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7 魔女の目覚めに勘づく者


 イニティウル王国のピスカ領は、現在ブレド公爵の治める領地であり、ピスカの森も対象外ではない。

 ブレド公爵――三十路手前にして家督を継いだばかりのクロード・ブレドは、ピスカ領の視察を終え、ただいま王都の中心に聳え立つ本城の謁見広間で、国王陛下に調査結果を報告しているところであった。

 深い藍色の髪の毛にマジェンダの瞳。キリリとした眉に高い鼻梁。イニティウルの宝石とも謳われる美貌を持つ男は、形の良い薄い唇で淡々と領地の状況を告げていく。


「ピスカ領に関し、沈黙祭を前に裏で怪しい取引をしている組織が幾らかありましたが、全て単独のもので魔女や魔法使いとの関連性はないという判断に至りました。しかしながら、気にかかることが一つ……。これはピスカの森の近隣に住む者の証言なのですが、どうやらここ最近…………」


 落ち着き払っているクロードとは対照的に、国王ウラド6世を含めた周囲の表情はみるみるうちに青くなっていく。

 そして、ついにクロードのある言葉を聞いたウラド6世の目が大きく見開かれる。

 

「――ピスカの森の霧が薄くなっただと!?」

 

 クロードの口から出た事実は、ウラド6世にとって身震いするほど恐ろしいものだ。


「まさか、そんなことが……っ」


 ウラド6世は、あまりの動揺に勢いよく玉座から腰を浮かせた。彼の右手に持つ身長よりずっと長い杖が、ダンッと大きな音を立てて謁見の間に響き渡る。

 歳を重ねることにより白く染まった髪と髭が揺れ、その隙間から覗く碧眼は不安に満ちている。

 

「666年沈黙を続けた森に異変など……」

「霧は少し薄まった程度で、森の中の様子が見えるほどではありません。注意深く観察しなければ気付かない程度でしょう。しかしながら、未だ僅かばかりとはいえ変化があったことは事実。迅速に対応すべく報告に上がりました」

「……っ、まさか、ピスカの森の魔女の力が回復しているとでもいうのか!?」


 一ヶ月ほど前、杖の先に嵌め込まれた大きな水晶がその光沢を曇らせたことで、ウラド6世は大慌てで国中の有力者らに向け、彼らの治める領地で異変がないか調査すべしとの旨の勅令を出した。期限は一ヶ月。どんな小さな変化も見逃すなと念を押し、本人はさっさと安全な城の中へ隠れてしまった。

 クロードは現在、その勅令に従い調査結果を報告しているところである。

 広間では、クロードの他にも領地を持つ有力者らがズラリと横一列で控えている。彼らもまたクロードの報告に狼狽し、伏せていた顔を上げ、目を合わせる者たちさえいた。


「なんと……!」

「ピスカ領の森といえばあの」

「『呪われた森』の舞台だったな」

「あれは御伽話なのでは――」

「いや、あの森は本当に……」


 周囲は目を虚に恐怖に怯える者ばかりだ。

 皆国の重要機関に属する者たちであり、各々家督を継ぐ際、ピスカの森の魔女の存在は事実だと告げられていたはず。しかしながらそれを信じていた者は半数にも満たない。これほどまでピスカの森のことを他人事のように捉えていたとは……。

 この様子では、帰邸後に家族を連れ他国へ避難しようとする者も出てくるだろう。


(民を守るのが我々有力者の役目とはいえ、それを理解し行動に移せる者は零に等しい、か)


 彼らの様子を眺めていたクロードは心の中でそう毒づく。

 貴族、領主、有権者……。上に立つ者の役目はこういった非常事態でこそ発揮されるべきものだというのに、その自覚がある者のなんと少ないことか。


(全くもって情けない光景だ)


 この国の行末が不安になってくる。

 ピスカの森の魔女は歴史上の大悪女とはいえ、666年前の古びた時代に生きた一人の魔女でしかない。魔法を扱える者の存在は稀少だが、発展を遂げた今日の魔女や魔法使いらの方がよほど優れているだろうに。

 だが一方で、ピスカの森の魔女というのがイニティウル王国民にとって目を剥くほど恐ろしい存在であることも承知している。その存在が御伽話の枠からはみ出した途端畏れを抱くのは、当然と言えば当然であった。


(さて、どうしようか)


