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人喰らい、人喰らえ  作者: 平井星人
学園編
10/27

第10話 地獄の底 後編


 裕子はただ待つしかない苦痛をふたりぶん背負いこむ。

 そうなってみると、案外すんなりと『次は自分』でよいと感じられた。

 古見まで犠牲にして助かっては、生き残る意味すら失いそうに思える。

 もちろん自分の命をあきらめる気はない。

 それでも最後の最後は『自分が先』と受け入れる気持ちになれた。


 自分の棺桶をながめる感慨深さで人喰いの巨体を見上げる。

 自分を喰わせ、古見を託すことになる、口しか持たない異形の怪物。

 古見の腕を食べた時と同じ姿勢で両ヒザと両手をつき、うつむいて背を向けている。


「あなたはいったい、何者?」


「グォ……、グゥオ……」


 本人が一度は『わからない』と答えていた。

 だからそれほど期待はしていない。

 研究員らしき白衣の男は、避難指示の口調も泥酔しているようにたどたどしかった。

 最後は空腹にばかり内容が偏り、錯乱がひどかった。


「グォオ……オ……」


 呼吸を抑えるような長い息。


「オ……レ、ワカラ……ナイ」


 同じ返答。しかし裕子は動揺した。

 以前よりも聞きとりやすくなっている。

 言葉のつながりにも、思考して伝えようとする意志を感じた。


「ワカ……ナイ、ナマ……エ……オレ……」


 この怪物が人間に近いとわかるほど、裕子には思い出したくない事実がある。

 古見の腕を、柳を、江賀崎を、その口へたたきこんで喰わせたのは自分だった。

 野坂もまた、自分がこの巨人との同行を決めたから喰われた。


 そしてこの巨人も、裕子が同行を決めたから人間を三人、それに人の腕を一本、喰わされることになった。

 おそらくは錯乱のひどい、泥酔のような精神状態で。

 もし生まれつきの怪物ではなく、元は研究員や実験協力者などの人間なら……自分のしたことを理解したなら、どうなるのか?


「思いだせない? もし助かったら……わたしが守るから。あなたは正常な判断をできない状態で、ぜんぶわたしに命令されていたと証言する。だから、せめて名前だけでも……」


 本当に思い出してしまう可能性も、裕子は感じはじめていた。

 巨大怪物の体質は急速に変化している。

 空腹になるまでの時間が長くなっていた。

 空腹になってからも狂暴になりにくい。

 そこまで考えて、裕子の背筋は寒くなる。


 柳はなかなかとどめを刺されなかった。

 古見の腕は口に入れ、命令してもなお、かじるまでに長い間があった。


(食べるのを、ためらっていた? 食べさせたのは、自分だ)


 その責任が急に重くなる。

 しかたなかった。そうするしかなかった。

 それでも自分がおぞましい。


 古見の様子を見ると、まだ弱々しく呼吸を続けていた。

 目を閉じたままの顔はさらに青黒くなっている。


「オレ……ジン……ヤ」


 裕子はゆっくりとふりかえり、口しかない顔をぼうぜんと見上げる。


「ナマエ……オレ……、ジンヤ……オレ……、ワカラ……ナイ……ナマエ」


 裕子は冷や汗を噴き出す。

 泣いていいのか笑っていいのか、こわばってゆがんだ顔がもどらない。



 一年E組には野坂と同じ中学出身の小柄で無口な男子がいた。

 うつむきがちなさびしげな姿をよく見かけていた。

 かなり前から病欠が続いて『アレルギーかなにか』で『体調が悪い』らしかった。

 八島ジンヤがひさしぶりに登校できたら、昼食に誘おうと思っていた。



 不恰好な黒い巨体はヒザ立ちでうつむいたまま、つぶやき続ける。


「ヤシマ……ワカラナイ……、ジンヤ……ナマエ……オレ……」


 聞き取りやすくするために、呼吸を抑えるだけでも大変な様子だった。


「ジンヤ……オレ……ワカラナイ……」


 裕子はかろうじて踏みとどまる。


「わたし……あなたになんてことを……」


 野坂は世話焼きだった。

 同じ中学というだけで、それまで特に交友のなかったジンヤを部活に誘い、病欠中にたまったプリントを自宅まで届けていた。

 その野坂は裕子についていった先でジンヤにたたきつぶされ、喰われてしまった。

 裕子はジンヤに野坂を喰わせてしまった。


 江賀崎と柳は軽い性格だったが、陰口を恥じるまともさがあった。

 ふたりの明るさなら、長い病欠の後でもジンヤに居場所を作れると思っていた。

 そのふたりをジンヤの口へ押しこんでしまった。


 ジンヤは同級生を、友人を、もしかしたら親友を、喰い殺してしまった事実をどこまで理解できているのか?


(八島くんが正気にもどったら、その時こそわたしは殺されるかもしれない)


 同級生を喰い殺したジンヤを世間は、家族は、どう思うだろうか?

