13 冬支度と保存食の知恵
市場に母さんと買い出しに行った朝、私は野菜売りの店主たちが困った顔で話しているのを見かけた。
「今年は冷え込みが早いからな。もうすぐ、まともな野菜が手に入らなくなる」
「ああ、冬の間は値段も倍になる。庶民には手が出ないよ」
母さんも、野菜の値札を見て小さくため息をついた。
いつもなら気軽に買える大根やキャベツが、既に値上がりし始めている。
「リナ、今のうちに少し多めに買っておかないとね」
母の言葉に、私は頷いた。
しかし、多めに買っても、すぐに傷んでしまう。
この世界には、野菜を長期保存する技術が乏しいのだ。
(前世では、冬でも野菜を食べられたのに......)
私の頭の中で、佐藤美咲の記憶が呼び起こされる。
漬物。
乾燥野菜。
冷凍保存。
前世の日本では当たり前だった、様々な保存技術。
(そうだ。この世界にも、きっと使える方法があるはず)
買い物を終えて店に戻ると、既に昼時の準備が始まっていた。
カウンター席には常連のヴァレリウス卿が座っていた。
彼は、父さんの作った野菜のスープを飲みながら、満足そうに頷いている。
「うむ、やはりこの店のスープは格別だな」
「ありがとうございます。でも、もうすぐ冬になると、新鮮な野菜が手に入りにくくなるんですよ」
父がそう言うと、ヴァレリウス卿は少し懐かしそうな顔をした。
「冬か。昔、冬の遠征に出た時は、野菜などほとんど食えなかったものだ。保存のきく干し肉と、固いパンだけが頼りだった」
その言葉を聞いて、私ははっとした。
「ヴァレリウス卿、遠征の時、野菜は本当に全く食べられなかったんですか?」
「いや、たまに干した野菜を水で戻して食べることはあった。それから、塩漬けにした野菜も、行商人から手に入れることがあったな」
塩漬け。
干し野菜。
やはり、この世界にも保存食の概念は存在する。
ただ、一般的には広まっていないだけだ。
私は、厨房に入っていく父の背中を見つめた。
(父さんなら、きっとできる)
その日の夜、店じまいを終えて厨房を片付けていると、ようやく父さんと二人きりになれた。
今なら、ゆっくり話ができる。
私は、まな板を拭いている父さんに声をかけた。
「父さん、冬でも美味しい野菜を食べられる方法、試してみない?」
父さんは、まな板を拭く手を止めて、私の方を見た。
「冬でも野菜を? どうやって?」
「野菜を、長く保存する方法だよ。塩に漬けたり、干したりするの」
私の言葉に、父さんは少し考え込んだ。
「塩漬けか......。確かに、肉や魚は塩漬けにするが、野菜でもできるのか?」
「できるよ。それに、干した野菜も、水で戻せば美味しく食べられるはず」
父さんの目に、いつもの料理人としての好奇心が灯った。
「面白いな。やってみよう」
次の日は、朝から市場へ向かった。今日は野菜を大量に仕入れる必要がある。
私たちは市場で、これから値上がりする前の野菜を大量に買い込んだ。
白菜、大根、キャベツ、人参。
それらを店の裏庭に広げ、保存食作りを始めた。
まずは、塩漬けから。
「リナ、どれくらい塩を使えばいいんだ?」
父さんが、大きな樽と塩の袋を前に、私に尋ねる。
「野菜の重さの、だいたい三パーセントくらいかな。でも、最初は少し多めに試してみて、父さんが一番美味しいと思う塩加減を見つけてほしいの」
私の言葉に、父さんは頷いた。
父さんは、白菜を丁寧に洗い、一枚一枚の葉の間に塩を振っていく。
その手つきは、いつもの料理を作る時と同じ、真剣そのものだった。
「塩が多すぎると、しょっぱくなりすぎる。少なすぎると、保存がきかない。これは、火加減と同じだな」
父さんは、何度も塩の量を調整しながら、いくつかの樽に白菜を漬け込んでいった。
次は、乾燥野菜。
人参や大根を薄く切り、それを日当たりの良い場所に干していく。
この作業は、私も手伝った。
「リナ、これ、本当に美味しくなるの?」
干している野菜を見て、母さんが不安そうに尋ねる。
「大丈夫。水で戻したら、ちゃんと柔らかくなるし、甘みも増すはずだよ」
私の言葉を信じて、母さんも手伝ってくれた。
