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人喰らい、人喰らえ  作者: 平井星人
学園編
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第1話 人は喰われる 前編


 まだ地方では市街を離れると携帯電話がつながりにくかった頃。

 その新設校は郊外の森に囲まれ、通学バスでも住宅地へ出るまでに十数分かかった。

 大学はまだ開校していないが、研究棟の一部はすでに使われている。

 地下の隔離室ではゾウほどに大きな肉塊が手術台へ縛りつけられ、身をよじっていた。

 その赤黒い表面はただれ溶けて床までしたたり落ちる。

 厚いガラスごしに白衣の男が数人、口早に言い合っていた。

 やがて次々と踊り上がるように倒れ、鮮血をまき散らす。

 最後まで立っていた男はひとりだけ。


「腹が……減ったな?」


 ぼんやりとつぶやいた。



 大学付属の高等部は徒歩で数分の距離にあり、小さな町とは不釣り合いに警備システムが整っている。

 創立から初年度の生徒がすでに通いはじめて一ヶ月近く経っていた。

 昼休みの教室で、色白肌に切れ長の瞳の女子生徒がつぶやく。


八島やしまくんはまだ欠席?」


 窓際に集まっていた友人たちは意外そうに藤沢裕子ふじさわゆうこへ視線を向けた。

 裕子はひきしまった細身にブレザー制服をきっちり身に着け、髪はゆるく波打って肩まで流れている。

 表情は硬いが、目立って端整な容姿だった。


「そういやジンヤのやつ、ずいぶん長く休んでるな? そろそろバスケ部の合宿メンバー決めてえのに。八島……あれ? ジンヤってどういう漢字だっけか?」


 野坂のさかはやせた体に制服をラフに着た男子で、口をとがらせてそっけなく言うと合宿名簿に『八島ジンヤ』と書き足す。

 その後でコンビニの山菜そばには慎重に麺つゆをかけた。


「野坂は中学が同じってだけだろ? わざわざ部活に誘わなくてもよかったんじゃね? アレいかにも文化系だろ?」


 江賀崎えがさきは長身の男子で、開けた胸元からブランドの柄シャツをのぞかせている。

 専門店のサンドイッチをどっさり抱えていた。


「バスケをやる体型や顔じゃないよね? 物好きとしか話が合わなそう……」


 やなぎは明るい髪色の女子で、ビタミン入りゼリーとバタークッキーを交互に口へ運ぶ。

 裕子は表情を変えなかったが、はしが止まっていた。

 気がついた江賀崎は頭を下げる。


「わりっ、悪口になりかけていたな?」


 裕子は苦笑して首をふり、手作り弁当からカラアゲをつまみあげた。

 その上品で落ち着いたしぐさに、柳は首をかしげる。


「でも裕子がいじめられていたなんて……なんでもできて顔までいいのに」


 裕子の手がふたたび止まり、江賀崎と野坂は柳をにらむ。


「仲間はずれにされた程度だけど……そのうち話すね?」


 裕子はしばらくカラアゲを見つめてから、ゆっくりと口に入れてかみしめる。

 ひかえめに楽しみ、うしろめたさを隠す。



 小学校の同級生だった『理花りか』はひき肉になった。

 通学路で裕子を大げさに避け、大型トラックとビル壁に挟まれた。

 裕子はつい、安心してしまった。

 理花はクラスの女子の中心で、主導して裕子を仲間はずれにしていた。


『裕子ってさー、ちょっと運動とかできるだけで、やたら上から目線だよね? あんなに目つき悪いのに、かわいいとか勘ちがいする男子もセンスないし。うわ、やだやだ。またにらんでる。こわいこわい。すげーこわいっ』


