20 先王の食卓
1 料理長の相談
王宮2日目。
私と父さんは、昨日と同じように厨房に案内された。
「おはよう、リナ殿、トム殿」
セバスティアン料理長が迎えてくれた。
「おはようございます」
私たちは頭を下げる。
「実は、困っている問題がある」
セバスティアン料理長は真剣な表情で言った。
「先王陛下のことだ」
「先王陛下?」
私は聞き返した。
「ああ。5年前に退位され、今は王宮の離れで静かに暮らしておられる」
「はい」
「だが、最近…ほとんど食事を召し上がらない」
父さんと私は顔を見合わせた。
「最初は普通に食べておられた。だが、半年ほど前から徐々に減っていき、今では1日に数口程度だ」
セバスティアン料理長は困った表情をしている。
「体重も落ちている。侍医も診たが、特に病気ではないという」
「病気、ではないんですか?」
私が尋ねる。
「ああ。だから、余計に原因が分からない」
「では、なぜ…」
「それを、お前たちに見てもらいたいのだ」
セバスティアン料理長は私たちを真っ直ぐ見た。
「しかし、私たちは庶民で…」
父さんが戸惑う。
「だからこそだ。我々は王宮の常識に縛られている」
セバスティアン料理長は言った。
「お前たちの新しい視点が、何か見つけるかもしれない」
私は少し考えた。
食欲不振。
病気ではない。
なぜだろう。
2 先王との対面
私たちはセバスティアン料理長に案内され、王宮の離れに向かった。
静かな庭を抜ける。
本宮から少し離れた、小さな建物が見えた。
本宮に比べると少し質素だが、品がある。
「こちらが、先王陛下のお住まいだ」
扉の前に立つ侍女が、中に声をかける。
「先王陛下、料理人たちが参りました」
「ああ、入りなさい」
優しい声が聞こえた。
私たちは部屋に入る。
そこには、1人の老人が座っていた。
70代くらいだろうか。
白髪で、痩せている。
でも、穏やかな表情。
優しい目をしている。
「陽だまり亭の料理人、トムと申します」
父さんが丁寧に頭を下げる。
「娘のリナです」
私も真似して頭を下げた。
「よく来たね。セバスティアンから聞いているよ」
先王は優しく微笑んだ。
「7歳とは思えぬ知識を持つ少女だと」
「えっと…」
私は恥ずかしくなった。
「緊張しなくていい。私はただの老人だよ」
先王の言葉で、少し緊張がほぐれた。
私は部屋を見回した。
清潔で、整っている。
でも、何だか寂しい雰囲気がある。
窓から見える庭。
壁にかかった絵。
そして、部屋の隅にある小さなテーブル。
3 観察
「あの、陛下は…どんな時に食べられないんですか?」
私が尋ねると、先王は少し考えた。
「どんな時、か」
「実は…味がしないんだよ」
「味が?」
「何を食べても、同じに感じる」
先王は寂しそうに笑った。
「昔は、食事が楽しみだった。でも今は…」
味がしない。
私は前世の記憶を探った。
加齢による味覚の変化。
特に、塩味に鈍感になる。
でも、それだけかな?
私は先王を見た。
痩せている。
疲れている。
でも、病気ではない。
何か、他にも原因がある気がする。
「父さん」
私は小声で父さんに話しかけた。
「旨味を強くした料理を作ってみない?」
「旨味?」
「塩味じゃなくて、出汁の旨味。それなら、感じられるかもしれない」
「なるほど」
父さんが頷いた。
4 最初の試み
私たちは、離れの小さな厨房を借りた。
「いつもより、濃い出汁で作ろう」
父さんが言う。
「うん」
私は昆布と鰹節を準備する。
いつもより多めに使う。
出汁を取る。
濃い、濃い出汁だ。
「野菜の甘みも引き出そう」
父さんがゆっくり煮込む。
私は茶碗蒸しを作った。
出汁をたっぷり使った、優しい味。
柔らかく煮た魚も添える。
「できたよ」
私たちは料理を先王に運んだ。
「どうぞ、お召し上がりください」
「ありがとう」
先王がスプーンを取る。
まず、茶碗蒸しを一口。
先王の表情が、少し変わった。
「…美味しい」
私は嬉しくなった。
「久しぶりに、味を感じた気がする」
先王はもう一口食べた。
スープも、魚も。
でも、数口でカトラリーを置いた。
「すまないな。もう、お腹がいっぱいなんだ」
「…」
私は複雑な気持ちになった。
少しは食べてくれた。
でも、まだ足りない。
5 リナの気づき
離れを出て、庭を歩く。
「少しは食べてくれたね」
父さんが言った。
「でも…」
「ん?」
「父さん、陛下の部屋、気づいた?」
「何を?」
「食事をされていたテーブル、1人用のサイズだった」
私は立ち止まった。
「味の問題だけじゃない」
「リナ?」
「陛下は、1人で食べているから…」
私は前世を思い出した。
1人暮らしの時。
どんなに美味しいものを作っても、1人で食べると味気なかった。
「誰かと一緒に食べる楽しさがないんだ」
「確かに…王妃様は5年前に亡くなられたと聞いている」
父さんが静かに言った。
「それから、ずっと1人なのかもしれないね」
「寂しい…」
私は胸が痛くなった。
6 セバスティアンへの報告
王宮の厨房に戻り、セバスティアン料理長に報告した。
「どうだった?」
「旨味を強くした料理は、少し召し上がってくださいました」
父さんが答える。
「それは良かった」
「でも…」
私が口を開く。
「でも?」
「味の問題だけじゃない気がします」
セバスティアン料理長は真剣な表情で聞いている。
「陛下は、1人で食事をされています」
「…そうだな」
「誰かと一緒に食べる楽しさが、ないんだと思います」
セバスティアン料理長は深く息を吐いた。
「お前は賢いな、リナ殿」
「確かに、王妃様が亡くなられてから、陛下はずっとお1人だ」
「我々料理人も、毎日料理を運ぶだけで…」
「一緒に食べることは?」
私が尋ねる。
「身分が違いすぎて、とても…」
セバスティアン料理長は困った表情をした。
身分の違い。
それが、先王陛下を1人にしているんだ。
7 エピローグ
陽だまり亭へ帰る馬車の中。
私は窓の外を見ながら考えていた。
先王陛下は、寂しいんだ。
美味しい料理も、1人で食べたら楽しくない。
前世で、1人暮らしの時を思い出す。
どんなに美味しいものも、1人だと味気なかった。
「父さん、何かできないかな」
「何か?」
「陛下が、楽しく食事できる方法」
父さんは少し考えてから、優しく笑った。
「そうだね…考えてみよう」
明日も、先王陛下のところへ行く。
もっと話を聞いてみよう。
きっと、何か見つかるはず。
私は決意した。




