第12話 地獄がえり 後編
若い刑事が休憩室へもどってくる。
「おえらいさんがた、急用とかで消えちゃいました。しかも『猛獣との接触者は帰すな』とか無茶苦茶を言っているらしくて、署長が泣きそうです」
宮武もあきれて渋る。
「ここに医者なんかいねえだろ……指揮を預かるとか、向こうから言ってきたんだろ?」
「調書だけはゴッソリ持ってかれましたよ。全力で隠蔽する気みたいっすね? とりあえずケガ人はここへ連れて来ていいっすか? 医者は近所のを適当に呼んだみたいっす。ほかの父兄は説明会を開く名目でロビーに待たせていますけど、爆発寸前ですね」
宮武は考えなしにベラベラしゃべる同僚を軽くこづいて追い出す。
友木貴之が不安そうに見ていた。
「ずっと前にも似た騒ぎがあったな……オレが結婚したばかりのころ、皮膚病とかで町ごと隔離されてさ。まあ、それは少ない犠牲で収まったが……友木くんは地元?」
貴之はうなずいてメモに書く。
『鬼を祭る神社のたたりでしたっけ?』
「そんな噂もあったな? あの学園のある森は、オレがガキのころにはまだ沼地だらけで、たたりとかいう以前にヒルや毒蛇が多くて近づけなかった。湿気のひどさも体に悪いから、たたりとか言って遠ざけたんだと思うが……」
宮武は財布から布製のお守りを出す。
金糸の『御守』という文字の上に、鬼の顔も刺繍されていた。
「この町の祭は、なぜか『人喰い鬼』に供物を捧げる風習があるんだよな?」
貴之も小学校の地域学習で伝承は知っていたが、今は迷信にしても笑えない。
休憩室へ警官らしき患者が次々と運びこまれ、奥の宿直室にある三台のベッドも埋まる。
その間にまで毛布を敷いて患者が寝かされ、カーテンをぞんざいに吊るして仕切られた。
白衣を着た中年女性がひとり、診察かばんを持って押し入り、派手に染めたパーマ髪をふりまわして忙しそうに働きだす。
「なんでこんなところへケガ人をつめこむのよお? いくら病院がパンクしていたって、ここよかマシだろうに。廊下でもなんでも放りこんでくりゃよかったのよお!」
貴之はやたらに大きな独り言を聞かされながら、休憩室で待たされた。
自分が見たバケモノヘビに襲われた患者たちのわりには、軽傷者が多い気もする。
ただ消毒液の臭いに混じって、あの悪夢の殺戮現場に漂っていた独特の異臭も感じた。
獣くささというより、人の体臭をひどくしたような悪臭。
森の入り口で襲ってきたという『動物の群れ』について詳しく聞いてみたかったが、声はまだ出そうにない。
もどってきた宮武は困った様子で耳打ちする。
「すまん友木くん。父兄のケガ人もここへ来るから、ほかへ移ってもらえるか? 今は君が見つかると面倒そうだ」
休憩室を出ると、警察署の廊下から見える窓の景色はすっかり暗くなり、街灯が無人の道路を照らしていた。
玄関前の受付カウンターには人が押しかけ、混雑している。
「先に説明してくださいよ!?」
「子供たちはどこだって聞いてんだろ!?」
「順番を守って、静かに待っていてください!」
「ケガしているかたはこちらにならんで、傷の部分を……」
「火災とかいって、煙も見えねえじゃねえか!?」
「なに隠してんだよ!?」
「騒がないでください! 業務妨害です!」
貴之は背広を羽織って制服を隠し、大柄な宮武の背に隠れて通り抜ける。
ふと、壁際のソファで眠りかけている若い女性に目がとまった。
遠目にも和人形のように整った顔で、まつげが長い。
長い黒髪もなめらかにそろっていた。
ただ不似合いにも、肩にかけた薄い毛布の下は検診用の使い捨てガウンしか着ていない。
「ケガしている人たちは、バケモノがでたとか言ってたけど?」
「やあねえ。野犬でも増えたのかしら? きっと火災の煙に追われて……」
そんな会話も聞こえてきて、貴之はロビーにもケガ人が多いことに気がつき、背を丸めた。
まだあのバケモノたちがどこかにいると思うだけで体が萎縮する。
会議室へ向かったが、宮武は追い返されてしまう。
