第17話 深まる地獄 前編
警察署に近いビルの屋上で藤沢裕子は質問をくりかえし、香上をうんざりさせていた。
「私が話していないことはもうないはずだけど? 衿川さんからも、バケヘビに関しては情報を隠さなくていいと言われているし……」
裕子も返答は期待していない。
しかし巨大怪物……ジンヤがうずくまったまま動かない。
ただの居眠りではないとしたら、香上には隠しておきたかった。
衿川から連絡が入る。
『中町小を中心に、多数のバケヘビが出現した。被害は十五分ほどでおさまってきたようだ』
「やはり……人に感染して活動範囲を広げているようですね?」
時間稼ぎの情報交換もそれほど無駄ではなかった。
裕子はバケヘビに残る人体の特徴を指摘し、学校に出た量も『犠牲者の規模と一致する』と推測している。
香上が宮武警部から得た『ケガ人が急変してバケヘビになった』という情報も裏づけになった。
宮武は『音を出さない』という対策も伝えている。
どこまで有効かはわからないが、宮武警部と友木貴之という生徒は実際にそれで生き残れた。
頭の変形からすると視覚は弱いか、まったく無い可能性も高い。
「まだわからないのは『活性状態』と『休眠状態』が切り換わるタイミングですか……」
『今回で、ごく狭い場所を中心に影響が広がっている様子は確認できた。中町小よりも駅前、さらには北町病院と、離れるほど症状は軽微になっている』
「狭い場所を中心に……誰かひとり、あるいは少数の集まりが『発生源』ですか?」
『発生地点と時刻から考えると、徒歩の避難者にまぎれている可能性も高い。しかし意図的だとしたら……発生させる目的がつかめない』
「学園では感染した研究員が『錯乱しながらも計画的に』犠牲を広げていたようにも思えます」
『そうなると厄介だな……それと藤沢くんの情報や駆除の協力には助けられているが、できればもう、応援到着までは待機してもらえないか?』
裕子はジンヤの腕をもう一度なでる。
口しかない巨大な顔が、ようやくゆっくりとふりむいた。
裕子は香上に隠れて安堵のため息をつく。
「封鎖だけでも手一杯で、避難所すら人手を割けない状況ですよね?」
裕子はもう一度、拳銃の残弾数を確認した。
「シロウトのわたしが動いては邪魔になるかもしれませんが、その『発生源』の処理ですべてが終わるなら、わたし自身の手で始末をつけたいと思います……譲れません」
もうしわけなさそうに頭まで下げながら、目つきは『喰い殺すべき相手』を探しはじめている。
中町小学校の校庭の一角では、友木貴之がぼうぜんとへたりこんでいた。
その肩へもたれていた久津井美咲はようやく目をさまし、あわてふためく。
「えっ、な……なにが起きたんです?」
久津井は貴之と肩を寄せ合ったまま、周囲の変わりようを見回した。
シートや荷物が散らかり、悪臭を放つ黄白色の粘液がどこまでも広がっている。
幸いと言うべきか、人体とわかる残骸は少ない。
そんな中で、貴之と久津井だけがひしゃげたシートの上に残っていた。
久津井はぼうぜんとつぶやく。
「……また……?」
それだけの言葉に、貴之は強い胸騒ぎをおぼえる。
「バケモノヘビは警察署にまで入ってきたらしいのですが、私は眠っていて気がつかなくて……その場にいた人たちで、かつぎだしてくれたそうです……」
とまどって考えこむように顔でうつむく。
保健室前の仮設テントから、太った中年男が駆け寄ってきた。
「よく無事でしたねえ? バケヘビに襲われた人はみんな、お医者さんに診てもらったほうがいいみたいですよ?」
「どうも……ケガは、ありませんが、ちょっと足が、震えるんで、ゆっくり行きます」
貴之は声をなんとか出せたものの、久津井に肩を借りて立つ。
「あ、先生、こっちです! ここにいます!」
太った中年男に呼ばれ、やせた長身に白衣の中年男が両手をポケットにつっこんだまま早足に近づいてきた。
「おう? 貴之じゃねえかっ」
黒縁眼鏡をかけた無精ひげの馬づらでニカッと笑う。
「親父……?」
「なんだかうらやましいことになってやがるな……まあ、無事でなによりだ」
