第14話 地獄に笑う 後編
裕子はガラス片を細かく突き出すが、短髪男もボクサーのように構えてかわし続ける。
かすりはするが、目や喉をえぐれない。
「もうつぶす! こんないかれたガキ、遊ぶ気にもならね……うっ?」
男の左腕と胴がまとめて、ショベルカーのように大きな手で包まれた。
建物の戸枠がミシリとゆがむ。
大型トラックも入れる高いシャッターいっぱいに、人体を極端に肥大化させた異形が立っていた。
肩からつながる巨大な頭部には、顔いっぱいの口が開いている。
裕子はもう短髪男など目に入らない様子で、巨大怪物を見上げた。
「ジンヤ……」
短髪男は何度か周囲を見回しながら、状況を理解できなくてうろたえる。
「な、なんだよこれえ!?」
まだ動かせた右腕で、ナイフを巨大な指へ何度も突きたてる。
深い刺し傷がたくさん刻まれた。
それだけだった。
腕のように太い指は、ゴムのかたまりのように動かない。
その真黒い指がいっせいに、男を少しだけ締めつける。
「ぅぎい……い……っ!?」
男は目をむき、苦悶のあまりに動きが止まった。
外にいた金髪の小太り男がよろよろと立ち上がる。
「うえ……!? あ……あ!?」
後ずさった姿に、裕子が鋭い瞳を向けた。
「アレもつかまえて!」
「うわっあ!?」
裕子の号令で、金髪男は悲鳴を上げて駆けだす。
男の数歩に、巨体の二歩が追いつき、胴をとらえて持ち上げた。
「ふおああっ!? ふおぅ!?」
金髪男は奇妙な悲鳴を上げ続ける。
巨大怪物はゆっくりと引き返し、縛られて転がっている香上の目の前を通りすぎ、建物の中へ消えた。
巨大怪物と入れちがいに、藤沢裕子が建物から出てくる。
ガムテープをひろうと、香上の手足の束縛をさらに何重にも厚くした。
さも当然の作業のように、黙々とこなす。
香上は当惑し、抵抗する気も起きない。
拳銃の入ったショルダーバッグを奪われ、裕子は中身を確認しながらささやく。
「むやみに殺すつもりはありません」
通信機も取り上げられたが、それだけで建物へもどった。
香上は体をよじるが、拘束は解けそうにない。
転がり、這いずって、どうにか建物内の状況を知ろうとする。
男ふたりが暴れ、毒づき、わめく声が聞こえた。
「うわ……わ!?」
「クソ! なんだよこれ!? っざけんな!?」
ようやく入口をのぞきこむと、裕子は釘抜きをひろい上げていた。
ふたりの男は両腕ごと巨大な手に握りなおされ、裕子へ差し出されている。
釘抜きは上段の構えから躊躇なくふり下ろされた。
短髪男は頭をそらしたが、耳あたりの側頭部がドグッと鈍い音をたてる。
「グ……ッ!? 森のバケモノって……デマじゃなかったのかよお!?」
藤沢裕子は男の頭から流れる血の量を冷徹に観察した。
「ジンヤ。そいつらは『だいじょうぶ』だから……死んだほうがいいやつらだから」
ふたりの男は裕子の言葉の意味が、よくわからない。
「見てほら……こんなことをする連中」
裕子がダストボックスを開けて見せると、怪物は口しかない顔を向け、においをかぐようにヒクヒクと震わせる。
男ふたりの息が乱れて荒くなった。
「タ……クナイ……」
うなるような、くぐもった声。
裕子はうつむき、困ったように上目づかいで怪物を見上げる。
「こんな人でなしでも、いや?」
答は待っても返らなかった。
裕子は巨大怪物の全身をくまなく観察する。
「かなり長く、がまんしているでしょ?」
大きくへこんだ腹を特に念入りに見つめた。
「タ……ナイ……」
かすかに、うなるような小さい声。
「この場で一番まともなのは、ジンヤみたいね?」
裕子が苦笑し、短髪男の頭を両手でつかんだ。
「でもあなたには必要なものだから……わたしが手伝う。わたしが保証してあげる」
裕子は男の鼻に歯をたて、力まかせに引きちぎろうとする。
「いでええ!? バガヤロ……やめ……!?」
暴れる頭を抑えつけ、左右にねじった。
ミリミリ、ブチリと感触が伝わり、パタパタと鮮血が散る。
「うぁあっ、ひいいぃい!?」
裕子は口からヒマワリの種ほどの薄い肉塊をつまみだす。
「軟骨ごとむしるつもりだったのに」
それでも短髪男の鼻があった場所は全体に皮が裂けて肉が見え、血まみれになっていた。
「ひ、い……!? ほふぃ……!?」
裕子は肉片を舌の上へもどし、怪物を見つめながら何度もかみしめる。
飲みこんだ。
「バ…………バケモノ!」
震えた叫び声へ、裕子の視線がゆっくりと向けられる。
「こいつも、人喰いのバケモノだったんだ!」
裕子が驚きに目を見開いた少し後で、ふたりの男は絶句する。
藤沢裕子が、満面の笑みを見せていた。
暗がりの中で、切れ長の両目に輝きがみなぎる。
「聞いたジンヤ? わたしはちゃんと、あなたの仲間に見えるみたい」
短髪男の頭へ、無造作に釘抜きがたたきつけられた。
三度、四度、五度、六度。
「や……め……」
さらに二度。
「ゆる……し……たしゅけ……」
短髪男は胸まで血まみれになる。
裕子は軽く息をはずませ、釘抜きを握りなおした。
「だいじょうぶだから。肉に変えるのは、わたしがやるから」
「う、うああああ!?」
恐怖の叫びをあげたのは、見ていた金髪男のほうだった。
その鼻を釘抜きがつぶす。
「ぐぶっ……た、たひゅけて! だれかっ! たひゅ……」
怪物の手が男ふたりをまとめてつかみなおした。
そしてグジャリと何本もの骨を巻きこみ、体をひしゃげさせる。
団子のようにまとめた二体の肉塊へ、巨大な口がまとめて喰らいつく。
両手で押しこむようにむさぼった。
裕子は不安そうに見上げる。
「なんで急に食べる気になったの? そいつらを早く楽にしてあげるため? 悲鳴を聞くのがつらかった?」
怪物は答えないまま、ただ勢いよく胴から足へと、ふたりぶんの人体を喉へ詰めこんだ。
「もしかして……わたしに人殺しをさせたくないから?」
裕子はうつむき、怪物へそっと手をのばす。
さびしげにほほえんだ。
「つれなくしないで。これからは、なんでもいっしょにしよう?」
香上は逃げることすら忘れ、ただ震えて見ていた。
藤沢裕子は巨大な怪物の胸にすがりつき、つたい落ちてくる流血へ、そっと舌を近づける。