表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/32

13 冬支度と保存食の知恵

市場に母さんと買い出しに行った朝、私は野菜売りの店主たちが困った顔で話しているのを見かけた。


「今年は冷え込みが早いからな。もうすぐ、まともな野菜が手に入らなくなる」

「ああ、冬の間は値段も倍になる。庶民には手が出ないよ」


母さんも、野菜の値札を見て小さくため息をついた。

いつもなら気軽に買える大根やキャベツが、既に値上がりし始めている。


「リナ、今のうちに少し多めに買っておかないとね」


母の言葉に、私は頷いた。

しかし、多めに買っても、すぐに傷んでしまう。

この世界には、野菜を長期保存する技術が乏しいのだ。


(前世では、冬でも野菜を食べられたのに......)


私の頭の中で、佐藤美咲の記憶が呼び起こされる。

漬物。

乾燥野菜。

冷凍保存。

前世の日本では当たり前だった、様々な保存技術。


(そうだ。この世界にも、きっと使える方法があるはず)


買い物を終えて店に戻ると、既に昼時の準備が始まっていた。


カウンター席には常連のヴァレリウス卿が座っていた。

彼は、父さんの作った野菜のスープを飲みながら、満足そうに頷いている。


「うむ、やはりこの店のスープは格別だな」

「ありがとうございます。でも、もうすぐ冬になると、新鮮な野菜が手に入りにくくなるんですよ」


父がそう言うと、ヴァレリウス卿は少し懐かしそうな顔をした。


「冬か。昔、冬の遠征に出た時は、野菜などほとんど食えなかったものだ。保存のきく干し肉と、固いパンだけが頼りだった」


その言葉を聞いて、私ははっとした。


「ヴァレリウス卿、遠征の時、野菜は本当に全く食べられなかったんですか?」

「いや、たまに干した野菜を水で戻して食べることはあった。それから、塩漬けにした野菜も、行商人から手に入れることがあったな」


塩漬け。

干し野菜。

やはり、この世界にも保存食の概念は存在する。

ただ、一般的には広まっていないだけだ。


私は、厨房に入っていく父の背中を見つめた。


(父さんなら、きっとできる)


