7 何かが始まる、予感……
昼休み。
教室には、祭りが終わった直後のような熱が残っていた。
「ほら、ひまり。行ってきなって!」
数人の女子に囲まれていた日向さんが、背中を押されて俺のところにやって来る。
「あの、御影くん……」
俺は席に座ったまま、日向さんの顔を見た。
日向さんは、俯きながらしばらく口ごもっていた。
「日向さん、さっきの戦闘はありがとう」
俺が礼を言った瞬間、日向さんはばっと顔を上げる。
「そそそそんな、私の方が、ありがとう、なんだけど」
「なんで? 日向さんがなんか沢山パワーくれたから俺は」
「恥ずかしいから、あんまり、褒めないで……」
日向さんは顔を真っ赤にしながら、俺の顔の前に手のひらを突き出した。
俺はその様子を見て、一瞬にやりと笑ってしまった。
日向さんは、咳払いをして、改まったように続けた。
「……それで。お礼。何がいい?」
「お礼?」
俺が首を傾げると、日向さんは愕然としたように、目と口を大きく開いた。
「勝ったらお礼するって言ったじゃん!!」
あ、言ってたかも。
お礼、かあ。
俺は視線を上に向けてしばらく考え込む。
日向さんの呼吸が、ちょっと荒くなっているのが聞こえた。
そして俺の頭の中に、何かが下りた。
あ、そうだ。
せっかくの機会だし、じっくり聞いてみたいかも。
この学校のこと。
この世界のこと。
――御影大輔のこと。
「じゃあさ。今日の放課後、カフェに行って、おしゃべりしよう。コーヒーでも驕ってよ」
「ええ!!???!?」
日向さんは裏声で叫び、俺も驚いて肩がびくりと震えた。
「なんでそんなに驚いてんの?」
「だだ、だって、それ、デデデデ、デートみたいじゃん!」
日向さんはトーン高めの小声で返した。
「? ダメ?」
俺が尋ねると、日向さんは真っ赤な顔のまま何度かまばたきをした。
「逆に、御影くんは大丈夫なの? 私と二人でカフェって……」
「なんで? 問題ないっしょ」
俺が答えると、日向さんはなぜか教室をきょろきょろと見回した。
そして、俺に顔を近づける。
日向さんは、小声で囁くように尋ねた。
「御影くん、白金さんと付き合ってるんじゃないの? いつも、一緒に帰ってるみたいだし……」
――え?
え??
「えぇ!??!?!?」
どういうこと?
どういうことだよ、ノクス。
『さあ? 本人に、直接確かめてみたらいいんじゃないか?』
ノクスの嘲笑うような声が脳内に響いた。
いや、絶対に“事情”、知ってるやつじゃん……!
俺の鼓動が日向さんに聞こえるんじゃないかというぐらいに騒ぎ、俺は眉を寄せて奥歯をギリギリと鳴らした。
日向さんは俺の過剰な反応を見て、今にも泣きそうな顔をしていた。
「あ……もしかして、内緒、だった……? ごめん……」
俺はどう答えればいいか分からず、小さく唸った。
でも。
さっきの白金さんとの会話を思い出す。
棘のある声。
“あんたを引き摺り下ろす“という強い言葉。
――さすがに、違うだろ。
俺は誤魔化すように笑って答えた。
「いやー。俺としては、“付き合ってる”って思ってなかったからさ」
見上げると。
日向さんの顔が死んでいた。
俺を、軽蔑するような表情。
……やば。言い方間違えたかも。
「待って」
俺は思わず、日向さんに懇願するように言った。
「多分、全部、誤解だから。その辺も、放課後、話そう」
「うん」
日向さんは曖昧に頷いた。
放課後。
俺がまず向かったのは――。
白金さんのところだった。
俺はリュックを肩に掛け、白金さんの席を見た。
彼女はもう、教室にいなかった。
俺は急いで教室を出る。
廊下の隅で、一人で歩く白金さんの背中を見つけた。
さっき、あんなにボコボコにしたのに、声を掛けるのは正直気まずい。
でも、日向さんのあの“ゴミを見るような目”を払拭するには、真実を確かめて、誤解を解くしかない。
俺は意を決して、白金さんを呼び止める。
「白金さん」
白金さんは一瞬で振り返る。
その瞳には、隠しきれない警戒心があった。
「……何?」
白金さんは震える声で返した。
俺は一度深呼吸して、白金さんをまっすぐに見た。
「俺たちって、付き合ってる……の?」
俺が尋ねると、白金さんの目がこれ以上ないくらいに開く。
そして。
白金さんの顔から、首から、全身から、温度がすーっと引いていくのが分かった。
「……は…………あ……?」
白金さんの口から、声なのか呼吸なのか分からない音が漏れた。
その音は、小刻みに揺れていた。
「なんの、つもり? 私は、あんたをライバルだと思って、必死に追いかけてたのに」
白金さんは俯いて、小声で続けた。
「付き合ってる……? あんたが、勝手に、付きまとってただけでしょ?」
白金さんの端正な顔が、怒りで引き攣っていた。
「気持ち悪い」
切り捨てるような、冷たくて低い声。
白金さんは、踵を返して苛立ったようにこの場を去った。
――。
ノクス!!
俺は胸の中で叫ぶ。
『……いい、反応、だったな』
ノクスのうっとりした声が脳内に入る。
俺は呆れて全身の力が抜けた。
俺の足が、一歩、廊下を進む。
――これから、日向さんと、カフェに行くのに。
なぜか、その足が鈍のように重かった。