 森の状態をこのままにはしておけない。

 歴史に残る大悪女が目覚めるかもしれないと広まれば、国が混乱に包まれることは避けられない。ただでさえ、水晶が曇った、ピスカの森の霧が薄くなった、これらたった二つの変化だけで凄まじい動揺を見せているのだ。混乱を最小限にとどめるためにも、早い目に手立てを打たなければならない。

 

(民を守ると一口で言っても、まずはピスカの森の魔女が目覚めないことが一番。万一魔女が目覚めてしまった場合、彼女を相手に俺一人の力で挑むのは無謀だろう。ブレドの騎士たちを加えてもどれほど通用するか判らん)


 クロードの自慢は、日々の鍛錬で鍛えた剣の腕、そしてブレドの屈強な騎士団員たちだ。皆強者揃いでなかなか腕っぷしのある者ばかりであり、特に団長のヴィンセントはこの国一番の剣士と言っても差し支えないだろう。王国の騎士団にくれてやるのはもったいくらいで、手柄に対して褒美が見合ってないと騎士爵を授けようとすれば、そんな堅苦しいものは要らないと跳ね除けてくるような騎士道一本道を突き進む男である。

 だが、ヴィンセントが特別な訳ではない。ブレドの騎士たちは、皆彼のように地位に執着せず、純粋に強くなろうと鍛錬する者ばかり集っている。クロードが心から信頼を寄せる、唯一の組織であると言ってもいい。

 だが、いくらヴィンセントを始めとした彼らが優秀だとはいえ、彼らはただの人間で魔法は使えない。どんな魔法を繰り出すかもわからない魔女を相手に、無謀に戦いを挑んでも結果は見えている。


 必要なのは、より強力な援助。


 報告途中のクロードは、ざわめきの中でも背筋を伸ばし、国王ウラド6世を見つめた。


「森の異変に幸い領民はまだ気づいておりませんが、それも時間の問題かと。彼らが気づく前に早々と解決したく存じます。どうか共に調査をする人員を求めたく――」


 淡々と言い上げるその様は、ピスカの森の領主としての覚悟を持った表れといえよう。

 実際、クロードは覚悟していた。

 領主として矢面に立ち、ピスカの森の魔女をどうにかする手立てを考えなければならない。例え自分が持つ力が剣の腕だけであっても、彼は領主として真っ先に、時には騎士団よりも先に、命の火花を散らさなければならないのだ。


 だが、ウラド6世からの返事はない。目線を上げれば、彼はクロードの報告など耳に入っておらず、未だ動揺するばかりである。


「なんということ!まさかピスカの森の魔女が目覚めるなど……」


 ウラド6世はそう言うが、魔女が目覚めたかどうかはまだ定かではない。判断を下すにはまだ材料が少なすぎる。もう少し変化の様子を探らなければ、何かの要因があることにも気づかずに、ただ怯えて過ごすだけになってしまう。

 だが一方で、クロードはウラド6世がそう思う気持ちも理解できた。代々王家に受け継がれる『真実の水晶』でさえも、森の中の様子だけはいついかなる時も映してはくれないから、判断のしようがないのだろう。それだけピスカの森の魔女の魔力が強力なのである。

 おそらくピスカの森の変化において魔女は何かしらに関係しているのだろう。目覚めているか否かは現段階では不明であるが、今現在目覚めていなくとも今後目覚める可能性は非常に高いと思われる。


(666年も眠り続ける魔女、か)


 ピスカの森の魔女――このイニティウル王国の歴史上最も有名で最も恐れられる魔女。

 その力が猛威をふるった時代が御伽話として記録された後も、彼女はずっと深い眠りの中で生き続けている。

 一体、彼女に太刀打ちできる人物などいるのか。


(彼女と同等、いや、それ以上の力を持つ者など……)


 そこまで考えて、クロードの脳裏にふと一人の男の姿が浮かぶ。飄々とした態度で常に笑顔を崩さない、ウラド6世が重宝して止まないお方だ。

 あの方ならかなりの希望があるはず。きっと事態を好転して下さる。

 ウラド6世も同じことを考えたのだろうか。


「カ、カルロスを呼べ!!!!」


 ウラド6世は、大慌てで宰相カルロス・サペレの名を呼んだ。

 カルロス卿は国王の右肩であり、国一番の魔法使いであらせられる非凡なお方。彼に対するウラド6世の信頼があまりに厚いため、影の権力者とみなされる程の影響力を持つお方だ。

 

