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6 ピスカの森の中心

 

 その日の午後。  

 昼食を食べ終わり、喧しいスーシェンが姿を眩ませたタイミングを狙い、サリーは行動に移る。


「メアリーチェ、おいで」


 部屋に戻って一番、相棒で親友の毒蜘蛛メアリーチェを呼び出す。少し出掛けようと思ったのだ。

 メアリーチェはどこからともなく現れ、定位置である左肩に乗ってくる。


「ちょっと、森を見に行きましょう」


 目覚めてから一週間は体力がなく、家の中を移動するだけで精一杯だった。だが、そろそろ足腰の違和感も消え、魔力も安定してきたから、外に出ても良い頃だろう。先ほどスーシェンを呪おうと大量の魔力を無駄使いしてしまったが、幸いまだ完全に枯れたわけではない。サリーは普段使いの杖とは違う、『ピスカの森の魔女』の証である杖を手に取る。


「あの男に気づかれないように静かにね」


 小声でメアリーチェに囁いて瞬きを一つ。

 風が舞い、体が宙に浮く。次の瞬間には、サリーたちは森の中心部に立っていた。 

 ふわりと鼻を掠める土と緑の匂い。見渡せば、風の一つもない空間で、葉を揺らすこともなく友人らは佇んでいる。


「久しぶり」


 百本ほど生え揃った大樹たちは、ピスカの森の祖だ。サリーが生まれるずっと前から生き続けている。

 中心には始まりの魔女の一人が全ての魔力を流し込んだとされる〈始まりの樹〉があり、その根から流れる魔力が土を伝わってピスカの森全体に魔力を提供し続けている。この森の生きとし生けるものは皆魔力を通じて一つなのだ。


「元気だったかしら……なんて言ったら嫌味よね」


 サリーは大樹林を見渡した。

 眠りにつく前と大きさや太さはさほど変わっていない。土に深く根を張り何千何百と年月をかけて空へと背を伸ばしていった大樹たちは皆立派な幹や枝葉を持ち、おまけに魔力が流れる彼らに寿命による死は訪れない。けれど、明らかに違うところが一つ。


「……随分、しおらせてしまったわね」


 大樹の上には黒い靄がかかり、空が見えないようになっている。そのせいで大樹たち――ひいてはピスカの森は元気をなくしていた。


(……貴方たちを巻き込んでしまってごめんなさい)


 目を伏せれば、押し寄せる後悔と無念。

 どうにかして護ろうと思っていた。逃げる前に、けじめをつけたつもりだった。……けれど、やっぱり間違っていたのかもしれない。

 元気のない樹々を見ると余計にそう思う。


「……貴女なら、どうしたのかしら」


 ふとサリーの脳裏に、一人の少女の姿が思い浮かんだ。 

 彼女は快活で好奇心旺盛で、けれど時にはきちんと後ろを振り返ってサリーの手を引いてくれるひとだった。


『サリー、ほら来な。二人なら怖くないから』


 何度も言われた言葉。その度に背中を押されてきた。

 正直、今でもたまに彼女が隣にいると錯覚してしまう時がある。だから答えが返ってくるはずないとわかっていても、ふと気を抜いた瞬間にサリーはつい彼女に問いかけてしまうのだ。

 誰もいない隣を見てぐっと拳を強く握りしめる。後悔は、消えることなく胸の深くで渦を巻き、サリーをこの森に閉じ込める。

 すると、不意に頬に温もりを感じた。じんわりと広がる熱が、サリーを現実に戻してくれる。


「……メアリーチェ、慰めてくれているの?」


 気づけば、メアリーチェがサリーを励ますようにすりすりと頬擦りしている。メアリーチェのふさふさの頭がくすぐったく、そして思いの外温かい。

 サリーは自然と頬を緩めた。


「ありがとうメアリーチェ。貴女にも苦労を掛けたわね」


 サリーが眠っている間、メアリーチェにはピスカの森の番人の役目を任せていた。

 彼女は強力な魔力を宿した毒蜘蛛で、その魔力は並の魔法使いは優に超える。サリーに懐き寄り添い続けてくれた、数少ない信頼できる相手だ。

 サリーはメアリーチェを指の腹で撫でる。


「ねぇメアリーチェ、一つだけ気になることがあるの。貴女、どうしてスーシェンなんて通したの?脅されたの?あの厄介男にはさすがに敵わなかった?」


 森に入るにはメアリーチェの許可がいる。そのため、スーシェンがどのようにして黒い霧という結界を突破したのか、サリーはずっと気になっていた。

 結界が壊された跡はない。穴を開けられるように部分的に消されたわけでもない。もしかしてスーシェンは本当に自分以上に優秀な魔法使いで、結界などはなから効かなかった可能性も考えたけれど……。

 しかしながらメアリーチェはその質問に答える気はないようで、心地良さそうに頬ずりを続けている。そのためサリーもそれ以上追求はせず、再び頬を緩めて改めて彼女をすりすりと撫でた。 


「答える気がないのならそれでいいの。あの時、貴女やジェロに甘えて私は逃げた。それでも貴女は不甲斐ない私にずっと連れ添ってくれている。それだけで十分だわ」


 そうだ。

 サリーの我儘は既に彼女やジェロが叶えてくれた。

 スーシェンに目覚めさせられたことは予想外ではあったが、メアリーチェもそろそろサリーに起きて欲しくて彼を通したのかもしれない。ピスカの森の魔女としての仕事をさぼり続けるのも666年が限界だったということだろう。


