つん這いで登った。

 裕子も追いかけて、地上の周囲を慎重に見渡す。


「気配が……ぜんぜんない?」


 森のあちこちから聞こえていた這いずる音さえもない。

 地面には厚い粘液が延々と広がり、這いずった跡が下水溝まで続いていた。


「いなくなった……?」


 古見は拍子抜けした声をだす。

 巨大怪物は先にズシリズシリと校庭へ向かっていた。

 裕子は粘液へ踏み入り、足がすべらないように慎重に追う。

 巨大怪物の足跡が残る粘液のぬかるみは、ブヨブヨとうごめいて見えた。

 しかも錯覚ではなく、裕子の足に地面がズルリと動く感触まで伝わる。

 柳の声は明るく大きくなっていた。


「地下道でつぶしたやつが最後だったのかも!」


 返答の代わりに、地面のあちこちがゆっくりと持ち上がってくる。

 粘液だまりが寄せ集まって、太い管と牙が見えはじめていた。




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