2 ……で。ここはどこなんですか?
放課後になった。
教室にはまだ数人の生徒が残っている。
談笑する声、椅子を引く音。
窓の外を見ると、夕焼けに染まっていた。
俺は、自分の席に座っていた。
真っ白でシンプルな机。
これが――自分の席。
そう思った瞬間、妙な違和感が走る。
でも、この身体にとっては、自分の席なんだろう。
机の表面には、ひっかいたような細かい傷があった。
おそらく、御影大輔がここに座っていた証拠だ。
「大ちゃん、帰らないのか?」
声をかけられて顔を上げる。
短髪の男子が、鞄を肩にかけて立っていた。
「早く寮に帰らねーと、寮食のスペシャル特大唐揚げ、売り切れるぞ」
「え」
スペシャル特大唐揚げ?
俺、唐揚げ、大好き! 食べなきゃ!
……寮?
「は?」
よだれの代わりに、間の抜けた声が出た。
男子は怪訝そうに眉をひそめる。
「何だよ大ちゃん。今日ずっと変だぞ」
――おい、どういうことだよ。寮って……
俺は脳内で問いかけた。
あの“声”の主に。
『寮制度だよ』
ノクスの声が脳内に響く。
『この学校の生徒は全員、寮で生活している』
俺はノクスの声に従って寮に向かった。
寮に入った瞬間、揚げ物の匂いがした。
これは間違いなく、
「唐揚げ――」
俺は本能に従って食堂の方に向かった。
その最中、冷たい廊下で、
「大ちゃん!」
さっきの短髪の男子が、泣きそうな声で俺に呼びかけた。
「……は?」
俺はその男子を見た後、その後ろにずらりと生徒が並んでいるのに気付いた。
「……何?」
「……B組の及川が佐野先生と喧嘩したんだってよ……」
俺は首を傾げる。
その直後、廊下に野太い怒号が響いた。
「グレー寮男子! 及川が佐野先生に反抗した罰だ! 腹筋100回! 1年生は150回!」
……は?
誰だよ、及川。
「大ちゃんも、ほら、腹筋150回」
「……なんで、知らねーやつのせいで、俺たちが……?」
『ここの連中は魔術公安の卵だから、団体行動が大事なんだよ。連帯責任ってやつ』
ノクスの囁き声が、頭の中で再生される。
その声は、少し嘲笑っているように聞こえた。
「ほら、御影くんも。いくら君でも例外はないからね」
さっき野太い声で叫んでいた先輩らしき男が、俺の肩を軽く叩いた。
俺は言われるがままに腹筋をした。
久しぶりに腹筋を使った気がした。
でも、死ぬ時よりは、全然痛くなかった。
「……っはあ」
俺がようやく150回の腹筋を負えると、身体中が熱くなり、汗だくになっていた。
やっと、スペシャル特大唐揚げが、食べれる……。
ふらつく足取りで食堂に入った。
だが、スペシャル特大唐揚げは、売り切れていた。
「……終わった」
膝から力が抜ける。
床にぼたぼたと汗が落ちた。
何のために150回も腹筋したんだ。
いやマジで誰だよ及川。
「ご愁傷様」
へたり込んだ俺の頭上から、優しい声が聞こえた。
俺が立ち上がって振り向くと、柔らかく笑っている男の人が立っていた。
その余裕そうな雰囲気から、おそらく先輩だろう。
女子たちから黄色い声を浴びるタイプの。
「……なんか疲れてるね、御影くん」
その先輩っぽい人は、両手に大皿を持ちながら俺を見て笑っていた。
大皿の上には――大量の、スペシャル特大唐揚げ。
俺の目は、そっちに釘付けになる。
先輩っぽい人は、俺の視線が訴える『欲望』を察したのか、ふっと笑った。
「……仕方ないな、君には特別にあげるよ」
「まじですか」
俺の両手に、ずしりと重い大皿が乗っかった。
「ありがとう、ございます」
先輩っぽい人は俺を見て、いたずらっぽく笑う。
「御影くんは、将来の公安上層部だからね。今のうちに恩を売っといた方が良いと思って」
「……はい?」
「僕のこと、覚えておいてね。3年、ブラウン寮の寮長、藤原駆」
藤原さんは、下手くそなウインクをして去っていった。
俺は両手にスペシャル特大唐揚げの大皿を抱えたまま、ぼんやりと立っていた。
将来の、公安の上層部?
俺が?
『この学校で3年時に学年上位者になると、魔術公安試験が免除される』
ノクスの声がした。
『さらに、首席だと特別任務候補生扱いになる。要するに、公安の中でも“上”に行けるってこと』
ああ。ここ、ただの学校じゃないのか。
『だから、首席を取ってくれ。――いや、お前は既に、一番近い場所にいる』
それでもまだ、分からなかった。
なぜ、俺が、首席になる必要があるのか。
公安の上に行く意味は何なのか。
――そのために努力する意味は、あるのか。
俺は俯いたまま、何も答えられなかった。
ただ。
鼻の中を撫でるような油の匂いと、きつね色の大きな塊に意識が持って行かれる。
俺にとっては、スペシャル特大唐揚げの方が、大事な気がした。
「大ちゃん、いいなー」
肩の横から、さっきの短髪の男子が声を上げた。
「俺にも1個ちょうだい。腹減ったわ」
「1個ならいいけど」
俺はその男子を連れて、近くの席に向かい合って座った。
その男子は、テーブルに肘をついて、俺を羨望の眼差しで見ていた。
「やっぱ大ちゃん、すげーよなー。あの藤原先輩からスペシャル特大唐揚げ貰えるなんてさー」
俺はスペシャル特大唐揚げを食べながら首を傾げた。
「藤原先輩って、すごい人なの?」
「3年の首席だぞ。魔術公安のエリート街道まっしぐらだよ」
「魔術公安のエリートって、そんなすごいのか?」
「給料! あと社会的な信用!」
目の前の男子が、バン、とテーブルを強く叩いた。俺はびくりとして背筋を伸ばした。
……ていうか、この人、俺と仲良いっぽいけど、名前、誰だ?
まさか、及川じゃないだろうな。
俺が返答に困っていると、ノクスが答えた。
『そいつは川瀬亮平。御影大輔と最も親しい人間だ』
俺は、その名前を胸の中で繰り返した。
川瀬――
「亮平はさあ」
俺がなんとなく声を上げると、川瀬亮平はあり得ないぐらい目を開いた。
「大ちゃん!?」
あれ、俺、間違えた?
亮平は泣きそうな顔で俺を見つめていた。
「大ちゃん、俺のこと、やっと『亮平』って……」
あ、俺、間違えた。
でも、亮平の顔は、嬉しそうで――
少しだけ、寂しそうにも見えた。
スペシャル特大唐揚げが、ほんの少ししょっぱくなる。
ぼんやりと胸が温かくなった気がした。
『御影大輔』の居場所が、ちゃんとここにあることが分かったから。
ただ。
俺は、その居場所の“本当の持ち主”を、まだ知らない。