 理花の死後、仲間はずれは急に終わり、みんな一斉にすりよってきた。


『藤沢さんとは話したかったんだよ? でも……ほら、理花って少しやばかったし……』


 裕子はその時にはじめて、同級生たちが怖くなった。

 そして理花の惨死で安心してしまった自分が、おぞましくなった。



「……それで。裕子ってもしかして、八島ジンヤみたいな男子もアリなの?」


 柳が身を乗り出し、裕子は返答に困る。


「まだ話したこともないし……野坂くんが昼食に呼んだ時も、わたしを避けていたような?」


「いや、それはねえよ。ジンヤが休んでいるのはアレルギーかなにかで、あの時も『体調が悪い』とか言ってた。慣れない女子に照れていただけかもしんねえけど」


 野坂はぶっきらぼうに答えながら、山菜そばの包装はていねいにたたむ。


「というか、アレが即アウトじゃねえのかよ? もしアレが好みなら、オレにはイメチェン厳しいな?」


 江賀崎が笑顔を向け、裕子は弱って弁当に助けを求める。

 野坂は小さくふきだし、柳はあきれた声を出す。


「アピール露骨ねー? そんな必死なら、先にほかの女子を切ればー?」


「いねえってそんなの」


「それならアドレス帳、見せてみ?」


 いつものように四人で集まる昼休みだった。

 楽しい時間であるほど、裕子はクラスの欠席者を気にかけてしまう。

 ゆっくりかみしめなければ、うまくのどを通らない。



 昼休みが終わっても教師たちは姿を見せなかった。

 各クラスの学級委員が呼びに行っても、職員室は鍵がかかったままで人の気配もない。

 なんの連絡もないまま三十分ほど過ぎてから、けたたましく非常ベルが鳴る。

 校内放送のスピーカーからくぐもった声が響いた。


『火災が発生しました……避難訓練ではありません。火災が……発生しました』


 教室の陽気な騒々しさが、静かなざわめきに変わる。


『火は消えました……でも、えーと……有毒なガスが発生している……おそれがあります。念のため、避難する必要があります……ので……』


 ざわめきの緊張感が薄れてくる。

 放送の声は寝ぼけたように間のびしていた。


「あの慣れない声、大学研究棟のオッサンじゃね?」


「たまに通学バスで見るよな? 白衣のまま乗っていたり。あ、でもひとりすげえ美人いるってよ?」


 学級委員のオカッパ女子が大きな身ぶりで無駄口を閉じさせる。


『では……A組から、移動を開始してください。ほかのクラスは、教室で……指示を待ってください』


 まだ上級生はいない。

 裕子たちが最初の卒業生になる予定だった。



 柳は裕子の落ちつかない様子に気がつく。


「こげたにおいでもする?」


「煙ではなくて、血というか……」


 裕子は死亡事故に居合わせて以来、血臭には敏感になっていた。

 スピーカーはふたたび間のびした声でつぶやく。


『はい……ではB組……移動を開始してください……』


 裕子と同じクラスのオカッパ学級委員は廊下で別のクラスの学級委員と話していた。


「やっとB組とか、遅すぎない? 火が消えてなかったら手遅れでしょこんなの?」


「どのクラスも先生は来てないみたいだけど、やっぱり避難訓練なのかなあ?」


「研究員の人が悪ノリしているだけとか? もうC組も行っちゃえば?」


「だよねえ? 仕切り慣れてない感じだし。廊下さえ混まなければよさそうだし。D組にも声かけておくね?」


 教室の窓際では、裕子の顔がこわばってくる。


「やっぱり、これ…………理花と同じ?」


 ただの流血ではなく、つぶれた脳や臓物も混じった血臭。



 B組の生徒たちは移動しながら緊張がゆるんでいた。

 友木貴之ともきたかゆきの容姿は静かにほほえんでいればショートカットの女子のようにも見える。

 そう思われるのが嫌で、いつも不機嫌そうにしていた。

 それをおもしろがってからかう者もいる。


「友木くんゴメーン、手がすべっちゃったー」


 階段で、ボウズ頭の男子がニタニタと笑いながら貴之を突きとばした。


「なにすんだよ!?」