「ここも使ってる? だったらどこに……?」
「場所は今、作っていますから!」
救急箱を持った婦警は早足に去る。
「しかたねえなあ? 宿直室の奥にでも隠れてるか。出入りは不便そうだが……」
もどり際にも貴之はつい、壁際の女性を盗み見てしまう。
すでに眠りへ落ちている様子だった。
生徒の父兄にしては若い。
透くような色白肌で、つつましやかな唇の薄桜も映えさせる。
疲労感の濃い喧騒の中で、奇妙に浮いた容姿に見とれてしまった。
引き返した二階の廊下で、宮武は貴之の緊張した表情に気がつく。
「どうした?」
貴之は手ぶりで引きとめ、メモを書きなぐる。
『におい強すぎ 学校のバケモノ』
「……わかった。オレが様子を見て……」
「なんなのアンタたち!?」
休憩室から、けたたましい怒鳴り声が響いた。
「おい、どうした!?」
宮武が飛びこむと、奥の宿直室で女医が座ったまま、ベッドから伸びる手をふり払っていた。
「腹が……へって……」
寝台をへだてるカーテンの中で、ねぼけたような声がつぶやく。
「え?」
宮武は拍子抜けした。
女医は不機嫌そうに書類を作成している。
「こいつら、さっきから子供みたいにうるさいのよ。少しは待てっつーのに……あーもー、いいから寝てろよっ。血が変に止まらないんだから、ぶったおれんぞ!?」
「腹がへって……」
「腹、が……あ……」
ひとりだけではなく、カーテンの中の数人が口々につぶやいていた。
起きだす気配もある。
「じゃあなにか届けさせますんで。どうか安静に……ん?」
宮武があきれて引き返そうとした時、ニチャリと粘液を踏んだ。
休憩室の入口にいた貴之は、ひきつった顔で宮武へ背後を見るように指で示す。
「い……痛い! なに……!?」
女医の悲鳴で、宮武は驚いてふりむく。
「なんっ……なのよお!?」
患者がカーテンを出て、女医の髪をひっぱっていた。
その腕ほども首が伸び、包帯を巻いた額からは顔を埋める量の粘液をしたたらせている。
はずれたように開いたアゴから、二重三重に異様な長さの歯が伸びはじめた。
「グ……ハラガ……」
「ニク……」
患者たちはカーテンを引きちぎり、ひとり、またひとりと女医へ群がる。
元は患者だった異形の群れ。
腕や脚が崩れかけた体ではいずり、首や胴が不自然に伸びている。
特に口は、見る間にアゴ骨と歯が何重にも形成され、濁った半透明の粘液を広げていた。
「止まれ!」
宮武はひと呼吸おいて、女医の髪をつかんでいた腕を拳銃で撃つ。
異形の首が、いっせいに宮武へふりむいた。
「おっと……殺されるのは『大きな音』をだした奴からだったか?」
宮武が小さくつぶやく。
異形の群れがのたうち、はいずりながら次々と宮武へ踊りかかってきた。
「うお……お!? わ……!?」
宮武は銃底で殴りつけ、革靴で蹴りつけて暴れる。
貴之はただ震えてドアにすがりつき、へたりこんでいた。
「……んん?」
異形は宮武に殴られるまま、蹴られるままに倒れる。
それぞれに動き続けているが、鈍重で方向もろくに定まらない。
「意外と弱いな? 先生、今のうちに……」
「う、うん。いやビックリだわ。なによこれ? あ、ちょっと待って消毒……」
「おばちゃん、そんな場合じゃ……」
「おばちゃん言うなっ、これ肝心なのっ!」
宮武は足元のバケモノを加減して蹴りのけながら、消毒液を抱えた女医の背を押す。
ドアのレバーを握りしめていた貴之の手をはがしてやり、廊下へ連れ出す。
「友木くん、だいじょうぶか? ケガは?」
貴之は背広をつかんで放さない。
必死な顔で、息を整えていた。
「あ……いえ、だいじょ……ぶ、です」
かすれてひっかかりながらの発声。
手を放し、壁にすがって立ち上がる。
「ごめ……なさい。なにも、できない、で……」
今まではどこか呆けていた表情に、活き活きとした悔しさがあふれだす。
「哲の、ことも……」
宮武は貴之の肩を優しく握る。
「いいんだよ。それよりも声、もどったじゃねえか?」