(魔法に対抗するにはやはり魔法が一番だ。カルロス卿が協力してくだされば、我々の勝率は格段に上がるだろう)


 こう思ったのは、クロードだけではないはず。

 この緊急事態に頼れるのは彼しかいないと、広場にいる誰もが彼の登場を待った。


 しばらく経ち。


 呼び出されたカルロスは、腰まで続く太く緩やかな三つ編みを垂らし、悠々と国王の前に跪いた。銀縁の丸眼鏡越しに覗く瞳は閉じていて、その心の内は分からない。


「お呼びでしょうか、国王陛下」


 再び静寂が戻るなか、カルロスの涼しげな声は心地良い波の音のようであった。

 緊急事態であっても穏やかな表情を崩さない様は、さすがは影王と言われるだけあって余裕がある。

 ウラド6世は彼を前に少しだけ落ち着きを取り戻し、唯一の希望だと縋るように彼を見る。


「魔女が、ピスカの森の魔女が、目覚めたかもしれん……!」


 その言葉に、カルロスの眼が僅かに開いた。採れたての血のような赤色が覗き、クロードはその眼の奥に得体の知れない何かを一瞬だけ捉える。

 しかしながら、カルロスが瞬きをした次の瞬間にはそのようなものは消え、落ち着いた声音が謁見の広間に響く。


「心配はありません。私がすぐに対処いたします」


 随分と淡々としていた。大した問題でもないというような答え方だ。

 クロードはカルロスの落ち着きように感心を覚えた。


(さすがは国一番の魔法使いと言ったところか。彼以上に魔法を扱える人間など他に考えられない)


 そもそもこの国の魔法使いはカルロス一人であるから、比べるもなにも彼しか頼る者はいない。まさに適任。

 ピスカの森を調査し、魔女の存在が真実だと突き止めたのもカルロスだ。

 そんなことを思っていたら、不意にカルロスがクロードの名を上げる。


「ピスカ領は現在クロード・ブレド公爵が治められているはず。彼と協力する許可をいただきたく――」


 ウラド6世はカルロスが言葉を紡ぎ終える前に強く頷く。


「勿論、はなからそのつもりでおる!な、ブレド公爵!」

「は!国一番の魔法使いであらせられるカルロス様にご協力していただけるなど、至極光栄なことでございます」

 

 クロードとしても、カルロスがいてくれるのは心強いことである。魔法使いの味方はかなり有難い。


「汝は全身全霊でカルロスを補佐せよ」 


 安堵した顔でそう告げたウラド6世に向けて、クロードは頭を深く下げた。


「御意」


 決心はついた。


(……ピスカの森の魔女。領民を脅かす御伽話の悪い魔女。呪いを好む恐ろしい人物だと聞いているが、目覚めた暁には怯みはしない)


 クロードはぎゅっと拳を強く握り込み、視界の端に映り込むカルロスの背を捉えた。


(カルロス卿がいらっしゃるとはいえ、恐らく下手をすれば死ぬ。だが上手くいけば――)


 その先にあるのは、歴史に名を刻む英雄の誕生。英雄が歩くに相応しい光に照らされた華々しい道。

 若くして家督を継いだクロードには現在何の功績もない。早いところ領主として認められる機会が欲しいと思っていた。

 そんな折に起こったピスカの森の異変。

 魔女はどんな厄災をもたらしてくれるのだろう。どんな意図をもって、このタイミングで目覚めようと思ったのか。

 クロードには知る由もないが、まさに自分に向けた試練とでもいわんばかりではないか。


 ――全く、想像するだけで脳汁が出そうになる。


 クロードは僅かに口の端を上げる。

 

(イチか、バチか)


 これは一世一代の大博打だ。結果によって未来が大きく変わる。当たれば未来は約束されるも同然だが、外れれば恐ろしい結末が待っているだろう。

 だが、逃げるなんて選択肢を取る軟弱者に成り下がるつもりは毛頭ない。


(ピスカの森の悪い魔女。この勝負、俺が貰う)


 クロードの闘志はメラメラと燃え上がっていた。




◻︎




 コツ、コツ、とまた一つ足音が響く。

 ひんやりとした空気の中、その足音は妙に上機嫌なリズムを刻んで進む。一歩一歩を楽しむように。踏み出す度に歓喜を抑えられないというように。

 やがて石階段を下れば目的地に到着し、足音はぴたりと止む。


「久しぶりですね」


 男はローブにしまっていた杖を取り出し、杖の先端を自分に向けて呪文を唱える。


【解除】


 杖から放出される魔力によって、三つ編みにしていた黒髪は絹糸のような金髪へと、血のような赤い瞳は海のような青へと変わっていく。男の姿は瞬く間に変貌し、600年以上前から変わらない若々しい姿が現れる。