その日の夜、店じまいを終えて厨房を片付けていると、ようやく父さんと二人きりになれた。

今なら、ゆっくり話ができる。

私は、まな板を拭いている父さんに声をかけた。


「父さん、冬でも美味しい野菜を食べられる方法、試してみない?」


父さんは、まな板を拭く手を止めて、私の方を見た。


「冬でも野菜を? どうやって?」

「野菜を、長く保存する方法だよ。塩に漬けたり、干したりするの」


私の言葉に、父さんは少し考え込んだ。


「塩漬けか......。確かに、肉や魚は塩漬けにするが、野菜でもできるのか?」

「できるよ。それに、干した野菜も、水で戻せば美味しく食べられるはず」


父さんの目に、いつもの料理人としての好奇心が灯った。


「面白いな。やってみよう」


次の日は、朝から市場へ向かった。今日は野菜を大量に仕入れる必要がある。

私たちは市場で、これから値上がりする前の野菜を大量に買い込んだ。

白菜、大根、キャベツ、人参。

それらを店の裏庭に広げ、保存食作りを始めた。

まずは、塩漬けから。


「リナ、どれくらい塩を使えばいいんだ?」


父さんが、大きな樽と塩の袋を前に、私に尋ねる。


「野菜の重さの、だいたい三パーセントくらいかな。でも、最初は少し多めに試してみて、父さんが一番美味しいと思う塩加減を見つけてほしいの」


私の言葉に、父さんは頷いた。

父さんは、白菜を丁寧に洗い、一枚一枚の葉の間に塩を振っていく。

その手つきは、いつもの料理を作る時と同じ、真剣そのものだった。


「塩が多すぎると、しょっぱくなりすぎる。少なすぎると、保存がきかない。これは、火加減と同じだな」


父さんは、何度も塩の量を調整しながら、いくつかの樽に白菜を漬け込んでいった。


次は、乾燥野菜。

人参や大根を薄く切り、それを日当たりの良い場所に干していく。

この作業は、私も手伝った。


「リナ、これ、本当に美味しくなるの?」


干している野菜を見て、母さんが不安そうに尋ねる。


「大丈夫。水で戻したら、ちゃんと柔らかくなるし、甘みも増すはずだよ」


私の言葉を信じて、母さんも手伝ってくれた。

こうして、陽だまり亭の裏庭には、色とりどりの野菜が、冬の日差しを浴びて干されることになった。


それから一週間。

毎日、父さんは塩漬けの樽を覗いては、野菜の様子を確かめていた。

漬け込みの時間、塩の浸透具合、香りの変化。

すべてを見極めようとする、料理人の真剣な眼差しだった。


そして、ついにその日が来た。

塩漬けの白菜が食べ頃になったのだ。


父さんが樽から取り出した白菜は、ほんのりと黄色く色づき、独特の香りを放っていた。

それを水で軽く洗い、食べやすい大きさに切る。


「さて、どうだろう......」


父さんが一口食べて、目を見開いた。


「これは......! しょっぱすぎず、ちょうどいい塩加減だ。それに、野菜の甘みが引き出されている」


私も一口もらって食べてみる。

シャキシャキとした食感は残っており、塩気と野菜の旨味が口の中に広がる。

これは、前世で食べた浅漬けに近い味だ。


「父さん、すごい。塩加減、完璧だよ」


私の言葉に、父さんは嬉しそうに笑った。


「何度も試してみたからな。これなら、冬でも美味しい野菜が食べられる」


乾燥野菜も、試してみた。

カラカラに乾いた人参を、水で戻してスープに入れる。

すると、人参は柔らかく戻り、むしろ甘みが凝縮されて、いつもより濃厚な味わいになっていた。


「これもいいな。乾燥させることで、保存がきくだけじゃなく、味も良くなる」


父さんの顔は、新しい発見に満ちていた。

保存食の完成を確認した父さんは、さっそく店のメニューに加えることを決めた。

新しい料理への挑戦に、父さんの目は輝いている。


その日の夕方、私たちは新しいメニューとして、塩漬け白菜のスープと、乾燥野菜の煮込みを店に出した。

常連客たちは、最初は「塩漬けの野菜?」と訝しげな顔をしたが、一口食べると、驚きの声を上げた。


「なんだこれ、めちゃくちゃ美味いじゃないか!」

「塩気がちょうど良くて、スープとよく合う!」


ヴァレリウス卿も、塩漬け白菜のスープを飲んで、深く頷いた。


「これは......戦場で食べた塩漬け野菜を思い出すが、あれよりずっと美味い。実用的で、なおかつ美味。素晴らしい」


その言葉に、父さんは照れくさそうに笑った。


「リナのアイデアを、形にしただけですよ」

「いや、アイデアだけでは、この味は出せん。お前の腕があってこそだ」


ヴァレリウス卿の言葉に、父さんは少し誇らしげな顔をした。



陽だまり亭の保存食が評判になると、近隣の料理人たちも興味を持ち始めた。

数日後、近隣の定食屋や居酒屋の主人たちが、陽だまり亭を訪れるようになった。


「なあ、あんたんとこの塩漬け野菜、どうやって作ってるんだ? うちでも試してみたいんだが」


父は、快く塩漬けと乾燥野菜の方法を教えた。

ただし、最も重要な「塩加減」と「漬け込み時間の見極め」については、少しだけぼかして伝えた。

それは、料理人としての企業秘密だからだ。


「あとは、自分で何度も試して、一番美味しいと思う塩加減を見つけることだな」


父さんのアドバイスに、他の料理人たちは真剣に頷いた。



こうして、陽だまり亭発の「保存食技術」は、王都の下町にじわじわと広がり始めた。

そして、冬が来ても、庶民が美味しい野菜を食べられる、小さな革命が起きたのだった。



それから数週間が経ち、冬の気配が日に日に濃くなってきた頃のことだ。

ある日の夕方、厨房で父さんと並んで野菜を干していると、父さんがふと私に言った。


「リナ、お前のアイデアを形にするのが、最近すごく楽しいんだ」


その言葉に、私は顔を上げた。


「父さんが、ちゃんと美味しく作ってくれるから、私のアイデアが活きるんだよ」


父さんは、私の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「これからも、一緒に美味しいもの、作っていこうな」

「うん!」



冬の訪れを前に、陽だまり亭の厨房は、いつにも増して温かい空気に包まれていた。

そして、干された野菜が、冬の日差しを浴びてきらきらと輝いている。

今日も、陽だまり亭には、美味しい料理と、温かい笑顔が溢れているのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