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人喰らい、人喰らえ  作者: 平井星人
市街編
18/27

第18話 深まる地獄 後編


 ひとりやふたりが首や顔をえぐられても、廊下の後方では状況に気がつかない者も多かった。

 何人もが『バケヘビ』と叫びだしてから一斉に顔をひきつらせ、足音の乱れた地響きとなる。


「押すなって!?」


「どけ! ……ぎゃっ!?」


「うわ……助け……!」


「やめて! バ……バケモ……うぐぶっ」


 貴之は歯がみしながら、気を失っている久津井だけは守ろうと抱き包んで伏せる。


(バカ……! せっかく宮武さんが警告してくれたのに!)


 貴之の前で父と宮武もしゃがんで壁になっていた。

 その向かいでは校長と女教師が事務机に身を寄せている。

 全員が口を手でふさいでいた。

 逃げこんできた教員を追い、バケヘビも次々と職員室へ飛びこんでくる。

 その内の一匹が大きく横にはね、校長の目の前へたたきつけられた。


「ふおっ!?」


 校長は口を押さえていながら、思わず叫びをもらしてしまう。

 貴之は一瞬、校長のあせる顔と目が合った。

 直後にその顔は二匹のバケヘビがそぎ落とす。

 惨殺を目の当たりにした女教師が絶叫した。


「ひいいいい!?」


 すぐさまその頭部へ数匹が殺到し、たちまち肉片に変えてゆく。

 職員室のあちこちで殺戮が起きていた。

 若い警官が無言で窓へ走る。

 その足音をめがけ、すべるようにバケヘビの一匹がかかとをえぐった。

 倒れこんで派手な音をだし、その背へ多くのバケヘビがとびかかる。


「うがぐ……!?」


 それでも職員室の中はマシだった。

 廊下は全体がミキサーじみた赤い豪雨と渦巻く絶叫ばかり。

 貴之は意識して無感情に努め、どんよりとした目でやりすごす。



 やがて人の動く気配はなくなり、職員室には鈍く這いずる音だけが残った。

 廊下の悲鳴は遠のいたが、いまだに続いている。

 貴之はそっと、久津井の顔をのぞきこんだ。

 傷はないが粘液にまみれ、周囲には大小の管が無数に伸びてうごめいている。


(この粘液や糸はいったい……? 今も、さっきの校庭でも……)


 這いずる音が小さくなってくると、貴之の周囲に広がる細い管もしぼみはじめた。

 その動きは久津井を中心に広がっている。

 貴之はおそるおそるもう一度、久津井の顔を見つめた。


「ん……」


 抱きかかえていた久津井が半目を開き、ぼんやりと貴之を見つめる。

 急に目を丸くして、飛び起きようとした。


「あのこれ……んんっ!?」


 貴之があわてて久津井の口を手で押さえ、『静かに』と手ぶりで示す。

 久津井は友木の父もいることを確かめ、抱えられたまま小さくうなずく。

 這いずる音は止み、周囲の管は粘液を残してつぶれていた。

 貴之はそっと腕を放すと、両手を合わせて無礼を詫びる。

 久津井も口元を押さえて赤面しながら、深々と頭を下げた。


(もうだいじょうぶ……なのか?)