 彼の姿は金髪碧眼でまるで王子のように麗しい。

 若々しい肌は雪玉のように白く、色素の薄い碧眼はサファイアのよう。程よく筋肉のついた体躯は魔法使いのローブに覆われているが、先程よりも上背がある。


「はは、この姿になるのもまた久しい」


 ここは王城の地下深く――たった一匹の狼のための牢獄。

 666年前にこの城の持ち主であったこの男がひっそりと作り上げた、魔獣を閉じ込めるための頑丈な部屋だ。


『……ル』


 牢に入れられた狼は、力のない掠れた鳴き声を出し、柵越しに見下ろしてくる男――カルロスを一瞥する。

 足につけられた鎖は血に滲んで鉄の匂いが周囲に充満している。抵抗の跡が見て取れるが、最も無気力な今の様子では、そんな気力ももう残っていないようだった。

 カルロスは嘲り笑いながら狼に話しかけた。

 

「元気そうで何よりです。やはり大魔獣ともなるとなかなかしぶとい。囚われの身だというのに呑気なものです」

『……!』


 狼の金色の目に黒い縦線が宿る。その闘志にカルロスはゾクゾクと背筋を震わせる。


「そんなあなた朗報ですよ。間もなく『ピスカの森の魔女』が目覚めるでしょう。森の霧が薄くなっているようです。これで我々の長い争いにも決着が付く」


 カルロスの口元は狂気を纏っていた。愉しくて仕方ないとでも言わんばかりに歪められている。


「彼女にまた会える日を心待ちにしていました。森に張られる結界が薄まるということは、私にとっても得となるということをお忘れで?――今度こそ、計画の邪魔はさせない」


 もはや、カルロスは殺意さえ隠さなかった。

 あの忌々しい魔女のせいで、666年も待ちぼうけを食らったのだ。彼女の邪魔が無ければ、彼の悲願はとっくに達成できているはずだった。


「一応、関係者の君には伝えといた方が良いと思いましてね。生憎、力を失った君に出来ることなんて何も無いのでしょうが」


 カルロスは目の前の魔獣を一瞥し、片眉を上げた。


「600年も生き長らえているのが不思議なくらいですよ。まぁ、魔力を頂いている私としては嬉しい限りですが。君もあの魔女も生命力だけは一人前です」


 それだけ言うと再び姿を変え、そのまま踵を返して光ある場所へと戻っていく。

 去っていくカルロスの足音が遠ざかり、やがて光のない暗闇が戻ると、狼は静かに人間の姿に変身した。

 

 黒と白が入り混じった髪の毛に金色の瞳。傷ついた身体は白いシャツと黒いズボンに覆われ、はだけたシャツが隙間風に吹かれて少しだけ靡く。


「……サリー」


 冷たい石畳の壁に背を預け、彼は口元を緩ませる。掠れた呟きは誰の耳にも届かない。ただ静寂に掻き消されていくだけ。だが、彼はそれで満足だった。

 冷たい石畳の壁に背を預け、その男――ジェロードは上を見上げる。


(森の力を僅かに感じる……)


 666年前からサリーを知るジェロードは知っている。ピスカの森はサリーによって護られていた。彼女が眠ったのは、我が身を犠牲にしてでも護るべきものがあったからだ。その森の結界が薄くなっているということは、彼女はついに目覚めたということだろう。

 あの男はサリーを侮っている。彼女が背負っているものの全てを、あの男は自分も背負えて当然だと思い上がっている。深淵に立つ覚悟を持つ程度には、欲が育ってしまったらしい。


(……悲しき王子)


 きっとカルロスはすぐ、サリーに何かを仕掛けるだろう。

 だが、ジェラード達だって彼女を護る方法を必死に考えてきた。そして男の何が欲を突き動かして来たのかも全て見てきた。


(今夜は満月だ)


 ジェロードの空虚な眼に鋭い光が宿る。

 その眼を通して、彼にできることをする。

 ぶわりと、その眼が赤く光った。

 

(もうすぐ会える……。約束は、必ず守る)


 こちらの準備ももうすぐ整うはずだ。


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