赤坂の食事会
急な誘いだった
その誘いは突然だった。
「食事会?」
「ええ、シナガワ。今度、ハルと私とあと二人で食事会をするのだけれど。どうかしら」
汐里の誘いは、形がどうであれ嬉しかった。元々は婚約までしていた身、未練がどこかに残ってるのだろう。降ってきた幸福に実感が湧かないが、とりあえず予定表を見る。
「その日は空いている」
「わかったわ。全員に伝えておく」
そして、当日。赤坂の一等地に集められた俺は目を疑った。
汐里が、記憶喪失前からメディアに勤めているのは知っている。だが、問題はそこではない。汐里の義弟である波留も着飾って、美しい女性たちと談笑している。
何だあれは……オフィスでアルハラしてる人間と同一人物なのか?
とてもではないが、そう思えない。確かに背格好は同じなのだが。
「お、孝じゃん」
向こうが俺に気づいた。軽快な声が、今は普段より浮ついて感じられる。
「あら、波留さんのお友達?」
美女の一人が、こちらに目線を投げる。緑の黒髪、とはまさしくこのことだろう。
長いそれは、艶に溢れていて滑らかだが眩しく感じられる。赤いドレスも、凛とした顔立ちを引き立てている。
「ええ、まあ」
柄にもない敬語を使ったせいで、波留に笑われた。
「この人は同僚の品川孝」
「……品川?」
波留の紹介に引っかかったのか、美女の表情が曇る。
俺、この人に何かしたか? 初対面だと思うのだが。
「失礼、私は青山初奈。キー局の放送ディレクターをしております」
初奈は表情を正し、一礼した。
「汐里さんから、少し伺っております。品川さんのこと」
汐里の知り合いか。それなら、あの微妙な態度も頷ける。
婚約解消した男がどんなものなのか、初奈なりに考えていたのだろう。
「私のことも忘れてない?」
初奈の表情がまた曇った。随分と、露出の多い女性だ。胸元も露わだし、汐里とも初奈ともタイプが違う。
「いや、お前はさあ……」
波留が苦言を呈そうとした時だった。
「いいわ、ハル。紹介してあげて」
汐里の声がした。今日の彼女は、青いドレスを完璧に着こなしている。
波打つようなデザインは、きっと特注品なのだろう。
「わーったよ……孝、こいつは六本木心音。名前は可愛いけど実情は──」
「坊や、余計なこと言わない」
心音の有無を言わさないこの感じは、どこか汐里に似ている。
「お前は俺より年下だろうが!」
そこまで大きな声でもないが、この場では十分な効力だった。心音はふ、と笑い反論する。
「波留くんは精神年齢がね」
「ココネ、そのくらいにして頂戴。早く会食を始めたいのよ」
汐里の一喝で、この場は収まった。
「では、乾杯」
何とも静かだった。そもそも、俺は何故ここに誘われた?
汐里の亭主じゃないんだぞ。何考えてるんだ?
「暗い顔すんなよ、酒が不味くなる」
「悪い」
せめてもの救いは波留がいることだが、こいつはこいつで感情鈍麻。
いや、欠落といった方が正しいかもしれない。どこまでも空虚な男だ。
先ほどの心音とのやり取りも、周囲が望んだ形に合わせただけだろう。
あの場で真っ当な反論をすれば空気が崩れるのは、俺でもわかる。
「波留、汐里のことなんだが」
「義姉さんのこと?」
本来義弟になる予定だったこいつに、あれこれ聞くのも気が引ける。
まあ、こいつは何も感じないし問題はないのだろうが。
「どうして俺をここに呼んだんだと思う?」
「知らね」
波留の答えは明快だった。間違いなく知らない。
知っていて隠す理由もないだろう。
「義姉さんに聞けば」
彼はそう言い、ワインをぐいっと飲み干した。
それが嫌だから聞いたのだが、そこまで考えは至らないらしい。
やはり、こいつはどこか壊れている。いや、そもそもパーツが存在しないんだ。
心というパーツが。
やはり、汐里に聞くしかないのだろう。初奈のことも、心音のことも気になるがそれどころではない。
「汐里」
「シナガワ。どうしたのかしら」
一気に畳み掛ける。
「何故、俺をここに?」
ああ、そんなこと。
声には出さなかったが、汐里はそう思ったはずだ。
何年一緒にいたと思っている。彼女の心の機微は、感情欠落義弟の波留より俺の方が読み取れるはずだ。
「……シナガワも、結婚を焦る年齢でしょう」
「は?」
どうして、ここで俺の年齢の話になったんだ?
「初奈、心音。どちらも、いい女だと思うけど」
ようやく理解した。汐里が、この場に俺を呼んだ理由。
婚活パーティー、みたいなものか。
でも、汐里には見落としがあった。俺は汐里以外に興味はないし、婚約解消したとはいえ未練もある。
他の女に、興味を示すわけがない。
「……悪いが、まだそんな気分にはなれない」
「そう」
淡白な返事だった。今の汐里は、俺にさしたる興味がないのだろう。
今回の会食も、たまたま思いついただけなのかもしれない。
一気に、食欲が失せた。
俺は波留じゃない。波留なら、きっと何も思わないのだろう。
でも、俺は違う。婚約解消した女性に、他の女をパートナーとしてあてがわれる。
これを、地獄と呼ばずして何と呼ぶ?
味のしなくなった食事。波留の談笑。俺はそれに、どう心を動かせばいいのかわからなかった。
会食が終わっても、家に帰っても、心に描かれた地獄は消え去ることはなかった。