 ジンヤはその時こそ、抑えようのない狂気におちいるかもしれない。

 なんで喰らった? 誰に喰わされた?


(それはわたし)


 同級生の藤沢裕子が命令した。


(本物の『バケモノ』はわたしのほう)


 顔がゆがむ。

 大声で笑い出しそうになるのをこらえた。


「はは……は……」


 自分の意志で親友たちを殺し、自分が生き残る道を選び続けた。


(人を餌食に生きている怪物はわたし)


 裕子は気がつかない。

 古見は薄く眼を開けていた。

 ゆっくりそむけた顔には苦痛と、恐怖と……


「八島くん」


 裕子が苗字で呼びかけても、巨体は反応しない。


「ワカラナイ……ナマエ……オレ……」


「ジンヤ?」


 大きな口がゆっくりとふりむく。


「ジンヤ……オレ……」


「そう、あなたの名前」


(ジンヤはバケモノじゃない。わたしに利用されただけ)


 そんな言葉がくり返し浮かぶ。


「オレ……ジンヤ……オレ……」


「わたしは藤沢裕子……わかる? 窓際でひとつ前の席。野坂くんや江賀崎くんとよくいっしょにいて……」


「ワカラナイ……ガッコウ……オレ……」


 裕子はため息をつき、安心してしまった。

 学校生活を思い出せないことは気の毒だったが、同級生を殺した自覚はまだ無さそうだった。

 それだけがうれしい。

 ジンヤだけは罪悪感で苦しまないでほしかった。


「オレ……ビョウキ……ワカラナイ……ガッコウ……」


 しかしいずれは思い出しかねない。


「イキタイ……オレ……ガッコウ」


 会話が通じやすくなっていて、言葉の幅も増えている。

 体よりも先に、精神だけ元にもどってしまうかもしれない。

 ここまで変わり果てた体で、どうすればまともな人生をとりもどせるのか、想像もつかなかった。


「ほかにしたいことはある? 生きて帰れたら、わたしがなんでも手伝うから」


 ジンヤは口しかないはずの頭で裕子をながめまわす。


「グァ……イ……」


 少しだけうめいて、背を向けてしまった。


「なに? どうしたの?」


「ギ……」


 裕子は空腹がはじまったのかと思って警戒する。

 しかしもう恐怖はない。

 なるべく苦痛がない喰われかたを工夫するつもりだった。

 自分にも、ジンヤの精神にも。


「ヤリ……タイ……」


 裕子は続く言葉を待った。

 待ち続けて、かなり遅れて察した。


(食欲を抑えられなくなっているから……性欲も?)


 驚きはしたが、不思議と嫌悪は感じない。

 背を丸めた後姿はゾウに近い大きさだったが、妙に弱々しく、さびしげに見えた。


「グォ、グォ……」


 呼吸がうめき声にもどる。

 言葉を発する意志がなくなった。

 無数にひび割れの走る黒い肌が揺れている。


 裕子は八島ジンヤと話したことがなかった。

 自信がなさそうに背を丸め、独りでぼんやりとしている姿はよく見かけた。

 目が合うとふてくされたように顔をそむけるので、嫌われているのかと思っていた。

 ただ裕子がふりかえると、なぜかよく目が合う。

 顔をそらすあわてた仕草は、照れているようにも見えた。

 巨大怪物の動作が、見覚えのある姿に重なる。


(怪物だから、ではなくて、ジンヤくんだから無口? ジンヤくんだから守ってくれている? ……ジンヤくんだから、もがき叫ぶほどの空腹でも、がまんを続けてくれた?)


 全身にはバケヘビの大群と戦い続けた傷痕が残っていた。


(ジンヤくんだから……照れて背を向けた?)