 つかみかかろうとした貴之の前に、大柄な男子が割って入る。


「避難中だぜ? 貴之」


「どけよ!」


 貴之は細く、背もやや低い。

 宮武哲みやたけてつに捕まれると身動きできなかった。


「わかったわかった。おい、オマエも今のは、少しやりすぎだって」


「いや手が本当に、勝手にさあ? なんか押したら飛びそうだったから、ついね?」


 ボウズ頭はヘラヘラと返し、哲も肩をすくめながらニヤつく。


「おいおい……なあ貴之、ここはオレのメンツも立てて、な?」


 哲は整髪料でテカテカに固めた髪をゆらし、余裕ぶった流し目を送ってきた。


「ハンパな不良きどりにメンツもクソもあるかよ。今どき珍走団ゴッコでイキんな恥ずかしい!」


 哲は眉をしかめて貴之をにらむが、鼻で笑うと背を向けて歩き出す。

 ボウズ頭もあとを追うが、ふたりはちらちらとふりかえり、ヒソヒソとにやけ合っていた。

 あとから来た色黒ジャガイモ顔の安永やすながは貴之の様子に気がつくと明るく笑う。


「おい友木、また宮武のやつか? 今、やっちまうか?」


「いいよめんどくさい……またなにされるかわからねえから、あっちから行く」


 もうひとり、鹿のような顔をしたひょろ長い相馬そうまも追ってくる。


「ん? ぼくもそっちに行こうかな? いやあ、ケンカにならなくてよかったよ。友木くんのピンチなら、ぼくも参加しなくちゃだもんね」


 のんびりした笑顔と口調だった。


「友木くんは宮武くんと同じ中学だっけ? なにかつきあいあったの?」


「柔道部で同じだっただけ。哲はガラの悪い連中とつるみだしてから急に態度でかくなりやがって……あのバカのタバコがばれた巻きぞえで、最後の大会が出場停止にされたよ」


「だから一度は殴りあっておけって。なめられてんだよ。勝ち負けじゃねえって!」


 安永の助言は大雑把すぎて、貴之をゆるく苦笑させる。


「じゃあ今度は、とにかく一発ぶっかましてみるかな……?」



 エレベーターはすべて停止していた。

 貴之たちは校舎の別の端から、階段だけで五階から薄暗い一階まで降りる。

 せいぜい数十メートルほどの遠回り。 


「なんか……静かすぎるな?」


 貴之は言い知れない圧迫感をおぼえ、小声でつぶやく。

 相馬は廊下の先に広がる中央玄関ホールを見て、困ったように笑う。


「みんなもう校庭に出ちゃったのかな?」


 安永はクンクンと鼻をならして顔をしかめた。


「なんか臭え! ……肥料みたいな?」


 貴之は自分の下駄箱へ近づき、足元の奇妙な感触へ目を向ける。

 整髪料でテカテカに固めた髪を踏んでいた。


「え……おいそれ、宮武じゃねえか!?」


 安永の大声がホールに響く。

 異変の範囲が広すぎて、違和感の原因に気がつくのが遅れた。

 段差下の床全体に半透明の粘液が敷きつめられ、半ば溶けこんだ人の顔がちらほらと見えている。

 ボウズ頭の男子も顔半分だけ浮かべ、貴之のつま先を虚ろに見つめていた。

 異様すぎる光景に、貴之は喉がしぼむのを感じた。

 背後の床面がズルリと動きはじめたことには気がつけない。

 貴之たちとは逆方向の廊下から、多くの話し声が近づいてくる。


「やっぱまだ早すぎない?」


「だいじょうぶだって。ほら、もうB組ほとんどいないじゃん」


 校内放送のスピーカーがガリガリと雑音を立て、けだるそうな男の声が流れた。


『C、C組。C組もみんな、移動……してください』


「ほらね? ……えっ?」


 C組の学級委員は下駄箱へ近づこうとして、天井からぶら下がった奇妙な物体に気がつく。

 貴之と相馬も、ほぼ同時に気がついて見上げた。

 あおむけになった安永が口から大量の血を吐き、白目をむいている。

 脚のような太さの管が腹を貫通し、ゆっくりと持ち上げていた。

 貴之と相馬は絶句する。

 C組の学級委員が悲鳴を上げ、その頭部は上半分を『太い管』にたたき飛ばされた。




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