こうして、陽だまり亭の裏庭には、色とりどりの野菜が、冬の日差しを浴びて干されることになった。
それから一週間。
毎日、父さんは塩漬けの樽を覗いては、野菜の様子を確かめていた。
漬け込みの時間、塩の浸透具合、香りの変化。
すべてを見極めようとする、料理人の真剣な眼差しだった。
そして、ついにその日が来た。
塩漬けの白菜が食べ頃になったのだ。
父さんが樽から取り出した白菜は、ほんのりと黄色く色づき、独特の香りを放っていた。
それを水で軽く洗い、食べやすい大きさに切る。
「さて、どうだろう......」
父さんが一口食べて、目を見開いた。
「これは......! しょっぱすぎず、ちょうどいい塩加減だ。それに、野菜の甘みが引き出されている」
私も一口もらって食べてみる。
シャキシャキとした食感は残っており、塩気と野菜の旨味が口の中に広がる。
これは、前世で食べた浅漬けに近い味だ。
「父さん、すごい。塩加減、完璧だよ」
私の言葉に、父さんは嬉しそうに笑った。
「何度も試してみたからな。これなら、冬でも美味しい野菜が食べられる」
乾燥野菜も、試してみた。
カラカラに乾いた人参を、水で戻してスープに入れる。
すると、人参は柔らかく戻り、むしろ甘みが凝縮されて、いつもより濃厚な味わいになっていた。
「これもいいな。乾燥させることで、保存がきくだけじゃなく、味も良くなる」
父さんの顔は、新しい発見に満ちていた。
保存食の完成を確認した父さんは、さっそく店のメニューに加えることを決めた。
新しい料理への挑戦に、父さんの目は輝いている。
その日の夕方、私たちは新しいメニューとして、塩漬け白菜のスープと、乾燥野菜の煮込みを店に出した。
常連客たちは、最初は「塩漬けの野菜?」と訝しげな顔をしたが、一口食べると、驚きの声を上げた。
「なんだこれ、めちゃくちゃ美味いじゃないか!」
「塩気がちょうど良くて、スープとよく合う!」
ヴァレリウス卿も、塩漬け白菜のスープを飲んで、深く頷いた。
「これは......戦場で食べた塩漬け野菜を思い出すが、あれよりずっと美味い。実用的で、なおかつ美味。素晴らしい」
その言葉に、父さんは照れくさそうに笑った。
「リナのアイデアを、形にしただけですよ」
「いや、アイデアだけでは、この味は出せん。お前の腕があってこそだ」
ヴァレリウス卿の言葉に、父さんは少し誇らしげな顔をした。
陽だまり亭の保存食が評判になると、近隣の料理人たちも興味を持ち始めた。
数日後、近隣の定食屋や居酒屋の主人たちが、陽だまり亭を訪れるようになった。
「なあ、あんたんとこの塩漬け野菜、どうやって作ってるんだ? うちでも試してみたいんだが」
父は、快く塩漬けと乾燥野菜の方法を教えた。
ただし、最も重要な「塩加減」と「漬け込み時間の見極め」については、少しだけぼかして伝えた。
それは、料理人としての企業秘密だからだ。
「あとは、自分で何度も試して、一番美味しいと思う塩加減を見つけることだな」
父さんのアドバイスに、他の料理人たちは真剣に頷いた。
こうして、陽だまり亭発の「保存食技術」は、王都の下町にじわじわと広がり始めた。
そして、冬が来ても、庶民が美味しい野菜を食べられる、小さな革命が起きたのだった。
それから数週間が経ち、冬の気配が日に日に濃くなってきた頃のことだ。
ある日の夕方、厨房で父さんと並んで野菜を干していると、父さんがふと私に言った。
「リナ、お前のアイデアを形にするのが、最近すごく楽しいんだ」
その言葉に、私は顔を上げた。
「父さんが、ちゃんと美味しく作ってくれるから、私のアイデアが活きるんだよ」
父さんは、私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「これからも、一緒に美味しいもの、作っていこうな」
「うん!」
冬の訪れを前に、陽だまり亭の厨房は、いつにも増して温かい空気に包まれていた。
そして、干された野菜が、冬の日差しを浴びてきらきらと輝いている。
今日も、陽だまり亭には、美味しい料理と、温かい笑顔が溢れているのだった。