女医はシーツで休憩室のドアレバーを固定する。
「あの様子じゃ、これで出てこれないとは思うけど……アンタも、ケガは?」
女医は宮武の手をひったくり、殴ってすりむけた拳にビチャビチャと消毒液をふりかける。
「あいつら、たいしたことないケガから、ほんの数十分であれだから。かすり傷でも念入りに洗って消毒しておきな」
廊下の向うから騒ぎ声が聞こえてきた。
「下だな……ロビーでなにかあったのか?」
騒ぎはすぐに怒号と悲鳴、絶叫が混じりだす。
貴之は嫌な予感に思い当たった。
「ロビーにも、ケガをした人、たくさんいましたよね?」
宮武は女医と顔を見合わせた後、駆け出す。
その背が消えない内に、階下から銃声が響いた。
「アタシも行ったほうがよさそうだね? ボウヤはそこで待ってなよ。閉じこめた連中はほっとけばいいから!」
早口でまくし立てながら、女医も宮武を追う。
非常ベルが鳴りだした。
とり残された貴之はゴソゴソと音のする休憩室から距離をとり、廊下の窓から周囲を見まわす。
正面玄関は見えないが、多くの人が走って夜道を逃げる姿が見えた。
窓の下を見ると建物ぞいに芝生があり、壁には足をかけられそうなでっぱりもある。
「そこ! 降りられそう!?」
廊下の先の階段で、もどってきた女医がはいつくばっていた。
貴之は驚きながらもうなずく。
「行け! 玄関には近づくな!」
よく見れば片足がない。
手で押さえている脇腹からも血があふれていた。
わけのわからない悪夢が、ふたたびはじまっていた。
貴之の心身もふたたび恐怖で縛られそうになる。
ただわずかな意地が、ふらりと一歩だけ進ませた。
「来んな! 手遅れ! 行け!」
女医は猛然と怒鳴りつける。
そして不意に、わずかに苦笑して見せた。
「ううーっ」
小さなうめき声。
派手なパーマ頭はゆっくりとうなだれ、目を開けたまま動かなくなる。
貴之はふたたび、自分の情けなさに頭をかきむしった。
女医が最期に気づかって見せた笑顔へ深く頭を下げたあと、窓から身を乗り出す。
北町にある病院の薄暗い廊下では、背の高い女性が病室の表札を確認していた。
スーツもショルダーバッグも質素で、髪は短くまとめている。
音をたてないように入室し、明かりをつけないまま後ろ手にドアを閉めた。
ベッドに横たわっていた細身の人影が身を起こす。
「藤沢裕子さんですね? いっしょに来てください」
ゆるいウェーブのかかったセミロングの少女が顔を向けた。
「どこへですか?」
「外まで……妙な動きはしないで」
女はショルダーバッグへ入れていた手を静かに上げる。
銃口を向けていた。
「着替えるので、少し待ってください」
枕元の紙袋には母親の持ってきた着替えがあった。
落ち着いた色のブルゾンと肩かけ、ゆったりとしたスカート。
女は眉をひそめる。
銃を向けているのに、少女には緊張が見られない。
外で何度目かの市内放送が流れると、少女は窓へ目を向けた。
「南町には避難指示がでているみたいですね? 研究施設で火災とか」
「……それで?」
女の声は突きはなすように冷たい。
「被害はどこまで広がっていますか?」
少女は淡々と襟を整える。
「話す必要はありません。先に立って指示どおりに歩いて」
女は声にトゲを含ませ、アゴでうながす。
「あなたは、あのバケモノを作った側? 取り締まる側? 利用したいだけ?」
「時間がないの。手荒な真似はさせないで」
女は低く声を荒げたが、少女は冷たく見すえていた。
「どの立場でもかまいません。それぞれの理由で協力できそうです」
少女はひと呼吸、相手の反応を確かめる。
「話せることだけでも話していただけたら、そんなものを見せなくても同行します」
声が落ち着きすぎていた。
「あなた、いったい……?」
女は冷や汗を浮かべ、唇をふるわせる。
「そんなものを怖がっているように見えますか?」
藤沢裕子の表情はずっしりと落ち着き、眼光ばかり異様に鋭かった。