表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人喰らい、人喰らえ  作者: 平井星人
市街編
11/27

第11話 地獄がえり 前編


 薄暗い廊下をふたりの女性が歩いていた。 


「まだ詳しい検査の前ですから、手短にお願いします」


 若い看護士の口調は明るい。


「え……? あの、娘になにか問題が?」


 四十代くらいの女性は、不安を露にする。


「お元気ですよ? ただ念のために……藤沢裕子ふじさわゆうこさん? 失礼します」


 看護士が個室の引き戸を開けると、中年女性はおそるおそる入ってくる。


裕子ゆうこ? 母さんだけど。入るね? ……だいじょうぶ?」


 病室には明かりがつき、藤沢裕子は身を起こして食事をとっていた。


「だいじょうぶ。ケガはないから」


 明るい声だった。

 看護士は裕子の手元を見て、空の食事皿を不思議そうに見つめる。

 母親はほっと胸をなでおろした。


「心配したんだから。いったいなにが……」


「ごめんなさい。でも今はひとりにさせて」


 裕子は目を合わせないで言葉をさえぎる。

 表情は明るく見えた。


「また、そんなこと言って……」


 母親がそう言って肩へのばしかけた手を、裕子はビクリと凝視して、飛びすさるように避けた。


「裕子……?」


 母親の困惑する声を聞いても、裕子は顔を向けられない。

 目をそむけて、押し黙るしかなかった。


「まだショックが残っているようですから」


 看護士は柔らかい口調で言いながら、母娘の間へ割って入る。


「でもやなぎさんとか、友だちのお母さんたちもみんな心配して……」


 看護士は笑顔のまま、母親を病室から追いやる。

 母親は裕子と看護士を見比べながら、足をもたつかせてねばった。


「誰も帰ってこないって……学校への道路も封鎖されていて、なんの説明もしてくれないって……」


 裕子は気まずい顔で無言を通す。


「連絡の行き違いかも知れませんよ? 警察で保護された生徒さんもいるようですし……」


 裕子の肩がビクリと震えた。


「待って!? ほかにも助かった人がいるの!?」


「あっ……ごめんなさい。わたしも詳しくはわかりませんので」


 看護士はあわてて会話をきり、母親を追い出す。


「どういうこと? ねえ裕子、そんなにひどいことがあったの?」


「今は裕子さんを安静に……!」


 ドアを閉めようとふりかえると、裕子は静かに頭を下げる。

 看護士はその目つきになぜか寒気をおぼえ、会釈をうまく返せない。

 裕子は今、鎮静剤を打たれるわけにはいかなかった。

 自身の感情を抑えきって見送る。



 市の警察署は学校なみに広いが、二階建ての建物は敷地の半分もない。

 荷物が散らばった部屋で、中年の刑事が缶コーヒーをさしだす。


「直後で悪いが、なにがあったのか、話してもらえるかな?」


 毛布にくるまった少年の表情は暗かったが、顔だちは優しげで、少女のようにも見える。

 刑事は太めの大男で、体毛も濃くて熊に似ていた。

 机のメモをひったくり、記入内容を確認する。


友木貴之ともきたかゆきくん、だね? まだ救助できる人もいるかもしれないんだ」


 言葉だけはていねいだったが、声は圧するように大きくなった。


「これから被害に遭う人も出るかもしれない! 話してくれるね?」


 貴之は首をすくめてちぢこまり、震えていた。

 となりにいた若い刑事が見かねて、わって入る。


みやさん、この子、大きな音が怖いみたいで……」


「ん? なんでまた……? すまん。オレは地声からでかいほうで……」


 貴之は片手を広げて『待って』と示し、メモ帳へ書きつける。


『警察はどこまで把握してるんですか?』


 中年刑事の顔が、高校生を懐柔しようとする営業スマイルから、推理へ思考をまわす無表情に変わる。

 ペンを受け取り、書き足した。


『盗聴を警戒しているのか?』


『聞かれているんですか?』


『可能性はある』


 カツカツとペンの音だけが響く。

 貴之は中年刑事の顔をそろそろとうかがいながら書き足す。


『ショックで声がでないだけ』


 中年刑事は無表情に文章を見下ろした。


「宮さん、そろそろ……」


「足どめ頼むわ。オレのせいにしてもいいからごねろ」


 若い刑事はため息まじりに出て行く。


「そうかあ。事故とかのショックでも声が出なくなるって聞くしなあ?」


 中年刑事は話しながらペンを走らせた。