「いいよ」


 裕子は穏やかな声を出せた。 


「生きて帰れたら……なんでもしてあげる。がんばってみる」


 巨大怪物は声を出さない。

 ただ呼吸のうなりは止まっていた。


「わたしがあなたを守る。次はわたしの番」


 うなりは長く止まっていた。

 背だけが抑えた呼吸に合わせて上下している。

 裕子はかすかにほほえんだ。

 ジンヤの希望になれるなら、みんなを犠牲に生き残ったことも無駄ではないように感じられた。



 バケヘビに囲まれた校庭で、ずいぶん時間が経っていた。

 救助は来るのか、帰れる場所はあるのか、いまだになにもわからない。

 バケヘビの群れは、もう一度だけジンヤが蹴散らした後で、ぱったりと姿を見せなくなる。

 しかし下水溝出口での待ち伏せを思い出すと、安心はできない。


 強行突破で脱出しようにも、古見を動かせる状態ではない。

 衰弱しているのか、安定したのか、裕子には判断がつかない。

 眠りに落ちているのか、呼吸は小さくなっていた。

 裕子も心身の疲労が激しい。

 それでも座りこんで、上着のそでをさまざまに縛りなおす。

 時間の経過で、ジンヤから剥がれた皮も少しずつたまっていた。

 声に出さないだけで、空腹は進んでいるはずだった。

 いざとなった時、どうやれば自分ひとりで腕を止血できるか……あるいは自分を手早く絞め殺せるか、念入りに研究しておく。


 ジンヤは正気にもどりはじめている。

 もう人を殺させたくない。

 もう人を殺せないかもしれない。

 それでもジンヤと古見を死なせないために、自分を喰わせる必要もあるかもしれない。

 その場合はせめてジンヤの手を借りないで、自分を遺体に変えておいてあげたかった。


 空はすでに夕焼けも近い。

 裕子はそでを何度も縛りなおしながら、疲労でまぶたが重くなっていた。

 そでを取り落とし、ひろい上げる拍子に頭がヒザに触れると、そのまま起こせなくなる。

 少しだけ目をつぶって休むつもりが、ほんの数呼吸で肩がくったりと落ちてしまう。

 上着のそでがふたたび手をはなれ、地面に落ちた。



 裕子の静かな寝息を聞いて、古見はそっとふりかえる。

 古見は声ばかり聞いていた。

 裕子のふっきれたような笑い声。

 嬉しそうに怪物へ媚びる声。


 古見はもげた片腕をかばい、激痛で歯をくいしばりながら這いずり、人喰い巨人へ近づく。

 元はジンヤという名前の人間らしいが、そんなことはどうでもいい。

 空腹になれば人を喰らい殺すバケモノには違いない。

 藤沢裕子に操られる『歩く処刑台』でしかない。

 人喰いバケヘビの群れを処刑してまわり、燃料がきれたら人を喰らう殺戮兵器だった。


 ひざ立ちになっているバケモノの足元へ、古見は這いつくばる。

 呼吸を整えながら、おそるおそる裕子の様子を確認した。

 体育座りで伏したまま、寝息は安定している。

 足元には物騒な縛りかたをした上着のそで……そんなものを誰にどう使う気かはわからないが、それもどうでもいい。考えたくもない。

 今、目の前にいるのは瞬殺処刑台だった。


「グォ……、グォ……」


 うなり声は小さくなっているが、牙から唾液がたれはじめている。

 空腹は長くもつようになっていたし、空腹を激化させる負傷も少ないが、腕一本の『軽食』を補給しただけで、もうかなりの時間が経過していた。

 がまんしすぎている。

 好都合だった。

 古見の顔がわずかにゆるむ。


「食べて」


 かすかな声でささやく。

 巨大怪物はゆっくりと、眠りこむ裕子へ顔を向けた。

 古見は呼吸を整える。

 声を出すだけでも激痛が走った。


「そっちじゃなくて、こっち」


 牙しかない顔が、足元へ向く。

 古見はわずかだけ、もげた腕を上げた。


「もうそんなに、もちそうにないから……」


 ピンで止めた包帯の栓をゆるめると、にじんだ血がしたたりはじめる。


「もう、終わらせて。ひと思いに……楽にして」


 ふたたび呼吸を整え、裕子から顔をそむけた。


「もう耐えられない。痛い、怖い……見たくない、聞きたくない……」


 古見の疲れきった目に、涙があふれる。


「もういや。逃げさせて……あのバケヘビの群れや、あなたや……藤沢さんから!」


 古見の小さな叫びで、裕子は意識をとりもどす。

 自分が眠ってしまったことに気がつき、あわてて重傷の古見へふりむいた。


「早く……!」


 ジンヤの足元に置かれた古見の頭と、轟音をあげてふり下ろされる巨大な拳。


「……ありがとう」


 古見はようやく、穏やかな笑顔を見せた。

 震動が響く。

 裕子はなにかを言いかけたまま意識を失い、顔から倒れこむ。

 その耳に、遠くかすかな機械音が届きはじめていた。

 ほどなくけたたましい騒音が急接近し、校庭の上空で静止する。


『校庭に生存者……生徒一名を確認! 救助を開始します!』



 暗闇と、薄暗い天井。

 夜の暗さと、カーテンを透けて差しこむ街灯。

 藤沢裕子が目を覚ました。


 学校の制服ではなく、簡素な寝巻きを着ている。

 真白いシーツと、消毒液のにおい。

 介護用のベッドと、病院らしきせまい個室。


 意識を失う前にも聞こえたような、ヘリコプターの音が届いていた。

 かなり近くを飛んでいる。

 市内放送がくりかえし呼びかけていた。


『……付近のかたは、避難してください。大学研究施設での事故は現在、火災は収まっていますが、有毒ガスが発生している危険があり……』


 切れ長の両目が病室を見回す。

 凍てつく瞳は、ほかに誰もいない闇を凝視した。


「ジンヤは……?」




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