貴之はあわてて久津井から離れる。
「そういやオマエ、高校でなにがあったか知らねえか?」
「いや、なんていったらいいか……あれ?」
いつの間にか震えが治まっていることに気がつき、思わず自分の足をさする。
「ふーん? ま、とりあえず、ちょっと来い。あ、そっちのお嬢さんも」
校庭と道一本をへだてたアパートの屋上では、藤沢裕子が無表情に見下ろしていた。
母校の男子制服は見まちがえようもない。
「ジンヤ、香上さんと校舎裏へ回って『休んで』いて」
背後に身を潜めていた巨大怪物は香上を握り、のそのそと歩きだす。
その動きはまだ鈍く、裕子は心配そうに見送った。
中町小の校舎内は廊下まで人であふれ、騒然としている。
教室には負傷者のほか、老人や幼児の姿が多い。
貴之の父はひょいひょいとすりぬけて久津井たちを先導する。
「代表者で話し合いがある。警察、消防、医者と自治会とかだな」
「親父なんかが医者やっていいのかよ? キノコ研究家だろ?」
「菌類学者と呼べ。少しは応急処置に慣れているからな。人手が無いもんで、手伝っているだけで医者先生あつかいになっちまった……そっちのベッピンさんは?」
「あっ、久津井です。同じ学校の大学で研究助手をしている……」
「おお、奇遇だねえ!? オレも来年から行く予定だったんだよ!」
「な、なんだよそれ……今はじめて聞いた」
二階の混雑はもっとひどかった。
通勤電車さながらに人が詰まっている。
貴之の父は頭を下げながらかきわけて進む。
「キノコ研究家の手も借りたいくらい、急ぎの研究らしいが。詳しい話はまだ聞いてなくて……難病治療がどうとか?」
「まあ。それならたぶん、わたしのいる研究棟ですよ?」
「やりい! うらやましいだろ貴之~!?」
「……母さんの墓に報告してやる」
久津井は貴之の背を追いつつ、親子のやりとりにほほえむ。
さらにその背後では冷たい目をした少女が、ぴったりと追い続けていた。
「友木さーん! こっち! こっち入って!」
職員室の入口で若い警官が叫ぶ。
代表者だけが通され、廊下ほどは密集していない。
「ハイすいませんね。通してくださいねー。ふたりとも、ついてきて」
貴之の父は人ごみへ割りこみながら、後ろのふたりに手招きする。
若い警官のほかにも、教員らしき数人が人だかりを押しとどめていた。
「その子たちは?」
「ああ、うちの息子と……」
貴之の父が説明しかけた時、人だかりから中年女性が大声をあげる。
「ねえ、その女の人! 警察でも見たけど、大学の研究者とか言ってなかった!?」
ざわつきが急に大きくなった。
「ちょっと、なんか知っているの?」
「あのバケモノはなに?」
あちこちから声があがる。
職員室に入りかけてふりむいた久津井はその剣幕に圧倒された。
「え? あの……?」
「ちゃんと説明しなさいよ!? どれだけ死んだと思ってんの!?」
貴之が久津井を背にかばい、貴之の父も久津井を奥へ押しこめる。
「オレ……」
貴之は口を開こうとするが、か細い声しかでない。
うつむいて汗ばかりかく。
大声をだす者が増えはじめていた。
「なに隠してんだよ!?」
「このままだと、ケガ人はみんなバケモノに……!」
貴之は父親のつかみかけた手を払い、職員室の扉を殴りつける。
「オレは、あの高校の生き残りです! ぜんぶ話しますから、静かにしてください!」
騒ぎがどうにか低まってくる。
「高校でも、ここの校庭でも『大きな音をださない』……それだけでバケヘビには襲われませんでした。まだ対策として知られていないようですが、効果はある……はずです。だからその……だいじょうぶです。バケヘビがでても、死なないで済みます」
「それだけえ?」
最初に声をあげた中年女性が、つっけんどんに口をはさむ。
「え……?」
「ケガ人はどうしたらいいのよお!? みんなバケモノになるんだったら……」
「あーっ、それについてはですねえ!」
貴之の父がわざとらしく大声でさえぎり、前にわりこむ。