『念のため、筆談を混ぜる』


「目や耳がきかなくなることもあるらしいなあ……」


 言葉の穏やかさとは裏腹に、ペンはせわしなく動き続ける。


「実はオレの息子も同じ高校で……」


『言ってることは本当』


「新設校だから同じ一年か……クソッ、息子のクラスもわからねえや」


 貴之がペンを求めた。


『もしかして宮武みやたけ?』


てつを知っているのか!?」


 取り調べで威圧する刑事の顔ではなく、肉親の切実なあせりが出ていた。

 貴之の顔が複雑にゆがむ。

 粘液へ半分とけこんだ、整髪料でかためた髪を思い出してしまった。


「友木くん……?」


 貴之の表情は露骨に悪い知らせを伝えていたが、哲の父親はわずかな期待をつなげて耐える。

 貴之はどう伝えるべきか悩んだ。


『同じB組。たぶん、厳しいです』


 刑事の顔に濃い影がさす。


「そうかあ……こちらも正直、なにが起こったのか、よくわからないんだ」


 宮武の腕が今まで以上の速さで書きなぐる。


『管轄の違うおえらいさんが口出しをはじめた』


「通り魔とか薬品事故って感じでもなくて……なにかネバネバした跡ばかり残されているとか……」


『上の都合でもみ消される前に真相を知りたい』


 貴之は書き出しに迷いながらも、書いてみる。


「そうか……まだ事件に関係しそうなことは、ほとんど思い出せないか……」


 宮武は驚きを隠せない表情でメモを凝視していた。


『人体をめちゃくちゃに溶かしたようなバケモノヘビの大群。一瞬で首をかみちぎる。殴る蹴るはぜんぜん効かない』


 貴之の震えがひどくなり、たびたび手が止まる。


「しょうがないよなあ? 声がでなくなるほどのショックじゃ、記憶だって……」


『なんで自分だけ助かったのか? 自信はぜんぜんありませんが……』


 倒れて粘液に埋まりはじめたことまではおぼえていた。

 そのあとは警官に起こされ、自分に傷ひとつないことで驚くところから記憶が再開している。

 異臭と、乾いた粉やカスのようなものがいくらか制服へ付着しているだけだった。


『叫ばないで気絶したから?』


 中央玄関ホールで最初に殺された安永やすながは、なにかと大声をだしていた。

 次に犠牲となったC組の学級委員は、安永の惨殺を見て叫んでいた。


『大きな音を出した順に襲われていたかも?』


 絶句していた自分と相馬そうまより、後から来て騒ぎだしたC組の生徒が先に襲われていた。

 そして相馬も、玄関ドアを殴りはじめてから襲われている。

 貴之は思い出しながら書いていたが、外から聞こえる市内放送に気がつく。


『研究施設の火災により、有毒ガスの危険があります。南町みなみまちにお住まいのかたは、北町きたまちの避難所まで……』


 貴之は苦笑を浮かべて書き足す。


『だけど「有毒ガスでの幻覚」みたいな可能性はないんですか?』


 宮武はペンを持たないまま、苦そうな顔を見せた。


「森の入口でもめていた警官と生徒父兄が『動物の群れ』に襲われたらしい……今さっき病院へ運びこまれたよ。まだ連絡のつかない警官や業者もいる」


 市内放送は念入りに『火災』と『有毒ガス』についてくり返す。


「あんな大がかりなウソをついてまで、なにを隠そうとしてやがんだか」


 宮武は吐き捨てるようにぼやいた。

 染みついた反骨口調は哲を思い出させる。


『オレは「おえらいさん」に消されたりするんですか?』


「うーん……?」


 宮武はあいまいな返答でアゴをさする。


『軍かなにか知りませんけど、やばすぎることだけはわかります』


『そんなすぐに無茶はしない……と思う。なにか聞かれたら正直に話したほうがいい。ただし半信半疑で「信じたくないふり」をして』


 貴之は不安を感じたが、宮武の率直な言い回しは信頼できる気もした。

 それでも毛布は手放せない。悪寒が止まらなかった。


「まあ今は科学捜査も進んでいるから、専門家がくればなにかわかるよ……」


 声と真逆のガツガツとした殴り書きがつけ足される。


『原因は必ずオレがつきとめる。「おえらいさん」なんぞクソくらえだ』


 ふたりはようやくコーヒーへ口をつける。

 貴之は舐める程度にすすったが、それすらのどへ通しにくかった。


『もうひとりの生存者のことはなにか知らないか?』


『いたんだ!?』


『藤沢裕子』


『別クラス? 知りません』




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