19 再会と、約束
俺は休憩室に足を踏み入れた瞬間、すぐにその場に止まった。
自販機の前に、人がいた。
紺色のウェーブがかったロングヘア。
ふわりとバラのような香り。
まっすぐに伸びた背筋。
その姿は――。
「相馬、一華……さん?」
俺は思わず尋ねた。
相馬さんは俺の声に振り返り、にこりと笑った。
「先週ぶりだね。御影くん」
「あ、はい、お久しぶり、です」
喉が固まってうまく声が出ない。
頭の中がじんじんと痺れている。
それなのに、心臓はうるさく鳴っている。
相馬さんは、ココアの缶を持ったまま、俺のところに近づいてきた。
そして、俺の顔を覗き込むようにして言った。
「元気? ……顔、ちょっと赤いよ?」
「はい!!????!?」
俺は思わず後退りする。
相馬さんはクスクスと控えめに笑った。
「グレー寮、『腕立ての刑』だったもんね。お疲れ様」
その言葉に、俺はなぜかほっとしていた。
「……あぁ、はい。疲れました……」
俺の口から、理由の分からないため息が漏れた。
「御影くん、疲れてるみたいだからこれあげる」
俺の手には、相馬さんが持っていたココアの缶があった。
ほんの少し温かい。
「ぇ、いや、とんでもないです!」
俺は慌ててココアを返そうとした。
「いいの。先輩からの労りだから。……もしかして、ココア嫌い?」
「……好き、です」
俺はぼそりと答えた。
相馬さんは小さく吹き出し、俺を見て微笑んだまま言った。
「ところで御影くん。今週末、初めての奨学金支給日だけど、使い道は決めてる?」
「あい?」
俺は間抜けな声を出した。
相馬さんは俺の反応を見て笑ったまま続ける。
「それに御影くんは奨励金も多めにもらえるだろうから、結構遊べるお金増えると思うよ?」
俺はぽかんとして、相馬さんを見ていた。
ノクスが脳内で俺に声を掛けた。
『ここの生徒は毎月5万円、公安から支給される。使い道は自由だけど……寮生活じゃ満足できない衣食や交際費とか、勉強道具とか、学生らしいことに使うのを推奨されている』
毎月、5万円……!?
太っ腹じゃねえか。
俺は口を半開きにしたまま、しばらく何も答えられなかった。
「御影くん、もしかしてお金のこと全然考えてなかった?」
相馬さんは微笑みながら尋ねる。
「あ、はい。すっかり頭の中から抜けてました」
俺は俯いて答えた。
ふと、右腕の絆創膏が視界に入った。
一瞬、イチゴのような香りがする。
……日向さん。
そういえばこの前、日向さんとカフェに行ったのに、途中で台無しになったな。
リベンジ、するか。
「……あの」
俺は右腕に視線を落としたまま言った。
「なに?」
相馬さんは優しく答えた。
「この辺に、いい感じのカフェとか、ありませんか?」
俺が尋ねると、相馬さんが静かに笑う声が聞こえた。
「う~ん。大通りから一本外れたとこにある、『Pausa』ってお店、いいと思うよ。あんまり混んでなくて、大人のお客さんが多いけど。何よりも、コーヒーの好みを言うと、マスターが良い感じにブレンドしてくれるの!」
相馬さんは嬉しそうに語っていた。
「へえ……。そのお店って、なんか、呪文みたいな感じの甘い飲み物、置いてたりします?」
俺は思わず尋ねた。
この前日向さんが頼んでいたやつ。
「あ~……。私もよく分からないな」
相馬さんはそう答えて、口元を少し上げた。
「もしかして、女の子と一緒に行く予定?」
俺は肩を強張らせた。
「あ、はい。友達、ですけど」
「ふーん」
相馬さんは目を細めた。
「……じゃあ、一緒に『偵察』しに行く?」
「え」
俺の心臓は、なぜか高鳴っていた。
相馬さんは、長い髪を揺らして続けた。
「明日の実習終わりとか、どう? 夕方5時頃になるけど」
正直、行きたい。
でもこれ、裏切りにならないか?
……いや、別に誰かを裏切ってるわけじゃないだろ。
だってこれは、日向さんを満足させるための『偵察』であって……。
「明日夕方5時、大丈夫です!」
俺ははっきりと答えた。
相馬さんはにこりと笑って、右手の小指のスマートリングに触れた。
「うん、ありがとう。それじゃ、明日の夕方5時、『Pausa』ってお店ね」
相馬さんは、手元に映し出した仮想モニター画面を見ながら、「あ」と小声を出した。
「御影くん、連絡先交換しよう」
その言葉に、俺は条件反射のように小指のスマートリングを差し出した。
俺の手元の仮想画面に、“相馬一華”という文字が表れる。
俺はその画面に目を奪われていた。
「ありがとね! それじゃ、明日よろしく!」
相馬さんは明るく言い残して、休憩室を出て行った。
「あ! ココアありがとうございます!」
俺は慌てて、部屋を出て行く相馬さんに声を掛けた。
休憩室には、微かなバラのような香りが残っていた。