 貴之は手ぶりで父や宮武もしゃがませたままに抑え、そっと立ち上がる。

 バケヘビの気配はないが、叫び声はまだ遠くのあちこちから聞こえていた。

 二十人はいたはずの職員室に、自分たち四人以外の無事を確認できない。

 十人ぶんはありそうな血だまりと、何人分かの肉片が残っていた。


 廊下はさらに凄惨だった。

 鮮血にまみれていない場所がなく、完全に沈黙している。

 折り重なった肉片が床を埋めつくしていた。

 少女がひとり、それらの上を静かに踏み越えてくる。



 ひややかな表情の少女……藤沢裕子ふじさわゆうこは職員室の入口から中を見まわす。

 四本の指を立てて示し、生存者の数を確認した。

 貴之がうなずくと、裕子は手近な本をつかみ、誰もいない窓際へ投げつける。

 ガツッ、バサッと大きな音がした後は、遠くの悲鳴や叫び声だけが聞こえた。

 貴之は呼吸を整え、小声をだす。


「もうだいじょうぶ……みたいだね? ほかでもあんな大声をだしているのに、襲われているというより……『襲われた後の騒ぎ』だけみたいだ」


「音を出さない……たったそれだけのことで、助かったなんて……」


 裕子は沈痛な面持ちでつぶやく。


「オレも、もっと早く気がついていれば、友だちを死なせないですんだかも」


 貴之の言葉で、裕子の表情に複雑な苦痛が走った。


「手段は単純でも、実践は簡単じゃないってことだな。オレもまた突然に襲われたら、声を出さない自信はあまり……」


 起きかけた宮武警部は、向けられた銃口に気がつく。


「はじめまして。学園高等部の一年E組、藤沢裕子です」


 裕子は手ぶりで四人の動きを抑える。


「B組の友木貴之ともきたかゆきくん、そのお父さん、大学研究所のかた、市の警察署のかた、ですね?」


「お父さんよりは寛次かんじと呼んでほしい」


久津井美咲くついみさき……です」


宮武みやたけだ」


「これからなにを見ても、動かないで、騒がないでください」


 声も、銃を握る手も、少しも動揺がない。

 なにより凍りついた眼光が反論を止めさせた。

 裕子は職員室の裏側にある広い窓をいっぱいに開き、外へ手招きする。

 窓が突然に暗闇でふさがり、片側へ寄せた窓まで押し壊し、黒い巨体が窮屈そうに中へ入りこんできた。

 立ち上がった象のような怪物は背を丸めてもなお肩が天井をこする。

 貴之たちは口をふさぐまでもなく絶句していた。


「同じE組の八島やしまジンヤくんです。意識などに『多少の』障害はありますが、会話はほぼ理解しており、精神状態は落ち着いています」


 その巨大な手に握られていた女性は、ぐったりと伏せていた。

 しかも気絶していて、服や髪は粘液にまみれている。

 それに裕子も気がついて、口しかない顔を見上げて心配そうな声を出した。


「待たせた校舎裏で、かなりの数に襲われた? ごめんなさい」


 巨大怪物をなでさすり、全身のかじり傷を確認した。


「でも、もうすぐ終わる」


 裕子の手ぶりで巨大怪物は床をきしませて移動し、貴之たちの目の前に立ち塞がる。


「バケヘビは群れの全体を『休眠状態』から『活性状態』へ変える『操作の中心』があるようです。それも誰かひとりか、ごく少数の人間と推測されています」


 宮武と貴之の父には、なんの話かわからない。


「まさか……でも校庭では、私のまわりに出てきたみたいだし……?」


 久津井はうろたえ、視線で助けを求める。


「友木くん、教えて。わたしが眠っていた時は……」


 貴之は苦しげに、目の前にそびえる巨体をにらんでいた。


「職員室にバケヘビがでたのは、久津井さんが失神した直後から……消えたのは目が覚める直前でした。校庭でも、だいたいで同じような……」


「わたしの……体から?」


 久津井は裕子の鋭い凝視に肺を締めつけられる。

 貴之も嫌な汗が止まらない。


「待って。久津井さんじゃなくて……オレや、別の人かもしれない!」


 少しの間のあと、久津井はそっと首をふった。