「――けれど結界を解くのはもう少し待ってね。もう少しだけ……」


 メアリーチェは自分を撫でるサリーの指に糸を絡ませて遊んでいる。無邪気にじゃれている彼女の様子にサリーは静かに目を細めた。

 人同士では築けないこの静かな関係に何度救われたことだろう。

 サリーが目覚めたことにより、ピスカの森の結界はほんの僅かだが薄くなっている。その異変に周囲が気付いた時、この森にどんな危険が迫るのだろう。

 本来ならばさっさとスーシェンを呪い、この森から追い出した上でもう一度眠りにつこうなんて考えていたけれど、騒がしくやかましく手ごわい彼相手にその予定は大きく崩されている。それに……。


(いずれは目覚めなければならなかった。そのタイミングが訪れただけなのよ)


 目覚めた今、サリーはこの森とどう付き合っていけば良いのか。

 そんなことをぼんやり考えた時だった。


「――サリーさん」


 いつもより落ち着いた中低音が背中に響いた。

 不意にかけられた声にサリーは後ろを振り向く。

 誰が来たかなんてわかりきっている。わざわざ自分を追いかけてくる人物なんて、考えられるのは一人しかいない。

 思った通り、サリーの目には初めて会った時と同じ、金の刺繍が施された黒いローブを羽織るスーシェンが映っている。

 頼りない表情で佇む彼を見てサリーの口が動く。


「……へんたいすとーかー」


 なんとなく、そんな気はしていた。どうせ居場所がバレるなら、わざわざこそこそとする必要はなかったと頭の端でサリーは思う。

 スーシェンは佇立したまま、眉を下げて哀しそうに微笑んでいる。


「そんな的外れなこと、言わないでください」 

「正論よ」


 即座に言い返しながらも、どうしてそんな切なそうな表情をするのかサリーは不思議だった。出会って間もない、魔法を使える点しか共通点のない彼が何故そんな表情をするのだろう。


「どうしてここに?」

「家の中からサリーさんの気配が消えたので探知魔法で探しました」

「……そう」


 やはりなかなかに手強い相手。スーシェンを完全に撒くことはできなかったようだ。

 だが、天敵に隠れ場所を突き止められてしまった割には、サリーの心は凪いでいた。あんなに構われるのが嫌だったというのに、今だけは目の前の男が冬の寒さを和らげる日差しのように感じられる。

 大樹の傍に静かに佇むサリーに向かってスーシェンがおどおどと近づいてくる。躊躇いがちな一歩一歩が、肝心な時に臆病な彼の性格を表しているようだと思った。

 

「あの、まだ体も完全に元気ではないのですから、外に出たいのなら次からは僕も誘ってください」

「どうしようかしらねぇ」

「そうでないと危険です」 

「どうして?」

「どうしてって、森には危険な野生動物がうじゃうじゃ……って、そういえば、この森でそういった生き物を見かけたことはありませんが、サリーさんは理由をご存知ですか?」

「さぁ。どうかしらねぇ」


 のらりくらりとした返答にスーシェンは困り顔だ。

 その珍しい表情はなかなか悪くないとサリーは思う。勝手にストーカーして来たのだから、少しくらいは意に反する反応をしても問題ないだろう。


(……それに、理由を言ったところでどうなるの)


 彼はただの居候で、付き纏いで、ピスカの森の悪い魔女の監視役なのだ。 そんな男に真実を告げたとて、彼が何をしてくれるというのか。

 真面目に会話をする気などサリーにはないと判断したスーシェンは、途端すたすたと歩み寄ってきて、肩にショールをかけてくる。


「とにかく、体力も魔力も万全ではないのに、心配させないでください」

「……心配?」

「ええ、そうです。貴女はご自分を強い魔女だと思われていますが、その前に一人の女性です。僕は心配で心配でたまりません」


 心配だなんて久しぶりに言われた。


(悪い魔女をわざわざ心配するなんて、おかしなひと)


 なんだか反応に困ってサリーはそっぽを向く。

 せっかく平常心でいたのに、途端調子を崩されるのだから困ったものだ。だが、不思議と悪い気はしない。 気分が良くなったついでに、スーシェンにこの森の秘密を一つ教えてあげようか。


「心配ありがとう。……けれど、この森では皆眠りについているから問題ないわ」 

「それはどういう――」

「さ、冷えてきたし、そろそろ帰りましょう」

 

 ショールをいじりながら今度は自分からスーシェンに寄る。彼の戸惑いを無視して、その腕に触れる。

 

「ほら、連れて帰ってくれるのでしょう」


 せっかく捕まったのなら、帰りは楽をした方が良い。この男を利用してやるのだ。 

 サリーと同じことを考えたメアリーチェが楽しそうにスーシェンの肩に飛び移る。


「メアリーチェさんまで」


 はあぁと長い溜息を吐いたスーシェンに、サリーもメアリーチェも期待の目を向けた。


「しょうがないですねぇ」


 スーシェンは、なんだかんだ甘い男だとサリーは思う。口ではなんとでもいうが、結局のところ折れて何でも希望を叶えてくれる。


「……本気で呪うのはもう少し先でも良いわ」

「なんか言いました?」 

「いいえ何も」


 ついでに、もうしばらくはこの男に甘えてゆっくり過ごしても良いかもしれない。外の危険も、この男を盾に使えば何とかなるような気もする。


「なんだかいつになくご機嫌なようですねぇ」


 艶のある笑みを浮かべたサリーを不審がりながら、スーシェンは魔法を唱えた。


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