17 固くなるパンの謎
1 繁盛する麦の穂亭
リナの誕生日から3日が経った。
私と父さんは、朝の市場へ食材を買いに出かけた帰り道、ハンスさんの店「麦の穂亭」の前を通りかかった。
「すごい行列だね」
私は思わず声を上げた。
店の前には、朝早くから人が並んでいる。
20人以上はいるだろうか。
みんな、ふわふわパンを買うために待っているのだ。
「ああ。ハンスの努力が実ったね」
父さんが満足そうに頷く。
「リナちゃん、トムさん!」
店の中からハンスさんが飛び出してきた。
小麦粉がついたエプロン姿で、顔には大きな笑顔。
「おかげさまで、連日売り切れです!」
「良かったですね!」
私も嬉しくなった。
「見習い職人も2人雇いました。それでも追いつかないくらいで」
ハンスさんは幸せそうだった。
「これも全てリナちゃんとトムさんのおかげです。本当にありがとうございます」
「いや、ハンスが頑張ったからだよ」
父さんが言う。
私は店の中を見た。
忙しく働く人々。
次々と焼き上がるパン。
幸せそうな客たち。
前世では、パンは当たり前だった。
コンビニでもスーパーでも、いつでも買えた。
でもこの世界では、こんなに喜ばれるんだ。
私の前世の知識が、こんなにも人を幸せにできる。
それが嬉しかった。
2 最初の苦情
翌日、陽だまり亭の厨房で調理をしていると、ハンスさんが訪ねてきた。
いつもと違って、深刻な顔をしている。
「どうしたんだい?」
父さんが心配そうに聞く。
「実は…困ったことになりまして」
ハンスさんは言いにくそうに口を開いた。
「昨日買ったパンが、翌日石のように固くなったという苦情が…」
「え?」
私は驚いた。
「3人の客から同じ苦情が来たんです」
「3人も?」
「ええ。みんな『翌日の朝に気づいた』と。『石のように固い』『ライ麦パンより固い』『ナイフも通らない』と言われました」
ハンスさんは困り果てた様子だった。
「でも、同じ日に買った他の客からは苦情が来てないんですよね?」
私が尋ねると、ハンスさんは頷いた。
「その通りなんです。むしろ『翌日も柔らかくて美味しい』という声もあって」
「同じパンなのに?」
父さんが首を傾げる。
「はい。同じ窯で、同じ時間に焼いたパンなのに…」
おかしい。
私は考え込んだ。
同じパンが、ある客のところでは固くなり、別の客のところでは柔らかいまま。
パンの問題じゃない。
何か別の要因がある。
「ハンスさん、その3人のお客さんに共通点はありますか?」
「共通点…?」
ハンスさんが考える。
「みんな商人風の身なりでした。比較的裕福そうでしたが、貴族ではありません」
「他には?」
「うーん…特に思い当たることは…」
私は前世の記憶を探った。
パンが固くなる原因…
3 増える苦情
さらに翌日、事態は悪化していた。
ハンスさんから連絡を受けて、私たちは麦の穂亭に駆けつけた。
店の前には、苦情を言いに来た客が5人ほど集まっていた。
「昨日買ったパンが、今朝には固くなっていた!」
一人の商人が怒鳴る。
「私もです!せっかく高いお金を払ったのに!」
「これじゃライ麦パンと変わらない!」
ハンスさんは何度も頭を下げている。
「申し訳ございません。でも、作り方は一切変えていませんし…」
「言い訳は結構!返金してくれ!」
私は客たちを観察した。
全員が商人風の身なり。
比較的裕福そう。
でも貴族ではない。
そして…
「あのう、皆さんはパンをどこに保管していましたか?」
私が口を開くと、客たちの視線が集まった。
「え?保管?普通に家に置いておいたが」
「どんな場所ですか?」
「地下の貯蔵庫だ。食材はそこに保管するのが当然だろう」
地下の貯蔵庫。
涼しい場所。
私の脳裏に、前世の記憶が蘇った。
そうだ。
確か、パンは冷蔵庫に入れちゃダメだって…
「他の方も、地下の貯蔵庫ですか?」
私が尋ねると、5人全員が頷いた。
「ああ、そうだ」
「私もです」
「当然でしょう。涼しい場所の方が保存が効く」
これだ!
私は確信した。
4 仮説と実験
客たちを納得させて帰ってもらった後、私たちは陽だまり亭の厨房に集まった。
「リナ、何か分かったのかい?」
父さんが尋ねる。
「もしかして、パンを冷たい場所に置くと固くなるのかも」
「冷たい場所?」
ハンスさんが驚いた顔をする。
「でも、冷やせば保存が効くんじゃないですか?」
「それがライ麦パンなら良いんですけど、小麦のパンは違うのかも」
私は前世の記憶を整理する。
デンプンの老化。
冷蔵庫に入れたパンが固くなる理由。
でも、この世界にはまだ冷蔵庫なんてない。
だから誰も知らない。
「実験してみましょう」
私が提案する。
「同じパンを、暖かい場所と冷たい場所で保存して比べてみるんです」
「なるほど!」
ハンスさんの目が輝いた。
「それで原因が分かれば…」
「そうだね。そして、正しい保存方法を教えられる」
私たちは早速準備を始めた。
ハンスさんが、今日焼いたばかりのパンを2つ持ってきた。
同じパン種、同時に焼いた全く同じパン。
「これを、2つの場所に置きます」
私が説明する。
「A:常温。厨房の棚に置きます」
「B:涼しい場所。地下倉庫に置きます」
「分かったよ」
父さんとハンスさんが頷く。
私たちは慎重にパンを2つの場所に置いた。
「明日の朝、結果を見ましょう」
「これで原因が分かるといいんですが…」
ハンスさんが不安そうに言う。
「きっと分かるよ」
私は自信を持って答えた。
前世の知識が正しければ、明日の朝には答えが出る。
小麦のパンは、冷やすと固くなる。
それを、この世界の人たちに教えることができる。
私は期待と緊張で、胸がドキドキした。