「森を抜けてパトカーに保護された時も、警察署で席をゆずってもらった時も、少し意識を失って……」


 久津井は貴之の父や、宮武の顔もうかがう。


「目がさめたら別の場所にいたり、変わり果てた光景に……」


 貴之の父はアゴをさすって考えこみ、宮武は眉をしかめて頭をかく。

 久津井は結局、貴之の暗い横顔だけを見つめた。


「わたし……どうしたら……?」


 声が震えていた。

 刺すような裕子の眼光が追い詰めている。

 牙しかない巨大な頭が天井近くから見下ろしていた。


「ジンヤ」


 裕子が久津井を指すと、巨大怪物は腕をふるう。

 それ自体が大型猛獣のような真黒い手に握られ、天井近くまで持ち上げられた久津井に、貴之もしがみついていた。

 裕子は銃口と視線を宮武へ向けたまま告げる。


「友木くん、あなたまで巻きこみたくない。離れて」


「久津井さんが『操作の中心』だとしたら、どうする気だよ!?」


「今の状況では『手段を選ばないで』尋問するしかないでしょう? あるいは……その体の正体を『手段を選ばないで』暴くしかない」


 銃声。

 立ち上がりかけた宮武がへたりこむ。

 鉛弾は宮武の頭をかすめ、ホワイトボードに穴を開けてゆがませていた。


「銃の扱いはシロウトです。致命傷を避けたり、威嚇で済ませる技術はありません」


 撃ってなお、少しの変化もない表情。


「殺す覚悟をしてから握っています」


「わ、わかった……動いて悪かったな。でも藤沢くんは、いったい……?」


 裕子は冷たく見下ろしたまま手ぶりで沈黙を要求し、宮武に言葉を飲みこませた。

 ところが、巨大な腕で宙吊りにされていた貴之がわめきだす。


「ふざけんなよ!? その人はB組、宮武哲みやたけてつの親だぞ!? 警察署でオレを逃がしてくれて、バケヘビがいるとわかっていた玄関まで、みんなを助けに走った人だ!」


「貴之!」


 貴之の父は短く小さく叱り、余計な挑発を抑えようとした。

 宮武警部はしかし、冷徹すぎる少女にかすかな動揺を見て取る。


「せっかくバケヘビから生き残れたのに、なにやってんだよ!? 同じように生き残れたオレまで殺したいのか!? 四度だ! オレは四度もバケヘビに襲われて、みんなを犠牲にして生きのびたのに! 最後の最後で、こんなバケモノを使って殺されるのかよ!?」


 身を乗り出しかけた貴之の父を宮武が抑えた。

 宮武は裕子を慎重に観察する。はじめて感情を見せていた。


「ジンヤはバケモノじゃない!」


 銃を握る手も震えだす。


「久津井さんを殺すために連れてきたバケモノなら、バケモノだろ!? そんなことをやらせるくせに、人間あつかいしてんじゃねえ! なにが『同じE組、八島ジンヤくん』だよ!?」


 裕子がはじめて銃の照準から視線を外し、貴之を凝視した。

 宮武が動く前に、今度は貴之の父が宮武の肩を抑える。

 おそらく貴之は半ばヤケになり、自分で言っていることもよくわかっていない様子に見えた。

 それでも腕は久津井をかばい続け、裕子をにらんでいる。

 相手の反応を探り続けていたし、言葉ほどは投げやりになっていない。

 久津井は巨大な手でいっしょに握られたまま、貴之に頭をすりつけ、怯えた目でほほえむ。


「藤沢さん、私は……なにをしなくちゃ、いけないの……?」


 裕子の額に汗が浮かび、銃口が少しずつ下がる。

 巨大な腕は裕子の指示もないまま、ふたりをゆっくりと降ろし、解放した。

 貴之は黒い巨体をまじまじと見上げる。


「八島……くん?」


 裕子は視線を落とし、銃を見つめていた。


「なにもわからないまま『なにをしなくちゃ』と聞くような人なら、ジンヤと同じ『優しい被害者』……わたしには殺せない……」


 銃に安全装置をかけ、静かに頭を下げる。


「わたしは、久津井さんが死なないで済む解決手段を探したいと思います」


 貴之の父と宮武はそろって大きなため息をついた。




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