「つまり『傷口をよく洗い、消毒する』! それだけで、異常な悪化はかなり防げますから! 傷口は洗いすぎると治りにくくなるもんですが、悪化してきたら迷わずこまめに……」
「なんでそんなことわかるのお? あなたも人体実験の関係者?」
貴之の父はケンカごしな中年女に負けじとにらみ返したが、筋肉だけで笑顔をつくろった。
「ただのキノコ研究家、ですよお? 自分も『バケヘビ』についてはなにも知りませんがねえ? さっきまで治療を手伝っていた限りでわかったことですっ」
あてつけた口調で言いはなったあと、気まずそうに目をそらす。
「ほかにはですね、触ったり、口に入ったりというくらいならバケヘビの症状はでていません……だから傷の深い人から優先的に水を使わせてあげてください。それで対策になります」
大人げなさを反省したのか、ふてくされながらも抑えた口調になった。
校長らしき初老のスーツ男性が柔和な笑顔でまとめにかかる。
「では対策のためにさっそく、代表者で打ち合わせを……」
貴之は父親に押され、久津井と奥へ向かった。
「なんでこうなったんだよ!?」
人だかりの中から、若い男が叫ぶ。
「その女の説明がまだだろ!?」
別の場所からも、サラリーマン風の中年男が声を荒げた。
久津井が足を止めてふりむいてしまう。
「なんであんなバケモノがいるんだよ!?」
「研究所の火災だって嘘じゃねえか!」
「なんの実験してるんだよ!? どんな伝染病なんだ!?」
久津井は蒼白になり、ひどい汗をかきはじめていた。
「難病治療薬の試験と、聞いていましたが……詳しくは……」
「はっきり言えよ!」
「知らないわけないでしょ!?」
人だかりはじわじわと迫り、入口をふさいでいた教員を圧しはじめる。
「わ、私は、職員といっても臨時の助手で、指定された薬品をそろえたり、器具を洗ったりだけで……研究の内容はほとんど……」
怯えきって震え、息が荒い。
「ごまかすな!」
「責任とれよ!」
「人でなし!」
久津井がよろめいて倒れ、貴之がとっさに抱えた。
「演技に決まってんだろ!」
「たたき起こせ!」
「落ち着いてください! 今は、みなさんの避難が先です!」
「決めるべき緊急事項がたくさんあります! 先にそっちを考えましょう!」
貴之は久津井を抱えてかがんだまま、無事を確かめる。
教員や警官、それに父親が周囲に立ってくれていた。
しかしふわりと、微細な糸が目の前を横切る。
(糸……まさか……いや、からまって残っていただけだろ?)
貴之はただ払いのけた。
職員室の中の人間は落ち着いていたが、廊下には無責任な野次や罵声をあげる者が何人かまぎれていた。
同調したざわめきもだんだんと大きくなっている。
「押さないでください!」
「あの人がなにか知っていたとしても、避難の役に立たないことなら、今は意味がありません! 本当になにも知らないなら、それこそ時間の無駄です!」
騒ぎにまじって、落ち着いた低い声が聞こえてきた。
「警察だ。ああ、すまん、通してくれ。警察だ……みんな落ち着いて……」
見覚えのある体格のよい中年男に、貴之の顔が勇気づけられる。
「待たせてすまん。ああ、君も無事だったか」
宮武警部は職員室に入るなり、足を止めて床を見た。
「おいこれ……ここにもいたのか?」
宮武の靴底が粘液を引いていた。
友木は手元に目をもどし、がくぜんとする。
すでに無数の糸にまみれていた。
喉がしぼむのを感じたが、かろうじてかすれた声が出る。
「なんだこれ……早い!? みんな、口を……!」
声になったのはそこまでだった。
怒声は収まる気配が無い。
「先に本当のことを知りたいだけだっての!」
「文句だけ言って邪魔すんなよ!?」
「黙って死ねっていうのか!?」
宮武は貴之の表情で状況を察する。
「みんな口をふさげ! バケヘビだ!」
宮武の大声は廊下に響いたが、ほとんどの人間は事態を理解できなかった。
「おまえ何様の……!?」
「いいから黙れよ! 話がすすまねえだろおまえらのせいで!」
「どれだけ殺せば……!」
「邪魔するなら出ていけ!」
廊下の窓ガラスを砕いて巨大な管が飛びこんできても、反応できる者は少なかった。