24 陽だまり亭の新しい常連客
1 静かな昼時
先王陛下との約束から、数日が経った。
陽だまり亭はいつも通り、昼時で賑わっている。
「トムさん、いつもの!」
ガレスさんが大きな声で言う。
「はいはい」
父さんが厨房から返事をする。
グレゴリーさんとエリアスさんも、いつもの席に座っている。
いつもの風景。
でも、私の心は少しそわそわしていた。
先王陛下は、いつ来るんだろう。
変装して、この店に。
本当に来るのかな。
2 老人の来店
その時、扉が開いた。
「こんにちは」
低い、穏やかな声。
私は顔を上げた。
1人の老人が立っている。
質素な服。
商人風の帽子。
でも、その立ち姿には品がある。
私と父さんは、一瞬で気づいた。
先王陛下だ。
でも、私たちは素知らぬ顔をした。
「やあ、初めての方かい?」
ガレスさんが気さくに声をかける。
「ええ。この店が良いと聞いて」
「そうそう、ここは美味いよ」
グレゴリーさんも笑う。
誰も気づいていない。
変装は、成功している。
3 注文と会話
「いらっしゃいませ」
私は普通に接客する。
「陛下…」
小声で言うと、先王は優しく笑った。
「今日は、ただの老人だよ」
「おすすめは何かな?」
「今日の定食がおすすめです」
「では、それを」
先王は席に座った。
常連客たちの近くの席。
「お客さん、どちらから?」
エリアスさんが尋ねる。
「王都の北の方でね。商売をしていました」
「へえ、何の商売?」
「布を扱っていました」
先王は自然に答える。
常連客たちも、すぐに打ち解けた様子だ。
4 料理の提供
私は厨房に戻った。
「父さん、いつも通りに」
「ああ」
父さんは定食を作る。
今日は、魚醤を使った煮物も入れた。
私は料理を運ぶ。
「お待たせしました」
先王の前に、定食を置く。
先王の目が輝いた。
「美味しそうだ」
箸を取り、ゆっくり味わう。
「美味しい…」
周りの常連客の会話を聞きながら、食べている。
笑顔だ。
「美味いだろう?」
グレゴリーさんが言う。
「ええ。本当に」
「トムさんの料理は最高だよ」
ガレスさんも自慢げだ。
私は嬉しくなった。
先王陛下が、楽しそうだ。
5 ヴァレリウス卿の来店
しばらくして、また扉が開いた。
「ふん。今日の昼食は…」
ヴァレリウス卿だ。
いつものように、店に入ってくる。
そして。
先王と目が合った。
卿の顔が固まる。
口が開く。
「へ、へ…!!」
母さんが慌ててヴァレリウス卿の口を塞ぐ。
(むぐっ)
「ヴァレリウス卿!」
父さんが卿の肩を掴む。
「こちらへどうぞ!」
母さんが強引に卿を店の奥に引っ張る。
「どうしたんだ?」
常連客たちが不思議そうに見ている。
「いえ、何でもありませんよ」
父さんが笑顔で答えた。
卿は目を白黒させている。
6 裏での説明
私たちはヴァレリウス卿を、厨房の裏に連れて行った。
「な、何故先王陛下がこのような場所に!?」
卿が小声で言う。
「実は…」
父さんが事情を説明した。
先王の食欲不振。
孤独の問題。
一緒に食事をする楽しさ。
そして、店に来たいという申し出。
「…なるほど」
ヴァレリウス卿は理解したようだった。
「それで、変装を」
「はい。誰にも気づかれないように」
「しかし、護衛は?」
「いると思います。遠くから」
父さんが言った。
ヴァレリウス卿は少し考えてから、頷いた。
「分かった。私も、知らぬふりをしよう。だが、陛下の近くでお守りしよう」
「ありがとうございます」
私は頭を下げた。
7 先王の誘い
店に戻ると、ヴァレリウス卿は店の隅に立った。
じっと先王を見守っている。
先王が気づいて、手招きした。
「ヴァレリウス」
「はっ」
卿が直立不動になる。
「そんなところに立っていないで、こちらに座りなさい」
「し、しかし!」
「命令だ」
先王は優しく笑った。
「…っ」
ヴァレリウス卿がたじたじになる。
「お前と食事がしたい」
「陛下…」
卿は、恐る恐る先王の前に座った。
8 食事
「し、失礼します…」
ヴァレリウス卿の背筋がピンと伸びている。
いつもと全然違う。
「固いな、ヴァレリウス」
「滅相もございません」
「ここでは私はただの老人だ。リラックスしなさい」
「は、はぁ…」
でも、全然リラックスできていない様子。
「ヴァレリウス卿、いつもの定食をお持ちしますね」
父さんが言った。
「あ、ああ…頼む」
卿が珍しく動揺している。
9 徐々にリラックス
私は定食を運んだ。
2人は食事を始めた。
「そういえば、お前の孫はどうしている?」
「はっ、元気にしております」
「そうか。いくつになった?」
「6歳です。リナと同じ年頃です」
「時が経つのは早いな」
「…はい」
少しずつ、卿の表情が和らいでいく。
「このスープ、美味いな」
「…はい」
会話が続く。
ヴァレリウス卿も、少しずつ食べている。
「…陛下」
「ん?」
「このスープ、美味でございます」
「だろう? リナの出汁だ」
「えへへ」
私は嬉しくなった。
「…リナの腕は、確かなものだな」
ヴァレリウス卿が、珍しく柔らかく笑った。
10 完食と帰宅
食事を終えた先王は、満足そうな顔をしていた。
「美味しかった」
完食だ。
「また来てくださいよ」
ガレスさんが言う。
「ええ。ぜひ」
「次は一緒に飲みましょう」
グレゴリーさんも笑う。
「それは楽しみだ」
先王とヴァレリウス卿は、店を出た。
2人並んで歩いていく。
その後ろ姿を見て、私は思った。
先王陛下、本当に楽しそうだった。
11 エピローグ
店の中で、私たちは顔を見合わせた。
「驚いたわね」
「ああ。でも、良かったね」
「陛下、すごく嬉しそうだった」
数日後、ヴァレリウス卿が店に来た時。
「…驚いた」
「え?」
「先王陛下が、あんなに穏やかな表情をされるのは久しぶりだ」
「王妃様が亡くなられてから、ずっと…」
「そうだったんですか」
「お前たちは、良いことをしている」
ヴァレリウス卿は真剣な顔で言った。
「私も、時々店内での護衛に加わらせてもらう」
「はい!」
私は笑顔で答えた。
先王陛下が、また来る。
きっと、もっと笑顔になる。
料理で、人を幸せにする。
それが、私の目標だ。




